第5章:乖離(18)
週末の夜、繁華街【ネブル】は宴の都と化す。
この街は、とかく奇妙な美的センスに溢れた独特な景観に目を奪われがちだが、星空の下にそれ以上の輝きを提供する数々の角灯の光こそが最大の見所――――と、巷では言われているらしい。
その光景は唯々輝きに溢れ、通り行く人々に今が夜である事すら忘れさせる。
加えて、暗闇に潜む悪行の影を照らし、治安を良くする働きもある。
安心して宴に興じる事が出来る、模範的な盛り場と言えるだろう。
そんな【ネブル】の一角にある小さな酒場も、その例に漏れず、週末は飲みに集う客で賑わう。
ごく一部、柄の悪い人相の男達もいるが、そんな連中でも他の席に絡んだりする事はない。
そう言った行為を実行する身の程知らずの不届き者は、この酒場のマスターに例外なく放り出されるからだ。
「ええと……それでは。不肖俺、乾杯の音頭を取らせて頂きます。乾杯」
喧騒が鳴り響く中――――アウロスの声が隙間を縫うように響く。
それに呼応して、グラスのぶつかる高い音が何度も鳴った。
本日、この酒場の奥の二席は、ミスト研究室の面々に埋め尽くされている。
名目は、新人の歓迎会。
リジルが去り、ミストが教授に就任した際に赴任した研究員をもてなす事が、一応名目上の目的となっている。
普通は、就任して直ぐに行うべき催しだが、ミストが長期不在だった為、中々その暇がなく、ようやく本日実行と相なった。
「君達には余り、このような場を作れていなかったからな。すまなく思う。今日は私が全て持つから、好きなだけ飲み食いしてくれたまえ」
ミストが静かにそう告げると、参加者全員が頭を下げて感謝を示した。
傍目には、何らかのコンペの残念会のように見えるかもしれない。
この研究室には、こう言う催しを仕切る陽気な人格の人間がいないので、盛り上がる筈もなく、普通なら歓声や拍手で彩られる筈の場面でも、何とも重い空気が漂っている。
「まあ、俺はこれくらいの方が良いんだけど」
年功序列の発動によって乾杯の挨拶を任されたアウロスは、ノンアルコールの飲料水を口に含みつつ、凝り気味の肩を竦ませた。
「でも、僕まで混ざっていいのかな……?」
その隣にはウォルトが座っている。
本来は部外者と言う立場。
だが、アウロスの呼び掛けによって出席する事になった。
「一人や二人増えても構わないだろ。本当はクーなんとか研究室と合同って話もあったらしいし」
「その略し方は……酷いんじゃないかな」
「兎に角、肩身の狭い思いはしなくて良いから、タダメシをガンガン食べときゃいい。あ、すみません、この【コスタ産ハラホロヒレ肉のポワレ ルビールージュ蜂蜜を使ったガストリック アンディーブのブレゼを添えて】ってのを追加で」
「うーん……」
何処か納得しない面持ちでウォルトは唸っていた。
「それにしても珍しいな。お前がこのような場に来るのは。自分の歓迎会にも顔を出さなかった男が」
ワイングラスを優雅に回しながら、ミストが悪戯な言葉を連ねる。
それを聞いたウォルトは、アウロスに丸くなった目を向けた。
「ほ、本当なの?」
「この手の場は苦手なんだ」
そういう問題ではないのだが、アウロスはしれっとそう告げる。
その言葉に、本日の主役達が恐縮した様子でアウロスに話しかけて来た。
「な、何か申し訳ない。我々の為に無理して……」
「いや、無理はしてない。研究者としては貴方達が遥かに先輩なんだから、当然の事かと」
「……その割には、言葉に全く先輩への敬意がないよね、君は」
呆れ気味なクレールの言葉に、レヴィが呼応する。
「全くだ。そのような口の利き方で通せるのはミスト教授の寛大な心のお陰なんだぞ。本来社会人として許される筈のない無礼に対し……」
そして、念仏のように延々とミストについて語り出した。
「何かちょっと戻った?」
「もう酔ったのか、寧ろここ最近ずっと酔っ払ってたのか……微妙なところだな」
何処か懐かしささえ覚える光景に苦笑しつつ、クレールは仰々しいラベルの貼られた瓶を手に取る。
「ミスト教授。お注ぎします」
「悪いな」
その様子に、冷めた目を向ける人間が一人。
「……何」
「別に」
ルインは半笑いで視線を外した。
「と言うか、俺以上に珍しいんじゃないか? こんな集まりにルインが参加してるのは」
そのアウロスの言葉に、当人は特に反応はせず、代わりにミストがグラス片手に顔を上げる。
「そうでもないぞ。彼女はそれなりに顔は出している」
「直ぐ居なくなるけどね」
クレールが悪態と共に舌を出したが、しれっと無視された。
