03 ガトーショコラよりもベイクドチーズケーキよりも重い
ケイトは島を出る前から、何度も外の様子を見ていたらしい。
元勇者としての力は、やろうと思えば世界の裏側だって見えてしまうんだとか。それを完璧に使いこなしているんだからケイトはすごい。
しっかり吟味した上で最初の滞在場所に選んだのは、クラディ王国という国の、都からは離れているけど活気のある町。木の葉を隠すなら森の中ってことわざもあるからね、ってケイトは言っていたけど私にはちょっと難しい。
この町に来てすぐ、ケイトは自分の持っている武器を最大限に使って町の人の信頼を勝ち取った。
本当に魔法みたいに鮮やかな手順である程度まとまったお金をゲットして、気づけば一時的に住む場所まで決まっていた。
宿とかじゃなくて町の片隅の空き家を貸してもらえたのは、毎日ケイトのご飯を食べたい私的にもとてもうれしい。
そうしてここ半月、悠々自適な暮らしをしている小ぢんまりとした家に、私は一度もケイトを振り返ることなく帰ってきた。
ケイトが後ろからついてきていることは足音でわかる。たぶんわざと聞こえるようにしてるんだろう。
苛立ちに任せてバンっと閉めた玄関のドアが、少しの間をあけて控えめに開かれる。
「小花ちゃん」
名前を呼ばれても、私は振り返らない。
すごく、すっごく怒ってるんだから。
……すごく、すっごく、悲しい気持ちになってるんだから。
ケイトが200歳を超えてるってことはもちろん知ってる。
でも正直、途方もなさすぎてあんまり実感がなかったりもして。
私からしたら、ケイトは普通に20代くらいの男の人にしか見えない。たしかにハイスペックどころかチートすぎる部分はあるけど、実際にケイトが過ごしてきた長い長い時間を正しく理解することは一生できないかもしれない。
だから、しょうがないことなのかもしれなくても、好きな人からの子ども扱いに傷ついてしまう。女性として扱ってほしいと思ってしまう。
……たしかに、元の世界でも子どもっぽいって言われることは多かったけどさ。
「ごめんってば」
その微妙な謝り方にムッとしたところで、後ろから抱きしめられた。
ケイトのぬくもりに包まれて、ドキドキと安心感で胸がいっぱいになってしまう。
あっけなくほだされた私は、もういいよ、と言おうとしてふと気づく。
お腹のあたりに回された手が、少し、震えている。
「俺が悪かったから、こっち向いて。何か喋って。反応して。……お願い」
ああ、ばかだなぁ、私は。
ちゃんと知っていたはずなのに、頭に血がのぼって忘れそうになってた。
さっきもそうだったみたいに、ケイトは自分の気持ちを隠すのがとても上手だ。最近はだいぶわかるようになってきたと思ってたけど、私が顔を背けていたら簡単に取りこぼしてしまう。
冗談めかした謝り方しかできない、不器用で、本当はとても弱い人。
200年以上も生きてるのに、私のことを子ども扱いするくせに、ケイトのほうこそたまに子どもみたいだ。
しょうがないなぁ、って私は折れてあげることにした。
そんなケイトも含めて、好きなんだから。
「3歳児って言った」
腕の中でくるっと半回転して、ケイトと向き直る。
子ども扱いの部分はやっぱりまだ納得はできてなくて、つい蒸し返してしまう。
でも、私が口を開いたことで安心したのか、ケイトは口元に笑みを浮かべた。苦笑、に近かったけど。
「だって小花ちゃんの思考回路ほんと子どもだし」
「どこらへんが?」
「欲求に忠実で、思ってることそのまま口にするし、やりたいことをやるし、……打算とか、そもそもそういう考えがない」
うう~ん、これ、褒められてないよね?
