帰る場所
手紙からあまり間を置かずに、公爵家から招待状が届いた。なんと公爵家本邸への招待状だ。
「略装で、とのことですが、相手は公爵家です。急いでドレスを仕立てねばならないようですね」
「手配いたします」
そうして仕立てあげられたのは、上品な藤色を基調としたドレスだった。白いレースが肩から胸元を覆い、楚々とした佇まいを引き立てている。
「装飾は……花がよさそうですね。控えめに飾ることにしましょう」
「かしこまりました」
短期間で準備を整え、執事をお供に鉄道と馬車を乗り継いで公爵家へと向かった。
*
「ようこそおいでくださいました、サラ・スノウ様。お待ちしておりました」
昼過ぎに公爵家へ到着すると、すぐに中に招き入れられた。
「当主夫妻は応接間でお待ちです」
応接間に案内され、扉が開かれると、そこには壮年の男女が待っていた。静かに進み出て優雅に一礼する。
「オルグレン公爵夫妻におかれましては、お初にお目にかかります。サラ・スノウと申します」
「ようこそ、当家へ。私が当主のサイラス・デール・セオドリック・オルグレンだ。貴殿の来訪を心より歓迎する」
「サイラスの妻、エイダ・ディアドラ・オーガスタ・オルグレンと申します。長旅お疲れ様でした。どうぞ、ごゆるりとお寛ぎくださいませ」
顔をあげて公爵の顔を見たサラは驚いた。深い海を思わせる群青色の瞳。それは、サラと同じ瞳の色だった。
──同じだ
そう思った瞬間、胸の奥がザワリとした。
最初の挨拶を交わして以降は、公爵夫妻はやや砕けた雰囲気になった。
「そう緊張せずともよい。我がオルグレン家が王家から分かれたのはもう何代も前の話だ。今は君たちと大して変わりないのだから」
「そうですよ。それに、貴女のことは甥と姪から手紙で知らされています。素晴らしい女性がいる、と」
甥と姪? それはもしかして。
「畏れ入ります……もしや、公爵夫人はキーツ侯爵家ゆかりの方ですか?」
「キーツ侯爵家の現在の当主は、わたくしの弟に当たるのですよ」
なるほど。あのキーツ兄妹の伯母に当たる方なのか。道理で、亜麻色の瞳に見覚えがある気がしたのだ。
「ほらほら、そんな離れたところにいないで、こちらにおいでなさい。もっとよく顔を見せてくださいな」
「はい」
おずおずと公爵夫妻との距離を詰め、顔をあげると、公爵夫人の目が泣きそうに潤んだ。
「あぁ、その澄んだ群青色の美しい眼差しに、その凛とした顔立ち。新聞で貴女のお顔を拝見してすぐにわかりました。お祖母様にそっくりですもの」
「……お祖母様、ですか?」
「えぇ。ね、あなた」
「うむ。今から案内しよう」
わけがわからないが、サラは戸惑いながらも、二人のあとについて行った。
「当家は、代々子が少なくてね。先々代の当主は女性だった。私の祖母でね。強く美しい女性だったよ」
案内された先は肖像画が飾られた長い廊下だった。端から三番目の肖像画に、サラの目は釘付けになってしまった。
「これは……」
「この女性が祖母だよ。当主を継いだ頃の肖像画だから、ずいぶんと若いがね。どうだい、君は生き写しだろう?」
その通りだった。サラとて、初めは自分かと思ったくらいによく似ているのだ。流れるような艶やかな黒髪は緩く波打っていて、深い海を思わせる群青色の瞳が鮮やかに輝いている。彼女は意志の強そうな眼差しでこちらを見ていた。
自分の未来の姿を見ているようでもあり、同時に、失われた過去を覗き込んでいるようでもあった。
「不思議なことに、この瞳は代々受け継がれていてね。祖母も、先代当主であった私の父も、私も、皆、同じ瞳をしていた。もちろん私の娘も」
「わたくしたちはずいぶんと長い間、子を授からなくて……ようやく授かった女の子でした。お祖母様のように強く美しく、そして優しい女性になってほしくて、二人でお祖母様の名をつけました。『サラ』と」
「え……?」
それは自分の名だった。同じ顔、同じ瞳、同じ名、そして、同じ歳。ここまで偶然が揃うことがあるのだろうか。公爵夫人がサラを振り返った。
「貴女の名は、いつから『サラ』ですか?」
「それは……確か、初めからです。気づけば、私は自分の名と歳しか覚えていませんでした。雪の日に孤児院に連れて来られたので、サラ・スノウ、と……」
