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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
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第5章:乖離(6)

 強行日程による弔悼と材料探索の旅が終わり、ウォルトと別れたアウロスは、重い足取りを引きずるようにして家路についていた。

 空は既に暗然としており、街灯に灯る光に数種類の細かい虫が回るように遊泳している。

 その横をアウロスが通ると、避けるように慌てて散開して行った。

 とにかく休みたい――――そんな弱音にも似た要求が、内部から次々と湧き出てくる。

 馬車による移動の為、肉体的疲労は以前より大分軽度の筈なのだが、精神的な面の負担が大きく、比較にならない負荷が全身を襲っていた。


 ――――錬金術師、曰く。


『この条件であれば、適合する金属は【メルクリウス】かの。揮発性がなく、合成にも向いておるし、高価でもない。とは言え、ここや御主の住む地域にある鉱山では殆ど採取されておらぬ。そうじゃな……隣国のエチェベリアであれば相当な量を保有しておる筈じゃが』

 七年前のガーナッツ戦争以来、デ・ラ・ペーニャとエチェベリアの間で行われている交易は最小限の物質に限られ、しかもその殆どが食材で埋められている。

 加えて、元々魔術国家であるこの国には、武器防具に使用される類の金属は余り必要ない。

 そんな理由から、アウロスの望む金属は国内には余り流出していないと言う事が発覚した。

 つまり、魔具を大量生産したければ、隣国エチェベリアから輸入しなくてはならないと言う事らしい。

 だが、それは両国の関係上不可能に近い。

 魔術士全体へ普及させる事を目的とした研究で密輸など出来る筈もなく、結局は手詰まりと言う状況になった。

 加えて、生物兵器の方も、入手出来る保障は何処にもない。

(どうしたもんか……)

 研究者は悩むのが仕事だ。

 それにストレスを感じるようでは勤まらない。

 アウロスもそれは、重々承知している。

 しかし、日に日に心が重くなっているのを実感せざるを得なかった。

(……くそっ)

 誰にと言う訳でもなく悪態を吐き、道端に転がっている石を蹴飛ばす。

 その石が何度か地面を叩き、とある建物の壁にコツンと当たって止まった。

 そして、その小さな衝撃音と共に顔を上げると、そこが料理店【ボン・キュ・ボン】である事にはじめて気付く。

 知らない間に、到着してたらしい。

 扉の前に立ち、一つ息を吐く。

 陰鬱な気持ちがそれで消える訳ではないが、区切りを付ける必要はあった。

 自分を迎え入れてくれる場所――――例え刹那的であろうとも、そう言う場所に出会えた事は幸運と言える。

 アウロスはその場所に、負の感情を入れたくなかった。

(そう思う事自体、本当は良くない事なんだけどな……)

 いずれ確実になくなるものに思いを馳せるのは、合理的ではない。

 合理性を欠く行動は、どこかで破綻する。

 そして、一度破綻しただけで全てが終わると言う可能性もある。

 この世界はそれ程までに厳しい。

 ――――アウロスには目標がある。

 それは論文を完成させ、アウロス=エルガーデンの名前を後世に残す事だ。

 そして、その為に全てを賭けて努力して来た。

 努力とは、目的を達成する為の労働。

 それは結果が伴わずとも、人格形成や蓄積など他の目的に役立つ事がある。

 しかし、その目的が人生における絶対的なものであった場合、努力の定義は変わる。

 アウロスのして来た努力とは、目的を達成出来なくなるリスクを排除する事だった。

 それはつまり、合理的に生きる事。

 時として、人である事の喜びとされるものも捨てて、アウロスはここまで来た。

 にも拘らず――――それが破綻しつつある。

 様々な要因が、柵が、アウロスを弱くしていた。

 ラディが去った事も。

 グレスが死んだ事も。

 順調だった研究が、徐々に暗礁に乗り上げている事も。


 何かにすがれば良い


 全て投げ出せば良い


 そんな誘惑が、疲労困憊のアウロスを襲う。

 普段なら、聞こえない声。

 それが今は、はっきりと、まるで真夜中の雷鳴のように、鮮烈に聞こえてしまう。

 17、8年しか生きていない人間は、そう簡単にその声を閉め出す事は出来ない。

 目の前の扉の向こうには、眩いばかりの光が見える。

 今ここを開けば、全てが消えてしまう――――そんな強迫観念すら抱いてしまう。

 アウロスは、闇に同化した自分の服を見た。

 少しよたれたその服は、魔術士の証であるローブ。

 こんな所にも――――矛盾が転がっている。

 魔術士でない自分。

 魔術士の姿をした自分。

 自分の存在が、浮き彫りになる。

 アウロスは動けなくなった。

 これまで幾度となく受けた中傷、そして嘲笑。

 それらが渦巻き、精神を侵す。

 表面で弾き返せも小さな傷として記憶されたものが、普段は決して目に付かないそれらの傷が、アウロスを動けなくした。

 恐怖に駆られる。

 それは、目的を達成出来ないかもしれないと言う恐怖だ。

 研究は一人では出来ない。

 自分がいて、協力してくれる人がいて、初めて成立する作業だ。

 しかし、人は必ずしもそこに居続ける訳ではない。

 去る事もあれば、死ぬ事もある。

 当たり前の事だったが、実際に触れてみると、怖くて仕方がない。

 乖離する――――未来の偉大なる研究者アウロス=エルガーデンと、魔術士としての才能が皆無な自分が乖離して行く。

 そんな感覚に、眩暈と吐き気をもよおした。

「……っ」

 扉の前で、しゃがみこむ。

 一人になればこれ程弱い存在なのだと、再確認せざるを得ない。

 余りにも不安定で頼りない存在だ。

(わかってた事だけど……改めて突きつけられるとキツイな、ったく……)

