小さなおはなし3段ホットケーキ
【うとうと注意報】
お風呂の順番は、私が先。
私がうっかり長風呂しても、ケイトは好きな温度に沸かし直せるから。つくづく魔法って便利だ。
ケイトはいつも、お風呂に入る前に私の髪を乾かしてくれる。
私がろくに拭かずに寝ちゃわないか心配らしい。
実際、過去に眠気に負けてバタンキューした前科があるから、反論はできない。
「ほら小花ちゃん、こっち来て」
「ん」
ケイトに触れられるのは好きだ。
ご主人さまに毛づくろいしてもらうペットって、きっとこんな気持ちだろう。
触れ方が丁寧で、優しくて、自分がその人の宝物になったみたいでちょっと誇らしくなる。
ひとつ問題があるとしたら、気持ちよすぎて、いっつもすぐに眠くなっちゃうこと。
「……小花ちゃん、半分寝てるでしょ」
「んーん」
否定しようと出した声は残念ながら不明瞭で、それ自体が肯定になっていた。
思考がぼんやりして、頭が重たい。
こてんと後ろに寄りかかると、なぜか背もたれがため息をついた。
「もうそろそろ無防備とか不用心って言葉だけじゃ足りない気がしてきたよ」
呆れだか、あきらめだか、なんかそんな感じのものがもりだくさんの声。
半分夢の中の私でも、褒められてないことだけは理解できた。
「ひどい……」
「どっちが」
どっち? 私ひどいの?
そう言われるとそんな気もしてくるから不思議だ。
「ごめん……」
よくわからないけど謝ると、背もたれからまたため息。
「どうせ欠片も意味なんてわかってないんだろうけどね。謝ったし罪を認めたということで」
ちゅう、と音がする。
うなじに湿った何かが触れている、ような気がする。
くすぐったいんだか、むずがゆいんだか、痛いんだか。そんな感じがちょっとだけして、んっ、と無意識に声が出た。
あいまいな意識はあいまいな感覚しか連れてこなくて、それが“何”なのかまで考えが及ばない。
「お仕置き、って言うとちょっとエロいよね」
そんな声を子守唄に、気づけば私は夢の中。
優しい狼についていったら、カプって噛まれて、でも全然痛くない、そんな不思議な夢を見た。
次の日、いつもどおり自分のベッドで目が覚めて。
運んでくれたんだろうケイトにお礼を言うと。
「大丈夫、ご褒美はもうもらったし。まあ、別の口実だった気もするけど」
なんて、妙に意地の悪い笑顔で言うもんだから、私は首をかしげるしかなかった。
◇◆◇◆◇
【真夜中の懺悔】
真夜中。
ふと目を覚ましたのは、本当にちいさなささやき声が俺の鼓膜を揺さぶったから。
「おかあ、さん……」
ちいさなちいさな、けれどそれは、心からの悲鳴だった。
音も立てずに傍へ寄って、すぐに寝言だと気づく。
気づいたからこそ、余計にガツンと来た。
小花ちゃんが、泣いている。
夢の中で、家族を求めて泣いている。
――俺が、泣かせている。
わかっていたことのはずなのに、衝撃は大きかった。呼び起こされる罪悪感も。
「……ごめん」
何十、何百、何千回謝ったって足りない。俺の罪は一生消えない。それを改めて思い知らされた。
どんなに後悔したところで、今さら手放せない。世界はそれを許さないし、俺自身も、許せない。
罪悪感と一緒に小花ちゃんを抱き込んで、せめてもうかすかな傷すら与えないよう守ることしかできない。
そんなことなんの償いにもならないって、いっそ責めてくれたら、楽なのに。
小花ちゃんは、何も言わない。いつもばかみたいに笑っている。
ケイトだいすき。そう瞳が語っている。
だから俺は、この優しすぎるぬるま湯に甘えてしまっている。
一生ここで暮らしたっていいじゃないか、と口をついて出そうになる。
小花ちゃんの可能性を、未来を、潰してしまいそうになる。
守りたい、なんて思っておきながら矛盾が過ぎる。きっと俺はどこか壊れているんだろう。
本当は、小花ちゃんを一番に守らなきゃいけないのは、この俺自身からだ。
