あとづけがき!
一般的に「変化」というと、なぜか能動的なイメージがある。そして、それは別に僕に限ったことではないと思う。
たぶんだけど。
で、この物語はその「変化」と、「変化」の対極に位置する「不変」———つまりは「永遠」が主軸となっている。
とは言っても、本編を読んだ方の中には、そんなたいそうな話だったっけ?と思いになる人も少なからずいるはず。
だって、日常ものだもんね、この話。そして事実、この物語はホームページのカテゴリー的に「日常」に分類している。
まあ、つまるところ———この物語からは、「日常」というものは常にこの「二つ」を内包する矛盾した存在であると考えている僕の独断と偏見が読み取れるともいえる。
・・・わかりにくので、たとえ話を2つほど。
例えば(1)、「よし、今日から勉強頑張るぞー」とやる気満々だったはずの昨日が、一日二日経ってみれば、もうすでに遠い過去・・・。
例えば(2)、「マジ暇なんですけどー」とか言いたくなるくらいに朗々と流れる時間とか。
この二つの話を例にしても、前者が「変化」で後者が「永遠」とした場合、どちらもよく日常で体験する話だと思う。
時間と空間は切り離して考えることは出来ない。
だからもちろん、人も然りでしょう。
ただ、
そうであるならば、同一時空内の人が抱えるこの矛盾はいったいぜんたいなに?というところからスタートしたのが、この物語、「桜花と六花」。
まあ、前述の文が問とした場合、それに単純明快な解を出すとしたらそれは、主観(あるいは意識?)の問題でしょ?で、片がつく。
♧
この物語においては、明里がこの「矛盾」の代表例である。
明里という登場人物は「永遠」の冠を冠っている「愛」を探し求めている。がしかし、場面によっては、「永遠」を忌避するような一面を見せる。
そのひとつとして挙げられるのが、「刺激の無い日常を嫌う」というそれだ。
「永遠」とは「不変」
「不変」の対局に「変化」
「不変」と「変化」の内包者である日常
◇
あなたにとっての日常とは「変化」ですか?
それとも、「永遠」ですか?
あなたにとって、「生きる」ということは———なんですか?