異世界転移したいだけなのに、契約書が千ページもある件について
「す、すみませんでしたーーっ!」
女性の声が響き渡り、彼女は床に頭を擦りつけた。
見事な土下座である。
両手をきれいに揃えて、ちょうど額のあたりに添えていた。姿勢が良いうえに、所作がキビキビとしているせいか、変に慣れている感じがする。
平伏するなどという機会は滅多にないはずだが、どうにも違和感が漂うのだ。
まあ、教科書に見本としてもよさそうな態度であるのは間違いない。
ただ、問題は別にあった。
天使が、謝罪の主であること。
外見は十代半ばの少女。
おかっぱヘアに、頬がほんのりと赤くて、すごく健康的な印象だ。
かわいい系、というか、ちょっとしたドジっ娘的な雰囲気が強い。
そのくせ、奇妙なほど神々しいのだ。
まず、彼女の頭上に輝くエンジェル・リング。
平たく言えば“天使の輪”なのだけれど、とんでもなく眩しい。あまりにも光量が多いせいで、目を細めるか、腕で視界を狭めるかしないと、視覚が悪くなりそう。
おまけに、二対の大きな羽根。
謝るたびに小刻みに揺れて、小さな光の粒を舞い散らせる。ときおりバサリと動けば、大量の光粒が放出される様子は、“きれい”を通り越して、はた迷惑だ。
いかにも、少女の姿は典型的な天使である。
少々きらびやか、いや、派手でもあるが、たいへん美しいことは確かだ。
ただし、落差が激し過ぎた。
もう、訳が分からない。
彼女の完璧な外見に反して、その態度はひたすらに低姿勢。地面に額を押しつけ、震える声で謝罪を繰りかえすばかり。
「まことに申し上げにくいのですが、あなたを間違って死なせてしまいました」
「え? いま、なんと?……」
大学生の男子がポツリとひと言。
つい先ほどまでは、いきなりの異常事態についてゆけず、立ち尽くすだけであった。でも、さすがに自分のこととなれば反応もする。
現在の状態について把握すべく、彼は尋ねたのだが。
対する天使はすぐに答えない。
両手の人差し指をツンツンと合わせながら、上目づかいに聞いてきた。
「こ、ここに来る直前のことって、覚えていますか?」
「あのさ~、質問に質問で返すなんて卑怯じゃないの。
……まあ、いいか。たしか、大型車両が歩道に突っ込んできて、はねられた……、とおもう。記憶にあるのは、そこまでだな」
「それ転生トラックです。ただし、対象者は別の人物でした」
「な、なにそれ。転生トラックってラノベだけのもんだろうが! そういうはた迷惑な存在を公道で走らせるな。空想と現実の区別はしてくれよ!」
彼女いわく、大学生の彼は巻き添えになっただけ。
本来、異世界へ転移させるべき人間は他にいたのだけれど、指示ミスで“まだ死ぬ予定じゃない男性”を交通事故に遭遇させたというのだ。
しかも事故の原因は、定番の“転生トラック”。
異世界転生モノにありがちなアイテムだが、まさか本当に実在するとは。
「で、結局、俺は死んだの?」
彼の名前は鈴木次郎。
ひとしきり喚き散らして、怒りのエネルギーを発散させた後、ようやく現状の確認をする気になった。
しかし、その口調は困惑気味だ。
対する天使のほう。
つい先刻まで、ひたすらに額を地につけたまま、土下座の態勢を続けていたはずだが。
「グウ~」
彼女の返事はなかった。
たしかに小刻みに頭部が前後に揺れている。
けれども、よく見れば、居眠りしているのか、謝っているのか判別がつかない。
「グウ~、はっ、駄目、ダメ。い、いえ、なんでもありません。あ、あなたが死亡したのかとの質問でしたね。ざ、ざんねんながら事実です」
「いま、寝ていたよね? 」
「そ、そんなことありませんって! ただ、わたしの誠意を示そうと、懸命に頭を地面につけていただけで。
それなのに、あんまりな言葉です。
根拠のない言いがかりで、可憐な乙女のハートを傷つけるなんて酷いではありませんか」
オヨヨと泣く天使少女。
いつの間にか取り出したハンカチを片手にして。
その仕草は、ものすごく演技じみて胡散臭い。まるで、昭和初期の古き良きテレビドラマを参考にしたのではと、疑うほどだ。
しかしながら、次郎には女性耐性がない。
生身の女性よりもアニメキャラを愛する青年なのだ。しかも、現実の煩わしさを回避し、できるだけ波風を立てないようにする人物。
