第4章:偉大なる詐術者(24)
そして、十二日後――――当日の早朝。
ミスト研究室の扉が緩慢に開くと同時に、一陣の風が室内に舞い込んで来た。
それは窓から差し込む日差しを包むように軽やかに拡散し、そして消える。
今日は、そう言う日だった。
「ふあ~ぁ……おはよう」
「おはよ……」
寝不足気味のアウロスを迎えたのは、クレールの若干掠れ気味な声。
「良い感じで喉が枯れてるな」
「ラディから一晩中歌合戦に付き合わされたのよ。緊張を解す為とか言われて」
「結構結構。仲良き事は――――ってな。じゃ、眠気覚ましに最終確認でもするとしよう」
本日行われる論文盗作騒動の件に関する円卓会議は、査問委員会の立会いの下で行われる。
参加者はその立会人を除くと、両研究室の教授及び、当事者の計四名。
会議内の発言は全て記録され、公式なものとして残される。
「……と言えば仰々しく感じるが、この手の会議は大抵それ程緊張感はない。記録員は欠伸するわ教授連中は談笑するわで、大体なあなあな感じになる。査問委員会と言っても所詮は身内だし、特別な空気に包まれる事はない」
アウロスは半ば呆れ気味に説明した。
実際、国の法案や予算などの制定と言った極めて重要な会議であっても、緊張感の欠如した参加者は多数いる。
大人の会議なんて所詮そんなもので、会議そのものに新鮮味のあるアカデミー小等部の委員長を決める討議などの方が余程引き締まっていたりするものだ。
「そんな訳だから、俺がミスト助教授の代理で参加するくらいの融通は利くだろう」
「……本当に大丈夫なの?」
「ま、大丈夫」
アウロスの楽観的な物言いに、クレールの感情が一瞬跳ねる。
しかしそれはかなり的外れなベクトルだと判断し、直ぐに消失させ、力なく項垂れた。
その様子をチラ見していたアウロスがこっそり満足気に笑っている事など知らずに。
「それじゃ、そろそろ行くか」
それを合図に、二人は研究室を出た。
会議は実験棟二階にある会議室で行われる。
ミスト研究室から徒歩で約三分。
しかし、当事者であるクレールにとってはかなり長く感じる時間だ。
その表情をこっそり確認しつつ、アウロスは言葉を紡ぐ。
少々ラフに。
「予め言っておくけど、今回に関しては例の言葉はなしにしてくれよ」
「え?」
「『テメーなんかと誰が仲良くすっかよ、ケッ』ってヤツ」
「そんな口調じゃなかったでしょう? もう……」
ここでクレールは何となく気が付いた。
アウロスの軽口が意図するのは――――
「もしかして、緊張を解してくれてる?」
アウロスはそれには答えず、頬をポリポリ掻いていた。
「まあ、対立さえしなきゃ仲良くする必要はないんだけど、一応な」
「ヤな奴、って思ったでしょ? 出会って直ぐにあんな事言われて」
「別に。何となくわかる気もするし」
自嘲ではなく、あくまで自己分析の結果としての言葉だったが、どこかもの悲しげに響く。
それに呼応するかのように、クレールの顔に陰が差した。
「多分、貴方の思ってる事は思いっきり的外れだと思う」
「……?」
床を叩く足音が止まる。
微かな間。
そこには、緊張感とは違う張り詰めたものがあった。
「呪い、って信じる?」
「何だ突然」
「私はね、呪われてるのよ」
一瞬冗談とも思えるその科白に――――アウロスは特殊な超音波でも混ざっているかのような錯覚を感じた。
なにせ、ここは現実主義の宝庫とも言うべき場所。
そして彼女は、その住人の中でも特に地に足の付いた研究をしている。
非科学的なニュアンスの言葉は余りに似合わない。
「私が深く関わった人達は皆不幸になる――――御伽噺なんかに何度も登場してる、陳腐な言葉よね。でも、それが現実の私なの」
「不幸に……?」
「まず最初に不幸を煩ったのは両親」
間髪を入れず、クレールは語る。
まるで、何かに怯えているかのような焦りが垣間見える。
「私の両親は飲食店を経営してて、凄く流行ってたの。支店も出そうって話になるくらい。それが、私が生まれてから急に傾いちゃって、あっと言う間に破綻。で、離婚、蒸発。それ以来ずっと音信不通よ」
クレールは廊下の壁に寄り掛かり、敢えて顔を上げ続けた。
「次に、私とお姉ちゃんを引き取ってくれた親戚の叔父さん。彼は温厚で誠実な人柄で、同時に優秀な学者だった。私が魔術研究の道に入ったのも、彼の力添えがあったからなの」
「その叔父さんはどうなったんだ?」
「横領で逮捕」
「……」
沈黙。
「私が私財を圧迫して彼を追い詰めたのが原因。アカデミーに入学して大学を卒業するまでにどれくらいお金が掛かるなんて、当時の私は考えもしなかった」
そして、その顔は徐々に下へと向きを変えた。
無論、重力による疲労が原因ではない。
「で……その呪いはとうとうお姉ちゃんにまで降り掛かったの」
「例のアレか」
初対面時の事を思い出し、アウロスは苦笑した。
「お姉ちゃん、両親の事をちっとも憎んでなくて、それどころか誇りにすら思ってる。だから、自分が両親のお店を再建して、一杯お客さんを集めれば、いなくなった両親も戻ってくるんだ、って……。元々才能もあったみたいで、お店を持つまでにそれ程時間は掛からなかった。小さいお店だったけど評判は上々で、毎日足繁く通うお客さんで席は一杯だった」
アウロスは自分でその腕を確認した事がある。