「……意外だな。お酒好きとか?」
「違う」
ルインは否定しながら、やたら濃い色のワインをくいっと飲み干した。
既に頬は良い感じで染まっている。
「社会人とは本来、そう言うものだ。どれだけ忌み嫌っていても、大局に逆らう事は許されない。お前が異端なだけだ」
「異端で悪かったな。育ちが悪いんだから仕方ないだろ」
既に濃厚な赤色に染まったレヴィにアウロスがそう反論すると、隣のウォルトがいきなり顔つきを変えた。
「そう言う自分を卑下する言い方、同情されたがってるみたいで格好悪いよ」
「チッ、痛い所を」
一瞬の間。
その後、脱力感を伴った笑いが起きる。
「ふふ……意外と貴方、この研究室のムードメーカーだったりしてね」
そんなクレールの斬新な意見に、アウロスは思わず怪訝じみた表情を浮かべた。
「はあ?」
「だってホラ。この場にいる人間で、誰よりも各個人と隔たりなく繋がりがあるの、何気に貴方っぽいでしょう?」
割と当を得た意見を受け、アウロスは反射的にルインの方を見る。
「……」
肯定も否定もなかった。
「いや、思いっきり柄じゃないんだけど」
「でも事実は事実だしね。ま、これまでならそう言うのは……」
クレールの言葉が、そこで途切れる。
何を言わんとしたのか、旧メンバーは何となく理解した。
「あ、すいませーん! お飲み物、同じの追加で!」
その微妙な空気を察したクレールが咄嗟に話を逸らすが、その程度では一度生まれた波紋は消えない。
「リジルに関してだが」
そんな雰囲気を諌めるように、ミストが苦笑しつつ口を開く。
これまで、その口からリジルの離脱に関して語られた事はない。
それだけに、ルインを除く全員の興味が次の言葉に集中した。
「彼は辞任と言う形で大学を去った。やるべき事が見つかったらしい。少々誤解を与えかねない離れ方だったが、彼は彼の道を見つけたと言うだけだ。決して不満や不備による離別ではないのだから、禁忌のような扱いにはしないで欲しい」
「わかりました。そうですよね、おかしいですよね」
諭すようなミストの物言いに、クレールは安堵した表情で何度も頷く。
その様子をじっと見ていたウォルトが、アウロスにずいっと顔を寄せた。
「リジルって……あの背がそれ程高くない男の人?」
そこにいない人間への配慮を感じる問い方だった。
「ああ。大分前の話だけど、辞めたんだ」
「そうだったんだ。見ないな、とは思ってたんだけど」
「ま、色々あるよな」
その色々の一部を知るアウロスは、複雑な心境をその言葉に込めた。
そして――――その後も宴はしとやかに続く。
クレールは慣れた様子で、主役であり人生の先輩である新顔の研究員達にお酌していた。
「さ、どうぞ。御飲みになって下さい」
「あ、ありがとう! いやあ恐縮だなあ!」
「ん……はーっ! 美味いなあ! 美女に注いで貰うお酒が一番だ!」
微妙に調子に乗る没個性の新顔達に、アウロスの隣のウォルトが物言いたげな視線を送っている。
「どうした?」
「い、いや何も! ところで……ここの人たちのお酒の強さって、それぞれどの程度なんだろうね」
「さあ。俺は殆ど飲み会不参加だから、良くわからない」
二人の視線が、他の面々に注がれる。
「ミスト教授は見るからに強そうだよね。鉄人って感じだし」
「レヴィは逆に弱そうだな。そう言う存在っぽい」
対面で既に潰れている人間を見つつ、嘆息。
「女性陣は?」
「んー……」
今度は二人してルインの方を見た。
同じテーブルながら、一人やや離れた位置に座る彼女の前には――――既に空になっている瓶が一つ転がっている。
「あいつ、凄いペースで飲んでるんだけど……俺と歳変わらない筈なんだが」
「えっ? そ、そうなの?」
ウォルトは本気で驚いていた。
「じゃ、じゃあクレールさんはどうだろう? こう言う席には慣れてるみたいだから、強いのかな。でも見た感じ顔が赤くなるのが早かったし、結構弱いかもしれないよね。どうかな。どう思う?」
「力の入り方がえらく違うな」
「ええ!? な、何言ってるの! 僕はただ小さな好奇心を平等に……」
ウォルト=ベンゲル。
真面目な性格故に、嘘は絶望的に苦手だった。
「ま、頑張れ。多分厳しいけど」
「だから違うって! 本当に! やだなもうアウロス君!」
普段は決して見られない顔。
それを深紅に染め、井戸から水を汲むような勢いでアルコールを摂取して行った。
「僕は……僕は……きゅう」
結果――――レヴィに続き机に突っ伏す。
それを横目で眺めていたルインが、ワイングラス片手に笑みを漏らした。