けっきょく、話題を変えることにした。
彼は、少女の訴えを適当にあしらう。
「まあ、まあ、そんな些細な事はおいといて。それよりも、間違って死なせたって言ったよね。どういうことか説明してほしいんだけど」
「な、なにが些細ですか! よいでしょう、あなた不遜な挑戦を受けてたちますわ!」
やおら彼女は起き上がって胸をはった。
ただし、貧弱な胸部装甲はペッタンコで、女性特有の柔らかさに欠ける。天使の輪や、二対の羽根はとても立派なのだけれど、身体つきに関しては、今後の成長に期待するしかあるまい。
「いいですか、その耳をかっぽじいて聞きなさい。わたしが犯したミスとは、書類をバラバラにしたことです。
ちょっと、急ぎの用事で天界の階段を降りていた際、躓いてしまったのです。つまり、書類一式をバインダーごとぶちまけてしまったのですわ。
もう見事なほど散乱して。どうです、恐れ入りましたか!」
「いや、ダメじゃん。恐れ入る要素なんて全然ないぞ。なあ、そんな理由で死んだなんて、納得できる訳ないだろうが。責任取って、ちゃんと俺を生き返らせろよ」
「はわわっ~。でもですね、現世に戻るのは、あまりお勧めできません。もちろん可能ではありますが」
「どういうこと?」
少女が、空中から薄い冊子を引き出した。
さすが天使だけあって、簡単に魔法を行使できるらしい。
彼女は、ペラペラとページをめくりながら語り始める。
「まず、この冊子に、あなたの人生を記録しています。
なになに、ほお~直近の未来ですが、大学は留年しますね~。理由は、最終試験の直前にインフルエンザに罹って寝込んだこと」
彼女の説明は続いた。
次に就職活動はほぼ全滅状態だという。
前年までの景気の良さは後退して、超絶な不景気に突入するらしい。かつて就職氷河期と称された時代よりも厳しいとのこと。
「おしかったですね~。もう一年早ければ、まともな会社に就職できたのに。ちなみに、やっと入社した先はブラック企業です」
「ブラック!?」
「三年間こき使われたあと、勤務先は倒産します。自爆営業でつくった借金は三百万円以上ですね。あなたは、一発逆転を狙って金融商品を買いますが、詐欺にひっかかって……」
「まて、まて、ちょっと待ってくれ! それって、本当に俺の将来なの?」
「ええ、確率変動八十%並みに。続いて、女性に癒しを求めますが……」
彼は頭を抱えてしまう。
聞くに堪えない未来だ。信じるつもりはないけれども、真実らしく思えるのが悔しい。
いっぽう、背中に羽根を生やしている彼女。
淡々と破滅ルートを説明した。
なんという残酷な天使(のテー〇、ゲフン、ゲフン、言い間違い)であろうか。
「そこで、悲嘆にくれる次郎君に朗報です。ミスで事故死させたお詫びがありまして。たとえば、他の世界に転移させるとか……」
その言葉に、次郎の耳がビクッと反応する。
伊達に、オタク青年になったのではない。
あらゆるジャンルのアニメとライトノベルに精通し、自他ともに認める真のマニアなのだ。そんな熱烈愛好家が、重要なキーワードを聞き逃すはずはなかった。
「おっ? 異世界って?」
「いえ、べつに強制ではありませんからね。あなたが希望するならですけど。いや、ほんと、無理強いなんてしませんよ~?」
少女は笑顔で手をふった。
表情はあざといというか、わざとらしい感じが漂う。
人の悪意に敏感な者がいれば、怪しいぞと疑っても当然なのだが……。
しかし、彼には心理的余裕はない。
心の奥底からフツフツと噴き出してくる熱い想いに囚われていたからだ。そちらに関心が向いてしまい、彼女の裏側の顔に気づけない。
「いま、俺にはふたつの選択肢がある。
ひとつは、見慣れた日常にドップリと浸かり、なんとなく将来が見通せてしまう生涯。
残りのひとつは、一寸先は闇で、なにが待ち構えているのか予測不可能な人生だ」
次郎はぐっと胸を張り、片手で顔半分を隠す。
反対側の手は背中側にまわして固定。
絵だと様になるけれど、実際にやってみると、意外と難しい“スタンド使い”のポーズだ。ファッション雑誌でもやらない態勢だったりする。
「ふふっ、ならば、俺は選ぼう。先の見えない未来、上等!
