第4話 クレオの夢と、運命の出会い
一方、ストルブルム家を追放されたクレオは――
自由な生活を満喫していた。
追放されるその瞬間まで、フェアリーナと全く同様、ラオベンに酷い生活を強いられていたクレオ。
実家の借金返済の為にラオベンと婚約したのは事実だった。それ故彼女は追放されても、実家へは戻れなかった――
いや、戻らなかった。
戻るようにとどれほど実家の親たちから急かされても、クレオは戻らなかった。
彼女は王都の裏通りにある簡素な下宿屋に住み込み、わずかな蓄えを元に生活していたのである。
何故ならば――クレオには夢があったから。
好きな詩を自由に書き、思い切り歌うという夢が。
テルラム国では、詩を書いたり歌を歌うのは平民の娯楽とされ、貴族からは蔑まれている。それ故クレオは実家にいてさえ、好きな詩を思い切り書いたり歌ったりは出来なかった。
その上事実上の政略結婚によりラオベンの元に嫁いだことで、クレオの歌はさらに散々にけなされ、辱められた。
――今、鼻歌を歌ったな! 勉強に集中できないだろ!!
――君には芸術の才能なんか何一つありゃしない。愚民の娯楽なんか諦めて、せめてもう少しちゃんと掃除をしてくれよ! 今日だって居間に髪の毛が一本落ちてたぞ!!
センスの欠片もないと言われ、せっかく書いた詩を取り上げられ、破られたことさえある。
それでもこっそり書いていたら、分からず屋には教育だ!と罵られ、自分の手で自分の書いた詩を燃やすよう脅されたことまで。
あの時の悔しさを思うと、クレオは今でも涙が出てくる。
ラオベンは元々、屋敷にそこまで多くのメイドや執事を置かず、基本的に家事雑事は全て妻の仕事と考える男だった。メイドも執事も金がかかるというのが理由である。
ただでさえ数の少ない執事たちは早朝から深夜まで馬車馬の如くこき使われ、病に倒れ辞めざるを得なかった者さえいる。メイドたちはラオベン好みの若い娘も多かったが、まともな者から逃げ出していき、器量は良いが頭の悪い者ばかりが残ってしょっちゅうラオベンの部屋に入り浸っていた。
だからクレオも、来る日も来る日も家事雑事に追われ、少しでも華美な装飾品は全て取り上げられ、楽しみも何もない生活。
それでもそんな中、詩はクレオの心を癒してくれていた。
ラオベンにどれだけ罵られても、クレオは書くことも歌うこともやめなかった。むしろ、強引に押さえつけられることによって一層好きになっていったとも言える。
そこで唐突に現れたのが、古い友人のフェアリーナだったのである。
勉強会と称した外出が急に多くなり、当然のように外泊までしてくるラオベン。彼が屋敷にフェアリーナを連れてくるまで、そう時間はかからなかった。
ストルブルム本家で大切に育てられていたたくさんの薔薇を、強引に自分の屋敷に植え替えさせてフェアリーナに自慢していた、あの時のラオベンの微笑み。
女子なら誰もがうらやむ微笑だろうが、クレオには悪魔の嘲笑にしか見えなかった。
そして訪れた、運命の婚約破棄。
クレオが自由になった日。
あの時クレオは、ほんの少しフェアリーナが心配だった。
夫となる人を奪われたとはいえ、それでも彼女は昔からの友達だ。それに今のクレオにとっては、悪魔から解放してくれた命の恩人ともいうべき存在。
自分と同じ目に遭っていないか、不安ではあったが。
――いえ、大丈夫。
お金目当てで彼と婚約した私と違って、フェアリーナは心から彼を愛しているはずだもの。
ラオベン様があそこまで私を嫌ったのは、私が彼に本当の愛を捧げられなかったから。
きっと彼女なら大丈夫。ラオベン様もそこまで荒れはしないはず。
フェアリーナとラオベン様が、真実の愛で結ばれたのならば。
そう自分に言い聞かせながら、クレオは今日も街に出た。
夕方から夜までは下宿屋で働き、日が昇ると街に出ていき、裏通りで歌を歌って僅かばかりの小銭を得る。それが今の彼女の生活だ。
下宿屋の女主人はラオベンとは比較するのも無礼なほどにクレオに優しく、彼女の事情を知るとすぐ宿を貸してくれたし、住み込みで働くことまで許可してくれた。