「情けない相棒ね」
「今時珍しいくらい直向きなんだ。そのお陰で俺は大分助けられてる。悪く言うな」
「……」
ルインは一瞬、ムッとした表情でアウロスを睨んだが、直ぐに顔を背けてアルコールの摂取に励んだ。
「あ、今の嫉妬でしょ! はっはー。人を散々世俗的だ下衆だ言っといて、男に嫉妬だなんて。これどうなのよ?」
「……!」
幾度となく不発に終わったクレールの挑発だが、ついにルインの不快感を捉えた。
顔をしかめた魔女は、まだ液体の残るワイングラスを叩き付けるようにテーブルに置き、つかつかとクレールに近寄る。
その顔は【死神を狩る者】の顔だった。
「表に出なさい。貴女に人間の品格と言うものを教えて差し上げるから」
「上等よ! 今日と言う今日は決着付けてやるから!」
すっかり出来上がったクレールも勢い良く立ち上がり、暫く睨み合う。
そして、無言のまま二人して外へと向かって行った。
それを慌てて新入りの二人が追う。
自分達の歓迎会で女性二人がケンカを始めると言う事態に、相当慌てているらしい。
その一方で、残ったミストとアウロスは、その光景をのほほんと眺めていた。
「思いの外、仲良くなったみたいだな。良い事だ」
「まあ、ギスギスしたのは大分消えた感じですね」
最近の女性研究員二人の関係は、対立こそあるが、拒絶はない。
以前と比べ、まだ可愛げのある構図だ。
「どうも、私が知らない所で人間関係の構図が劇的に変動しているようなのでな。上司としては把握しておきたかった」
「そう言う理由ですか、この集まりは」
「無論、本命は歓迎会だ。本来は定期的にこう言う機会を設けて、結束を高め、士気を上げる必要があるのだが」
「余りウチには必要ないんでしょうね。そう言うのは」
アウロスは苦笑しつつ、改めて周りを眺めた。
ここに寝ている人間も、先程出て行った人間も、団結して物事に取り組もうと言う性質とはかけ離れている。
それぞれが、それぞれに持つ目的なり野望なりを達成する為、そしてその過程や結果を利用する為にお互いを補い合う、相互扶助の関係。
それは決して美しくはない。
だが、やたらと粘り強い。
「華やかで騒がしいのは、我々の色ではない。上司の教授就任パーティーに欠席すると言うのは、些か行き過ぎだがな」
ミストはトレードマークのニヒルな笑みを浮かべ、アウロスに視線を投げ掛けた。
「お前は、自分で自分の性格を無理に定義付けようとする傾向がある。周りの認識だけでなく、自分自身も含めてだ」
「誰でもそう言う所はあるでしょう」
「極端過ぎるのだよ。まるで、演劇にでも興じているのかと思う時がある」
「それも極端な話ですね」
飄々と語るアウロスに、ミストの肩が竦む。
何処か満足げに。
「完全に復調したようだな。一時は大分弱っていたようだが」
「基本的には変わってませんよ。ただ、そうも言ってられなくて」
既に弱い『自分』はアウロス=エルガーデンから剥がれ落ち、数名の人間に露呈している。
しかし、それは強さを失う理由にはならない。
弱くとも、強くもある必要がある。
唯一人の友達の名前を背負う以上、投げる事も捨てる事も許されない。
まして、今のアウロスは、既に何人もの人間から力を借りている。
それは支えであると同時に、責任の名の下にしがらみとなり、アウロスの足に絡み付いていた。
「本当は、一人で駆け抜けたかったんですけどね……中々上手くは行かない」
「それに関しては同感だな」
ミストは薄い黄を帯びた液体の入るワイングラスをテーブルに置き、それを指で軽く弾いた。
そこには、隣のテーブルに座る、生意気な少年の顔と似ても似つかない顔が映っている。
「お陰で貴重な時間と機会が忙殺された。本来ならば、かけがえのない筈のものも、欠けてしまった」
その顔が、寂しげに揺れて消えた。
波紋の広がった白ワインの表面には、もう何も映らない。
「尤も、それと引き換えに面白い副産物が生まれてくれた。今この瞬間もそうだ。会話を楽しむ……等と言う機会には、そうそう恵まれるものではない。特に私のような頂を目指す人間にはな。長く留まっていられない事情で、合わせてくれる人間が極端に少ない」
「でしょうね」
ミストと同じ高さで同じ景色を見る事の出来る人間は、世界を見渡しても決して多くはない。
それは、名ばかりではない天才故の孤立。
英雄譚には決して載る事のない哀れな末路の多くは、その怪物によってもたらされる。
「お前をスカウトした事は、ある意味私にとって最大の功績だったのかも知れんな」
「何言ってんだか」
