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指輪の名のもとに

 クリストファー伯爵とキーツ侯爵令嬢との縁談が、侯爵令嬢・マリア自身の意思で破談になったと世間で報じられた際には、結構大きな騒ぎになった。いろいろとあることないこと、噂が飛び交ったが、それも数ヶ月もすれば、次第に立ち消えになった。


 そして、破談になって半年後。クリストファー伯爵はついに自身の婚約を公にした。年明けには入籍するとも伝えられており、それも、伯爵のお相手が『指輪の君』だということまで報じられたため、噂が噂を呼んで、さらに報道は加熱した。


「やれやれ、連日、凄い騒ぎだな……」

「仕方がありませんよ、レナード様。なにせクリストファー伯爵の指輪の話は有名になっておりましたからね。伯爵の婚約、さらに相手がかの『指輪の君』ともなると、騒がずにはおれないのでしょう」


 やや辟易した様子のレンに、執事のアスキンがにこやかに応じる。


「ずいぶんと機嫌が良さそうだな」

「それは良くもなります。侯爵令嬢との縁談が丸く収まったことに加えて、ようやくレナード様とサラ様がご結婚なさるのですから。養女とは言え、今やサラ様は男爵令嬢。よもや文句を言う者など誰もいないでしょう」

「だといいが」


 レンは嫌な予感がしてならなかった。このまますんなりと行くはずがない。そんな予感が。


「そう言えば、レナード様。料理長が、そろそろ一人ではきつくなってきたため誰か雇ってほしいと申しておりましたが、新たに人手をお雇いになられますか?」

「そうか。いや……それについては思うところがある。男爵家の使用人たちの再就職先もあるしな。話はそれらを片付けてからだ」

「かしこまりました」



 一方、男爵家に戻っていたサラは、使用人たちと顔を突き合わせていた。


「サラ様、この度はご婚約おめでとうございます。さっそく花嫁支度をいたしましょう」

「それよりも……今後の貴方たちのことを考えましょう。侍女二人は嫁いでも私に仕えたいと言ってくれました。貴方たちはどうしますか?」

「それは……このままサラ様にお仕えできるものならば、お仕えしたく存じますが、それでは伯爵家の使用人たちが納得しないでしょう」


 執事の言葉に、サラはにっこりと笑った。


「伯爵は希望があれば、貴方たちを雇う心づもりでおられるようですよ」

「ほ……本当ですか?」


 料理長が声をあげる。サラは頷いた。


「えぇ。どうしますか?」


 重ねての問いに、執事と料理長は顔を見合せて、サラに頭を垂れた。


「ふふ……決まりですね。貴方がたの気持ちを嬉しく思います。これから先も、どうぞよろしくお願いしますね」

「イエス・ユア・ハイネス」


 使用人全員の身の振り方が決まったところで、執事が思い出したように懐から封筒を取り出した。


「そう言えば、サラ様」

「はい?」

「お留守の間に、ベインズ男爵夫人からお手紙が届いております」


 ベインズ男爵夫人? サラは首をかしげたが、執事が差し出した手紙を受け取った。どこかで聞いたことがあるような。


 頭の中に貴族の系譜を思い浮かべる。そして思い至った。心当たりはひとつだけ。


 サラは慎重に封を切ると、そのまま封筒を逆さまにした。硬質な金属音が響いて、机の上に剃刀の刃がこぼれ落ちた。


 剃刀の刃が転がった瞬間、サラの心臓がひとつ、大きく跳ねた。だが、それも一瞬だった。


「なっ……」


 使用人たちが驚愕する中で、サラはため息をついた。


「やっぱり……」


 彼女ならこれくらいのことはしそうだと思ってはいたが、ここまで予想通りだと少し悲しくなる。注意深く封筒を開き、内側に仕込まれた剃刀の刃も取り除くと、ようやく便箋を取り出して開いた。中身を一読して、サラはもう一度ため息をついた。


「サラ様……いったいなんと……」


 おそるおそる尋ねた執事に、サラは淡々と答えた。


「『命が惜しければ、公衆の面前で己の出自を明らかにして、クリストファー伯爵との婚約を破棄しろ』だそうです。あぁ、剃刀の刃には不用意に触れないように。このぶんでは毒が仕込まれていてもおかしくありませんから」


