第8話 貴女は決して悪くない
「何と――
ラオベンの新たな婚約者になったはずの彼女が、何故こんなことに?」
教会に駆け込んできたフェアリーナを前にして、リーベルも驚きを隠せなかった。
今は薬を処方され痛みも治まったのか、昏々と眠っている彼女。どうやらろくに眠ってもいなかったようで、目の下のクマが痛々しい。
クレオもそんなフェアリーナを前に、深いため息を漏らしてしまった。
「お医者様の見立てでは、お腹に腫物が出来ているようです。大きな手術をしなければ、完治は難しいだろうと。
恐らくあまりに過酷な環境下で心を病み、それが身体にも影響を及ぼしたのだろうと……
信じられません。あれほど可憐で活発だった彼女が、こんな姿になってしまうなんて」
枕元でフェアリーナを見守りながら、クレオはぐっと唇を噛む。
「それでもラオベン様は、彼女を働かせ続けたのでしょう……
どんなに身体を痛めても、かすり傷だ仮病だと断じ、聞く耳を持たないのがラオベン様でした。
毎日毎日家事に屋敷の管理、領地の見回りまでやらされ消耗していたのは、私も同じだった。
同じように全てを奪われ、フェアリーナは耐え切れずに逃げ出し、この教会にたどりついたのだと思います」
「なんという……
医術を志す者とは思えん!!」
リーベルも最早怒りを隠さない。
「正直、フェアリーナ嬢に関しては良い印象はなかった。
君からぬけぬけと婚約者を奪い、ラオベンと共に君に恥をかかせた。その罪は許しがたく、何らかの罰を受けるべきだとも思っていたよ。
だがこれは……あまりにも……!」
そんな彼の隣で、静かに癒しの歌を歌い始めるクレオ。
自分に出来ることは、これぐらいしかない。そんなクレオの想いが、歌からもあふれ出てくる。
やがてその歌に反応したのか、フェアリーナがゆっくりと目を覚ました。
「クレオ……貴女だったの? 私を助けてくれたのは」
「あぁ、フェアリーナ!
ごめんなさい。私のせいで、貴女をこんな酷い目に!!」
思わず感極まって、フェアリーナに抱きつくクレオ。
そんなクレオに、彼女はそっと呟いた。
「ずっと、お母さまの夢を見ていた。
……いつも美しいドレスを着ていた、憧れのお母さまを」
痛々しく目を見開きながら、フェアリーナはそれでもクレオに語り始めた。
ラオベンとの出来事を。
「私ね……酷い悪夢を見てしまって、思わず逃げ出してきたの。あの屋敷から。
だけど、久しぶりに優しい夢を見た気がする。貴女の歌のおかげだったのね」
***
それから数日。
教会での療養により、フェアリーナは少しずつ以前の元気を取り戻していた。
勿論クレオもリーベルも彼女に寄り添い、暇さえあればクレオは彼女に歌い続けていた。
「クレオ。貴女の歌は本当に良いものね……
評判になるのも分かるわ。まだ腫れものは治っていないけれど、すっかり元気になれた気がするもの」
クレオの歌を聞き終えて、憑き物が落ちたかのように微笑むフェアリーナ。
それでもクレオは首を振る。
「フェアリーナをここまで追い込んだのは、私のせいなの。
フェアリーナならきっと大丈夫。快活な貴女なら、ラオベン様と一緒に、きっと幸せになれるはずって……
そう思い込んで、逃げ出したも同然だから」
「そんなことない。そもそも貴女からラオベン様を奪ったのは私。
これは当然の報いなのよ」
謝りあう二人に、堂々と声をかけるリーベル。
「二人とも、違うな。
自分に言わせれば、悪いのはラオベン以外の誰でもない」
フェアリーナの頬には、少しだけ生気が戻り始めていた。
リーベルの言葉に苦笑しつつも、彼女はぽつりぽつりと話し始める。
「ラオベン様ってば、最近クレオの評判を聞いて――
貴女への態度をすっかり変えてしまった。
貴女の歌が民衆のみならず、多くの貴族や聖職者にまで大人気だと聞いてね。
あの人、いつも言ってる。クレオこそが真実の愛の人だったって……
何で出ていったのか分からないとまで言っていたわよ」
「な……」
この言葉に、さすがのクレオも怒りと驚きを隠せない。当然リーベルも。
「何と勝手な。
私が聞かされた言葉とは真逆です。あれだけ私の歌を嫌って、書きあげた詩を破るのは勿論、私に焼かせたことさえあったものを……!!」
「衆人の目前で婚約破棄を言い渡し、クレオ嬢に生涯の恥をかかせた分際で……!
