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終話 当然の帰結

「――バルテール伯の使者がお見えです」


 執事のランセル・レデラーからの報告に、ラニアは耳を疑った。


「バルテール伯? ……ってコンラートの事?」

「御意です」


 ランセルも困惑しているようである。

 

「何の用かしら」

「さあ。ラニア様に直接お会いしてお伝えすると聞きませんので」

「……そう。じゃあ、直接聞くしかないのね」

「御意」

「ならば通して」


 ラニアの指示を受けてランセルは改めて恭しく頭を下げ、ラニアの執務室から下がっていった。

 今更コンラートが自分に何の用だろうか。確かに聞くところによるとバルテール家の財政問題はいよいよ深刻になり、半年ほど前に家督を相続したコンラートは開き直ったように返済期限の過ぎた債務を踏み倒しデフォルトているという。目下、この事実はバルテール家の権威や威信で揉み消しているが、商人界隈では「バルテール家には貸すな」「既に貸した金は返ってくると思うな。諦めろ」という教訓が囁かれているほどである。

 あるいは誰からも融資してもらえず、当座の資金繰りに困った挙句、自分に助けを求めに来たのかもしれない。

 だとしたら厚かましい事この上ない話だと、ラニアは思った。

 やがてランセル・レデラーに連れられて、コンラートの使者だという男がやってきた。年齢的にはコンラートと大差はなく、二十歳ぐらいであろうと思われた。ラニアはその顔に多少見覚えがあった。バルテール家に輿入れした日、コンラートに近侍していた少年の顔によく似ていたからだ。


「私はバルテール伯爵コンラート卿の従士ハーラル・ミュラーと申します。此度はわが主バルテール伯の代理として参りました」


 ハーラル・ミュラーと名乗る青年は、改まったように頭を下げた。


「そう。で、コンラート……いえ、伯爵様の御使者が今日は何の用でしょうか?」

「はっ。それについては、ここに仔細が」


 そう言いながら、ハーラルは懐から一枚の書状を取り出し、ラニアの傍らに控えていたランセルに手渡した。ランセルはそれをそのままラニアに差し出す。

 ラニアは封筒に入れられたそれを開き、中身を取り出すと、その文面の上に視線を走らせた。やがて彼女の顔色は固まり、次第に呆れの色を濃くして、遂には失笑し出すに至った。


「……これ、冗談ではないのよね」


 ラニアの問いに、ハーラルは何とも複雑な表情を浮かべつつも、


「ええ、冗談などではございません」


 と真面目くさった顔を取り繕いながら答えた。


「だとしたらなかなか笑えないわ」

「いかがなさいましたか?」


 不思議そうに問うランセルに対し、ラニアは特に何も答えず、代わりに手に持つ書面を下げ渡した。ランセルもその上に視線を走らせ、全て読み終えた頃にはラニアと同じような顔になっていた。


「よりを戻してほしいという事ですか」

「そうらしいわ」


 二人揃って呆れ切っている。

 いや、この場にいるもう一人の男とて例外ではなかった。

 主の事とはいえ、かつて一方的に振った女に復縁を迫る図々しさに呆れずにはいられなかったのだ。これがかつて失われた恋慕が再燃したとかであればまだ救いもあると言うか、辛うじて納得も出来なくもない――それとてどの口が言うという話ではあるが――が、そういうわけではない。深刻を極める財政難を抜本的に立て直すには、大資産家のレイド家と結びつくしかないという打算が主たる動機なのである。その証拠に、コンラートはレイナとの関係を清算するつもりはなく、彼女は引き続き愛人として身辺に置いたうえでラニアには正室の座だけ与えると言う。


「与えるという言い草が何とも伯爵様らしいというか」


 ランセルは嘆息交じりに言う。


「バルテール家の正室の座にはそれほどの価値があると思い込んでいるのでしょう。彼らしいわね」

「膨大な債務さえなければ、まあ」

「そうね。あんな家の正室になんかなったら、父上が築いた資産の大半が返済で失われてしまうわ。それにあんな奴が私の夫になったら、残った財産も全部食いつぶされてしまうでしょうね」

「御意」


 ラニアもランセルも物言いに少しの遠慮もない。

 目の前にいる伯爵の従士たるハーラルもそれを咎めたりはしなかった。彼も心の中ではその通りだと思っているのだ。


「にしても、コンラートってば本当に人を苛立たせるのがうまいわね。私の侍女に手を出して私を切り捨てたくせに、今更復縁を迫って、でもレイナとの関係はそのままって。あの男の中で私ってばどんな存在なのかしら」

「確かに」

「度し難いのは、こんな大事な話を使者に言わせている事よ。せめて自分から言いに来るなら、多少は救いもあるのに」

「……ハハハ」


 ランセルとしては笑うしかないところだった。

 笑う事すらできないのは、ハーラルである。

 そのハーラルを、ラニアはじっと凝視している。


「いっそ、貴方と結婚しようかしらね」


 ラニアは唐突にそんな事を言った。


「「は?」」


 困惑の声が重なる。

 ランセルとハーラルは互いに異なる顔の上に似たような間の抜けた表情を浮かべていた。


「だって、あいつは私の侍女に手を出したのよ。だったらあいつの従士に私が手を出してもいいじゃない」

「そ、それは……」

「どうせ男なんてロクなもんじゃないし、特に貴族の貴公子なんて最悪よ。だったら貴方ぐらいの存在が私の夫に相応しいかもしれないわ」


 冗談とも本気ともつかない顔と声でラニアはそんな事を言う。

 ランセルの方は、まあラニアがそういう性格だという事をある程度把握しているので、しばしの困惑の後に正気に戻り、後はひたすら苦笑しているが、ハーラルの方はそういうわけにもいかない。彼女の言葉が嘘なのか冗談なのか本気なのか全く見当もつかず、万が一本気だった場合の自分の立場や主君が示すであろう反応など、あれこれ考えているうちに困惑は深まり、ねじ切れて、頭自体が爆発してしまうに至った。


