離れていても、心はともに
そして、レンは当初の予想通り、連日寄せられる貴族たちからの交誼を求める手紙と、縁談という名の怒涛の攻勢に辟易していた。毎日、毎日、いったい何通の断りの手紙を書かなければならないというのか。
「というか、絶対に代筆でいいだろ、これ……」
「そうですね。では、次からはそういたしましょう」
しれっと答えるアスキンを睨みつけて、レンはぶつくさ文句を言った。
「気づいていたなら、早く言え」
「珍しくやる気になっておられるようでしたので、そのやる気を削ぐのはいかがなものかと思いまして」
「そんな暇があったら、もっと有意義に使うべきだとは思わなかったのか?」
「駆け出しのひよっこがなにを仰いますか。今は何事も経験です」
アスキンの言葉は徹頭徹尾真実だったので、レンは黙ってペンを動かした。だが、虚勢は脆くも崩れ去る。
「一年、長ぇよ……サラ……」
その言葉が、冗談ではなく本音だと、レン自身が一番よくわかっていた。
「泣き言を言うんじゃありません。ほら、手が止まっていますよ」
アスキンは手厳しかった。まぁ、それはレンも望むところではあったのだが、少しくらい優しくしてほしいときもある。しかも、レンはサラを見つけてしまった。会って、話して、実際に触れたのだ。
「駄目だ……サラ欠乏中……」
「麻薬の常習者ですか、貴方は……仕方がありませんね。これが終わってからと思っていたのですが……」
アスキンは懐から白い封筒を取り出して、レンに差し出した。
「サラ様からのお手紙です。おそらく先日のお礼状でしょうが……」
もはやレンは聞いていなかった。引っ手繰るような勢いで手紙を受け取ると、封を切った。
『レナード・クリストファー様。先日は故・ブルービアード男爵の遺言状の公開にあたり、立会人を務めていただき、誠にありがとうございました。無事に引き継ぎも終え、ようやく新しい生活を始めることができたように思います。右も左もわからないことばかりで不安もありますが、この世界にお一人で立っておられるレナード様のことを思えば、私ばかり不安だなどと申してはおれません。きっと今もたくさんのお仕事を抱えてお忙しくしていらっしゃることと思います。季節の変わり目につき体調など崩されないよう、どうかご自愛ください。では、また。サラ・スノウ』
一気に読み終えたレンは、ついつい頬が緩むのを抑えられなかった。アスキンは住所と宛名の書かれた封筒に視線を落として、ポツリと感想を口にした。
「ずいぶんと綺麗な筆蹟でございますね。それに、どこかレナード様の筆蹟に似ているような……」
「だろー? 俺が手本を書いてさんざん書写させたからな。俺の教育に抜け目はない」
「……レナード様が達筆でいらしてよかったですね。それにしても、そんなことまで教育されたのですか。最初から伯爵家の嫁に迎える気満々じゃありませんか」
「うっ……」
痛いところを突かれたレンは、渋々白状した。
「いや、それが、めちゃくちゃ頭いいのに学校に行く気がないって言ってたから、もったいねーって思ってさ。あれだけの美貌と才能があったら、あと礼儀作法と教養さえ身につければ人生変わるだろうに、って思ったらいつの間にかそんなことに……最初から嫁にしようと思って教育していたわけじゃねーよ」
アスキンは海より深く納得した。確かに、レンの目に狂いはない。
「なるほど。それは良いことをなさいましたね」
「まぁな」
「では、サラ様のお手紙で活力も補充されたようですし、お仕事を再開なさいませ」
「うっ……わかったよ」
サラの手紙をしまおうとして、封筒の中に小さく折り畳まれたもう一枚の便箋が入っていることに気づいた。
「なんだ、これ?」
開いて中を読んだレンは、思わず赤面した。しばらく、言葉が出なかった。
なにが書いてあったのか、アスキンは物凄く気になった。
「やべぇ。反則だろ、これ……」
もう一枚の便箋には、こう記されていたのだった。
『追伸。万が一、手紙を誰かに見られたら恥ずかしいので、ここに書きます。もし、一人で立つのがつらくなったら、指輪を見てください。ひとつに溶け合った連理の枝のごとく、私の心はいつでも貴方とともにあります』
