1話 プロローグ
知之者不如好之者、好之者不如楽之者。
(これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)
これは論語に記された孔子の言葉である。「ある事に知識のある人であっても、その事を好む人には及ばない。またその事を好む人であっても、その事を楽しむ人には及ばない」という意味だ。なるほど、確かにそうかもしれない。
器用さと 稽古と好きの そのうちで
好きこそものの 上手なりけれ
これは安土桃山時代に茶道を確立した、千利休の言葉である。「好きこそ物の上手なれ」ということわざの原型とされている、有名な言葉だ。
歴史に名を刻んだ偉人であるこの2人は、後世を生きる人間にありがたい言葉を残して死んだ。だがその言葉と魂は生き続け、今もなお人々の思想を支えている。それはきっと彼らが偉人であるからではなく、その言葉がいつの時代でも説得力を持つような、素晴らしいものであるからだろう。
しかし、そんな時代を超えて残る名言も、俺には当てはまらない。
俺は昔から歌うのが大好きだった。特にこれといったきっかけがあるわけでもないが、気付けば歌うことが自分のアイデンティティだと感じるようになっていた。俺は将来、きっと歌手になるんだろうと、そう思い込んでいる自分がいた。
しかし、そんな俺の夢も儚く散ることになる。小学校に上がった俺は、音楽の授業が何よりも楽しみだった。クラス全員で練習した歌を歌っていた時、大きな声で歌う俺に音楽の先生は言い放った。
「あなたは下手くそなんだから、歌っちゃダメ」
あの発言の後の記憶が一切ない。だがそれも無理はない。もはや自分の一部となっていた歌を、いとも簡単に奪い去られてしまったのだから。それも、クラス全員の目の前で。
その時初めて、俺は自分が音痴であることに気がついた。それ以来、俺は歌うことが嫌いになり、自分を取り戻すのにもかなりの時間を要した。
好きこそ物の上手なれ。俺はこんな言葉を信じない。信じられるわけもないのだ。
これは音痴の俺・相馬俊平がとある理由でバンドを結成し、成功を収めようと奮闘する物語である。