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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
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第4章:偉大なる詐術者(20)

 炎が揺れている。

 ゆらゆらと。

 ゆらゆらと。

 それはまるで、虚ろな夢心地の中で見る風景のように――――ゆらゆらと、ゆらゆらと。

 一片の火の粉が夜空に吸い込まれて行くその様子に意識を奪われた所で――――ルインは自分が生きている事にようやく気が付いた。

「おはよう」

 夜に交わす挨拶としては特殊なその言葉に、慌てて身体を起こす。

 その動作の際に自身の服が濡れている事を自覚しつつ、声の方――――隣で火をくべているアウロスに視線を寄せた。

「墜落箇所に運良く程良い深さの川があった。それだけだ」

 その視線だけで何を知りたがっているか察したアウロスは、視線を火から動かさずにそれだけ述べる。

 尤も――――実際は、それだけではなかった。

 魔術の制御に全精力を傾けたルインに着地点の視認など行える筈もなく、彼女の記憶には空中と森の境界あたりまでの漠然とした視覚的情報しか残っていない。

 その後からこの状況に至るまでの全てを、アウロスが行った事になる。


 ――――川があったとして、本当にそこへ一直線に落下したのか?


 ――――川に飛び込んだ後、気を失っているルインはどうやって岸へ?


 ――――全身びしょ濡れのルインをある程度まで乾かしたのは?


 ――――夜になるまでの時間、森林の住民である獰猛な生物からルインを護ったのは?


 ルインの頭に浮かんだであろう幾つもの疑問を、アウロスは殆ど予測していた。

 しかし、それに答える事はしない。

 ルインもまた、疑問を口にする事はなかった。

 取り敢えずその理由が三つ目辺りに存在している、と言う事は双方の一致する所である。

「身体は大丈夫か? 大きな怪我はないと思うけど」

 その代わりに、アウロスはルインの負傷について問う。

 その目は未だ炎を向いたまま。

「ええ、恐らくは。貴方は?」

「ま、多少は。動けない程の怪我じゃない」

 実は右肩に尋常でない痛みを感じていたが、それを口にする事に抵抗を感じ、アウロスは嘘を吐いた。

「それにしても、随分とうなされてたな。悪夢でも見てたのか?」

「悪夢……そうね、そんな所。昔の記憶を少し」

 静かに揺れる炎は、彼女の目には映っていない。

「奇遇だな。俺も少し前に昔の記憶を思い出したばかりだ」

 その光なき眼が、アウロスの言葉に揺れた。

「懐かしさなんて欠片もなかったけどな」

「同じく」

 肩を竦め、小さく溜息を漏らす。

 アウロスはその仕草に苦笑しつつ、自らの身体を持ち上げた。

「歩けるか?」

「ええ」

「聖輦軍のしつこさは筋金入りだ。あの崖から落ちたと言っても、それで見逃してくれる保証はない。とっとと此処を離れるとしよう」

 そう言いながら指を舞わせ、字を綴る。

 8つの文字が消えると同時に小さな冷気が出現し、炎の中に落ちて行った。

 炎は『ジュッ』と言う音と共に霧散し、辺りは瞬時にして闇に包まれる。

「じゃ、行こう」

 ルインが立ち上がったのを確認し、先程着水した川の方へ向かって、道なき道を歩き出す。

 上から見た限り、集落のような人のいる場所は確認できなかった。

 しかし、幸いな事に川がある。

 川に沿って歩いて行けば、いずれは集落に辿り着ける。

 人は水のある場所に集まるものだ。

「……」

 アウロスはその川の水をすくい、こそっと右肩にかけた。

 その程度では殆ど鎮痛作用など働かないが、多少は気が紛れる。

「……どうしたの?」

「何でもない」

「そう」

 夜の森のBGMは虫の鳴き声がメインで、自然と調和しきれていない二人の耳にはそれが不気味に響く。

 それが視界の不明瞭さと重なって、必要以上に精神力を削られる。

 そんな中を、疲労困憊の状態で歩くのは、辛くて仕方がない。

 こっそりと負傷しているアウロスには尚更だ。

 その状態で、草を掻くように4つの脚がゆっくりと蠢く。

 闇夜に浮かぶのは、朧月。

 時折飛び立つ羽虫の微かな鱗粉がその月光に反射し、仄かに彩る。

 沈黙での歩行は、1時間に及んだ。

 そして――――

「貴方は……」

 突如、ルインが口を開く。

「貴方は、どうして今の生き方を選んだの?」

「何だ唐突に」

「一攫千金論文なんて、研究者にとって屈辱的なレッテルを貼られた研究を続ける事に、どれ程の意味があるの?」

 初めはケンカを売られてるのかと思い、半眼で隣を睨んだアウロスだったが――――それが間違いである事に気付き、顔を直した。

「俺にとって、この論文の作成は生きる事と同義なんだよ」

「周りは関係ないと?」

「まさか。評価されてナンボの世界だろ」

 最寄りの木に左半身を預けて、呟く。

「この論文で評価を得て、アウロス=エルガーデンの名前を歴史に残す。その為なら何でもする。幸い、底辺付近の生き方に慣れてるから辛くもない」

「……奴隷、とか?」

 ルインの言葉にアウロスは一瞬目を見開いたが、自分の記憶を確認して一人納得した。

 確かに――――2人は7年前に一度だけ逢っていた。

「御互い、良く思い出せたもんだな。時間にしたら30秒程度だろ? 俺とお前が会話したのって」

「私の記憶力を貴方の将来を暗示しているかのようなその薄い頭と一緒にしないで頂戴。私はずっと前から……」

 皮肉げな笑みを浮かべ軽口を叩いたルインだったが、そこで言葉を断裂させた。

「何だよ?」

「それにしても蛾や蚊の多い森ね。明日は痒さで苛々しなければならないと思うとウンザリ」

 あからさまな話題転換。

 追及するのは面倒だが、羽虫の話題を膨らますのもどうかと思い、アウロスは別の話題を提供する事にした。

「それで、お前の方は何で今の生き方を選んだんだ? 暗殺者を狩るなんて真っ当とは対極にある生き方を」

 普段なら、他人の生き方に疑問を投げ掛けたりはしない。

 自分が聞かれたと言う事もあるが、それよりも『自分』の記憶の住人であったルインに対して興味が湧いた――――正確には興味を湧かせていた理由がわかった――――事が大きい。

 僅かな時間ではあるが、7年前に見た少女と眼前に佇む女性の間に、何があるのか。

「人探しよ」

 それは非常にシンプルな回答だった。

「暗殺者をか?」

「ええ」

 ルインの首肯に対し、アウロスは思案を練る。

 その様子を見たルインは何故か嬉しげに、どこか自嘲気味に顎を引いて微笑んだ。

「……敵討ち、とでも思ってるのでしょう?」

「違うのか?」

「ええ。違う」

 断言し、振り返る。

 目の前は未だ暗闇の森。

 月明かりは薄く、湿った落ち葉の下では何種類もの昆虫が生まれては死んで行く。

「私があの男を捜しているのは――――」

 アウロスはその刹那、空を見た。

 その行動に意図はなく、事実、言葉はしっかりと聞こえた。

 それでも、無意識に取ったその行動に意味はあったのだと、何となく思った。


 ――――アノオトコニコロサレルタメ


 アウロスに、ルインの顔は見えなかった。

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