そして、物語は続く
先日、怪文書によって孤児だと暴露された、故・ブルービアード男爵の養女サラ・スノウが、実は十七年前に誘拐されたオルグレン公爵夫妻の一人娘であったという話は、たちまちのうちに国中を席巻した。それも、国王陛下のお墨付きを得て、である。
新聞社は総力を挙げて、この事実を書き立て、怪文書に踊らされた自分たちの非を詫びた。それと同時に、新聞社に怪文書を、サラ・スノウに脅迫状を送りつけたとされる人物も御用になった。それはベインズ男爵夫人、リース・ベインズ(旧姓・ワルシャム)であった。容疑者は犯行を認めているという。
紙面を埋め尽くす活字は、どれも過剰なほど雄弁だった。
誘拐、偽装、怪文書、王命──。それらはまるで、サラという一人の少女の人生を、彼女の知らないところで後追いに解体していくかのようだった。
だが、当の本人は、不思議なほど静かだった。名前が変わっても、立場が変わっても、彼女の中にある『レンと過ごした時間』だけは、どこにも書かれていなかったからだ。
状況は一転して変わってしまった。『サラ』は、サラ・スノウから、サラ・アデル・セオドーラ・オルグレンという公爵令嬢として正式に扱われるようになり、むしろ、婚約者であるクリストファー伯爵のほうが妾腹だということで槍玉に挙げられることが多くなった。
だが、当の二人も、公爵夫妻も、友人たちも、そんなことは気にしなかった。レンとサラの婚礼は、年が明けて春、親族や親しい友人だけを招いて密やかに執り行われた。国王陛下もお忍びで臨席していたのは秘密だ。
婚礼前夜、サラは指輪を外さずに眠った。連理の枝を模したその指輪は、かつて彼女が一人で抱え続けた約束そのものだった。
(あの頃は……この指輪だけが、私の居場所だった……)
返すことも、問いただすこともできなかった日々。それでも想いが消えなかったからこそ、今ここにいる。
「さぁ、サラ」
「はい」
由緒ある教会の扉の前で、清楚な純白のドレスに身を包んだサラは膝を折り、頭を垂れた。母のエイダが、そっとサラの頭のヴェールを顔の前におろす。顔をあげて立ち上がったサラに、母はその優しい亜麻色の瞳を潤ませた。
「最高に綺麗よ、サラ」
「行こう」
父のサイラスに促され、差し出された父の左腕に自分の右手を絡める。左手のブーケをしっかりと握りしめ、扉の前に立った。
音もなく扉が左右に開かれる。目の前に長く伸びた赤い絨毯の上を、父にエスコートされて静々と進む。ややうつむき加減で目を伏せているため、サラの視界にはブーケと足元のドレス、そして赤い絨毯しか映らない。
やがて視界の端に、サラを待つ人物の姿が見えた。正装に身を包んだレンだった。左胸ポケットには、サラの持つブーケと同じ、白薔薇のブートニアが飾られている。
父からレンへ、サラの手が渡される。レンに手を引かれて、祭壇の前に進み出るとレンの隣に並んだ。オルガンの音がやんだ。静かになった教会に、神父の声が厳かに響く。
「汝、レナード・イライアス・チャールズ・クリストファーは、サラ・アデル・セオドーラ・オルグレンを妻として、いつ如何なるときも、愛することを誓いますか」
「はい。誓います」
レンの、静かだがはっきりとした声がそう答えた。
「汝、サラ・アデル・セオドーラ・オルグレンは、レナード・イライアス・チャールズ・クリストファーを夫として、いつ如何なるときも、愛することを誓いますか」
「はい……お誓いいたします」
サラはふわりと微笑んで答えた。
「では、誓約書にサインを」
先にレンがサインをし、次にサラがサインをする。互いの名が、一番近くに記された。
「それでは、指輪の交換と、誓いのキスを」
互いに向かい合うと、白くてふわりと丸いリングピローが目の前に差し出された。その上には、金と銀の流線が絡み合った丸い二つの輝きがある。終わりのない、永遠を表す指輪だった──少なくとも、サラはそう信じた。
互いの左手の薬指に指輪をはめる。交換された指輪はもちろん、『連理の枝』をモチーフにした、約束の指輪である。
かつて『約束』だった指輪は、今や『現実』だった。逃げ場でも、支えでもなく。隣に立つ理由として、確かにそこにあった。
レンの指先が、ほんの一瞬、ためらったように止まった。それは迷いではなく、確かめるための静寂だった。
──離れていた時間も、失われた年月も、すべてを抱いてなお
この人は、私を選ぶのだ、と。
レンの手がゆっくりとサラのヴェールをあげた。それは、これから先のすべてを引き受けるという合図のようだった。サラはわずかに上を向く。そっと目を閉じると唇が優しく重なった。
(ねぇ、レン……この指輪のように、永遠に……貴方と……)
ゆっくりと唇が離れて、サラが目を開けると、レンがとろけるような笑みを浮かべた。
(きっと、大丈夫……貴方となら……)