真っ白なキャンバスに、自分だけの物語を描こうではないか。異世界転移で人生逆転だっ!」
「おおっ~、すばらしいです! なかなかの名演説ではありませんか。
フフッ、私の目に狂いはなかった。あちこちを探し回った甲斐があったというものですね~」
天使はパチパチと両手をたたく。
彼女の不穏当な発言は小声であったため、次郎には聞こえていない。まあ、仮に声が届いていたとしても、自分の決めセリフに酔いしれていた彼は頓着しなかったであろう。
「では改めて、ひとつお願いがございまして。この件、神さまには内緒ということで、よろしく!」
「どういうこと?」
「天界って上下関係が厳しいんですよね。たかが、ちょいと書類を取り違えただけの些細なミスで、始末書なんて提出したくありません。
下手すれば、三千年ほどは昇進できないので。ご存じのとおり、わたしは可憐で優秀ですが、ずっとペーペーな平職員に甘んじるなんて、人材の無駄遣いというもの。
で・す・か・ら、あなたには黙っていただきたい!」
「ええ~、その“間違い”で死んだ俺の扱い、軽くない?」
「いえ、いえ、そんなことはありませんよ」
彼女は満面の笑みで手を合わせる。
同時に、背中の後光がパアァと明るさを増した。
ちなみに、理由は片手に隠し持つスイッチをオンにしたから。腰の裏側には小さなバッテリーがあって、頭部のエンジェル・リングと接続している。
「お詫びとして! 異世界転移──あるいは転生──を確約いたしますっ!」
「キター! 人生一発逆転チャンス、来ちゃったよ!」
次郎の目がカッと輝いた。
両手を天にのばして片足もあげるポーズ。
大阪道頓堀にある、お菓子メーカーの電飾看板で有名なヤツだ。なぜ、こんな姿勢になったのか、本人にも分からないけれども、身体が勝手に動いたのだから仕方がない。
とにかく、喜びを全身で表現したかったのである。
「ラノベこそ、俺の聖書。アニメこそ、俺の羅針盤。
同級生からは“影が薄い”と言われ、女子どもに対しては“己の高尚な趣味”を隠し通してきた。それでも、心折れることなく、小遣いすべてを投入する日々。時間のほとんどを費やしてきたのは、このときのためだったのだ」
我が生涯に一片の悔いなし!
彼はぐっと握り締めた拳を突きあげる。そして、天に向かって高らかに宣言したのであった。まるで世紀末覇者のように。
その勢いに圧された、天使はちょっとのけ反ってしまう。
「ず、ずいぶんとご苦労なされたのですね。お察しします」
「いえいえ、大丈夫ですよ。そんなことよりも、まず転移か転生かを選ばないと。
ふむ、異種族転生も考慮せねば。スライムも捨てがたいけど、アンデッドとかドラゴンのパターンもあるしな。むしろ、人外からの成り上がりルート?」
次郎はぶつぶつ言いながら、地面に座り込んだ。
過去に読み漁り、動画を鑑賞し続けて、頭脳に蓄積した大量の記憶データを引っ張り出す。
「いやいや、TS転生もあるぞ。女体化して美幼女系とか、逆にダイナマイト・バディのエルフ美女とか」
「魔法は当然あるよね? 【ステータス管理】【異次元収納】【鑑定】の三種の神器は絶対に習得しないと。使えないとか言ったら、契約は白紙撤回するからな!」
「職業は、魔法使いか剣聖か。いや錬金術師もいいかも。うはー、夢が広がリング」
天使の表情が、若干引きつってしまう。
いちおう笑顔を浮かべて、うんうんと頷いているのだけれど、明らかに距離を取っていた。
「えーと、だいたい転生テンプレは網羅しましたよね?」
「いやいや、こんなものでは序の口だぞ。
ハーレム展開は王道だから外せないな。
待てよ、最近はハーレム地獄とかあって、逆に孤独に憧れる主人公ってパターンも……」
「婚姻制度のない自由恋愛世界も捨てがたい! 奴隷制度が残っている国で、ご主人様と呼ばれるのも……」
「チュートリアルイベントはある? ステータス解説してくれるなら、可愛い少女キャラを希望する。もちろんチェンジ機能付きで」
天使は、妄想を垂れ流す彼を止めようとした。
「あの~、物事には限度というものが……。駄目ね、まるで聞いてない。
ハッ、ま、まさか、暴走? 」
突如、汎用ヒト型決戦兵器のBGMが響いた。
なぜかって?
