第5章:乖離(23)
一つ、二つと角を曲がる。
この地下水路は、通路でさえ人が横に三人は並べるくらいの広さがあり、壁伝いに歩きさえすれば、間違えて水の中に足を突っ込む心配はない。
アウロスは指先の灯りを足元ではなく、前方の闇に向けて掲げた。
「ちょっと見ない間に、随分明るくなりましたね」
三つ目の角に差し掛かる前に――――その男はいた。
「そうでもない。悩みが多くて暗くなる一方だ」
既にこの大学の人間ではない、いる筈のない人物。
かつて、同じ場所で日常を送った人物。
「今ここは閉鎖中ですよ。良いんですか? 勝手に入って」
「他人の事言える立場か」
「それもそうですね」
それを指摘すると、相変わらず子供っぽいその顔を更に幼くする笑顔を見せる。
ただ、以前とは違い、目は全く笑っていなかった。
「お前が残した資料か何かがないかと思って探してたんだ。多少は都合の良い展開を期待してだが、まさか本人がいるとはね」
そんな眼前の男に、アウロスは特に探りを入れたりはせず、自分の事を話した。
「生物兵器に関して、ですか」
「ああ。お前の推薦してくれた相手には残念ながらフラれた。どうも文章が悪かったみたいだ」
「そうでもなかったですよ? アウロスさん、手紙だと口の悪さが出ないんですね。別人が書いたと思ってましたよ」
「余計な御世話……何だって?」
闇に隠れた男の目が、闇色のまま光る。
そして、右手を胸に当て、軽く一礼した。
「こっちの顔では初めまして、ですね。生物兵器の製作スタッフの一人、リジル=クレストロイです」
「……」
アウロスはその様子を、ただ静かにじっと見ていた。
「……反応薄くて残念です。ずっと、アウロスさんが驚愕のあまり卒倒とか失禁とかする姿を期待して過ごして来たのに」
「その悪趣味なモチベーションは一先ず置いておくとして……本当なのか?」
「はい。生物兵器は僕らが造り、世に出しました」
キッパリと言い放つ。
その言葉に淀みは欠片もなく、少なくとも嘘を吐いている人間の挙動ではない。
そして、そのままの口調でリジルは更に衝撃の事実を訴えて来た。
「実は僕、実年齢はミスト教授より上なんですよ」
「……はあ」
アウロスは生返事で反応するのが精一杯だった。
「信じられないのも無理はないですけど。こんな姿ですしね」
自嘲的な含みを持たせたリジルの言葉に、信憑性が重なる。
そもそも、リジルがこんな嘘を吐く理由を全く思いつく事が出来なかったので、アウロスに疑う気は全然なかった。
と言うより、然程関心もなかった。
「10代半ばで成長が止まったんですよ。成長障害と言う病気ですね。それ以降、同じくらいの年月をこの姿で過ごしています」
「そうだったのか」
生返事は続く。
流石にリジルはそれを無視出来ず、小さい不快感を表情に出した。
「何か、更に反応が薄くてガッカリなんですけど。折角バラした甲斐が……」
「それは一先ず置いておこう。それより聞きたい事が」
「えええっ!? そんな! 驚愕の事実ですよこれ! 僕の存在意義ってくらい!」
「良いから。俺の話を聞いてくれ」
「ヤですよ! 何ですかこの身勝手極まりない流れは! 僕、あのミスト教授より年上なんですよ!? もっと驚いて下さいよ!」
決死の咆哮。
切実な訴えだと判断し、アウロスは誠実に本音を言う事にした。
「正直、余り興味が……」
「止めて下さい! それ以上は聞きたくないです!」
しかし聞いては貰えなかった。
「ま、お前が生物兵器製作のスタッフって言うなら都合が良い。幾つか質問あるんで答えてくれ」
「……良くぬけぬけとそんな事言えますよ。最近の10代はこれだから……」
リジルは外見とはかけ離れた、中高年のボヤキを嘆息交じりに呟く。
もしラディがこの場にいれば、更に苦労していたかもしれない。
アウロスは一つ良い事をした気分になっていた。
「うるさいな。お前だって俺の純真無垢な期待を篭めた手紙を何ヶ月も放置してたんだから、おあいこだろ」
「納得出来ません」
ミストより年上と言う割には、大人気ない性格。
尤もこの場合、意固地になるのも無理はないのだが。
「じゃ、取引でどうだ。お前が質問に答えてくれたら、必要以上にいちいち吃驚するから」
「そんな取引この世にあってはなりませんよぉ!」
絶望に打ちひしがれた芸術家の仕草で、リジルは不満を露わにする。
しかし、次の瞬間には諦めの極地に辿り着いたのか、悟りでも開いたかのように、或いはもう――――どうでも良くなったかのように、無気力な表情になっていた。
