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暗い岩穴の中で俺たち3人が川の字で寝ている姿を、松明から伝わる弱々しい光が照らし出す。
俺の隣ではスヤスヤと寝息を立てているイレーナが、こちらに顔を向けて寝ている。
話し合いの結果、イレーナを真ん中にして寝ることに決まった。
俺としてはどこで寝てもよかったのだが、イレーナがどうしても俺の横が良いと言うのだ。
リーズとの約束どうなった、とツッコミそうになってしまうがイレーナの為に押し留める。
リーズはそれに断固として反対して、二人は険悪な雰囲気になってしまう。
俺にまでトバッチリがきそうだったので、イレーナがリーズに約束した一緒に寝るということを持ち出して、何とかイレーナを真ん中にして寝るということで、それぞれ納得させた。
リーズはその約束については忘れていたのか、目を輝かせていた。
対してイレーナは、俺を凍りつかせるような目でこちらを睨んでいた。
心の中でイレーナを売ってしまったことを謝罪した。
あんなに嫌そうな顔するなんて思わなかったんだ。
子供の癖になんて恐ろしい目付きをするんだと思いつつ、機嫌を直してもらう為に試しに耳元で『これで一緒に寝れるよ』と囁いたら、氷の目は一気に融解してさらに温度を上げていき、沸騰してしまってるのではと思うような熱っぽい目になっていった。
相手は子供だから何の気負いもなく幾らでもクサい言葉を出せるけど、イレーナの沸点がよく分からないよな。
イレーナだけじゃなくてこの世界の女性には効果的なのか?
明日リーズにも試してみようかな。
……やっぱり止めておこう、面倒くさそうな展開になりそうだし。
こういう言葉はたまに言うのが効果的だと、前世の雑誌で見たことがあった気がする。
そういう系の雑誌なんて俺は全く見なかったはずなのに、なんでそんなこと知ってるんだろう?
そういえば高校の時、友達からこれでも読んで彼女を作れよと渡されたんだ。
あいつ、自分が初めて彼女出来たからって俺に色々な雑誌のお古をドヤ顔で渡してきてたな。
女友達が一人も居なかった俺は、こんなの覚えても意味ないだろと雑誌を破り棄てようとしたんだったな。
懐かしいけど特に思い出したい内容でもなかった。
暗い岩穴の天井を見つめながら昔のことを思い出して嫌な気分になってしまう。
耳鳴りがしそうな静かな空間の中で、隣で眠るイレーナの寝息が一際大きく俺の耳に伝わってくる。
俺は体をイレーナの方に体を向けて、寝顔を誰にも邪魔されずジックリと見つめる。
明日でお別れなんだよな……。
俺の選択は間違ってないよな?
俺の左手が、寝ているイレーナの頭をふわりと撫でる。
この手の感触を忘れないように何度か手を往復させる。
お互いいつ死ぬか分からない身だ。
それでも、もしもう一度会うことが出来たなら友達位にはなってくれるかな?
その前に俺のこと、覚えてさえいないんだろうな。
俺が今日のことを忘れなかったらそれで十分か。
一番大切なことはイレーナが幸せに生きてくれることだしな。
頼むから無事に王都まで辿り着いてくれ。
俺の視界は見渡す限り白い砂漠に覆われており、肌に突き刺さる太陽の光が俺の体力を奪っていく。
それでも水と涼しさを求めて重い足を上げて一歩一歩進んで行く。
暑い、水を飲みたい。
エアコンがガンガンに効いた部屋で寝たい。
なんで俺がこんな所歩かなきゃいけないんだ?
もう十分歩いただろ。
少し位休んでも良いよな?