そんな野暮な突っ込みはやめてくれ。
きっと、ご都合主義な魔法が発動したんだとおもう(筆者談)。
いっぽうの次郎。
大型人造人間のように吠え、全身が赤く染まって周囲に熱をぶちまけていた。
「貴族転生からの『悪役令嬢もの』も鉄板だ! スローライフ系なら“村長転生”とか、“農業でまったり”とか最高だよね」
「忘れてならないのは、俺tueee分野な。“自分のみレベル999”とか“無制限連続ガチャガチャ”とか。あとは知識チートで科学×魔導の融合なんかも……」
「料理無双も見逃せない! 王様専属のシェフになるも良し、ひっそり隠れ家的料理屋の店主に……」
彼女は、目が点になっていた。
心内でぼやいてしまう。
――コイツは収拾がつかないタイプだわ。
もしかして、これを選んだのは失敗だったかしら。とはいえ、簡単に誤誘導できて、かつ魂魄濃度が高いなんて好条件合致者は滅多にいないし。
どうしたものかしら?
「あ~、面倒くさい。いっそ、このまま地獄送りにしちゃおうか」
「内政特化のチートも魅力的で……。うん? ち、ちょっと、いま“地獄”とか言った?」
「いやいや、聞き間違いです。だってほら、わたしは天使ですよ。
人間を天国に送ることはあっても、地獄送りはできませんからね」
彼女は、否定しつつも満面の笑みを浮かべる。
少々過剰なほどの愛嬌を振りまくが、瞳の奥底には冷徹な光が宿っていた。
しかしながら、次郎は気づけない。
ほんの少し違和感を覚えるも、深く考えることはしなかった。
とにかく、新しい“転生人生”のデザインを優先したい。
もう、ほかの事はどうだってかまわないと、本気で思っていた。
対する天使のほうは、人の心の動きに敏感だ。
彼の関心のあり方を見極め、さらに自分の有利なほうへと巧みに誘導してゆく。
「では、改めて転移に付随する条件を整理しましょうか。
限度はありますが、できるだけご希望に沿わせていただきます!」
「マジで!? よっしゃ、まずは魔法スキルをつけてほしい。
ただ、確認したのだけれど、転移先の異世界では使用可能な属性は何種類かな?
四大元素系(地・水・風・火)か、五行思想に基づく五大元素系統(木・火・土・金・水)かを把握したい。いや、もしかして想像力優先のなんでもアリの……」
「ち、ちょっと待ってください。そんな細かな設定なんて知りませんから。先方に問い合わせしますので、少々お時間を」
「だめじゃん。この程度の知識は基本中の基本だよ」
「な、なんて口のききかたですか! こちらが下手に出てれば、いい気になって。もう、承知しませんからね」
彼女は怒ってしまった。
思わず感情的になったせいで、用心深く隠していたモノが姿を現してしまう。
それは、しっぽ。
黒くて先端部分が鋭くとがった形状で、天使には不似合いなものであった。
さすがに次郎も驚いてしまう。
「え、なにそれ?」
「キャッ! 見ないでください! レディのお尻を、ジッと眺める男は最低ですよ」
「いやいや、さっきのヤツって“しっぽ”に……」
「ちがいます、違います。ええい、仕方ありません!