公爵が痛ましげにサラを見た。
「それ以前の記憶はないのかね?」
「ひとつだけ……檻の中に入れられて移動していた記憶があります。それ以前のものは……申し訳ありません」
「まぁ……なんてことでしょう……」
酷い扱われ方に公爵夫人が眉をひそめた。
「私たちの娘が攫われたのは、秋も終わりの頃だった。時期は一致する。本当になにも覚えておらぬのだな?」
「はい。お役に立てず、申し訳ありません」
「いや、おそらく君は当時極限の状態にあったはずだ。覚えていないのも仕方がない。大事なのは、今だ」
力強く断言されて、サラは思わずきょとんとした。
「今、でございますか?」
「そうだ。私はこの事実を国王陛下に奏上するつもりだ。もちろん肖像画と君自身を伴って。国王陛下がお認めくだされば、我々は君が実の娘であることを公にし、当家に迎え入れる」
「え……?」
サラは呆気に取られた。今なにか、物凄い発言が聞こえたような気がするのだが、自分の気のせいだろうか。
「あなた! 実際に会うまではわからない、とか言って乗り気じゃなかったでしょう?」
「いや、実際に会って、見て、言葉を交わして、確信した。彼女は私たちの娘だよ」
「あなたったら……わたくしは最初からそうだと申し上げておりましたのに……」
どうやら、気のせいでも、聞き間違いでもなかったらしい。サラは、感極まる公爵夫妻から取り残されていた。
「でしたら、さっそく国王陛下にお手紙を書かれませ。娘が見つかったのですよ? 善は急げ、ですわ」
「おぉ、そうだ。こうしてはおれん。私は失礼するよ。そうだ。国王陛下に謁見するまでには、時間がかかる。その間、当家に滞在してはどうだ? もちろん身の周りのものすべて、入用のものもすべて用意させよう」
「あら、それはいい考えですわね。従者の方もぜひ我が家にお泊りくださいませ」
こうして、あれよあれよという間に、サラと執事は公爵家に滞在することになってしまった。
「あの……サラ様……我々はいったいどうすれば……」
途方に暮れている執事を宥めて、サラは公爵家にお世話になることに決めた。この世界、少々図太いくらいでなければ渡っていけない。
「すべて、公爵夫妻にお任せいたしましょう」
*
そして、国王陛下への謁見の日がやって来た。この日のために、サラは宮廷用の最礼装を仕立ててもらっていた。
初謁見のデビュタントとして、ドレスは白のシルクで、トレーンは刺繍入りのサテン。揃いの白のパンプスに、ヘッドドレスには華やかなレースで飾りをつける。長い黒髪を格式高く結い上げ、手にはブーケ。まるで花嫁御寮だった。
「緊張しているかな?」
自分の父だというオルグレン公爵に伴われて、謁見の間へと向かうサラは恥ずかしそうにうつむいた。
「はい、少し」
「大丈夫。君の作法は完璧だし、それに、君は紛れもなく私の娘だ。自信を持つがいい」
公爵の言葉に、サラははにかんで頷きを返し、謁見の間の扉をくぐった。オルグレン公爵とともに、国王の前で一礼した。
「本日は謁見を賜り光栄にございます、陛下。サイラス・デール・セオドリック・オルグレン、ただ今罷り越しました」
若き国王、エドマンド三世は久しぶりに会う身内に、身を乗り出した。
「大儀である、オルグレン公爵……久方ぶりだ、サイラス。此度は、十七年前に誘拐された、そなたらの娘が見つかったということだが……」
「はい、陛下。こちらにおります、ブルービアード男爵家の養女であるサラ・スノウ嬢が、私が長年捜し続けていた我が娘、サラ・アデル・セオドーラ・オルグレンであると判明したのでございます」
公爵に紹介されて、サラは優雅に一礼した。
「お目にかかれて光栄です、陛下。サラ・スノウと申します」
「面をあげよ」
サラは顔をあげると、柔らかな微笑をたたえて国王を見つめた。
「ふむ、確かにそなたと同じ、深い群青色の瞳をしておる。だが、それだけでは判断できんぞ」
「陛下。本日はこちらに、我が祖母であり先々代オルグレン家当主の肖像画を持参しております。先にそちらをご覧ください」
肖像画を覆っていた幕がさっと取り払われる。現れたオルグレン公爵の祖母の画に、その場にいた皆が驚きの声をあげた。