疑問が頭をよぎった時、俺の意識は急激に目覚めていった。
モヤがかかった視界は次第に鮮明になっていき、目の前には昨日見た暗い天井があった。
いつの間にか寝ていたのか。
にしても暑いし、喉乾いた。
って、やけに暑い原因はこれかよ。
横を見ると、俺の体をしっかりと抱き締めて熱気を与えているイレーナと、そのイレーナを更に抱き締めて寝ているリーズがいた。
早くこの暑さから解放されたかった俺は、この暑さのちょっとした仕返しにイレーナの鼻を少し摘んで様子を伺う。
可愛らしい寝顔は一秒ごとに顔が歪んでいき苦しそうな表情になる。
そしてパチッと目が開かれると、こちらを恨めしそうに見てくる。
「苦しいの! 喉が渇いて川で水を飲もうとしたら、溺れて死にそうになった夢を見てしまったの。全部アルのせいなの」
喉が渇いたのは俺のせいじゃないぞ。
俺だってイレーナのせいでクソ暑い砂漠を歩いてたんだからな。
「でも喉が渇いた原因は俺じゃないよ。ほら、そちらの騎士様がこんな暑い日にガッチリと抱きついてるからだよ。もし喉が乾かなければ川に行くこともなく溺れることもなかったんだから、全部リーズのせいだよ。仕返しにイレーナもリーズの鼻を摘んでみたら? 反応が結構面白いから」
適当にイレーナを丸め込んで、全てリーズのせいということにしておく。
俺の言葉がイレーナの悪戯心に火をつけてしまったのか、嬉々としてリーズの鼻を摘まみだした。
鼻を摘まれたリーズは一分間耐えた後、顔を真っ赤にして『私はまだ死ぬ訳にいかん』と叫びながら飛び起きる。
その鬼気迫る声と顔に、イレーナの背中が少しだけビクっと震え、リーズの鼻を摘んでいた小さな左手が存在感を出来るだけ薄めるようにして、鬼から逃れるように背中に隠れていく。
リーズの呼吸が落ち着くのを待ってから声をかける。
俺の視線の先にある小さな手が、助けを求めてるような気がしたからだ。
「お早う御座います、リーズさん。良い夢見れましたか?」
「む、あぁ、良い夢では無かったが、久し振りにユックリと寝れてスッキリした」
「今夜は寝苦しいくらい暑かったですからね。俺もさっきイレーナと喉が渇いたって話してた所なんですよ。なっ、イレーナ」
「そ、そうなの。イレーナも暑いから変な夢見たの。だから喉が渇いたの」
「確かに喉が渇いたな。夢の中では嫌ってほど水を飲んだのだが……」
「二人揃って溺れる夢か、なんだかんだで仲いいよな」
「何か言ったか?」
「いえ、それより夢のことより現実ですよ。体調整えとかないと旅に響きますよ? 王都まで馬車で行っても1ヶ月はかかるんですよね?」
「そうだな、これから厳しい道のりだ。体調はキッチリしないとイレーナ様を守りきれないからな。やはりアルがいてくれたら頼もしいのだが……」
「リーズ、それは言ったらダメなの。アルにはやるべきことがあるからお別れするの。でもまたいつか会えるの」
俺は昨日、ある程度の事情を2人に話した。
転生したという話しはしてないが。
この話は多分、この先も誰にも言うことはないだろう。
出会ったばかりの人物に自分の事情を話すのは、いつもの俺ならしないことだと思う。
でも2人は自分たちの置かれている事情を話してくれた。
そこには俺という戦力が手に入るかもしれないという打算もあったのかもしれないが、それ以上に俺の心配をしてくれた。
2人共、俺以上に厳しい状態かもしれないのに。
そんな2人だから、俺は自分の事情を聞いて貰いたかったのかもしれない。
俺の話を聞いて2人共、一緒に行けない理由については納得したようだ。
リーズは若干、未練がありそうだが。
俺の首輪のことについては2人共知っていたようで、わざとその話には触れないように二人で決めていたようだ。
奴隷の首輪に関しては、俺の知っている知識と比べても目新しい情報は無かった。
今の俺の首輪の状況が分かれば動き易いと思ったのだが、世の中そう上手くはいかないようだ。
イレーナたちはリッタイト王を頼って王都に向かっている途中だったらしい。
イレーナの母親が王族だったのだから、もし辿り着くことが出来ればなんとかなるのかもしれない。
リッタイト王が力のあるフランクを取るのか、王家の血を引くイレーナを取るのかは謎だがそれしか道が無いのだろう。
