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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
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第4章:偉大なる詐術者(18)

 足場の悪い森の中を疾走する事20分――――アウロスの眼前から樹が消えた。

 緑の代わりに広がるのは、風の塊。

 そして、一面の青。

(ここは……)

 逃走ルートと信じ、辿り着いたそこは――――断崖絶壁の上だった。

 狼狽を隠さずに地面の果てまで向かい、その下の景色を見る。

 その視界には、凄まじい角度の岩場が微かに下部を埋めている以外は、一面の緑が広がっていた。

 高低差十数メートルはあるその光景から視線を上げると、緑の絨毯は遥か彼方まで伸びている。

 もしこれがハイキングや山登りの途中なら、その美しさに迷う事なく価値を見出せるだろう。

 しかし、現状では当然そのような心持ちにはなれず、アウロスは内心頭を抱えた。

 と――――

「うわっ!」

 同時に、背後から再び轟音。

 一瞬平衡感覚を失ったアウロスは危うく崖から落ちそうになり、腕を回して抵抗する。

 腕を回す事に意味があるかどうかは兎も角、疲労により筋力が著しく低下した足腰は、それでも生命の危機をかろうじて回避してくれた。

「ふはははははっ!!」

 今度は盛大な笑い声。

 アウロスはここ数秒の滑稽な自分が笑われていると思い、若干顔をしかめつつ振り返った。

 しかし、そこには人の姿はなく、代わりにその前方――――森の中で忙しなく動く2つの魔術反応が確認出来た。

 気配を読む事が得意でないアウロスだが、魔術が使用される際のエネルギー反応、つまりは魔術反応については容易に認識出来る。

 その反応は、徐々に近付いて来た。

「無駄よ無駄無駄! 魔術などワタシの前ではまるで無力! さあ朽ち果てよ【死神を狩る者】! そしてワタシの名誉を回復させるのだあっ!」

「くっ……」

 ほぼ同時に森を抜けて来たのは、共にアウロスの記憶の中の住人だった。

「ルイン!」

 その片方、味方だと認識している三角帽子に黒いローブの女性へ駆け寄る。

 ルインは一瞬驚愕の表情を浮かべたが、直ぐにもう一人――――敵だと認識している男へと向き直った。

「どう言う事なの……?」

「どうもこうも、俺はてっきりお前が合図を出したと思ってここまで……」

「そうじゃなくて! あの男よ! 何故魔術が効かないの!?」

 半ばヒステリック気味に叫びながらルインが睨んだ男は、以前大学でアウロスにあっさりひっそり倒された、自称聖輦軍の一員『ウェバー=クラスラード』その人だった。

「ククク、仲間がいたか……ム? ムムムムム?」

 アウロスの顔に気が付いたらしく、ウェバーの表情が徐々に笑みを帯びる。

 それは、ようやく巡り会えた運命の人を見る目だった。

「これは驚いた。ここでこの再会とはね。まさに神の賜えし汚名返上の時、と言う訳か」

「知り合いなの?」

「ま、ちょっと……。それより、これはどう言う状況なんだ」

 そんな熱い視線を避けるように、隣のルインへ顔を向ける。

「追っ手の補充要員でしょう。その景色に見惚れている間に追いつかれたのよ」

 ルインは落胆に満ちた表情でそう答え、背後の崖を視線で指した。

 晴れ晴れとした青空に漂う絶望感が余りに滑稽だ。

「【死神を狩る者】も堕ちたものね。退路の確保なんて安全な役割すら果たせないなんて」

 息も切れ切れにそう呟くルインの顔は、自嘲に満ちていた。

 この一日で幾度となく見せて来た『今までにない顔』の中でも、最も彼女から遠い、それでいて何処か似合っている、そんな顔。

 それだけに、憂いの感情は声色以上にくっきりと現れていた。

「ワタシは構わないがね。今の力がどうあれ、君の首に掛かる賞金とネームバリューは美味しい限りだ」

 そんなルインの憂いなどまるで興味ないと言いたげに、ウェバーの声が割り込んでくる。

 まるで舌なめずりする肉食動物のような、獰猛な目。

 以前は闇に隠れ殆ど見えなかったその目は、戦闘経験を積んだ者特有のものだった。

「そして御隣。立場的には相棒の危機的状況に駆けつけた騎士と言ったところだろう。以前と同じだね。しかし、今度はそう上手くは行かないぞ。何しろ、今のワタシには魔術は一切通用しないのだからな!」

