第4章:偉大なる詐術者(12)
窓から差し込む光が、一瞬覆いかぶさるように視界を奪う。
一斉攻撃は――――なかった。
「……」
アウロスは舌打ちが聞こえる事も覚悟しつつ、背後に意識を向ける。
背中に感じたのは、微妙な安堵の空気。
それに何となく苦笑しつつ、前方の様子を探る。
室内は大学の助教授室よりもかなり広く、全体的に整然としており、装飾品の一つ一つがいちいち威厳を醸し出している。
しかし、部屋の様子よりも優先して分析すべきは――――中の人間。
そう判断したアウロスの目に、先程の二人と思しき人物の映像がくっきりと焼かれる。
その中の一人、紫のローブを身にまとった教会の者らしき男は、名簿を片手に驚愕の表情を浮かべていた。
ラフな格好のもう一人は――――白い仮面を被っており、表情を窺い知る事は出来ない。
しかしその仮面には、何か記憶を刺激する引っかかりがあった。
「お初に御目に掛かります。御二方」
そんな思案顔のアウロスを尻目に、まるで罪人を追い込んだ役人のような素早さと大胆さで、ルインが前に出る。
「と言う訳で、早急にその名簿をよこしなさい」
科白はほぼ盗賊のそれだった。
「な、何ですか貴方達は!」
当然のように驚愕の表情を怒りと怯えに移行させている教会の男の問いを無視し、不敵に笑う魔女。
アウロスはその不遜な姿を半眼で睨んだ。
「交渉はどうした交渉は」
「覚えておきなさい。交渉術の三本柱は『強気な姿勢』と『強情な口調』と『強靭な意思』よ」
それは詐欺に騙されない為の三本柱だったが、アウロスはいちいち指摘する気にもならず、代わりにルインより一歩前に出て、眼前の二人に温和な表情を見せた。
「ええと、今のは言葉のミスチョイスです。申し訳ありません。実は我々、そちらの仮面の方が所持しておられると言う名簿の事を以前から捜索しておりまして、それを譲って頂けないかと思い、居場所を探していたのです。偶々こちらに向かったと聞き及んだので、失礼ながらお邪魔致した次第で……」
普段使わない丁寧を装った言葉で、強引に場の収拾を試みる。
相手の出方次第では最悪の展開もあり得るだけに、緊張感の伴う表情だった。
それが上手い具合に通じたのか、名簿を持つ男の表情が――――微妙にだが――――緩む。
「ほう。何処から聞き及んだのかは存じませんが、これを欲しがっている人間が他にもいるとは。世の中、広いのか狭いのかわかりませんな」
「他にも、と言う事は……貴方も?」
先程のやり取りを盗み聞きしていたので知っている事だが、一応そう口に出す。
こう言った潤滑油的な発言は、会話をスムーズに行う為に必要不可欠なものだ。
「ええ。しかし残念でしたね。既にこのテュルフィング殿との交渉が成立しましてな。これは既に小生の所持品ですよ」
「……」
その名前に聞き覚えのあったアウロスは、確認するように改めて顔を――――仮面を見た。
「どうも」
薄気味悪い笑顔を模した仮面が小さく揺れる。
その挙動に、アウロスは不快感が生まれている事を自覚した。
(何でよりにもよってこいつが……)
自称『情報屋』テュルフィング――――そう名乗る男との初対面時に放たれた異様な殺気が蘇って来て、アウロスは更に顔を歪める。
その様子に因縁めいたものでも感じ取ったのか、教会の男が何かを勘繰るような表情でアウロスを覗き込んだ。
「お知り合いですか? まあ実際、このような物を扱う者と欲しがる者、知り合いである可能性も十分ありましょう」
そして、含みのある言葉を放ち、視線をアウロスから壁に掛けてある絵画へと移した。
その絵には、老人が杖を掲げて大勢の人間を従えると言う構図がダイナミックな色彩で描かれている。
「では、そう言う事なので御引取りを」
「待ちなさい」
話を締めようとした、明らかに権力を有していると思しき教会の男に、ルインが制止を命令する。
「貴方がたが幾らでそれを売買したのか教えなさい。私はその倍出しましょう」
そして、強気な姿勢と強引な話術で強靭な意思を露わにした。
「……と言うより、典型的なチンピラの割り込みって感じが」
「どう?」
アウロスの左足にローを入れつつ、テュルフィングを睨むように問う。
しかし、相手の反応は薄かった。
「生憎、金銭との交渉ではありませんでしたので、倍と言われても返答しかねます」
明確な拒絶に芽はないと判断したのか――――ルインはあっさりと視線を切って、その隣の紫ローブの男へと移す。