 毒、と聞いて侍女二人が震えあがった。執事と料理長の顔が険しくなる。


「伯爵にお知らせを……」

「それには及びません。しっかり口止めまでしてあります。『警告を無視した場合、使用人たちの命もないと思え』とまで書いてありますから。貴方たちの命まで危険に晒すわけにはいきません」

「ですが……」


 さらに言い募る執事を制して、サラは悲しげな表情を浮かべた。


「こんなことを書いておきながら、自分の身分をしっかり明かしているところが甘いですね。まぁ、もっとも送り主のわからない手紙は読まないというのがこの世界の常識でもありますが。この手紙は脅迫の証拠となります。すべて取っておいてください。明日、新聞社の取材に応じましょう」

「なっ……! 本当に言われた通りになさるおつもりですか!?」

「そうですね。言われた通りとは少し違いますが、半分はそのつもりです。私の出自を公表します。それに、おそらくは新聞社にもすでに情報は伝わっていることでしょう」

「えぇ!?」


 使用人たちの驚愕をよそに、サラはあくまで冷静な態度を崩さなかった。


「どうせ明日には騒ぎになっているはずです。ならば、それに便乗いたしましょう。約束は守ったと向こうに知らせるよい宣伝になります」

「しかし……!」

「よいのですよ。むしろあとから発覚して、伯爵家の家名に傷をつけることにならずに済んで、ホッとしています」


 サラは寂しそうにそう告げたが、その言葉もまた、本心だった。


 無意識のうちに、左手の薬指に触れていた。そこには、今もあの指輪がある。連理の枝を模した、約束の形。

 外すつもりはなかった。外す理由も、返す理由も、もうない。


 たとえ世間がどう騒ごうとも、レンが自分を信じてくれていることだけは疑っていなかった。それだけで、充分だった。


──これ以上、あの人の人生を汚すわけにはいかない


 その思いを胸の奥に押し込め、サラは静かに背筋を伸ばした。


 たとえこの先、どれほどの嵐が待ち受けていようとも、逃げるつもりはなかった。


 これは犠牲ではない。選択だ。誰に強いられたわけでもない。自分で選び、自分で立つと決めた道だ。愛されることより、守ることを選んだのだと。


 サラはゆっくりと息を整え、視線をあげた。覚悟は、もう決まっていた。



 翌日の朝刊ではひとつの見出しが大きく躍っていた。


『怪文書が告発する、男爵令嬢の真の姿!』

『当社に届いた怪文書の情報によれば、連日紙面を騒がせた、クリストファー伯爵の婚約者となった男爵令嬢は、実は故・ブルービアード男爵とはなんの血のつながりもない養女であり、元は孤児であったと告発している』

『卑しい孤児の血がクリストファー伯爵家に入るなど、断じて許されない事態であり、歓迎ムードにある世間の目を覚ます意味でも、この告発は意義のあるものだと、某男爵夫人は語った』


 なお、同誌は『読者の判断に委ねたい』と結んでいる。


 朝一番にアスキンから新聞を手渡され、この記事を目にしたレンは、思わずその場に突っ伏した。よくもまぁ、次から次へと問題が起こるものだ。しかも、怪文書の出処には心当たりがある。物凄く、ある。


「くそっ……リースのヤツ……!」


 サラの出自を知っており、なおかつ、こんなことをして利を得る者。リースしか考えられなかった。孤児院の院長かとも思ったが、下手に関わっては人身売買の件もバレてしまう。それよりも、この件をネタにゆすりにくる可能性のほうが高かった。間違いなくリースだ。


「してやられましたね。まさか、こんな手段に打って出るとは。いかがなさいますか?」

「サラが認めなければ、なんとかやり過ごせるだろうが、あのサラのことだ。認めるだろうな。リースならば、すでにサラにもなんらかの脅迫状を送っていたとしても驚かん」

「そうでございますね。下手をするとサラ様の身に危険が及ぶやもしれません」

「そうだな。まずは出方を窺うしかあるまい」


 夕方になって、伯爵邸には早文がぞくぞくと届けられ始めた。手紙はすべて貴族たちからで、貴族の妻は貴族でなければならないと苦言を呈する向きもあれば、仮にも男爵令嬢なのだから気にするなと励ます向きもあった。もちろん、侯爵家のアレクとマリアからは応援の手紙が届いていた。