これからも、一緒に歩いてゆける。サラも穏やかな微笑みを返して、レンの腕に自分の腕を絡めた。祝福の花びらがハラハラと降ってくる中を、教会の外まで歩いた。
花びらが舞うたび、サラは思う。自分はもう、誰かに隠される存在ではないのだと。守られるだけの少女ではなく、隣に立つ妻として。
幸せの鐘が鳴った。
「おめでとう!」
「おめでとうございます!」
たくさんの惜しみない祝福を受けて、自然と笑みがこぼれた。幸せだった。心から。
「娘をよろしく頼むよ。クリストファー伯爵」
「お任せください、オルグレン公爵。必ずや、ご息女を幸せにしてご覧にいれます」
「……それだけでは足りないな」
「え?」
意味ありげに笑う公爵に、レンはなにが足りなかったのか、と不安になった。だが、公爵は娘と同じ群青色の瞳を和ませて、こう言ったのだった。
「二人で一緒に幸せになるんだよ」
レンは、一瞬呆気に取られ、次いで破顔した。
「はい」
「サラお姉様!」
喜色を浮かべて駆け寄ってくるマリアに、サラは笑みをこぼした。
「おめでとうございます、サラお姉様! 嬉しいですわ。まさか、本当の『お姉様』だったなんて!」
「ありがとうございます、マリア様。私も嬉しいです。それで……マリア様にお願いがあるのですが……」
「なんですの?」
サラはにっこり笑うと手にしたブーケをマリアに差し出した。花嫁のブーケを贈る、その意味は──幸せのお裾分け。レンとサラの幸せを願ってくれた可愛い『妹』のために、サラにできること。せめて、心優しきマリアが幸せでありますように、と祈りを込めて。
「受け取っていただけますね?」
マリアはおずおずと手を差し出して、サラからブーケを受け取った。白薔薇の高貴な香りがふわりと香った。
「ありがとうございます、サラお姉様……もぉ、大好きですわ! こんなことをされたら惚れてしまいます!」
「おいおい、マリア。美しい花嫁を独り占めするものではないな」
「お兄様」
苦笑しながら、マリアの肩を軽く叩いたのはマリアの兄のアレクだった。アレクはサラに優しく微笑みかけた。
「おめでとう、サラ嬢。美しき我が従妹殿に末永き幸あらんことを」
「アレク様。ありがとうございます」
ふと、サラは父と母の姿を探した。父と母は皆の輪から少し離れたところで、一人の少年と一緒にいた。その少年の顔に、サラは見覚えがあった。あの方は。
(陛下──……)
言葉は交わさずとも、理解はあった。この国の未来もまた、静かに祝福しているのだと。
少年がサラの視線に気づいた。口元にそっと人差し指を当て、静かに微笑む。そして、眩しそうにマリアを見つめた。
あぁ、そうか。陛下は──。サラは嬉しくなって、その日一番の笑みを浮かべたのだった。
***
それから、いくつもの季節が巡った。そして、十年後。
「兄上ぇ……」
泣きべそをかいて、自分の部屋を訪ねてきた弟に、歳のわりには大人びていると評されることの多い兄のウィルは読んでいた本から顔をあげると盛大にため息をついた。
「なんだ、エディ。お前、またアスキンに叱られたのか? 今度はなにをやらかしたんだ」
「リックが言ったんだよ。仲良くなるには贈り物をするんだって。だからカエルを……」
それで事情がわかった。ウィルは海のように鮮やかな群青色の瞳を思いっきり眇めた。
「……家庭教師に贈ったんだな。いい加減、学習しろよ。この間は確かバッタを贈って卒倒されただろ?」
弟の家庭教師であるマダムも気の毒に、とウィルは思った。男と女、大人と子供では好む物がまるっきり違う。
「だって、母上は……」
潤んだハシバミ色の瞳で見上げてくる弟に、軽く指弾を食らわせて、ウィルはお説教をした。
「母上は特別。バッタだろうがカエルだろうがミミズだろうが、にこにこ笑って『ちゃんとお外に返しておいで』で終わりだろう。今度から花とかにしておけ。いいか? くれぐれも毒草なんかを贈るんじゃないぞ……それから、リック、ではなく、リチャード王太子殿下、だ。いくら又従兄弟で同じ歳だからといっても、臣下としての立場を忘れるな」
「うー……わかった」
念入りに釘を刺すウィルに、弟は渋々頷いたが、いったいどこまで理解しているやら。そのとき、部屋の扉が控えめにノックされ、二人の母が顔を出した。
「二人とも、ここにいたの……そろそろお茶にしましょう?」
「ウィルもエディも、こんなに天気のいい日に外に出ないでどうするんだ。もやしになるぞ。さぁ、行った、行った」
父が二人を庭に追い立てる。忙しい父と一緒に過ごせる時間はそう多くはない。ウィルもエディも喜んで庭に出た。そんな息子たちを眺めながら、寄り添い合って、父と母が穏やかに笑う。
それは、二人がいつか思い描いた通りの、温かい家庭だった。
終
2026/01/17
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