再会は、誓いのかたちで
ブルービアード男爵の葬儀や、それに絡む手続きなど、なにもかもが終わった。屋敷は広いままなのに、音だけが消えたようだった。
使用人以外、サラ一人になってしまった屋敷の中で、部屋の扉がノックされた。
「はい」
中から扉を開けると、そこには男爵家の執事が立っていた。
「サラ様、少しよろしいでしょうか? 応接室にお越しいただきたいのですが……」
「えぇ……どうしました?」
「貴女様にお渡ししなければならない物があるのです」
サラは首をかしげたが、ようやく男爵の言っていた『贈り物』とやらに思い至った。これはきっとそのことだろう。そう判断して、応接室に向かうことにした。
執事に連れられて、サラが応接室に向かうと、そこにはすべての使用人が集まっていた。と言っても、人数はそう多くはない。老家令が一人。執事が一人。料理長が一人。侍女が二人。
そして、見慣れない男性が一人。彼は弁護士だと名乗った。
「少々お待ちください。あとお一方いらっしゃる予定なのですが……」
弁護士を名乗った男性が腕時計を見遣って、そう口にしたときだった。応接室の扉がノックされ、執事が顔を出した。彼の他に二人の人影が見える。
「失礼します。クリストファー伯爵がお越しになりました」
「え……?」
「失礼する。遅くなってすまなかった。レナード・クリストファーだ。後ろの彼は私の執事でアスキンという」
「レン……」
そう、そこにいたのは間違いなくレンだった。伯爵の顔をしたレンは、なんだか知らない人を見ているようで。サラは彼が遠くに行ってしまったような気がした。喉の奥がキュッと縮まり、上手く息が吸えない。
背筋を伸ばし、感情を抑えた声で話すレンは、確かに『伯爵』だった。
それは嫌な変化ではない。むしろ、彼が背負ってきたものの重さを思えば、当然の姿なのだと頭ではわかっている。
それでも、胸の奥がチクリと痛んだ。あの人は、もう完全に自分の手の届かない場所へ行ってしまったのではないか──そんな不安が、どうしても拭えなかった。
「それでは、全員お揃いのようですので、ブルービアード男爵の遺言状を公開いたします」
レンが席につくと、弁護士がよく通る声でそう言った。遺言状? サラはまた首をかしげた。
『私、ブルービアード男爵は、クリストファー伯爵を立会人とし、我が養女であるサラ・スノウに財産、およびすべての使用人を委譲するものとする』
遺言状が読みあげられると、サラは頭が真っ白になった。なんですと? だが、そんなサラを放置して、レンはゆっくりと発言した。
「立会人として、ブルービアード男爵の遺言を承認する。レディ・スノウにおかれては、此度のご不幸に、さぞ胸を痛めておられるだろうが、皆の上に立つ者としての責任を自覚していただきたい」
さらに弁護士が口を開いた。
「なお、爵位と領地については王室に返上することとし、屋敷については当分そのままでよいとのお言葉を国王陛下より弔辞とともに賜っております」
全員の視線がサラに集まった。視線の重みが、思った以上に胸に食い込んだ。
ほんの数刻前まで、サラはこの屋敷の『保護される側』だったはずなのに、今は違う。誰もが彼女の判断を待っている。
逃げ出したい、と思った。けれど同時に、ここで背を向ければ、この人たちは行き場を失うのだとも理解していた。
──男爵は、最初からこうなることを見越していたのだろうか
サラは、無意識に左手の指輪に触れた。冷たい感触が、わずかに思考を現実へと引き戻す。
レンは、なにも言わなかった。それが、彼なりの信頼だと、サラは理解した。
ブルービアード男爵の築いた全財産と、使用人たちの管理をすることになった。屋敷については当分そのままでよい、ということは、立退きを要求されるまで、このまま住んでいても構わないということだ。ならば。
「えっと……まず、皆の考えを聞きたいと思います。これからどうしたいですか? 順番に教えてください」
すると、老家令が手を挙げた。彼はそろそろ田舎で隠居したいということだったので、充分な退職金を与えて、仕事の引き継ぎの後に解雇することになった。執事と料理長、そして二人の侍女は、まだまだ働きたいとのことだったので、しばらくは現状のままで雇用することにした。