切り札の【契約書作成】魔法を発動します。
古典様式・自動筆記スタイルにて術式起動」
彼女はパチンと指を鳴らした。
すると、一本の羽ペンと大量の白紙が召喚されて空中に浮遊する。
魔力の消耗が激しいので、使いたくはなかったけれど、今回は緊急避難的に使用するしかないと、小声でつぶやいた。
「さあ、準備は万端。いくらでも付加条件を言ってください。自動で書き留めて、契約文章化しますので」
「ホント! 本当になにを語ってもオーケー?」
「ええ、構いませんよ」
「よっしゃー!」
その台詞で、次郎の疑念は吹き飛んでしまった。
ちなみに、“しっぽ”について納得したのではなくて、単純に関心を別のほうに誘導されただけ。ことわざに“三歩で忘れる鶏頭”というものがあるが、それがまさに彼の本質なのだ。
天使はフフッとほくそ笑む。
相手の気を逸らすのに成功して、自分への疑いを霧散させた。
あとは、こちらの思惑通りに事を進めるだけだ。
「いちおう契約書記載の方法について説明しますね」
【契約書作成】魔法は、発言者の言葉を文章化するもの。
正確には、契約者甲(次郎)と乙(天使)による口述筆記であり、特徴は文章体裁が契約書形式になること。
さっそく、次郎は希望条件を口にした。
同時に、羽ペンが動いて、さらさらと文字化していく。
文章は口語体ではなく、きちんとした契約書に適したものに変更されているのが、魔法の不思議さというか便利な点だ。
ちなみに用紙に記載された内容は次の通り。
『第八条:主人公特性により、常時パッシブスキル【モテ補正】が発動されること』
でも、彼は異を唱える。
「あ~、だめだめ。常時発動はリスクがあるからダメ。
任意発動型に変えてほしい。ついでに“ハーレム構成員は最大12人、種族は重複禁止”の項目を追加で」
「な、なんと細かい設定!」
天使は思わず後ずさりする。
こうも細部にこだわって、注文があるとは予想もしていなかったのだ。
だが、驚くのはまだ早い。
次郎は、怒涛の如く要件指定をはじめた。
鬼気迫る口述速度に合わせるように、羽ペンはクルクルと空中を踊る。
『第三十一条:転移直後の衣装は黒ローブとする。素材は暗黒龍の表皮で対魔法対物理防御機能付き。なお、使用者の意思によって布面積を調節可能』
『第六十四条:冒険者ギルドでの初期登録は無条件で最上位ランクを指定。また、不良冒険者たちに絡まれてしまう新人演出あり』
『第百四十七条:飯テロスキル【調理聖師】を初期装備とする。料理界の伝説級の性能である。本スキルで調理された品を食した者は、完全魅了されてしまう』
「えっ? えっ?」
彼女は、眼前の光景に唖然としていた。
普通の人間ならば、この手の契約書の分量はせいぜい五~六ページで収まる程度。
だが、彼が希望する条件数は桁が違った。
しかも口述スピードが早すぎて、止めに入るタイミングがないのだ。
三時間後。
ふたりの周りに浮かぶのは大量の記録紙。
一枚ずつバラバラに浮遊しているのだけれど、全部で数百枚ともなると、もう圧巻の眺めだ。
魔法の羽ペンも、こころなしか草臥れている。
召喚されたときはツヤツヤしていた羽根部分が、いまでは黒ずんでいるくらいだ。
次郎も両肩で息をして苦しそう。
でも、その表情は満足気で、いかにも仕事をやりきったかんじ。
「異世界転移の夢を語るって、こんなにも楽しいとは! いや~、堪能した」
「ほ、ほんとうに終わりました? じゃあ、コレ確認してくださいね」
「りょうか~い。なになに……」
彼は、フヨフヨと寄って来たペーパーをつかむ。
それは契約書の最初の一ページ目で、次の内容が記載されていた。
<契約書>
鈴木次郎(以下、「甲」という。)と天使マカロニ(以下、「乙」という。)とは、甲の【異世界転移に関する業務】について、下記の通り契約を締結する。