「こうなると明日が恐ろしいな」

「仕方がありません。しばらくはこの状態が続くでしょう」


 そして、翌日。


「レナード様、大変でございます! 新聞にサラ様のお姿が……」


 レンは新聞を受け取って愕然とした。白黒ではあるが、凛として美しいサラの顔が映し出されていた。記事には、サラ・スノウが孤児であり、ブルービアード男爵に引き取られて養女となったのは事実であると記されていた。


『サラ・スノウ嬢の執事は語った。伯爵はなにもかもすべてご存じである、と。そのうえでサラ・スノウ嬢を妻にと望まれたのだ。よって、婚約を破棄するかどうかは伯爵のご判断に委ねる、と』


 記事を読み終えたレンは、アスキンに尋ねた。


「……手紙は?」

「大量に届いております」

「寄越せ。全部目を通す。ったく、招待状やら縁談やらが面倒臭いと言っていたどころの騒ぎじゃないな」

「左様でございますね」


 レンは一日かかってすべての手紙に目を通し、丁寧に返事を書いた。特に、苦言を呈してきた者相手には。なんとか、サラとの婚姻を認めてほしかった。


「どうでもいい輩からの言葉など心底どうでもいいが、仮にも一度親しくなった相手くらいは説得してみせるさ」

「その意気でございます」


 すべての返書を書き終えた頃には、夜も更けていた。


 レンはペンを置き、深く息を吐く。若い頃なら、世間の目など切り捨てていただろう。だが今は違う。サラの名が、サラの未来が、すべて自分の選択に懸かっている。


──守ると決めたのは、俺だ


 たとえ彼女が何者であろうと、その事実を理由に、手を離すつもりはなかった。

 それが『大人の責任』なのだと、レンは自分に言い聞かせた。


 レンがやる気に燃えている一方、男爵家では。


「物凄い反響でございますね。『貴族よりも貴族らしい孤児』だそうですよ」


 執事のぼやきをよそに、サラは優雅にお茶を嗜んでいた。


「あとは事態が徐々に収束するのを待つしかありません。人の噂も七十五日といいますから、やがては忘れられることでしょう。貴方もお茶でもいかがですか?」

「……あちらでいただいて参ります」


 生真面目な執事は、お茶を飲むために席を外した。今日のハーブティーは、パッションフラワーとレモングラス、そしてローズのブレンドだ。植物性の精神安定剤トランキライザーとも呼ばれるパッションフラワーに、爽やかなレモンの香りのレモングラスと、過敏になっている神経を癒すローズを合わせることで、さらに効果を高めている。考え事が頭から離れないようなときにも、おすすめのブレンドだ。


 サラのほうにも当然のことながら貴族たちからの手紙は届いていた。その多くが亡くなったブルービアード男爵と親交のあった者たちで、サラを擁護するものがほとんどだったため、丁寧にお礼状をしたためた。もちろん中には、恥を知れ、とサラを非難するものもあったが、目を通すだけに留めた。


「サラ様、大変でございます」


 突然、お茶を飲みに席を外したはずの執事が戻ってきた。


「どうしたのですか?」

「申し訳ありません。サラ様にお手紙が届いたのですが、捺印してある紋に驚いて取り乱しました」


 この執事が取り乱すほどの相手とは、一体。


「どなたからの手紙ですか?」

「オルグレン公爵です」

「!」


 これにはさすがにサラも驚いた。公爵家といえば、元は王家の人間が封じられてできた家門である。オルグレン公爵は比較的新しい歴史を持つ公爵家だった。


 おそるおそる手紙を受け取って開封する。中身に目を通したサラの顔色がサッと変わった。


「いったいなんと書かれているのか、伺ってもよろしいでしょうか」

「私が……十七年前に誘拐された公爵家の娘かもしれない、と仰っておられます。ぜひ一度、お会いしたい、とのことです」

「……はい?」


 執事は思わず呆気に取られた。自分たちの主が、なんだって?


「誘拐された御令嬢は当時三歳足らずとのこと。年齢は合いますね。ですが、証拠はなにも……」

「サラ様、どうなさるおつもりですか?」


 動揺した執事の声に、サラは困惑したように小首をかしげた。公爵夫妻はいったいどういう根拠があって、サラを自分たちの娘かもしれないと思ったのだろうか。わからないことだらけだ、とサラは思った。


 自分の過去が、思っていたよりも遥かに遠くまで伸びている気がした。

2026/01/13

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