*
それから半年は何事もなく過ぎ、サラとレンはときどき手紙のやりとりをしながら、時を過ごした。その日も、サラは一日の仕事を終えて、レンからの手紙を読み返していた。末尾に少々気になることが書いてあったのだ。
『……今、少し面倒臭いことに巻き込まれかけている。これに関して、おそらく様々な憶測や噂が飛び交うだろうが、俺を信じてくれ。今はそれしか言えない。俺にはサラだけだ。愛している。レナード・E・C・クリストファー』
何度読み返してみても、書いてある文章は変わらない。だが、サラは行間を読むように、レンの置かれた状況に想いを馳せた。
『面倒臭いこと』の内容がなにも書かれていないこと。信じてくれという言葉。そして、愛の台詞。それから察するに、おそらくはレンに縁談が持ちあがっているのだろう。王族ではないだろうが、伯爵家では断れないほどの家格──侯爵、あるいは公爵家からの縁談。
国王陛下は未だ歳若く、姉君たちはとうに他家へと降嫁している。国王陛下が自分よりも歳若いと知ったときは、サラとて大層驚いたものだった。
(家格の高さから言えば、普通は断ることなどできないはず……)
だが、手紙を読む限りでは、レンは断る気でいるようだ。いったいどうやって断るつもりなのだろう。
(無茶だけはしないでくれたらいいけど……)
左手の薬指に視線を落とす。そこにはレンとお揃いの指輪が輝いている。
(貴方を愛しているけど……それが貴方の妨げになるくらいなら……)
そこまで考えたときだった。
「サラ様、お茶をお持ちしました」
扉がノックされる。侍女たちが姿を現した。
「おやすみ前ですので、ハーブティーをご用意いたしました。リンデンとローズ、それにレモングラスをブレンドしてあります」
「ありがとう」
以前、サラが教えたレシピだった。リンデンには不安や緊張、興奮を和らげる作用があり、ローズには落ち込んだ気分を明るくする働きがある。その二つにレモングラスを加え、すっきりとした印象を持たせるブレンドだ。
ちなみに、香りづけに加えるレモングラスにも心を落ち着ける作用があり、この三種をブレンドしたハーブティーのリラックス効果は高い。心がザワザワして落ち着かないときなどにもお勧めの処方である。
サラは、自分の心を落ち着けるために、このブレンドを好んでいた。
「ん、美味しい。腕をあげましたね」
口をつけてサラは目を細めた。最初は煮出し過ぎたり、抽出時間が足りなかったりと失敗を繰り返していた彼女たちだったが、何度も繰り返し頼むたびに腕をあげていた。
「ありがとうございます!」
侍女たちが頬を染めて嬉しそうに喜び合う。侍女たちの年頃はサラと同年代くらいで、同性ということもあり、気安い関係を築けていた。
「あの、サラ様」
「なぁに?」
「ご結婚なさる際には、ぜひぜひ私どももお連れくださいね!」
サラは危うく噎せるところだった。こぼさないようにカップをソーサーに戻し、彼女たちに尋ねた。
「……どうしてそんなことを?」
「だって……」
侍女たちはモジモジとしていたが、結局、正直に答えてくれた。
「サラ様、お優しいんですもの。もし、他に働き口を紹介されたとしても、サラ様に馴染んでしまった私たちには、到底やっていけるとは思えません。それより、サラ様の嫁ぎ先までお供して、そのままサラ様にお仕えしたいです」
サラはその言葉に目を丸くした。
「えっと……前も言ったと思うのですが、形式上は男爵家の養女とはいえ、私は元々孤児であって、貴族ではないのですよ? 本当は貴女たちになにかをしてもらうことさえ申し訳なく思っているのですから」
「そんなの関係ありません。だって、サラ様には自然とお仕えしたくなる風格というか、威容みたいなものがあるんですもの。その立ち居振る舞いを見ていればわかります。貴族の方々よりずっと貴族らしいと申しますか……」
「その通りです。私たちがいくら格好をつけようとしても、サラ様には及びません。作法、知識、教養、どれをとってもサラ様ほどの令嬢はいないと思います」
なんと、まさかの褒め殺しである。サラは驚くしかなかった。そんな風に思われていたとは。
「あ……ありがとう……」
