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俺は初めて部屋の外から出る事が出来た。
ーーといっても、俺の部屋から、セリカの部屋に行っただけであるが。
今日から一週間程、セリカの部屋で過ごすことになっている。
予め陣痛が起こったら、セリカの部屋で過ごすことは母と決めていたのである。
俺は側に居たかったが、我儘はいってられない。
セリカの部屋に来てからは、俺は只々、母と生まれてくる子供の無事を、祈りことしかできなかった。
そんな俺をセリカとカインは優しく慰めてくれる。
その日、俺は気が気ではなくなり寝ることが出来なかった。
出された朝食も喉を通らなかったが、食事中に来たメイドの報告により、無事に女の子が生まれたと聞いた。
セリカに行われる報告を、黙って聞く俺にカインは言った。
「やったなアル。女の子だ」
「そうか……女の子か……」
「ああ! 女の子だ!」
カインの言葉が頭の中で繰り返し響く。
(『女の子だ』)
女の子……。
女の子?
やっと実感が湧いてきた俺はカインの肩に手を置いて言った。
「カイン、やった。女の子だ」
「それ僕が言ったよ……。でもアルのそんなに喜ぶ顔、初めて見たよ」
「カイン女の子だぞ! 女の子!」
マジかよ……。
こんなに嬉しいこといつ以来だろう?
うん。
多分ないな。
興奮してカインの肩を揺さぶる俺に、カインは微笑みながらお祝いの言葉を贈ってくれた。
「おめでとう。アル」
「ありがとう。カイン」
「そういえば名前、聞いてるのか?」
「うん。聞いてる! 男の子ならアリストン、女の子ならルナリアだって」
「じゃあルナリアか」
「うん! 早くルナリアに会いたいな」
「すぐに会えるよ!」
「アル君、昨日からずっと緊張してたもんね、よく頑張ったね」
セリカの言葉に、俺のお腹がタイミング良くグゥーと返事した。
そういえばご飯、昨日から殆ど食べてなかったな。
今なら幾らでもいけそうだ。
「ほらほらご飯食べちゃいなさい。お兄ちゃんがご飯もしっかり食べれないのは恥ずかしいでしょう?」
ちょっと恥ずかしくなった俺は、セリカの言葉に頷き残っているご飯を完食した。
「この子がルナリアかー。かわいいよママ」
赤ちゃんの手ってこんなにしわしわなんだな。
髪の色も母に似てるな。
俺がルナリアの手を見ていると母はそれに気づく。
「アル君、優しく手を触ってあげて。お兄ちゃんに触ってもらったらきっと喜ぶわ。」
「うん」
俺は恐る恐るルナリアの手を触った。
手の平を触っている時、微かに握り返してくれた気がした。
やばい、可愛い。
抱っこしたい!
「抱っこしちゃダメかな?」
母は困ったような顔をする。
「ちょっとアル君には早いかな。もうちょっと、ルナが大きくなってからね」
「うーん残念」
小さい子供って首がすわってないらしいし、しょうがないか。
楽しみは取っておこう。
「ルナリア、そのベビーベッドお兄ちゃんがずっと使ってたんだよ。」
そう言って、ルナリアの手をつついてやる。
すると少し顔をしかめた気がした。
うん?
見間違いだよな?
ちょっとショックだったが勘違ということにした。
「アル君、いつまで見てるの? もう晩御飯よ」
あれ? そんなに時間が経っていたのか。
いつまで見てても飽きそうにないな。
そろそろ魔力の消費、やっとかないとな。
ご飯を食べる前にやっちゃうと寝込んでしまうから、食べてからにするか。
ルナリアが大きくなったら、お兄ちゃん強くてかっこいいって言われたいしな。
「将来お兄ちゃんのお嫁さんになる」
ーーとか言われたら……
ヤッバい。
これくるわ!
時代、来るわ!
ケモ耳? エルフ? 時代は完全に兄っ子の、妹だ!