「なんと……生き写しではないか。まるで、画から抜け出たようにそっくりだ」
「その通りでございます、陛下。同じ顔、同じ瞳、同じ名、そして、同じ歳。誘拐された時期もピタリと一致します。孤児院の院長も、出自までは知らずとも、『特別な娘』とだけは知らされていたとの証言が確認できております」
サラは内心非常に驚いていた。確かに、どこの孤児院にいたのかと聞かれたので答えたが、まさか、孤児院の院長にまで確認をとっていたとは知らなかった。
「なるほど。それならば、ほぼ間違いはないか。それで……そなたはどうしたいのだ? サイラス」
「はい。陛下にさえお許しいただければ、こちらのサラ・スノウ嬢を我々夫婦の実の娘として当家に迎え入れたいと考えております。ぜひお許しを賜りますよう、なにとぞお聞き届けください」
そう言って、深く頭を垂れたオルグレン公爵に、謁見の間がザワリとどよめいた。
「……そなたはどうだ? サラ・スノウ」
サラはドキッとした。まさか、自分にまで陛下のご下問があるとは思っていなかった。だが、表面上はあくまで淡々と己の意見を述べた。
「はい。わたくしには身に余るほどに大変光栄なお話であると存じております。ただ、ひとつだけ懸念がございます」
静かな声に、国王は興味を惹かれたようだった。
「ほう、懸念とな。申してみよ」
「当時のわたくしは幼過ぎたため、今のわたくしには当時の記憶がないのでございます。つまり、オルグレン公爵夫妻の実の娘である確信が持てないのです。そのことだけが、唯一気がかりでございます」
正直なサラの答えに、国王は目を丸くすると、次いで、声を立てて笑い出した。
「はは……そうか。そなたは素直なのだな、サラ・スノウ。黙っておれば公爵令嬢の地位が転がり込んでくるというのに、あえて自らの気持ちに正直に答えるとは。余は、その答えが聞きたかった」
くつくつと声を殺して笑い続ける国王に、侍従長が咳払いをした。慌てて国王が笑いやむ。
「余の懸念は晴れた。サイラスよ、そなたの意向を尊重しよう。許す。サラ・スノウを実の娘として公爵家に迎え入れるがよい。そして、サラ・スノウよ。そなたは再び、サラ・アデル・セオドーラ・オルグレンを名乗るがよい」
「ありがたき幸せにございます、陛下」
オルグレン公爵とサラは揃って頭を垂れた。そのとき、サラは見てしまった。オルグレン公爵の目に涙が浮かんでいたのを。
無事、国王陛下への謁見の儀を終えて、帰りの馬車に揺られていると、オルグレン公爵が口を開いた。
「何故、正直に記憶がないと答えたのだ?」
何故? そんなもの、決まっている。サラは寂しげな笑みを浮かべた。
「私が心配していたのは公爵家のことです。もし私を迎え入れたあとに、本物のサラ様が現れたらどうなさるおつもりですか? そのときに傷つくのは公爵夫妻です。おそらく陛下もそのことを懸念しておられたものと思います。私は、公爵夫妻に私のような者のことで傷ついてほしくありません。もし偽者ならば、なおさら。私は、公爵夫妻が好きです。敬愛されるに相応しい方々だと思います。だからこそ、ご夫妻には笑っていていただきたいのです」
まっすぐな眼差しと、揺るぎない心。痛いほどにそれが伝わってきて、オルグレン公爵は息を呑んだ。これまで、ただの一度も自分が娘だと主張したことのない彼女。たとえ、彼女が偽者だとしても、これだけは言える。
「それでも、私たちの心は変わらない……おかえり、サラ」
その言葉を聞いた瞬間、サラの胸の奥でなにかが静かにほどけた。
帰る場所など、とうに持たないものだと思っていた。名前も、血も、居場所も──すべて偶然の上に成り立った仮のものだと。
それでも。誰かが自分を『帰ってきた』と迎えてくれるのなら、それはもう、充分すぎるほどの奇跡だった。
サラはそっと息を吸い込み、左手の薬指にわずかな重みを感じた。
外すつもりは、やはりなかった。父母を得た今も、その指輪が象徴する約束は変わらない。
自分が何者になろうとも、どこに立とうとも──帰る場所と、ともに歩む人。そのどちらも、もう失わないと決めていた。
2026/01/14
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