自らの言葉と行動に責任を持つは、貴族として人の上に立つ者の責務。
一度決めた重大な約束を簡単に破棄した上、真実の愛などという綺麗ごとをちらつかせて弱者を脅し、あまつさえクレオ嬢とよりを戻そうなどと、腐っているにもほどがある!!」
フェアリーナは自嘲するように笑う。
その瞳にはうっすらと涙さえ浮かんでいた。
「真実の愛……か。
どうして私、ラオベン様を信じてしまったんだろう。
婚約者であるクレオをたやすく切り捨てておきながら、あの人は真実の愛をいとも簡単に誓った。
あの人にとっては愛なんて、私をつり上げる為のものでしかなかったのに」
「愛という言葉の元に、あの人は貴女を脅したのでしょう?
彼はいつも言っていた。僕を愛しているなら、人生の全てを自分に捧げて当然と――」
クレオはそう言って、彼女の手を優しく握りしめた。
フェアリーナの枕元に、涙が流れ落ちる。
「クレオ。私の実家も困窮していて、あの人の容姿とお金と才能につられたの。
ラオベン様を手に入れて将来安泰になる為なら、どんな美辞麗句も言った。貴女からあの人を奪ってでも、幸せになりたかった。
その為なら真実の愛を誓い、自分の何もかもをあの人に捧げるとまで言って――
結局私もあの人も、お互い様。お似合いの夫婦ってことよ」
だがクレオはその言葉にきっぱりと、首を横に振った。
「フェアリーナが私にしたことは本来、許せるものではない。
だけどその罰を今、貴女は過剰なほど受けている。貴女とラオベン様が同じなんてことはない、貴女だって被害者なの。
私は婚約を破棄され、自由な日々を過ごして――
初めて自分が、いかに虐げられていたかが分かった。ラオベン様がいかに歪んだ人間であるかを。
あの屋敷で常にあの人が荒れている状態では、何も分からない。悪いのは無能な自分だと思わされてしまう」
そんなクレオの言葉に、思わず顔をくしゃくしゃにして呻いてしまうフェアリーナ。
「悪いのは……私じゃ、ない……?」
「そう。だから……
フェアリーナ。勇気をもって、逃げ出して。ラオベン様の元から。
貴女は昔から、泣き虫の私をいつも励ましてくれていた。活発で勝気で、私の憧れだった。
私だって逃げられたんだから、貴女だってできるはず」
「う……うぅ、う……!!」
心からのクレオの言葉に、遂にフェアリーナは毛布を被りながら号泣を始めてしまう。
そんな二人をじっと見据えていたリーベルだったが、やがて彼はフェアリーナに、そっと一枚の石板を手渡した。
「フェアリーナ嬢。念の為だが、これはお守りだ。
クレオ嬢の歌を蘇音術で封じ込めた石板だよ。私と彼女からの信頼の証として、受け取ってくれると嬉しい」
「ありがとう。ありがとう……」
二人の優しさに、もう涙が止まらないフェアリーナ。
しかし――その時。
病室のすぐ外から、乱暴に何かが投げられるような音が響いた。
シスターの悲鳴。
「いけません!
彼女はまだ絶対安静の身体です。無理矢理連れ出そうなんて、命に関わりますよ!」
そして、同時に響いた男の声は――
「何を馬鹿なことを言ってる、あんなのタダの仮病だよ。
フェアリーナのことは僕が一番良く知ってる。あいつは家事をさぼりたいが為に、病気のふりをしてるんだ。とんでもない女だ!」