喉の渇きを潤した後、3人一緒に食事を作ってご飯を食べた。
それから馬車を探すために、森の中を探索する為に岩穴の外に出ていく。
イレーナたちがここに連れて来られた時に、馬車は街道から少し森の中に入った所に置いていったらしい。
それ以上は進入出来なかったのだろう。
リーズとイレーナは街道の方角は何となく分かるが、連れて来られた道程は分からないらしい。
探すのは大変だろうし、時間をかけると馬が死んでしまうかもしれない。
俺たちは足早に、木に目印をつけながら薄暗い森の中を進んで行った。
途中で一匹のゴブリンが進路上にいたが瞬殺した。
その手際の良さにリーズは驚きを隠せないようだった。
「身体強化を使えるとは聞いていたが此処までだったとはな。その実力が有ったからこそリーズの森を単身で抜けて来れたわけか」
「強くならないといけませんから」
「既に第一王国騎士団に入れる力を持っているのにか?」
「それじゃ全然足りないですね。一人で、第一王国騎士団を相手に出来る位強くならないと」
「それは魔族や4大妖精族でも不可能だぞ」
「例えですよ。それ位強くならないと大切な人は確実に守れませんから」
「確かに、こんな世の中だ。力というのは幾らあっても充分ということはないからな」
リーズは噛みしめるようにして言葉を吐き出す。
「アルは全部1人でやろうとするから駄目なの。王国騎士団だって皆んなで戦ったら勝てるの。だから1人で守るだけじゃなくて頼って欲しいの」
「ありがとう。いつかイレーナの力を頼る日が来るかもしれないな」
イレーナの温かい言葉が嬉しく感じる。
だが、イレーナは首を横に振って悲しそうな目で訴えかけてくる。
「違うの! イレーナだけじゃなくて誰でもいいの。アルが信用出来ると思った人なら誰にでも頼って欲しいの。じゃないと、アルがいつか壊れてしまいそうな気がして怖いの。あ、勿論イレーナのことはいつでも頼って欲しいの」
誰かを頼って欲しいか……。
むしろ前世の俺は家族に迷惑をかけて、頼り過ぎなくらいな生き方をしていたからな。
今だって家族が居ないと寂しいし、一人で生きていくこともギリギリだ。
そう考えると俺はやっぱり周りに頼り過ぎてる。
イレーナの言葉は嬉しいけど、まずは俺が1人立ち出来てからじゃないと何時まで経っても弱い俺のままだ。
だから今はその言葉は心の中にしまわせもらうよ。
俺が強くなれる日まで。
岩穴から1時間程歩いた所で街道に出ることが出来た。
中々大きな道で、馬車二台分が通れるようになっており、森に隣接している道にして似つかわしくないように思えた。
岩穴と街道の距離はそれ程ないようで、あの岩穴は盗賊にとっては格好のアジトのようだ。
それから馬車を探すために、イレーナとリーズの記憶を頼りにまた森の中を彷徨った。
「何か音がしなかったか?」
「あっちの方で、音が聞こえたの」
イレーナが指差した方向は街道が通っている場所だった。
「あっちは街道の方ですよね?」
「そのようだが、取り敢えず行ってみよう」
リーズの言葉に従って俺たちは慎重に音が聞こえた方向へと進んでいく。
近付くに連れて馬の鳴き声の様な音と、蹄が大地を踏み鳴らす様な音が聞こえて来る。
この音はイレーナたちが探している馬の音なのか?
でも、リーズの言ってた場所と違うよな?
馬が勝手に移動した可能性もあるし、見てみれば分かるよな。
この音が出している色々な可能性を深く考えずに、イレーナの後ろを付いて歩いた。
生い茂る木々と背丈の高い草が、俺たちの視界を邪魔してかなり近付かないとその様子が分からない。
街道のすぐ傍に来た所で前を歩くリーズの足が止まり、こちらを振り向くと強張った表情で右手をこちらに向け、これ以上こちらに来るなと言ってるような合図を送ってくる。
俺は直ぐにその場に立ち止まったが、前を歩くイレーナは直ぐに止まれずに一歩踏み出してしまう。
ーーパキッ、と木の折れる音が森の中に響く。
普段なら気にするような音ではないが、何故かこの瞬間はその音が異様に響いた気がした。
「誰だ!? そこに誰かいるのか!」
ピタリと体が固まった俺たちに向けて、野太い男の声が森に轟いた。




