中身は誰だ?マロン目線
美容院は苦手だ。
たくさんの犬の匂い、人間の匂い、刃物の金属音、ドライヤーの風。
でもヨシオはどうしても、と言ってわたしを連れていった。
リリ子さんの家に行くためだってわかっていたから、わたしも我慢した。
耳の後ろを整えられているとき、ヨシオについていたタマの匂いを思い出した。
あの猫は、犬でもなく人でもない。何か違う。
体の奥のどこかが、そう言っている。
でもいい。
わたしは犬だから、細かいことは言わない。
「きれいになったな」とヨシオが言う。首に新しいリボンを巻かれた。
鏡に映るわたしは、少し前の自分とちがって、光って見えた。
家に帰らず、わたしたちはリリ子さんの家に向かった。
ヨシオは少し緊張している。わたしはもっと緊張していた。
タマを見るのだ緊張して当たり前だ。この星にいないものの匂いを持つ猫。
玄関の前でヨシオがリードを引き締めた。わたしはじっと座って、ドアが開くのを待っていた。
「まぁ、マロンちゃん。お利口さんねぇ」
リリ子さんの声はやわらかい。ヨシオが付けてくるこの人の匂いは、昔の土と花と、泣きそうな匂いが混ざっていたが、今日は泣きそうな匂いは少なかった。
わたしは小さく尻尾を振って、家に上がった。
リビングにはタマがいた。寝椅子の上で背を伸ばして、青い目でわたしを見た。
「お前か」とでも言いたそうな目。わたしのことは話で聞いているはずだ。
そう、そのマロンだ。
わたしも「お前か」と言いたい気持ちを隠して、尻尾を一度だけ振った。
近寄ると、タマは立ち上がって前足を揃えた。犬同士ならすぐに尻尾を嗅ぐ。
でも猫だから、わたしは鼻先を近づける。
こいつが、猫らしいことを知っているかどうか、わからないが、ヨシオのところのマロンとしての行動だ。
タマの体からは、猫の匂いと、猫ではないものの匂いが入り混じっていた。
やっぱり、どこか別の場所から来たんだな。
わたしはそのことを何も言わない。匂いを確認して、鼻先をぺろりと舐めてみせた。
タマは一瞬、目を見開いたが、すぐに細めた。
何も言わないのがわかったのだろう。まぁ、訴えた所で理解して貰えないだろうが・・・
「まぁまぁ、仲がいいのねぇ」
リリ子さんが笑う。ヨシオは後ろで息を吐いている。
リリ子さんが何かを持ってきた。
銀色に光る!ボールだぁ!!
「これをどうぞ。さあ、これで遊びなさい」
床に転がされた丸いボール。わたしはちょっと遠慮した。
タマが先に飛びついた! 負けるもんか!!
くるりと転がる銀色の光。わたしが前足でちょんと押すと、カラランと廊下まで転がっていく。
タマはそれを追いかけて、爪を立てて止めた。
わたしも横からくわえて持ち上げる。
タマはしっぽをぱたぱたと揺らしている。随分、猫らしいじゃないか!
それに、こいつ相当やる。
生き物じゃないものを追いかける時間は、体の奥の、野生の芯をほどいてくれる。
気がつけば、何度も部屋を行ったり来たりしていた。
リリ子さんの笑い声が後ろから聞こえる。ヨシオの匂いは少し呆れたように揺れていた。
わたしは楽しかった。タマが何者でも、そんなことはどうでもよかった。
この時だけは、タマは猫だった。
わたしは犬で、ただの犬だった。
ボールを追いかけていると、急に疲れがきた。
息が荒くなり、舌が少し出た。
タマも同じらしく、銀色のボールを転がす前足が止まった。
わたしはごろんと横になった。冷たい床が背中に気持ちいい。
タマがこちらを見ている。
お前は豪華寝椅子に行けよ!どうせ、寝椅子に戻るだろうと思っていた。
でもタマは小さく鳴いて、わたしの背中にちょんと前足を乗せた。
重たくはないけれど、ずしりとした感触。
背中の上に、ふわふわの塊が乗ってくる。
小さな肉球が背中を踏むたびに、くすぐったくてたまらない。
わたしは目を閉じた。
こうやって一緒に寝ているとこのタマのことを身近に感じる。
こいつは得体の知れないやつだが、いいやつだ。
「まぁまぁ、可愛いわねぇ」
リリ子さんの声が遠くなる。
シャッターの音がカシャ、カシャと続く。その度に意識が少し戻るが、また遠くなる。
タマの体温と重みが心地いい。
犬と猫。リリ子さんとヨシオ。
同じ部屋にいて、満ち足りている。
ヨシオの声が聞こえる。
「なんてことだ」と小さくつぶやいている。
あの人も、何か感じているはずだ。だが、人間は鈍いから・・・
わたしは小さく息をついた。タマの重みが増した。
この家の匂いは、ずっと泣いていた匂いじゃなくなった。
泣き声の代わりに、写真の音が増えている。
それだけでいい。
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