「もう良いです。何でも聞いて下さい」
軽く泣いていた。
「じゃ、まず一つ」
その涙を足元の小石並に無視し、質問を始める。
アウロスは主導権を奪う事に成功した。
「生物兵器の中に、こう言うタイプのものはあるか?」
昨日読んだ、ピッツを侵している可能性のある生物兵器について問う。
リジルの反応は早かった。
「ああ、ありますよ。敵の食事に毒を盛ると言うのは、古今東西最もベタで有効な壊滅作戦ですから」
「その効き目が劣化して、毒素が出たり出なかったりになる可能性は?」
「元々人体の分泌は不定期ですから、出たり出なかったりですよ」
「そうか……じゃ、対処法とかはあるのか? 体質改善の」
既に確信は得た。
残るはその治療方法。
アウロスの目に力が篭る。
「薬、って事ですよね。それならあります。元々、これらの製作には人体による試験も行われてますから、被験者に対する処方は当然の義務です」
「なっ、なんだって!? そんなバカなっ!!」
アウロスは約束を果たした。
「……そう言う性格でしたっけ?」
「契約は遵守。そう言う性格だ」
「そう言われると否定出来ないですけど……」
リジルは疲労感の滲んだ言葉を床に落とす。
どんどん弱っているように見えた。
「と言う訳で、その薬について教えてくれるとありがたい。現物支給なら尚更感謝だ」
「まあ、それくらいなら……と言っても、少し時間下さいね。作るのは簡単ですけど、直ぐに出来る物じゃないんで」
「わかった。じゃ、次。俺の手紙の返事を聞こう」
「それについては、僕の意見も聞いて欲しいです」
ようやく自己主張出来る展開になった事で、リジルの顔に少し活力が戻る。
「アウロスさんは【魔術士殺し】って言葉、聞いた事ありますか?」
「ああ。まんま魔術士をブッ殺す連中の事だよな」
「実はこれ、元々は生物兵器の仮称なんです」
アウロスの表情に変化はない。
ここは然程期待していなかったのか、リジルも気にする事なく続ける。
「生物兵器には魔術士を殺す為の技術、と言う根底があります。我々スタッフも、そう言うコンセプトの元で研究し、世に出しました。それでもアウロスさんは、この技術が普及して、魔術士の誰もが扱う物の中に組み込めると思いますか?」
「製作者の意図とその発明品の用途が一致しない例なんて、幾らでもあるだろ」
「貴方に、彼らを納得させる事が出来ますか? 権力も財力も実績もない貴方に」
水の音が言葉を押すような錯覚を感じさせる。
リジルの言葉は、攻撃に他ならない。
「それについては、ちょっとした考えがある。まあ、余りにも幼稚過ぎて誰に話しても笑われそうだけど」
「そうですか」
しかし、攻めると言うよりは試すと言うニュアンスが近いのか、リジルの表情には切実さの中に僅かなゆとりが見えた。
「アウロスさんは、生物兵器がどうあるべきだと考えますか?」
「一技術。それ以上でも以下でもない」
即答。
それはアウロスにとって、必ずしも熟考と対にはならない。
リジルもそれを感じ取ったのか、納得の表情を見せている。
「ちょっと付き合って下さい。そう遠くはありませんから」
そして、意を決したような口調でそう告げ、水路を闇の方角に向かって歩き出した。
それに続き、アウロスも歩く。
沈黙のまま20分程進み――――次第に見覚えのある光景が眼前に出現した。
「物々しい牢獄だな」
そこには、ラインハルトが幽閉されていた場所と同じ、巨大な鉄格子があった。
尤も、ここはその場所ではない。
同じサイズの牢獄が他にもあった、と言う事だ。
「大学が建つ前は、ここは生物兵器の研究所だったんです」
リジルが説明口調で言葉を紡ぐ。
それは以前、教育係としてアウロスに接していた時の接し方と似ていた。
「魔術士に迫害された【トゥールト族】ら少数民族は、地上から追い出され、地下での生活を余儀なくされました。そこで粛々と反撃の為の技術を研究してたって訳です。結局はここも追い出されてしまいましたが……これはその時の名残です」
「生物兵器の格納庫、か。ここにアレを閉じ込めてるんだな?」
「と言うより、彼は守護者だったんです。ここの」
そう答えつつ、リジルは鉄格子に触れる。
以前聞こえた鳴き声は轟いていないが、そこに巨大な何かがいる――――と言う存在感は、はっきり感じられる。
アレがいる事の証だった。
「どらぞー君は、この場所を護る為、戦闘に特化した能力を持つ生物兵器として生まれました。だから、このような場所に閉じ込めておかないと、この水路や大学に被害を与えかねないんです。皮肉な話ですよね」