お兄ちゃんやるぞー!
「アル君、ニヤニヤしたり、机叩いたり、顔真っ赤にしたりしてどうしたの? お熱あるのかな?」
母そう言って俺のおデコを触ってくる。
「大丈夫だよ平気平気。それよりお腹空いたね。今日のご飯は何かな?」
ヤバいな、顔に出てたか。
子供になると頭で考えたことが直に言動に出るからな。
誤魔化しつつ、食事までの時間を遊んでるようにして体を鍛えることにした。
昼前頃だろうか? 急に部屋の扉が開いた。
この部屋に誰か入ってくるときは、メイドにしろ、セリカにしろ、必ずノックしてから入ってくるのだ。
俺は突然のことにびっくりして、開いた扉の方を見た。
扉の向こうから入ってきたのは高そうな服を着こなし、これでもかと宝石を散りばめられたネックレスを身に着けた若い女性だ。
その後ろから小学生低学年くらいの女の子と、俺と同い年くらいの男の子が部屋に入ってきた。
その女性は部屋に入ってくると母に近づいていく。
「狭い部屋ですわね。こんな所で暮らしているなんて私なら耐えられませんわ。まあそれはいいわ。クラウディア、貴方二人目が生まれたんですって?」
何か汚いものを見るように、この部屋を見渡してから言った。
「はい。こうして無事出産できましたのも、ロベレルカ様のご慈愛があってこそです」
俺が今まで見たことの無い笑顔で母は答えた。
その笑顔は俺に見せる笑顔とは違い、何か作り物めいたものに感じた。
こいつ、ロベレルカっていうのか。
それに後ろの女の子、こっちを睨むなよ。
「一応、おめでとうと言わせて貰うわ。奴隷である貴方が立場もわきまえずに二人目まで産むなんてね。私ならそんな恥知らずで恐ろしいこと絶対にしないわ。せいぜい体には気をつけることね。これから寒くなるのだから」
捲し立てるように女は言った。
空気が凍り付いたような気がした。
「わざわざ私などの為にご足労願い、有難うございました。ご忠告、心の中に留めさせて頂きます」
「勘違いしないことね。いくらベンジャミン様の御寵愛を戴こうが、奴隷は所詮どこまでいっても奴隷なのだから。それじゃあ失礼するわ。これ以上ここに居るとあなたの辛気臭さが移ってしまうわ」
女はそう言うとさっさと出て行った。
後ろから男の子も付いて出て行く。
女の子は俺のことを睨みつけて扉を出る前に振り返り、また一睨みして出て行った。
俺はこの状況に困惑して、一言も発せず事態は終わっていた。
あいつは一体なんなんだ!
いや、分かるんだ。
でも……。
これまでの事情を整理したらあいつがどんな存在かは分かる。
体の奥から溢れ出る怒り。
その怒りのせいで冷静に考えられない。
その怒りは時間が経つとともに増えていき、やり場のない怒りで気がどうにかなってしまいそうだ。
「アル君ごめんね。嫌な思いさせて。覚えてるかな? さっきの人が、昔言っていた怖い人なの。もしあの人が何か言ってきても、言い返したら絶対駄目だからね。言い返すと大きなオーガに変身しちゃって食べられちゃうんだから」
俺が怒っていることに気づいたんだろう。
母は諭すように俺に言ってくる。
「うん。分かったよ……」
段々と冷静さを取り戻した俺は、恐る恐る小さな声で母に気なることを聞いてみた。
「奴隷って……?」
「アル君には奴隷っていう言葉は分からないと思うけど、いつかちゃんと説明するから。ごめんね、アル君」
母は俯きながら答えた。
ごめん……奴隷って言葉の意味はもう知ってるよ。
俺は喉まで出かかった所でその言葉を出すのを止めた。
母さんが話すまで聞くのはやめておこう。
母さんはきっと自分から話してくる。
それは今じゃなくても、必ず。