無論、額面通りに受け取る気はアウロスにはない。
目的を達成する上で、ミストが最大の難敵であると言う事実に何ら変化はないからだ。
しかし、思わず零れそうになる笑みを皮肉げに歪ませる事には、若干の労力を要した。
アウロスは――――感情を殺すのが以前より下手になっていた。
強さと弱さが乖離してしまった以上、それは必然だった。
「少し風に当たってきます」
「好きにしろ。今日はそう言う場だ」
逃げるような心境でその場を離れ、実験で世話になったマスターに会釈し、通りに出る。
女二人の決着にも興味があった為、まずはその姿を探した。
すると――――視界には何故か新入り二名のボロ雑巾のような姿が入って来た。
「……どうなってんの、これ」
「セクハラ野郎に相応の報いを与えただけよ」
地面に倒れている二人からは離れた場所で、ルインは一人立っていた。
アウロスはその気配を感じつつ、背後に言葉を送る。
「セクハラ?」
「なだめると言う大義名分を盾に、身体に接触して来たのよ。アルコールで腐った息を堂々と吐き散らかしてね」
「……まあ、一理あると言えばそうなんだろうけど。クレールは?」
答えは返って来ない。
流石に焦ったアウロスは首を回転させ、ルインの表情を確認した。
――――魔女の笑顔がそこにはあった。
「ま、まさか……本気で潰したんじゃないだろな」
「冗談。あのような品薄女にそのような価値があって?」
「品薄って……で、どうなったんだ?」
「私の魔術に恐れをなして、負け犬の遠吠えと共に逃げて行きましたとさ」
地面に横たわる二人に侮蔑の視線を吐き棄てつつ、そう宜う。
或いは、彼らに対する攻撃自体、その為のものだったのかもしれない。
今のルインならあり得る――――アウロスはそう判断した。
「ん~♪」
ルインは御機嫌な面持ちで風を楽しんでいる。
その姿に、アウロスは違和感を覚えなかった。
決して普段の表情ではない。
明らかに初めて見るその姿が、妙に自然に映った。
「お前、酔い慣れてるな」
実際は少し違う感じ方をしたアウロスだったが、取り敢えずそう言っておく。
「酔ってなどいる筈もなく」
「……帰り大丈夫なのか?」
「無類」
一体何が言いたいのかわからない言語を返し、ルインは満足気に微笑んだ。
「……取り敢えず、座るか」
アウロスの提案に、ルインは静かに頷いた。
酔ってはいるが、理性は働いているらしい。
赤く染まっているものの、しっかりした表情でアウロスの隣に座り、暫く沈黙を保った。
星空に興味はないのか、その目は上には向いていない。
「貴方は、ああ言う賑やかな場所は好きではないのね」
店の方を眺めながら呟く。
先程まで飲んでいた酒場は、また新しい客を呼び込み、賑やかな音を奏でていた。
「ああ」
「それは、ずっと静かな場所にいたから?」
その言葉に自嘲染みた色はなかったが、どこか不安げではあった。
その様子に内心苦笑しつつ、アウロスは首を振る。
「違うよ。元々賑やかなのは好みじゃない。アルコールも苦手だし」
その匂いを撒き散らすルインに、指で弾くような仕草を見せる。
「……その癖に、酒場に居候してた時期があった。その時の事を思い出すのは、少し気が重い」
「そう」
ルインはそれ以上の追求はしなかった。
「そう言やお前、何か進展あったのか? 例の暗殺者探し」
「……」
正面を見ながら問う。
しかし答えは返って来ない。
暫く待っていると、聴覚ではなく触覚に刺激があった。
ルインの身体が肩にもたれ掛って来たのだ。
「おい。こんな所で寝るな。起きろ」
「ぅぅん、後五分だけ……」
その声には、多分に甘えが混じっていた。
それはまるで、母親に願いを請う子供のような――――
「……!」
ルインの身体がビクっと動き、弾けるようにアウロスから離れた。
「私……今、何か言った?」
「さあ」
アウロスは瞬間的に色々と考えた結果、聞かなかった事にした。
「……帰る」
しかしルインは半信半疑の様子で、逃げるようにアウロスの傍から離れた。
まだアルコールは残っているようで、その足取りは安定していない。
「大丈夫なのかー?」
「無謀」
ニュアンス的には明らかにダメな方の言葉だったが、言いたかったのは逆の意味の言葉だったようで、振り向く事なく微妙な足取りのまま去って行く。
「……明日地獄だな、あれは」
後頭部を掻きつつ、その様子を見送った。
残るは、野郎二名の悲惨な姿。
ルインの言葉を鵜呑みにした訳ではなかったが、介抱する気にもなれず、アウロスは未だに気絶したままの二人を放置し、宿に戻る事にした。