「へぇ、君は『マカロニ』っていうんだ」
「美味しそうだし、わたしにピッタリでしょう。
ちなみに、妹の名前は『グラタン』でして。神界魔界において『マカロニ&グラタン』の姉妹はとっても有名でしてよ」
「ふ~ん、そうなんだ」
彼は首をひねりながら先を読んだ。
『第1条:甲は乙に異世界転移に関する業務(以下「本件業務」という)を委託し、乙はこれを受託し、本件業務の目的を理解して誠実に業務を遂行する』
『第2条:契約は、宇宙世紀〇〇七九年十二月三十二日をもって実行。甲の異世界転移完了をもって契約終了とする』
「ち、ちょっと“宇宙世紀”ってどういうこと? まさか、本当に一年間戦争が始まるとか、例の赤いヤツが三倍速で飛んでくる世界かな」
「ノリですよ、ノリ! この異次元空間は地球世界の時間軸とは無関係ですから。絶対基準がなくって、表現のしようがないんですよ。
実際、あなたの体感時間で三時間以上も条件設定をしていますが、地球基準では一秒たちとも経過していません」
「えー。じゃあ、契約書にサインすれば、すぐ発動ってことで?」
「その認識で合っています」
「わかった。他のも見てみるわ~」
彼は、適当に用紙一枚を手に取った。
『第百二十八条:転移先世界を選択する際、猫耳族がいることを必須条件とする』
「うん、こいつは基本だな。ありがちな設定だけど、絶対に外せない」
『第三百八十六条:状況によっては、異世界転移とならないケースがある』
「ん? 転移じゃない可能性もあるってこと?」
「いやいや、これは予防措置条項ですから。いちおう民間製品や医療機関なんかの契約にもある、普通の条文ですよ」
『第四百二十一条:天候が荒れた場合は業務執行を延期する。その場合は、再抽選は不可とする』
「再抽選なし!? 台風来たらどうすんのさ。ずっと待機ってこと?」
「安心してください。あなたは晴れ男体質です……、たぶん。だから、きっと大丈夫ですよ」
『第八百六十九条:本契約に関する疑義が生じた場合、両当事者は誠実に協議を行う。ただし、協議がまとまらないときは、最終的に“殴り合い”で決める。
なお、武器、魔法などの使用を許可する。決着は相手が負けを認めるか、あるいは死亡することとする』
「なんじゃ、これ!? 現代契約じゃなくてバトル漫画の決闘条項じゃん」
「実際問題、この方法しかないんですよ。
そもそも、異世界関連の契約書を地球の裁判所に提出できませんからね。普通の人間に見せたとして、本気で扱ってくれませんよ。
だから、もめごとの最終決着には、“力”がいちばん手っ取り早いんです」
「えぇ~、なんかすごく野蛮。天界って、もっと平和的だとおもって……」
不意に、地響きがした。
巨大な質量が地面に激突して、その振動が伝わってくる感じ。
しかも、単発ではなくて、連続で発生しているのが不気味だ。
音の発生源は、かなり遠い。ただし、気になるのは、それが徐々に近づいてくること。
天使マカロニが慌てて言う。
「いけませ~ん! クソ上司……いえ、神サマがやってきます」
彼女が指さした先。
巨大な人型の光があった。
雲の向こう側に本体があるので、詳細な姿形は不明だけれど、強烈な輝きを放っていることは推測できてしまう。もし、ダイレクトに見たら、失明する恐れがあるほどの光量。
しかも、ゴロゴロと雷音もするから不気味であった。
雲間から稲妻がはしって、そのたびに空間全体が真っ白になってしまう。荒れ狂う嵐とともに、圧倒的な存在がやってくるのだ。
「本気でマズいです。神サマに発見されないうちに転移しないと、今回の約束はおジャンです! わたしのキャリアもおジャンです!」
「いや、ちょっと待って! 契約書は未完成だぞ。条件の見直しとか……」
「いま、どれだけ切羽詰まった状況かわかっていますか? このままじゃ、あなたは異世界転移できず、死亡確定ですよ!