おかしいな、さっき謝られたと思ったのは気のせいだったのかな。
「……つまり、単純バカだと?」
「簡単に言えば」
「全っ然反省してないじゃん!!」
「本当のことだからなぁ」
はは、ってケイトは楽しそうに笑う。もうすっかりいつものケイトだ。
たぶん、私がケイトの目を見て話すから。私の気持ちがケイトに筒抜けだから。
それでも好き、っていう思いも全部、伝わっちゃっているから。
ケイトに感情を読む力がある以上、私の負け戦は最初から決まっているようなものなんだ。
「そういうとこが、小花ちゃんのいいところなんだよ」
「バカなところが?」
「うん」
迷いなくうなずくケイトは、嘘やごまかしを言っているようには見えなかった。
バカだなんて、絶対にいい意味じゃないと思うけど。
それがいいところだって言われちゃうと、私はもう怒れなくなる。
「ケイトは、私のそういうとこが好きなの?」
「好きだよ」
やっぱりためらうことなく、ケイトは答える。
初めて聞く言葉に、ぎゅうっと胸が締めつけられる。
告白とはちょっと違うような気がするけど、それでもケイトに好きって言ってもらえたらうれしい。空だって飛べちゃいそうな気持ちだ。
「それは、女の子として?」
私がそう尋ねると、ケイトは不意を突かれたみたいに目を丸くした。
そんなことを聞かれるとは思ってもみなかったのかもしれない。
ケイトにとって、私はまだまだ“子ども”だから。
でも、ケイトから見たら子どもの私でも、いろいろ考えることはあるんだから。
「……さてね」
ケイトは少し考えてから、困ったような笑みをこぼしてそう言った。
ごまかすような言い方じゃなくて、自分でもよくわからないとばかりに。
「そういうの、ずいぶんと長い間遠ざかってたからなぁ」
独り言のようにつぶやくケイトは、笑っているのに、泣いているようにも見えた。
200年、200年だ。
私には途方もなくて、全然実感のわかない年月。
まあたしかに、200年も一人でいたんなら、急に恋愛とかできないかもしれない。
「単なる恋愛感情で済ませられたほうが、小花ちゃんは幸せだったかもね」
「どういうこと?」
言葉の意味が理解できなくて、私は首をかしげる。
ケイトは曖昧な微笑みを浮かべたまま、私の頬にそっと触れた。
優しく、慈しむように。大事な大事な、世界で一番尊いものにさわるみたいに。
「今、俺が生きてるのは、小花ちゃんがいるからだってこと」
思わず私は声を失った。
嘘でも、冗談でも、誇張でもないと、さすがの私にもわかった。
ケイトのホットケーキ色の瞳が、射抜くようにまっすぐ私を映していたから。
不思議な力なんてなくたって、目は口ほどに物を言うものだ。
「重いでしょ? 人一人分の命なんて、普通は背負わされるものじゃないしね」
ケイトは口元だけ笑いながら眉間にシワを寄せて、複雑な表情をした。
まるで、ごめんね、とでも言うように。
たしかに重い。ガトーショコラよりもベイクドチーズケーキよりもどっしりと重い。
でも……
「重くないって言ったら、嘘になるけど……」
「けど?」
「飽きられないようにがんばる!」
ぐっと握りこぶしを作って私は宣言した。
パチパチ、とケイトは何度も目をまたたかせる。その表情はいつもより少し幼く見えた。
「……何それ」
「だって、私のことを好きな間は生きていてくれるってことでしょ? 私、ケイトに死んでほしくないもん」
私はこの世界でケイトの足枷になって、ケイトの生きる理由になるって決めた。
だったら、その重さはむしろ願ったり叶ったりだ。
それを私に背負わせてくれてるうちは、ケイトは生きててくれるってことなんだから。
「はぁ……」
ケイトは深い深いため息をこぼす。
ジトーっとした目で見てくるけど、何か変なことを言っちゃっただろうか。
「……飽きられないようにとか、そういうの、俺の台詞だと思うんだけど」
「そ、そうなの?」
「小花ちゃんは相変わらずばかだ」
バカバカってそんなに言わなくてもいいと思う。
悪い意味じゃないのはもうわかってるから、ケイトなりに理由があってその言葉を選んでるんだろうけど。
微妙なニュアンスも読み取れるようになるくらい、もっとケイトのことを知っていけたらいい。
時間はまだまだ、いっぱいあるんだから。
「だから……救われるんだけど」
ぽふり、とケイトは私の肩に額を乗せた。
肩に感じるかすかな重み以上に、私の肩にはケイトの命が乗っている。
ケイトの心を、ケイトの傷を、全部理解することはきっと一生かかってもできない。
それでも、この重みを、ぬくもりを大事にしたいと思うから。
どっしり重たいケーキでも、恋心でできたふわふわのクリームで受け止めてみせよう。