 その科白を糧に、ウェバーは狂ったように笑い出した。

 森の中で羽を休める野鳥が逃げていきそうな程の、不快極まりない大声。

 アウロスは思わず耳を指で塞ぐ仕草をしつつ、口を開く。

 魔術を打ち消す効果を持った存在。

 聞き覚えのある、その名を呟く為に。

「……バイラス、か」

「ほう? まさかその名を知っているとは……成程、流石ワタシを一度退けただけの事はある。唯の魔術士ではないようだ」

「どう言う事?」

 唯一事情を飲み込めないルインが、アウロスに黒目を向ける。

「魔術を一切受け付けない生物兵器だ。恐らくは、それを魔具にでも宿してるんだろう」

「残念! 惜しい!」

 人差し指でアウロスを指し、両手を広げて空を仰ぎ、両目を手で覆い、再び両手を広げる。

 動作の一つ一つが大袈裟なのは変わっていない。

「惜しいって事は、まさか魔具じゃなく……」

 アウロスの脳裏に、昨日見た骨が浮かぶ。

 もし、あれが人間のものだとしたら。

 そして、それが実験道具の一つだったとしたら――――

「身体そのものに組み込んだ、とか言い出す気か?」

「ビンゴッッッ! 凄いねキミ! 凄いよキミ!」

 興奮を抑えられない様子で、ウェバーが叫ぶ。

 アウロスはそんな騒音に等しい大声に対し、冷静に、淡々と状況の好転手段を考える。

 まずは――――燃料投下。

「とは言っても、仕組みについては一切知らないけどな」

「当然だ。この研究は常に魔術士の届かない所で行われて来た。なにしろ、魔術士に対する最終兵器だったのだから」

 第一段階は成功した。

 その報酬は、情報。

 このような状況においても、アウロスの脳は情報を欲する。

 それがいつも追い風を生んで来たからだ。

「遥か昔。魔術士に迫害されていた少数民族が対抗手段として生み出した生物兵器だったが、魔術士はその殆どをものともしなかった。結果、このデ・ラ・ペーニャにおいて魔術士に逆らう民族は消え失せた。しかし連中は、社会の片隅でひっそりと魔術士への怨念を蓄えていたのだ。その結晶が【魔術消失の技法】。魔術士を唯の人にしてしまう、まさに究極の魔術士殺しだ」

 演説は続く。

 ルインの視線が一瞬アウロスに向いたが、アウロスはそれを目で制した。

「しかし、所詮は弱者の寄せ集め。いとも簡単に裏切り者が現れ、その技術は極一部の魔術士の手に渡る。斯くして、魔崩剣のような使い手を選ぶ技術を除き、魔術消失の技法は我ら正しき魔術士が握る事になった、と言う訳さ」

 そこまで言うと、ウェバーはアウロス達に背を向けた。

 宙を仰ぐように両手を振り回し、身振り手振りを駆使して話を盛り上げる。

 非常に鬱陶しくもあり、大いなる隙でもある。

 しかしそれは同時に、『魔術消失の技法』への絶大なる自信を表していた。

 例え背を向けても魔術士に後れを取る事はない――――そう背中が語っている。

「とは言え、流石にその総てが明るみになった訳ではない。その研究には長い年月を要した。しかし! 名うての研究者を使って、ついに実戦に使用出来るレベルに漕ぎ着けたのだよ」 