「では、貴方。今しがた手に入れたばかりの名簿を私に譲りなさい」
「随分と無茶を言いますね……そんな事が出来る訳ないでしょうに」
呆れるように首を左右に振る教会の男の隣で、仮面の男は逆に首を縦に揺らした。
笑っているらしい。
「ははは。流石は【死神を狩る者】」
「!」
ルインの表情が如実に変化する。
彼女と彼女の異名を知っている――――それがどの程度の意味を持っているのかわからないアウロスには、その変化は意外だった。
「まあ、登場の時点で相当な無茶ですけど」
「ほう、この方がかの有名な……それはそれは」
紫ローブの男も名だけは知っていたらしく、感心するように深々と頷いていた。
そして何故か薄ら笑みを浮かべ、ルインの顔を覗く。
その動作をルインは過剰なまでに嫌い、顔を背けた。
それを合図に、テュルフィングの足が動く。
「では……私はこれで。実に良い取引でした」
「待ちなさい!」
話はまだ終わっていない――――そんな主張を声色に出して叫んだルインを、扉の閉まる音が遮断する。
単に閉まっただけではなく、扉の取っ手の周りに淡い光の輪が咲いた。
封術だ。
「【死神を狩る者】――――やれやれ、噂通りの気性ですな」
それを行使したのは、ルインの後方で杖をついている、教会に組する中年の男だった。
いつの間に杖を用意したのか、そしていつの間に術を綴ったのか――――彼から視線を外していた二人にはわからなかった。
それ程、機敏な行動だったと言える。
しかも、遠隔の封術と言うのはそれなりに難易度が高く、アカデミーなどで習う事はない。
それをあっさり使いこなすその姿は、魔術士としての力量を明確に示している。
そして、この魔術士はそれを意図的に行ったとアウロスは読んだ。
【死神を狩る者】の名に対する力の誇示――――それが何を意味するのかは、想像に難くない。
「本来なら、司祭であるこの【ウェンデル=クラスラード】の部屋に無断侵入するなど、死に値する重罪なのですよ?」
その声は、これまでのトーンと同じだった。
同じ故に、異常性すら感じられる。
無理矢理押し込んだのは間違いなく敵意だ。
「ルイン。潮時だ」
このままでは、何の利もない唯のお仕置き戦闘に突入してしまう。
事前に想定していた最悪を更に上回る事態に発展しかねない状況に対し、アウロスは断固拒否の構えを示した。
「突然押しかけて申し訳ありませんでした。失礼します」
反省の弁を述べつつ一礼し、ルインの手を取って扉の前に向かう。
「フフフ……簡単に出られ――――」
そしてすんなりと封術を解き、ウェンデルと名乗った司祭の部屋を出た。
それと同時に封術も施したりする。
その間、実に6秒。
それでも『どうせ解けないであろう』と言う油断と優越感を交えた感情がウェンデルになければ、脱出は困難だっただろう。
「なっ……!」
背後から驚愕の呻き声が漏れる中、アウロスは可能な限り遠くに行こうと、ルインを多少強引に引っ張る。
そして、曲がり角に差し掛かった所でようやく止まった。
「……」
ルインは終始無言だった。
それに何となく嫌な予感を覚え、顔色を窺う。
「怒ってるのか? だがあの状況で粘っても……」
アウロスは絶句した。
ルインは――――赤面していた。
「? ? ?」
熱で変形する思考回路を無理矢理冷却しつつ、その原因が手にあると判断し、咄嗟に離す。
まさか、この程度のスキンシップでそんな反応をされるとは思ってもいなかった17歳の少年は、取り繕う言葉も見つけられずオタオタしていた。
「名簿……」
そんなアウロスの様子を嘲笑うべき普段のルインは何処にもおらず、何となく未練がましい目でボソッと呟く。
「ほ、他の奴に渡ったんだから仕方ないだろ。今は諦めろ」
珍しい、どもり。
今一つ調子の出ない自分の口にパンチしたい気分で、アウロスはフラフラとルインから離れた。
「兎に角、今後については一度戻って考えよう。さ、行く――――」
そう言って一歩踏み出した刹那。
アウロスの目が生き返ったように――――死んだ。
本気で気に食わない相手と対峙した時、アウロスの目は死ぬ。
目――――正確には眼輪筋を含めた目の周辺の器官は、最も相手に感情を教える箇所だ。
それを殺す事で、できるだけ敵に思考を悟られないようにする。
それだけが目的でもないが。
「……何の用だ?」
「そう構えないで下さい。私は貴方がたの敵ではありません」
その目でアウロスの敵意に近い警戒を汲み取ったのか。