自身が護るべきだった場所が、今では自身から護るべき場所になっている。
脳も感情もないとは言え、ドラゴンゾンビにとっては余りに悲惨な話だ。
「その為に、特別な封術を施してます。【龍脈硬化】って言うんですけど」
「聞いた事ある。最高級の封術の一つだ」
「そうです。ただ、問題もありまして」
握った手に力を込める。
その甲には、30年以上生きている年季は全く見えない。
しかし、何処からか滲み出ている影にも似た空気は、寧ろ年相応の域を超えている。
「一定の周期が来ると、封術の効果が極端に弱くなるんです。地脈のエネルギーが関係してるとか、そんな話もありますが、詳しい事はわかっていません。兎に角、約一年に一度、封印が実質解けた状態になるんですよ」
「俺が発見したのは、その結界が弱った時期だったのか」
「あの時は焦りましたよ。計算より一日早かったんです」
リジルは当時の事を思い出したのか、アウロスに視線を向け、苦笑する。
「アウロスさん。取引しませんか」
そして、そう提案した。
「二日後、封術が解けます。僕はその時を利用して、この子を連れ出します。手伝って下さい」
「手伝う? と言うか、こんなのどうやって連れ出すんだ」
鉄格子の隙間から覗く、巨大な生物兵器の身体を視線で指す。
二足歩行が可能とは言え、身長は成人男性の倍以上。
幅もかなりのものだ。
「サイズ的に、倉庫までは出られるんです。アウロスさんも実際目にしてますよね。でも、そこから先は……ちょっと、おいたをしないと」
そう言ってペロっと舌を出す。
ミストより年上と言う自己申告を否定するかのような、おどけた仕草だった。
「他のルートからは出せないのか?」
「この子が梯子を上ってマンホールから出て行く姿を想像出来ます?」
「……」
想像は出来たが、実現は難しそうだった。
「つまり、俺は器物破損係か」
「僕が一人でやると、時間も掛かるし音とかも凄く出て、最悪警備員が駆け付けて来る可能性もありますから。その点、アウロスさんなら大丈夫でしょう?」
リジルのその発言に、アウロスの思考が動く。
(何故そう思う……?)
そして、その疑問と同時に、それを表面化しない為に筋力が活発に作動する。
「手伝ってくれるのなら、見返りにアウロスさんの願いを叶えられると思います。勿論、先程言っていた薬も差し上げます」
結果、話は滞りなく進んだ。
リジルには目的があり、この取引には必ずそれが絡んでいる。
アウロスはそれを感じつつ、敢えて罠に飛び込むくらいの心境で――――頷いた。
「わかった。じゃ、二日後。時間は……」
「今大学には人がいませんが、周辺はそうではないですから……深夜が良いですね。二時くらいで。よろしくお願いします」
「ああ」
再会を約束し、二人は別れた。
リジルが闇に溶けて行く一方で、アウロスは動かない。
そのまま、身体の向きも視線も変えず、心中で一息吐いて、口を開いた。
「三日前も言ったが、やっぱりお前気配消すの上手いな」
「あれ、バレちった」
アウロスの背後の角から、ニュッとラディが顔を出す。
闇に隠れてはいるが、アウロスの指の上に輝く炎の明かりが僅かにそれを映していた。
「バレるもなにも、今気配を出しただろう。あいつがいなくなるのを見計らって」
「まーね。で、どうすんの? 何かちょっと怪しげな雰囲気がしたけど」
「今のお前程じゃないけど、まあそれはあったな」
何より、この取引は対等とは言えない。
先にアウロスが向こうの要望を適える事が強制されており、且つアウロスの要望を向こうが適える保障は何処にもない。
逃げられたら、そこで終わりだ。
「けど、これが千載一遇の好機なのは間違いない。最悪、徒労も視野に入れておくさ」
「おおっ、何かカッコ良い」
そんなラディの囃し立てに対し、アウロスは不敵に微笑む。
「もし逃げられたら、お前に蛇のしつこさで追って貰うし」
「……そりゃ、断れる立場じゃないけども」
「その負い目も計算の内な」
「カッコ良くない! そう言うのカッコ良くない!」
底意地悪い笑みを浮かべながら踵を返し、喚くラディに背を向ける。
「ん」
と同時に、ルーリングを行い、小さな火の粉を発生させた。
微かな面積の熱が、何匹もの蚊を炭へと変え、霧散して行く。
地下水路なだけあり、やたら蚊が多かった。
「戻るぞ」
「こっちもその火でバーってやってよ! あーもー蚊うっとーしー!」
これ以上立ち入り禁止区域に留まる理由もないので、アウロスは不満を訴えるラディを無視しつつ去る事にした。