屋敷で地獄のようにこき使われていた経験は決して無駄ではなく、クレオの甲斐甲斐しい働きぶりはすぐに女主人に評価され、最低限の生活ができる程度は稼げるようになった。
しかし、クレオが本当にやりたい歌の方はそれほどうまくいかなかった。
人脈は勿論、優美な衣装も装飾品も持たない地味なクレオ。ただでさえ人のいない寂れた裏通りで、そんな彼女が歌を披露したところで、ろくに人は集まらない。
それでもクレオは毎日毎日、好きな歌を歌い続けた。
今日もまた、誰一人いない閑散とした小道で、彼女は歌う。
たとえ誰も通りかからなくても、晴れた空の下で自由に歌い続けられるだけで、彼女はこの上なく幸せだった。
そして、歌い続けて少々疲れた昼下がり。
逆さにして足元に置いた帽子には、全くお金は入っていなかった。
さすがに思わずため息が出てしまった、その時。
「――お嬢さん。
何故このような場所で、貴女は歌い続けている?」
ものものしい雰囲気の青年が、突然ぬっとクレオの前に現れた。
深い群青の瞳に、顎のあたりで真っすぐに切りそろえられた黒髪。
顔立ちは端正であったが目つきは鋭く、しっかり鍛えられた長身は黒マントを纏っている。胸の間からは鎖帷子らしき武装がちらちらと見えた。
そして背に負うは、身長ほどもある大剣。明らかに、騎士かそれに類する武の者であった。
大慌てでカラの帽子を掴み、逃げようとするクレオ。
「ご、ごめんなさい!
もしやこの場所は、歌唱が禁じられていたのですか? すぐに移動しますので、どうか命だけは――!!」
「えっ?
ち、違うんだ。すまん!」
背を向けようとした彼女を、慌てて引き止める青年。
振り返ったクレオと青年の視線が、間近でかちあった。
澄み切った群青の瞳を前に、クレオの頬は思わず赤くなる。近くでよく見ると、結構童顔で優しそう?
そんな彼女に、青年は堂々と名乗った。
「こんななりをしているが、私はただの通りすがりの冒険者だ。名はリーベルという。
ふらりとここへ立ち寄ったら美しい歌声が聴こえたので、無礼を承知で様子を見ていたんだよ」
クレオを安心させるように、ふっと微笑むリーベル。
「聞き惚れてしまう歌だった。不思議と森のせせらぎが浮かんでくるほどにね」
「あ、ありがとうございます。
昔はよく家族から言われておりました。お前の歌はその歌の通りの光景が浮かぶと」
クレオもほっと胸をなでおろしつつ、微笑んだ。
そんな彼女にリーベルは問う。
「貴女ほどの歌声であれば、大通りならすぐに人を集められるはず。
それなのに、何故ここで?」
「大通りは……正直、恥ずかしいのです。
あれほどの人々の前で一人で歌うのは、さすがに慣れていなくて」
「なるほど」
「一度、比較的人の少ない時間に大通りで歌ってみたのですが。
おかしな男性に声をかけられてしまって」
「それは、どういう?」
「金はやるから抱かせろなどと、そのような言葉を白昼から堂々と吐くかたでした。
恐ろしくなってしまいまして」
「なんと……確かにそれはマズイな。人が増えればそのような輩も多くなるのは必然か。
とはいえ、せっかくの才をみすみす潰してしまうのは」
しばし考え込むリーベル。
だがすぐに顔を上げ、ぽんと手を打った。
「ひとつ案がある。
私が、貴女の護衛になるというのはどうだろう?」
「えっ!?」
思わず飛び上がってしまうクレオ。
「わ、私には冒険者様にお支払いするお金など全くありません!
今でも下宿で働きながらのその日ぐらしで……」
「いや、私が是非そうしたいのだ。勿論、金は要らぬ。
貴女の歌声を常にそばで聞かせてもらえれば、報酬は十分すぎるぐらいさ」
「でも……!」
こんな言葉を男性に言われるのは初めてで、おたおたが隠せないクレオ。
しかしリーベルは彼女を見つめながら、興味深げに微笑んだ。
「それに、気になるんだ。
身なりこそ目立たないが、その立ち居振る舞い……
貴女は貴族の出であろう」
「え?
それには……色々と事情がありまして」
「良かったら、聞かせてくれないだろうか。
何か力になれるかも知れない」