そんな科白を吐き、テュルフィングは肩を竦めて見せた。
「特に【死神を狩る者】。貴女を敵に回すのは無謀ですから。御活躍は常々窺っていますので」
下手に出るような言葉で、アウロスの後ろにいるルインへの脅威を口にする。
しかし、あの殺気を覚えているアウロスはそれを鵜呑みには出来なかった。
そんなアウロスを視界に納める事なく、テュルフィングの口が再び開く。
「そこで提案ですが……あの名簿はお譲り出来ませんけれど、別の有益な情報を御提供と言う事で、どうでしょうか?」
情報屋らしい営業口調。
胡散臭さはこの上なかったが、ルインは興味を抱いたらしく、警戒しつつも食い付いた。
「料金は?」
「友好の印に無料で」
「……」
只より高い物はない――――それが世の常だ。
ルインは警戒心を強めた顔で、テュルフィングの仮面を睨み付けた。
「心配せずとも、この情報に裏はありません。どうせ貴女にしか意味を成さないですし、出し渋る必要もありませんから、どうぞ持って行って下さい」
ルインの視線を微風のように受け流し、テュルフィングは小さな紙切れと羽ペンを衣嚢から取り出した。
「サッサッサッ……と。まあこの程度のものです。はいどうぞ」
僅か一行程度の文章をしたため、まるで子供を諭すような物言いでルインに手渡す。
そして、今度はアウロスの方に仮面の表を向けた。
「私が信用できない、と言う顔ですね」
「素性も知らない、素顔すら晒していない人間の何を信用するんだ」
「私は知ってますよ。貴方の事を色々と」
「……」
その表情なき姿が、わざとらしい驚嘆を身体で表現する。
「素晴らしい反応です。実に肝が据わっている」
アウロスの無反応に対し賞賛の声を上げつつ、身体の向きを変えた。
「では、失礼」
名簿を売買した事以上の収穫があったとでも言わんばかりに、上機嫌な足取り。
最後まで声をくぐもらせ、テュルフィングはその場を去って行った。
「信用するのか?」
「それに値する内容なら」
ルインは強気な姿勢を崩さない。
あの三本柱は、或いは彼女が彼女自身である為に必要な要素なのかもしれない――――とアウロスは思ったりしたが、それだけに先程の取り乱した様子が奇妙に映った。
「……まあ、良いか。それじゃ俺等も帰るとしよう」
その言葉に同調したらしく、アウロスの後ろに足音が連なる。
そして、一階から地下へ足を踏み入れようとしたその時――――
「!」
その足を強引に引き止める程の凶悪な殺気が、二人の首筋を圧迫した。
この辺りに、その発生源たる人間はいない。
しかしそれでも尚、伝播してくる異常な殺気に、アウロスは胸を押さえて蹲りたい衝動に駆られた。
「あの男……か?」
脳裏に映るは、ついさっきまで対峙していた男の仮面。
アウロスは初対面時に受けた禍々しい殺気を思い出し、同様のものか比べてみた。
「違うでしょうね。あの男は既にこの建物を出ている。これは二階から」
形のない殺気を睨むようにして、ルインが解答を提示する。
アウロスの照合の結果も同じ結果だった。
二人の意見が一致した以上、答えは一つだ。
「となると、流れ的に考えてもあの司祭様、若しくはその手下か」
「巣へお帰りなさい、と言っていた割には素直に帰らせてくれるつもりはないようね」
教会の権力者が自身の部屋に不法侵入を許し、尚且つ封術をあっさり解除されてしまった。
矜持を傷付ける理由としては十分だ。
「それに、ここは死神のスポンサーが犇き合う、完全なる敵地だから」
「……しれっと危ない事を言うな」
教会は大学と同じく、様々な姦計が横行する悪意の巣窟だ。
加えて資金の豊かさは大学の比ではなく、一国の王家をも凌駕する。
そんな連中にとって死神――――つまりプロの暗殺者とお友達感覚で御付き合いをしている者も少なくない。
そのリストを記した名簿を司祭が欲するのも納得出来る程に。
そんな連中を標的にすると言う事は、教会関係者の悪巧みを邪魔する事に繋がり、それは怨まれるに十分な理由だった。
「どうする? 正直こんな殺気の持ち主を相手に大立ち回りなんて出来ないからな、俺は」
「逃げるにしても、視界の悪い水路は使わない方が良いでしょうね。一階に降りて人込みに紛れましょう」
「やれやれ……」
あれ程の殺気を放つ人間が、戦闘の専門家でない筈がない。
暗闇の中、そんな敵を相手に逃げるなり戦うなりするのは、余りにリスクが大きい。
そう判断した二人は、可能な限り気配を絶ちつつ、礼拝堂の方へ向かった。




