掌編『とある食物連鎖の話』
さる魚はこう言う。
「僕の体のほとんどは筋肉で出来ている。その理由はただひとつ。速く泳ぐため、それだけさ。なぜ早く泳がなければならないかって? 生き残るためさ。僕は生き残るために、速く泳ぐ。速く泳げなければ、死んでしまう。産まれおちたからには、死にたくない。死にたくないから、僕は速く泳ぐんだ。体を筋肉の塊にするのは、そのためさ。それだけのためさ」
その魚は尾びれを威勢良くバタつかせて、その筋肉を自慢してみせた。
「僕は生まれながらのスプリンターだ。いや、僕たちと言ったほうが正しいかな。とにかく僕の一族は、速く泳ぐことが命題なんだ。それがなによりの生きる術だからね」
その魚が、今度は自分の体を抱くようにして胸ビレをたたむと、一度だけ大きく身震いした。
「でも正直言うと、僕は怖いんだ。死ぬことが怖い。速く泳げなければ生きられない。でも実際、どのくらい速く泳げれば生きられるんだ? どれだけ遅いと死んでしまうんだ? 時々何もかもが恐ろしくなる。産まれおちたこの環境に、自らの宿命に、これ以上ないほどの恨みを向けたくなるんだ。僕は泳ぐことが好きなわけじゃない。でも、速く泳いでいないと死んでしまうんだ。だって、“奴ら”の泳ぎもとてつもなく速いから。僕たち一族は“奴ら”と生涯をかけて追いかけっこをしているんだよ。命をかけた追いかけっこをね。負ければ死ぬ。だからお互い必死さ。物事はごく単純。泳ぎの遅いほうが死に、早かったほうが生き延びる。食物連鎖というやつだよ。食うか食われるか。その勝負は、泳ぎの速さで決まる……」
一通り喋ってから、ふう、と一息だけつくと、その魚は憑き物が落ちたような清々しい顔でこう言った。
「いや、こうして話してみるとスッキリしたよ。今でも泳ぐことはたいして好きじゃあない。けれどこうして産まれたからには、生き延びられるところまで頑張るつもりさ。それじゃあね。私と同じマグロ一族の話が聞きたければ、また声をかけてくれるといいよ。そのときはまた“イワシの奴ら”のことでも詳しく話してみたいね」
腹を空かしたその捕食者は、今日も元気に一族の生存戦略を実行しにいった。
マグロの体は約75パーセントが泳ぐための筋肉だそうで、その筋肉を運動させるためには、エネルギーの45パーセントを注ぎ込むらしいです。
捕食者も必死なのですね。