加えて、たまにいる『倒れない』客の食事する表情を見れば、それが偽りでない事は明らかだった。
「変化は何の前触れもなく、唐突に。一人のお客さんがいきなり倒れてね。最初は食中毒だって大騒ぎされたんだけど、そう言う症状じゃないし一人だけだったから御咎めなしだったんだけど、それから三人に一人くらいの確率で同じ事件が起こって」
「よく続いてるな。普通なら即潰れるだろうに」
「固定客が付いてるから。どう言う訳か、たまに全く当たらない人がいるの。そう言う人が足繁く通ってくれるのよ。割とお金持ってる人もいるし」
実際、普通なら街の衛生管理を司る機関に連絡が入り、強制的に業務停止処分が下されるくらいの問題店。
そうならないのは――――
「割と、どころじゃないんだろうな。公的機関を堰き止められるくらいだ」
「……」
クレールは沈黙で肯定した。
しかし、それは話の本筋ではない。
アウロスは軌道修正を試みる。
「原因は?」
「わからないから呪いなのよ」
それに対し、クレールは尤もな非現実的意見を述べた。
「他にも、アカデミー時代お付き合いした先輩が退学処分になったりとか、友達が変な宗教にハマったとか……ま、言い出したらキリがないって感じね」
その言葉だけで、彼女のアカデミー時代がどう言うものであったかは想像に難くない。
少しばかり捻くれた性格はこの時期に形を成したのだろう――――そんな分析をしつつ、アウロスは一つ息を吐いた。
「そんな私を拾ってくれたのが、ミスト助教授よ」
「口説き文句は?」
「君の呪いに興味がある」
思わず両者の顔が綻ぶ。
「らしい話だ」
「本当の所は私にもわからない。彼が何故私を下に置こうと思ったのか……でも、当時の私には彼が救世主に見えて仕方なかった。私の力じゃ大学に勤めるなんて絶対無理だと思ってたから」
「で、今に至る、か」
そこでアウロスは気付く。
話を適当にまとめ、総合した結果――――
「って事は、俺に言った言葉は……『私に触れるとヤケドするぜ?』」
悪ぶっているが、実は心優しい人間が言う台詞。
つまりは――――
「ニュアンスは全然違うけど……ね」
思いやりだ。
「だから、今回の件で大学を去るのも仕方ないって思ってた。だってそうでしょ? 散々人を不幸にして自分だけ幸せなんて、許される筈ないから」
そんな優しい女性は、力のない笑みで訴えた。
その表情はどこか儚く、それは多数の男性から美しいと評されるものだった。
「それに、これ以上大切な人に呪いを振り撒いたら、もう生きる気力もなくなるしね」
「呪い、ねえ」
アウロスは首を捻りつつ、再び歩を進める。
それに続き、クレールも壁から身を剥がした。
それを確認し、ポツリと呟く。
「さっきの答え。呪いは信じない」
そして、そのままクレールの表情を確認もせず、続ける。
「比喩表現として、明確な理由がない奇怪な性質や状態に対して用いる言葉だと認識してる」
それは、研究施設の人員として最も模範的な回答。
しかしながら――――
「要は、お前の言う呪いなんて知ったこっちゃないって事だ」
形は辛辣。
そんなアウロスの言葉を、クレールは淀みない顔で聞き続ける。
それはもう、信頼する人間へのものだった。
「お前の両親が店を潰したのは、様々な悪条件が重なった結果だろう。叔父さんが捕まったのは悪い事をしたからだ。友人も恋人も、その時々の道を踏み外しはしたが、それが不幸かどうかは本人にしかわからない。ピッツさんに関しては原因がわからないが、それ以外は概ね自己責任だろ。お前に責任がある? 馬鹿馬鹿しい。お前の存在が原因だとして、それが全ての禍因な訳があるか」
再び足が止まるまでの間、アウロスは延々と自論を唱えた。
その意見は彼女に対して肯定的なものであったが、決して好意によるものではなく、それをわかっているが故にクレールの耳にすんなりと入って行く。
一方、アウロスにとっては顎の筋肉を柔らかくする良い準備運動となった。
無論、それだけではない。
尤も――――この乾いた解答が救済となるかどうかは、アウロスにもわからないが。
「さて……ここだな。んじゃ入ろう」
「待って」
会議室の前でクレールが立ち止る。
尻込みをする表情ではなかったので、アウロスはそれに異を唱えず言葉を待った。
「貴方の目で見て、私は呪われているように見える?」
不安げに。
そして、少し拗ね気味に。
「私が、恩人や想い人に呪いを掛ける、そんな魔女みたいな女に見える?」
「誰かにそう言われたのか」
コクリと頷く。
赤ん坊の泣き声を聞いたかのような心持ちで、アウロスは静かに微笑んだ。
「全然魔女には見えない。少しヒネた恋する乙女って感じだな」
「な、ななっ……!?」
「ミスト助教授の事を悪く言われても感情的になるなよ」
狼狽するクレールを尻目に、本日の主役となる論文を取り出し、パラパラと捲る。
真新しさはまるでない、地味な研究。
しかしその一つ一つが丁寧で、根気強い。
「良い研究だと思う。こう言う研究がもっと広まってたら、戦場で消えた命はもっと少なくて済んだろうな」
「え……」
唱えるのは、確かな事実。
実感。
そして、希望。
「絶対棄てるなよ。これからも、ずっと」
取り敢えず、腹は括って。
「じゃ、行きますか――――」
扉は開かれた。