「ハハハ。冗談よ」


 ラニアは膝を叩いて、カラカラと笑った。


「ラニア様。悪ふざけが過ぎますぞ」


 ランセルが咎めると、ラニアは「ごめんなさい」と軽く頭を下げる。


「でも、これぐらいの悪ふざけは許されても良くないかしら。私はそれぐらいの仕打ちは受けていると思うけど。貴方には悪いけど、これもコンラートの使者となってしまった己の不運を嘆く事ね」

「……は、はぁ」


 ハーラルは呆気にとられたようにその場に固まっている。

 ともかくも冗談だと分かってホッとしているようでもあり、あるいは冗談に過ぎないと分かってがっかりしているようにも見える。


「あら、少し本気にしたりした?」


 それを目敏く見抜いたラニアに指摘され、ハーラルは我に返り、「い、いえっ」と慌てて否定に走った。


「フフ、可愛いわね。でもまあ、貴方がその気なら、私の従士にしてあげてもよくってよ。どうせコンラートの下じゃ、ろくな給金も貰えていないでしょう。今の倍は払ってあげるから、私に仕える気はない?」

「……え、あ、いや」


 再び困惑の底に落ちるハーラルを、ラニアは愉快そうに見つめている。その姿はほとんど小悪魔であり、純真無垢を絵に描いたようなハーラル青年は全く歯が立たず、まさしくタジタジであった。


「あ、あの」


 そのハーラルは何とか困惑を収拾すると、振り絞るように声を発した。


「その、倍では、何も変わりませんので」

「え……」


 その言葉の意味を測りかねて、ラニアは思わず問い返そうとした。


「それは給金自体が貰えていなかったと言う事か?」


 代わりに問うたのはランセルの方だった。ハーラルは小さく首肯する。給金無しであれば、確かに倍にしようが三倍にしようが無しの事実に変わらない。


「……呆れた。タダでこき使ってたってわけ」


 ラニアは嘆息する。商人だけにタダだの無償という単語には敏感に反応してしまうのだ。商品には正当な売価がつき、労働には正当な賃金がつく。明朗会計、公明正大こそが商売の基本中の基本である。それを無視して、奴隷の如くタダでこき使うとは……。ラニアは改めてコンラートの事を許し難く思った。


「わかった。じゃあ、相場の倍の賃金を払ってあげる」

「そ、相場の倍」

「ええ、今だと月額の平均給与は二十万タレントぐらいかしらね。だから四十万は払ってあげるわよ」

「よ、四十万……」


 それがいかほどの価値であるのか、庶民上がりのハーラルはよく知っている。

 

「もちろん、住み込みで働いてくれるなら、別に家賃とか食費をとるつもりはないわ。ただ、食事については私の好みに合わせてもらうし、住む部屋についても余り贅沢を言われても困るけどね」

「……あ、いえ」

「いっそ、私の部屋で一緒に住んでもいいけどね」


 そう言って、ラニアはクスクスと笑った。小悪魔の虫が再び首を擡げてきたようであった。

 ハーラルはしばらく黙り込んでいたが、やがて「わかりました」とはっきりした口調で答えた。


「このハーラル・ミュラー。本日よりこの身が潰えるまで、ラニア様にお仕えいたします」


 大仰に服従の姿勢をとるハーラルに対して、ラニアとランセルは揃いも揃って「ハハハ」と高笑いした。別にレイド家は貴族でも何でもない。堅苦しい誓いは無用だと言うと、


「私は騎士見習いの従士ですので」


 と、どこまでも頑固なハーラルであった。

 


 ◆◇◆◇



 半年後、ラニア・レイドは父アロイスから家督を相続し、正式にレイド財閥の会長となった。更に半年、一年と過ぎても、ラニアは結婚をしていない。だが巷では、四六時中近侍している従士を愛人にしているという噂が実しやかに囁かれていた。

 ラニアが会長の座を受け継いで以降も、レイド財閥は堅調な成長を続けている。会長の座を譲りながらもなお意気軒高なアロイスは財界活動に身を投じ、更に貴族家を継いでいた息子スヴェンの協力もあって国王の財政顧問となり、王国を蝕む財政問題の解決に貢献した事などから、レイド家は改めて男爵に叙せられて正式に貴族成りを果たす事になった。



 かくのごとく順風満帆を極めるラニアに対し、今を時めくラニア・フォン・レイド男爵夫人を“振った男”にして、その“婚約破棄を破棄しようとした男”として知られるコンラート・フォン・バルテール伯爵は、度重なる債務不履行が遂に国王の耳に届き、王国経済を揺るがす不逞の輩として断罪され、爵位没収のうえで投獄される事になった。

 ラニアが栄華を極める一方で、コンラートは今やすべてを失った。

 名誉も権威も、愛する人すらも。

 彼がラニアを捨ててまで選んだレイナは、コンラートの没落と共に実家に帰ってしまったのだ。だがそのレイナも、主人の夫を寝取った女としての噂が広まるにつれて実家にもいられなくなり、各地を転々とするうちに娼婦に身を落とし、まもなく誰の種とも知れぬ子を孕んだ末に死んでしまったという。

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