 歯を食いしばり、アウロスは耐えた。

 消えてしまいそうな感覚や、堕ちてしまいそうな感覚が、漠然とした圧迫感で襲ってくる。

 アウロスは必死でそれらに耐えた。

 それはまるで、嵐の夜に部屋の中で蹲る子供のようだった。

(……がんばろうな)

 そう心中で呟く。

 それは、おまじないのようなものだった。

 合理性には程遠い筈の、それでいて何よりも即効性のある、大事な言葉。

 アウロスは、大きく息を吐いて立ち上がった。

 恐怖が去った訳ではない。

 問題が解決した訳でもない。

 それでも、目標に向かう為に必要な英気は少し回復し、雑音は消えた。

「ふぅ……」

 もう一度大きく息を吐き、アウロスは扉に手を掛けた。

 そして、何事もなかったかのように振舞おうと努力する。

 とは言え――――あと何度、この恐怖と対峙していかなくてはならないのか。

 そう思えば、気も滅入る。

 この努力自体、無意味なものかもしれないと、顔を覆いたくなる。

 そんな逡巡は消える事なく、不安定なままで扉が開き――――

「只今戻り……」

 料理店【ボン・キュ・ボン】の内部が視界に納まった瞬間、アウロスは先程より遥かに強い眩暈に襲われた。

「いらっしゃいませ」

 歓迎の挨拶が耳に届く。

 その声は、クレールのものでも、ピッツのものでもなかった。

 基本的に、この店に店員を雇う余裕はない。

 よって、クレールのいない時間はピッツが、クレールの帰宅後は彼女が、客の対応を行う。

 その際、ピッツの格好はシェフのそれであり、クレールは仕事着であるローブをそのまま身に付けている。

 だから――――だから、黒のワンピースにフリルの付いた白エプロンを組み合わせたエプロンドレスなど着ている筈もない。

 まして――――まして、頭に先の少し折れた三角帽子など被る訳がない。

 そして何より――――何より、それらを身に付け丁寧にお辞儀しているその女性が、大学内で魔女と恐れられているルイン=リッジウェアであるなど、どう考えてもあり得ない。

「……幻覚か。疲れてるし」

 そう判断し、アウロスは目を擦りつつ素通りした。

「誰が幻の中の住人ですって?」

 しかし現実だった。

 その声は紛れもなくルインだ。

「こちらの席へどうぞ」

 そして、全く慣れた様子のない誘導でアウロスを中央のテーブルに案内する。

 それは完全に店員の行動だった。

「こちらメニューとなっております。御注文が決まりましたら、御声を掛けて下さい」

 所々声が裏返っていた。

「……」

 アウロスは3分悩んだ。

 時折首を傾げ、頭の中心に膿が出来たかのような錯覚に襲われ悶えたりした。

 そして開口。

「何でお前がここにいるんだ」

「早く注文を」

 店員は横暴にも客の言葉を完全無視した。

「……水」

「御注文を繰り返します。水。水一杯。人として余りに無様で惨めな水一杯の御注文ですね?」

「余計な事は言わなくて良いから、とっとと持って来い」

「……」

 ルインは店員にあるまじき人心を蹂躙する類の笑みを浮かべ、店の奥に向かった。

 そして10秒と経たずに戻って来る。

「水でございます。ごゆっくりどうぞ。出来るものなら」

 店員にあるまじき人心を圧迫する笑みを携え、再び店の奥へと消えた。

 それと入れ替わるように、クレールが2階から降りて来る。

 偶然ではなくタイミングを見計らっていたようで、店の奥を半眼で見つめていた。

「驚いたでしょ」

「何であいつがここにいるんだ? と言うかあの格好はどう言う事だ? つーかあの態度は何なんだ」

 アウロスの口が徐々に荒れて来る。

 一気飲みした水が実は酒だったと言う訳ではない。

 単に疲労がピークに達しただけだ。

「私に言われてもね。お店の事はお姉ちゃんに一任してるし。何よりも、貴方より私の方が絶対驚いてるから」

「まあ、それはそうだろうけど……」

 犬猿の仲と自覚している相手が自分の店で働くと聞かされれば、戸惑わない方がどうかしている。

「取り敢えず、短期でって事らしいけど。詳しい事は本人に聞けば? 貴方達、仲良いみたいだし」

「別に良いって訳でもねーよ。現にさっきも不本意な対応をされたばかりだ」

 混乱の最中にいるアウロスの頭上から、小さな嘆息が落とされる。

 それは、あっと言う間に床まで落ちて行った。

「水だけ頼むお客様への対応としては許容範囲内だったと思うけど……って、何で私があの女をフォローしてるのよ」

「俺に言うな。つーか眠いからもう寝る」

「ま、いいけど。じゃ、お休み」

 アウロスはそれに手で応え、2階へ上がった。

「ふぅ……」

 様々な疲労の抜け殻を吐き出しつつ、久し振りの自室へ入る。

 そこには見慣れた空間と――――

「お帰りなさい」

 変な店員の姿があった。


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