いいですか、よく聞きなさい。
契約発効機能の体裁は整っています。そもそも異世界転移契約は、“当事者の意思”と“署名”さえあれば、履行できるの」
「そ、そんな……、まだ付け加えたい条項があって。たとえばさ、モフモフ族の出会い保証とか……!」
「ウダウダと往生際が悪い。早くサインしやがれ!」
次郎は、マカロニに羽ペンを強引に握らさた。
しばらくのあいだ、躊躇っていたのだけれど、恐ろしげな巨大神サマはどんどんと近づいてくるのだ。
最後は諦めのため息をついて、署名欄に自分の名前を書く。
書いてしまった……。
「これでいいんだろ、これで! クソッ、本当はもっと条件を追加したかった……ヒッ!」
急に地面が消えた。
床面がパカッと割れ、彼はいきなり落下する。
穴は相当に深くて、ヒエェ~と叫び声がするけれど、その音はすぐに消滅してしまった。
天使は手を振って見送った。
「お達者で~。転移ガチャ、お楽しみいただきありがとうございました。またのご来店をお待ちしておりま~す。まあ、次はないけどね、ウフッ」
光の巨神が近づいてきた。
大地を踏みしめる音量は、さらに大きくなる。
肚にズシンと響く雷鳴と、不規則に輝く稲妻は、さらなる威圧感を伴って接近してくるのだ。
雲の切れ間から、ついに姿を現す。
――それは、軽トラック。
けっこうガタがきている車体で、排気ガスのにおいがひどい。
ドアには、【全国すいか農民連盟・魔界第五支部】と塗装の剥げかけた文字。 荷台には、巨大なスピーカーとプロジェクターが載っている。
発電機も載っているのだけれど、燃料の質が悪いのか、あるいは機械自体が不調なのか、モクモクと黒煙を吐き出していた。
「おねーさまー。待たせましたか?」
ちびっ子悪魔が運転席から出してきた。
身長百三十センチほどの女児だ。
背には黒い小さな羽根、お尻から尖った尻尾、頭にはクルンと曲がった角と、いかにも典型的悪魔といった姿である。
ただ、身体が小柄なこともあって、全体的に可愛らしい雰囲気のほうが強い。
マカロニは、片手をあげて応える。
彼女は、ホント疲れたよと言いながら、変身を解いた。
天使の輪が、グニャリと変形して二本角へと。
背中の光り輝く白翼は、ざらついた爬虫類型の悪魔羽根に変わった。
腰に隠れていた、しっぽもシュルッと伸びてくる。
「グッドタイミングだよ、グラタン。今回の野郎はしつこかったからね。どこかで強制終了させなきゃ、延々と条件設定につきあうハメになっていただろうね」
「よかったです~。お仕事のお役に立ててうれしいですよ」
「ありがとうよ。今回対象者は楽だったね。注意散漫で、書類の確認もいい加減だったし。別の意味で参ったけれど、まあ、済んだことだし良しとしよう」
「アレは、テンプレ爆走型の転移転生厨二病ですね!」
「ああ、最近多いよな。人生リセットってノリで気軽に行く奴。業務提供する側としちゃ、見込み客は大勢いるからイイんだけどさ」
マカロニが1枚の契約書を手に取った。
『第千十一条:
(1)甲を異世界転移させる本件業務については無償とする。
(2)ただし、転移にともない付随するスキル、環境設定、その他のオプション・サービスについては、その難易度に応じた費用が発生する。
(3)上記(2)に関わる諸費用は、甲が負担し、即日、現金で支払うものとする。
(4)甲が費用を期日内に支払えない場合は、分割払いとするが、その年率は百二十パーセントとする。
(5)なお、乙は、甲が費用支払いできないと判断した場合、事前通告なしに、すべてのオプション・サービスを回収できる』
「わたしは、嘘なんかついてないよ。ちゃんと、無料で異世界に転移させてあげたんだ。オプションの費用負担についちゃ、確認しないアンタが悪いんだよ」
「おねーさま、最高です!」
妹悪魔も、書類の一枚を掴んでいた。
それに記載されていたのは……。
『第千三十三条:甲が死亡した場合、その魂は、乙のモノとなる』
「どう転んでも、魂はゲットです! 今回のヤツは“霜降り系”なので、むっちゃ嬉しいです。情熱と妄想が良質な脂肪みたいで、ゴハンを何杯でもいけるですよ」
「そいつは良かったな。でも、グラタン。
次は、お前がメインで仕事をやるんだ。
きっちりと契約書はつくるけれど、肝心な部分は見せないように立ち回るようにしな。
わかったかい?」
「はい、おねーさまー!」