「あの小屋はその研究者のラボ、って事か」

「今後に役立つであろう書物などは大方持ち運んだがね。さあ、冥土の土産はここら辺りで良いだろう。魔術に溺れ正しき道を踏み外し者どもよ、正義の鉄槌に沈むが良い!」

 2人の魔術士に対し牙を剥き出しにした今のウェバーは、魔術士殺しそのものだった。

 しかし、それを狩って来た筈のルインに煌きは微塵もない。

「絶体絶命、ね」

「あの中年くらいなら魔術使わなくてもどうにか出来るんじゃないか?」

「あの中年だけなら、でしょう?」

 その理由は、眼前の男以外にもあった。

「例の殺気……あの持ち主がすさまじい速度で近付いてる。いくら私でも、魔術の通じない相手に加えてアレを相手にとなると……手に余る」

「あの連中もそろそろ動けるようになる頃だしな……」

 アウロスの脳裏に、細目を筆頭にした6人の顔が浮かぶ。

 たかが1人の少年に出し抜かれた連中の矜持崩壊たるや、目の前の男の顔を見れば想像に難くない。

 この絶望的な状況に嘆息するアウロスの横で、ルインがボソッと呟いた。

 視線も合わせずに。

「私に1分間、命を預けられる?」

 その言葉は、通常より遥かに強い浸透力で、アウロスの耳を通過し、心を通り、頭に届いた。

 その意味は、その意図は――――不思議な事に、アウロスの脳にはそんな疑問が一切生じなかった。

「わかった。預ける」

 或いは――――アウロスの判断基準としては余りに異例の、感性に拠るものだったのかもしれない。

「良いの? そんな即決で」

「ああ」

 そんなぶっきらぼうな返事と同時に、6つの影が森を突き抜けた。

 こちらが先に着いたらしい。

「よっしゃ発見一番乗り! あれ、ウェバー様?」

 纏縛から解放され、ようやく駆け付けた聖輦軍の面々が意外な顔で同志を見る。

 そして、代表として禿頭の男が一歩前に出た。

「ウェバー様。【死神を狩る者】の追跡は我々が受けた命の筈ですが……」

「許可なら兄から得ている。ここはワタシの見せ場なのだよ。お前達は見物でもしていろ」

「しかし……」

「黙れっ! このワタシがそう言っているのだ! 【死神を狩る者】を摘むのはこのワタシしかいないのだ! それにもう一人の男もな! お前達の出る幕ではないのだ!」

 振り返り、怒鳴る。

 この機会を神からの贈り物と位置づけたウェバーの剣幕は、明らかに常軌を逸していた。

 その狂気じみた迫力に気圧され、禿頭の顔が引きつる。

「それとも、ワタシに歯向かうかね? 魔術士総てを凌駕した存在の、このワタシに」

「いえ、それは……」

「良いじゃないですか。ここは上司に華を持たせましょう」

 ポン、と鷲鼻が禿頭の肩を叩いて場の収拾を図る。

 それで話は終わった――――そんな空気に満足してウェバーが再び振り返る。

「さて。随分待たせてしまったね……ム? ムムムムム?」

 すると、その視界には明らかな違和感が発生した。

 アウロスとルイン、2人のサイズが共に一回り小さい。

 何故なら、先程までの位置よりも後退り、崖の端に立っていたからだ。

「その体勢はどう言う事かね? まさか、そこから飛び降りるつもりかね? ワタシに殺されるくらいなら2人一緒に身を投げる、そう言う演劇の世界の御話かね?」

 信じられない、と言った面持ちで首を振る。

 それに対し、アウロスもルインも反応はしない。

 それが真実味を一つ堆積した。

「止めておきたまえ。心中などしても極楽浄土には到底行けはしない。正義の鉄槌によって清められ、初めてそこへ向かう事が許されるのだ。さあ、こっちへ来なさい。何なら抵抗しても良いのだぞ? これは好機じゃないか。ワタシに勝てれば残りの6人には手出しをさせず、速やかに逃がして差し上げると約束する事もやぶさかではないぞ?」

 諭すような物言いで矢継ぎ早に捲くし立て、ウェバーは近付いて来る。

 一方、その対象である2人はその言動も所作も完全に無視し、目だけで向き合った。

「予め言っておくけれど、この高さで試した事は一度もないから」

「だろうな」

「それに、2人でと言うのも初めてだから」

「だろうな」

 一拍の間。

 そして――――

「……御免なさい」

 ルインの顔が、急激に若返った――――そんな錯覚をアウロスは感じた。

 正確には、少女のような顔。

 それは現状の危機すらも忘れさせる程の衝撃で、アウロスは思わず目を丸くして彼女に顔を向けた。

 世の中、生きていると何に遭遇するかわからない。

 そんな感想を抱きつつ、内心で笑みを浮かべる。

 恐らくは、ずっとひた隠しに隠してた、魔女の、【死神を狩る者】の、正しき内面。

 であれば、それに応える言葉は自然に。

「別にお前の所為じゃない。俺の行動は全て俺の責任だ」

 在りのままに。

「だから、気にするな」

 そして、切実に、惜しみなく。

「ただ、もしお前だけ生き残ったら、俺の論文を……お前が信用する研究者に託してくれ。そして、アウロス=エルガーデンの名前を残すように頼んで貰えると有り難い」

 それに対し、返答は刹那。

 微かな揺蕩を見せる瞼の、上下への律動。

 想いは、確かに通じ合った。

「……手を」

「ああ」

 そして、2人は繋がれる。

「ま、待て! その首をワタシに寄越すのだ! 勝手に死ぬ事など許されないぞキサマらああああ!」

 空は青かった。

 どこまでも青かった。

 だからこそ、黒は映える。

「じゃ、宜しく」

「ええ」

 それは一瞬。

 美しい光が文字を綴り、鋭い風が2人を包む。

 微かな岩の欠片が宙を舞い、そこにあった足が地面を離れた合図となる。

 醜い叫びから逃避するかのように、2人の身体は空に吸い込まれ、落ちた。

「有り難う――――」

 そんな言葉と共に。


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