第5話 フェアリーナ、絶望する
ラオベンの屋敷に迎え入れられ、2か月。
たったそれだけで、フェアリーナはすっかり変わってしまった。
手入れを欠かさなかった肌は荒れ放題でガサガサ、身なりは着古されたメイド服しか許されずボロボロのまま。満足に食事も睡眠もとれない状況で過酷な労働を強いられ、ガリガリに痩せこけていた。
実家であるヴォワチュール家から持ち出した多くのドレスや装飾品さえ、ラオベンには趣味が悪いみっともない無駄だ!などと散々に言われ次々と奪われた上、容赦なく売り払われた。
理由は勿論、将来この屋敷を豪勢な治療院とする為の資金である。王に認められる医術士になる為には、まず膨大な資金が必要というのがラオベンの主張だった。
色とりどりのドレスや宝石に囲まれる夢は儚く消え、今や絶望だけがフェアリーナの前に横たわっている。
「それでも……
ラオベン様が、立派なお医者様になれば、きっと……心を入れ替えていただけるはず」
物置にも似た狭苦しい自室で、フェアリーナはベッドの下からチェストを引き出した。
幼い頃からずっと大事にしていた、薔薇の印が描かれた木製のチェスト。その中に入っているのは亡き母から貰った、派手ではないが優美で格調高い水色のドレス。
それだけが今や、フェアリーナの心の支えであった。
しかし。
「……な、ない!?
お母様からいただいたドレスが!」
チェストは完全に空っぽ。ドレスと一緒に大事にしまっておいた真珠のネックレスや、大輪の薔薇をあしらった銀の指輪さえも消えている。
慌ててラオベンの部屋に向かったフェアリーナだったが――
彼は当然のように、こう答えるだけだった。
「あぁ。あの悪趣味極まりないゴテゴテドレスなら、売ったよ」
「え……?」
「あんなもの、売った方が少しは金になるだろう?
それとも、雑巾にした方が良かったかい?」
茫然と突っ立っていることしか出来ないフェアリーナ。
そんな彼女にも、ラオベンは容赦なかった。
「そんなことよりさ。今日も居間に髪の毛が落ちてたよ!
掃除ぐらいちゃんとやってもらわなきゃ困るよ。君には将来、治療院の掃除に術具の管理、院の受付も全部やってもらわなきゃいけないんだから」
とんでもないことを言い出したラオベン。
何を言われたか理解できず、フェアリーナは慌てて抗弁する。
「えっ!?
そ、そういうものは……私には無理です!
治療院の掃除も術具の管理も、かなりの専門知識が必要なはず。その為に治癒師や衛生師などの専門職があるのでは」
「詳しくもない癖にうるさいなぁ。それぐらい、君一人だって出来るよ。
治療院を開くにはお金がかかるんだって、何度も言ってるだろ。無駄な人間を雇う余裕なんてあるわけないし、そもそもそんな職、王に認められた医術士に比べたら石ころみたいなもんだ。君にだって出来るくらいにね」
「そんな……
治癒師や衛生師の存在は、医術に携わる者にとって絶対不可欠と、王は常々仰られて」
「あんなもの、詭弁にすぎないよ。無能な奴らをやたら取り立てるからね、あの王は。
他の凡愚ならともかく、僕ぐらいの才があれば治癒師も衛生師も不要だ。まぁ、可愛い女の子だったら雇ってあげないこともないけどさ。
――協力、してくれるよね?
君は、真実の愛を、僕に捧げたんだから」
フェアリーナの心が、砕け散っていく。
それではラオベンが医者になってもなお、この苦しみは続くのか。
自由も財産も何もかも奪われ、自分の全てを否定される毎日が。
同時に何故か、腹部が酷く痛み始めた。
「あ……い、痛い……うぅっ!」
突然の痛みに、おもわず床に膝をつくフェアリーナ。
しかしラオベンは一顧だにしない。
「全く、うるさいなぁ。
僕は勉強で忙しいんだ。さっさと夕飯の準備をしてくれよ、そこにいられるだけで邪魔なんだから」
「で、でも……ラオベン様……!」
「僕に何もかも捧げてくれるんじゃなかったの?
それが出来ないなら、婚約破棄するしかないなぁ。クレオのようにさ」
そう言われたらもう、フェアリーナは黙って腹を押さえながら、すごすごと引き下がるしかなかった。
さらに響くものは、追いうちの如きラオベンの文句。
「はぁ~あ……今思えばクレオって、可愛かったよなぁ。
あの娘は君みたいに、しょっちゅう愚痴愚痴言うこともなかった。
料理も掃除もお金の計算も畑仕事も何でも出来て、領民にも好かれていたよ。時々おかしな歌を歌うことはあったけど、それさえなければ理想的な花嫁だったなぁ。
彼女こそ、真実の愛を僕に捧げてくれていたのかも?」
そんなわけがあるか。
フェアリーナは思わずギリッと歯噛みしたが、それ以上何も言えなかった。