「わかりました。新米の主人でなにかと至らないことも多いかと思いますが、皆さん、よろしくお願いいたしますね」
「イエス・ユア・ハイネス」
これでサラは一気に四人の使用人たちの主となってしまった。人生ってわからない。
「見事だ。さすがだな、サラ」
優しく囁く声に隣を見れば、レンが穏やかな顔で笑っていた。いつものレンだ。そう思ったら、目の奥がなんだか熱くなって、サラは自分が泣いてしまうのではないかと思った。
*
ひと通りの手続きのあと、弁護士が屋敷を辞し、使用人たちも気を利かせて出て行ったため、応接室にはサラとレンだけが取り残された。
「ねぇ、見た? 伯爵のはめていらっしゃった指輪!」
「サラ様と同じデザインの指輪でしょう? 見た、見た! キャー!」
サラの耳は、立ち去りながら喋っている侍女たちの会話さえも拾ってしまう。キャーって。楽しげな会話につい苦笑してしまった。
おそるおそる隣のレンの様子を窺った。互いに言葉を探しているのが、手に取るようにわかった。
懐かしいのに、どう声をかけていいのかわからない。
サラは、レンの左手を見ないようにした。見てしまえば、きっと胸がいっぱいになってしまう。
それでも、視界の端で、あの指輪が静かに光っているのを感じていた。
困惑しているのはレンも同じらしく、困ったような顔をしてそっぽを向いている。ここはやはりサラから声をかけるべきだった。
「……久しぶり。レン……元気、だった……?」
レンの肩がピクリと動いた。こんなことになって、互いに動揺していないはずがなかった。だが、なにを言おうか、散々迷った挙句に、口からこぼれ出たのは、そんな何気ない言葉だった。
「お前なぁ……」
はぁ、とレンがため息をついた。
「どんだけ心配かけたか、わかってんのか?」
「……ごめんなさい」
「あー、もー、マジ変わってねー……って、一年でそんなに変わるわけねーか……」
サラは思わず笑ってしまった。いつものレンだ。
「私……最初、レンが知らない人みたいに見えて……少し、寂しかった……でも、今、安心した……」
「サラ……」
「……それでも、離れたことは後悔してない。ちゃんと、生きてきたから……傍を離れてしまって……ごめんなさい……たくさん心配かけて……」
ごめんなさい、と謝罪の言葉を繰り返すサラを止めようと、レンが呼びかけた、そのときだった。
「サラ」
「ごめんなさい……それでも、私……貴方を愛しているの……」
沈黙が落ちた。サラが心配そうにレンを見つめると、レンは小さくぷるぷると震えていた。
「お前ってヤツは……男の台詞を先に言うんじゃねーよ……」
「え……? えっ、あっ、ごめっ、ごめんなさい……」
「そして、またすぐ謝るし。ったく。だから、お前は悪くないんだって」
オロオロしだしたサラの頭を宥めるように優しく撫でて、レンはもう一度ため息をついた。
「サラ」
「なに?」
レンは自分の指輪と、サラの指輪を交互に見て、それから静かに口を開いた。
「俺は、お前を、愛している。この指輪とともに誓った言葉は嘘じゃない。だから、一年後、今度こそ籍入れるぞ」
「レン……」
「返事は?」
「うん……!」
一年という期間を設けたのは、男爵の養女と見做されたサラの服喪が明けるのを待つため。
サラの瞳から涙がこぼれ落ちる。レンの指がそっと涙を拭った。
「お前、最近泣き虫になったんじゃねぇ?」
「な……そんなこと……」
「ないって言い切れるか?」
言い切れないかも、とサラは思った。言葉に詰まったサラを、レンはニヤニヤと眺めている。
「レン……」
「はは……悪い。サラが可愛すぎてつい、な」
「もう……」
小さくむくれるサラの唇に、レンは自分の唇をそっと重ねた。チュ、と軽いリップ音を立てて唇が離れる。
「今はこれだけな」
「うん……」
頬を染めて俯くサラの頭を、レンはもう一度撫でたのだった。
*
しばらく二人で会えなかった一年分の話をした。時間がいくらあっても足りない気分だった。
「レナード様。そろそろよろしいでしょうか?」
扉がノックされ、顔を出したのはレンの執事のアスキンだった。
「アスキンか。そうだな、帰ろう」
「その前に、少しよろしいですか?」