「ごめんね」
再度の謝罪を、唇ごとそっと額に落とした。
せめて夢が健やかなものであるように。
俺の想いが彼女を損なうことのないように。
そうして、朝、目を覚ました小花ちゃんが、変わらず『ケイトだいすき』という瞳をしているように、と。
心の底からの、エゴ。
深く寝入っているはずの小花ちゃんが、少しだけ笑ったような気がした。
◇◆◇◆◇
【舵は君が持っている】
夜、寝る前。
もういい時間だからさあベッドに入ろう、という時に。
ツン、と俺の動きを阻害する、小さな小さな力があった。
「……小花ちゃん? どうしたの」
俺の裾を引いた手を、そっと包み込むように握る。
振り返れば小花ちゃんはじっと俺を見上げていて、その夜色の瞳に吸い込まれそうになる。
俺に“視られる”のを少しも嫌がらない小花ちゃんは、目をそらすこともなく、ただ思い出したように瞬きをするだけ。
その瞳の奥に視える思いは、『不安』と『怯え』だ。
「……あのね」
自分でもどう話したらいいのかわからないんだろう。
小花ちゃんらしくなく、ずいぶんとためらいながら口を開いた。
「外に出るの、すっごくすっごく楽しみなんだよ。この世界のことをちゃんと知りたいし、この世界の人と触れ合ってみたい。だから、こんなこと思うの、変だなって思うんだけど……」
ぎゅっと、握った手に力がこもった。
まるで縋るように。
「……ちょっと、こわい」
飾り気のない言葉に、俺は微笑む。
伝わってくる感情をそのまま言葉にする小花ちゃんに、いつも俺はひっそりと安堵してしまう。
「変じゃないよ。知らない世界に飛び出すのが怖くない人なんていない。この島は変化に乏しいけど、それだけ安全でもあったからね」
自分でも驚くくらい穏やかな声が出た。
嘘のない小花ちゃんだから、俺も心から優しくしたいと思える。
そうは言っても、俺の優しさは少々歪んでいる自覚はあるけれど。
「この島を出るの、やめる? 俺はそれでもかまわないけど。ここでずっと小花ちゃんのために卵料理作ってるのも楽しそうだし」
「……それは、嫌」
予想通りの答えが返ってきて、思わず苦笑する。
わかっていたことだけど、小花ちゃんは俺に囲われてはくれない。
俺には小花ちゃんしか必要なくても、小花ちゃんには“外の世界”が、“その他”が必要だ。
そんな小花ちゃんの健全な精神が、俺にはまぶしい。
「私が外の世界に興味があるからっていうのもあるけど。なんとなく、ケイトのためにも、よくないと思う」
「小花ちゃんがそう思うならそうかもね」
さて、どうだろう。
それがわかるのは外に飛び出てからのことだ。
答え合わせも、小花ちゃんと一緒ならきっと楽しいだろう。
「今日は一緒に寝ようか、小花ちゃん」
まだ本調子ではない小花ちゃんのために、握った手の甲を指の腹で撫でながら、提案する。
きっと、いつもだったら真っ赤になって首を横に振るだろうに。
小花ちゃんは少しの沈黙ののち、コクリ、と縦に。
かわいいかわいい小花ちゃん。
ばかでおろかで、でもなんにも考えてないわけじゃない小花ちゃん。
子どもが親にそうするみたいに、ぎゅっと抱きついてくるやわらかなぬくもりに、まったく欲を覚えないわけじゃないけれど。
今日くらいは彼女の望む優しさで包み込んであげよう。夜の闇に、未知の世界に、怯えずにすむように。
大丈夫、大丈夫、と言葉にするように背中を撫でる。
ぎゅうっと、服にシワがつくほど硬く握られていた手が、少しずつゆるんでいく。
大事なものを掴むには小さすぎるその手に、俺の運命は握られている。
泥舟に乗ったつもりで、気楽に行こう。
大丈夫。沈んでも俺がどうにかしてあげるよ。
だから小花ちゃんは何も気にせず、行きたい方向に舵を切ればいい。
目指す先が楽園でも奈落でも、俺にとっては同じこと。
そこに君さえいれば、どんな場所だって理想郷になるだろうから。