「ですから、どうあってもキーツ侯爵令嬢には負けないでください!」
「あっ、バカ……」
キーツ侯爵令嬢? 確かに、キーツ侯爵には、サラよりも二つほど年下の、お年頃の御令嬢がいるらしいが。それでサラはピンときてしまった。胸の奥がチクリと痛む。
「そうですか、キーツ侯爵令嬢とのご縁談が持ちあがっていらっしゃるのですね」
誰に、とは言わなかったが、侍女たちにとっては言わずもがなだった。二人は青褪めて顔を見合わせている。
「あの、その……噂、程度なんですけど……」
「サラ様がお気になさることではありませんよ!」
「いいえ、いいのですよ。おそらく、そういうことだろうと思っていました。伯爵からのお手紙にも、それを示唆するような言葉がありましたし」
侍女たちは思わず真っ青になった。
「あの……ちなみになんと仰ったのか、お伺いしても……?」
「様々な憶測や噂が飛び交うだろうが、自分を信じてほしい、と……」
「……それだけでございますか?」
呆然としている侍女たちに、サラは苦笑した。
「充分ですよ。伯爵のお心は、ここにありますから……たとえ、この想いが報われずとも、それで充分なのです」
ここ、と言われて二人の侍女はサラの視線を追った。その先には、左手の薬指にはまった指輪があった。
「す……素敵すぎます……」
「さすがはサラ様!」
一生ついていきます! と言わんばかりに輝く侍女たちの夢見る瞳に、サラは、見る者を魅了する、淡い笑みを浮かべたのであった。
*
その頃、伯爵邸ではレンが頭を抱えていた。
「婚約者がいるって言ってんのに、なんで縁談寄越すかなー……」
「未婚のクリストファー伯爵の結婚指輪の話は今や有名ですからね。ひとつは試されているのだと思いますよ」
「やめてくれ。他の可能性なんか考えたくもない」
「若い伯爵を絶好の婿がねと狙う貴族は多くございますからね。ですが……」
そこでアスキンは言葉を切った。二人の視線の先には一通の手紙があった。その封蝋にはキーツ侯爵の印章が押してある。
「これだけは婚約者がいる、というのは言い訳になりません。家格はあちらが上ですし、なにより御令嬢のマリア様は……」
「国王陛下よりも少し年上だが周囲からは、王妃に、と望まれるほどの才色兼備。これで格下の伯爵家なんぞに断られてみろ。大事な経歴に大きな傷がつくというわけだ」
アスキンは心配そうな視線を主に向けた。
「……いったいどうなさるおつもりですか?」
「とりあえず本人に会って話をしてみるさ。王妃に望まれるほどの人間だ。話くらい通じるだろう。それで本人がどう出るかだな」
「そうですか。ですが、向こうが引かなければ、どうするおつもりです?」
相変わらず、手厳しい。最悪の状況まで言わせる気のようだ。レンは不敵な笑みを浮かべた。
「伯爵家ごと潰されるのを覚悟で断るさ。お前らには悪いがな」
「かしこまりました。では、最後までお供いたします」
レンはチラリとアスキンを見上げた。
「意外だな。お前なら、そんなことはさせない、とでも言いそうなものだったが」
「ご自身は死を覚悟していらっしゃるのでしょう? そこまで筋金入りなら、もうなにも申しません。どうぞお好きに」
その言葉に、レンは思わず会心の笑みを閃かせた。
もっとも、その笑みの裏で、レンの胸中が穏やかであるはずもなかった。
失う覚悟は、とうにできている。爵位も、地位も、名誉も。だが──それらを失うことで、サラが再び矢面に立たされる可能性だけは、どうしても許容できなかった。
あの一年で、彼女は一人で立つ力を身につけた。だが同時に、守られる存在であることを、世間が忘れてくれるわけではない。
(だからこそ、俺が前に立つ……)
レンは左手の指輪に視線を落とした。連理の枝は、絡み合い、支え合い、片方が折れればともに倒れる──そんな意味を持つ意匠だ。
それでも構わない。倒れるなら、自分が先だ。
「……待ってろ、サラ」
小さく呟いた声は、書斎の静寂に吸い込まれていった。
嵐はまだ、訪れていない。だが、たとえ離れていようとも、心だけはすでに隣にある。
その確信だけは、もう揺らいでいなかった。
2026/01/09
公開しました。