アスキンはチラリと視線だけでサラを見た。その視線で、レンはアスキンの言いたいことがわかった。
「あぁ……サラ、うちの執事が挨拶したいとさ」
アスキンはサラに近づくと、主人にするように丁寧に一礼した。
「サラ様。お初にお目にかかります。レナード様の執事長を務めております、アスキンと申します。以後、お見知り置きください。それから、私のことはどうぞ、アスキンと」
サラはにっこりと笑みを浮かべると、アスキンに声をかけた。
「わかりました。よろしくお願いしますね、アスキン」
「畏れ入ります」
それから、サラは男爵家の執事を呼んで、レンたちの帰り支度を手伝わせた。
「では、クリストファー伯爵、道中お気をつけて」
「ありがとう、レディ・スノウ。では、また」
別れ際に、レンはサラの左手をすくって手の甲、というか指輪の上に口づけを落としていった。頬は赤く染まるし、侍女たちは、小声ではあったが、思わず黄色い声をあげるし、かなり恥ずかしかった。
「サラ様は、クリストファー伯爵の婚約者だったんですか!?」
詰め寄る侍女二人に圧倒されて、サラは簡単に事情を説明した。
「今は……そういうことになりますね。でも二年前、まだ伯爵が、ただのレナードとして暮らしていらっしゃったときのことですから、正式なものでは……」
「ですが、伯爵も左手の薬指にサラ様と同じデザインの指輪をしておられましたし、なによりも、別れ際のあの指輪への接吻は伯爵からサラ様への愛の証ではありませんか!」
「そうですよ。時を越えて結ばれる運命の赤い糸、なんて素敵……!」
二人の侍女はうっとりと余韻に浸っているようで、もはやなにも聞いてはいなかった。
「そうでした、それよりも……」
サラは老家令を掴まえて、仕事の引き継ぎを頼んだ。彼の仕事は家計と財産の管理だ。
「どなたに引き継げばよろしいですかな?」
「仕事を増やすのも申し訳ないので、私がやります。ご指導よろしくお願いします」
ペコリと頭をさげたサラに、老家令は飛びあがって驚いた。
「なんと、儂なんぞに頭をおさげになるとは……なりませんぞ、サラ様!」
「いいのですよ。私はそもそも一般的な貴族の令嬢とは違うのですから。教えを乞う側として当然のことです」
「なんともったいないお言葉……わかりました。誠心誠意、最後のお勤めを果たさせていただきましょう」
こうして家財管理の方法を学んだサラは、自分に残されたお金の額にびっくりする羽目になった。
(これ、全部合わせたら、『庶民なら一生食うに困らない金額』とやらの十倍近くあるかも……)
レンなら、『人生六回はやり直せる金額』とか言うかもしれない。もちろん一般庶民レベルでの話ではあるが。
(なんだか、違う世界に間違って足を踏み入れてしまった気分……)
サラは急に怖くなった。今までは、ずっと間借り人の状態だった。だから、閉じられた世界の中で自分の好きなことをしているだけでよかったし、貴族の世界になど関わらずに済んだ。
だが、今までサラを世間の荒波から守ってくれた防波堤のような存在は、もういない。これからは、自分一人で戦わなければいけないのだ。
(怖い……)
改めて、レンは今この世界にたった一人で立っているのだとサラは理解した。自分には無理だ、と思う一方で、そんなレンを傍で支えることができたら、という強い想いに突き動かされる。
幸い、これから一年は服喪の期間と見做されるので、どこそこで開催される社交パーティーや降って湧いたような縁談などには振り回されずに済むだろう。その間に、知識を蓄え、情報を取捨選択する感覚を養う必要があった。
(レン……)
左手の薬指に輝く指輪をじっと見つめる。これがあれば、きっと頑張れるだろう。サラはそう思った。
屋敷の外では、変わらず世界が動いている。貴族社会も、王都の思惑も、サラの事情など待ってはくれない。それでも──。
自分には、帰る場所がある。想いを信じて待ち続けてくれた人がいる。
それだけで、未知の未来に立ち向かう理由としては、充分だった。サラはもう、逃げるために生きてはいなかった。
2026/01/08
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