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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
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第4章:偉大なる詐術者(10)

 水の音。

 それは鼓膜を優しく撫でる、自然と人間を繋ぐ調和の音。

 脳を清める健やかな音。

 そして、どこか懐かしさを匂わす音。

 水滴の落ちる音が間断なく響く中、それとは対照的に漆黒の闇に包まれた非日常の世界を、アウロスは目を擦りながら歩いていた。

(……何で俺はここにいるのだろう)

 数十分前に研究室にいた人間が今現在いるのは――――数日前に来たばかりの地下水路だった。

 当然、何かが変わったと言う訳でもなく、炎で灯された暖かな色彩の視界は冷たい石壁を映し、流れる水は相も変わらず忙しない。

「もう少し早く歩けないの?」

 そして、アウロスの前を歩くこれまた忙しない雰囲気のルインは、苛々を隠さずに急かし付けた。

「せめて目的を聞かせろ。何が何やらわからずに歩かされるのが一番やる気出ない」

「面倒」

 却下、と言う事らしい。

「ったく……」

 全身で嘆息しつつ、状況を嘆く。

 では、何故このような状況になったかと言うと――――事の経緯は非常に単純明快。 

『付いて来なさい』

 学食で紅茶を飲んでいたルインのその一言だった。

 無論、協力の要請を呑んだアウロスに拒否権はない。

 目隠しして歩かされているに等しい状況なので不必要に疲れるが、反論しても余計に疲れるだけと判断したアウロスは、結局黙って歩く事を選択した。

 そして、沈黙のまま延々と、ダラダラと、トロトロと、グダグダと、約三時間歩行し――――

「ここを上がって」

 若干錆付いている鉄製の梯子の前で立ち止まり、そう指示される。

 マナーを遵守し先に上ったアウロスの頭上には、次第に乾いた空気が広がって行った。

「ここは……」

 辿り着いた場所は、特に何がある訳でもない小さな部屋。

 窓がない事、地下水路への出入り口である事から、何処かの建物の地下である事は想像に難くないが、そこに様式などの特徴は見られない。

「教会よ。ウェンブリー教会。正確に言うと、アランテス教会ウェンブリー支部」

 観察眼をフル稼働していたアウロスの背中に、明快な答えが届いた。

 教会とは言え、礼拝堂などの特徴的な場所を除けば、部屋自体に特徴がある訳ではないらしい。

 聖書の一つでも目に入れば直ぐに判断が付くのだろうが。

「教会……? そんな所に忍び込んでどうするんだ?」

「貴方の想像通り、私は暗殺者を探し、その連中を狩ると言う人間なの」

 ルインは『あの夜の瞳』で語りかける。

 初見であれば肌が粟立つような、底冷えを誘う視線――――

「そう言う連中の一部――――誰が呼んだのかは知らないけれど、センスを疑わずにはいられない【魔術士殺し】の情報をリストアップして名簿にした書類がここにある、との事」

「それを盗みに来たのか」

「人聞きの悪い事を言わないで頂戴。誰かさんじゃあるまいし、私は盗むなんて下品な行為はしない主義なの」

 剥き出しの敵意で、ここにはいない人物を非難する。

 アウロスは長らく疑問に思いつつも敢えて口にはしなかった言葉を、ここでとうとう発する事にした。

「……お前ら、何でそんなに仲悪いんだ? 前に言ってた『ミストに切られる』云々は理由にならないよな」

「さあ?」

 答える気なし。

 よって、推測でカマを掛けると言う強硬手段を用いる事にした。

「もしや三か――――」

 言い終わるかなり前に、凶悪な殺気がアウロスを襲う。

「誰があんな男を好むですって?」

「違うのか」

 実は結構怖かったのだが、表にはそれを出さずに対応。

 それが面白くなかったのか、ルインは吐き捨てるように言葉を繋いだ。

「あの男は変態よ。私は変態なんて好まない」

 それは言葉と言うより金槌だった。

「……こんな所で再就職以降最大の衝撃的事実を聞かされた俺はどうすれば良いんだ」

「私が変態を好まない事が驚愕に値するとでも?」

「ああ」

 ――――沈黙。

「冗談だ。にしても……変態? アレが? 寧ろ対極にあると思うが……」

 アウロスのミストに対する印象は、合理主義の野心家。

 そこに常軌を著しく逸した要素は見当たらない。

 尤も、そう言う人間に限って、隠された性癖があるのかもしれないのだが、アウロスにそんな世界を知る機会などある筈もない。

 頭を抱えるのも当然だった。

「あそこまで合理主義を徹底させるのは変態以外の何者でもないでしょう?」

「……お前は一度、一般的な言葉の意味と自分の認識を照らし合わすべきだと思う」

「?」

 本気で意味がわからないのか、孤高の魔女は『何言ってるのこのヘボスイワガネムシ(デ・ラ・ペーニャ北部に生息する貧相な外見の虫)』と言った顔で見やって来たが、アウロスは無視した。

「無駄話はここまでにしよう。で、俺は何をすれば良いんだ?」

「貴方、解術が得意なんでしょう? 私の行く手を阻む忌々しい封術をなぎ倒して頂戴。さし当たってはここの扉を」

 アウロスが特にそう言う事実を打ち明けた機会はなかったが、初対面時や先日の会話と言った材料がある以上、その推論は驚嘆には値しない。

 アウロスは『結局盗むのか』と言う心の声を大事に保管しつつ、息だけを外気に晒し、扉の方に向かった。

 幸い、この部屋の封術は論文の保管室とほぼ同じ難易度のもので、特に苦労する要素はない。

 案の定、程なく解除に成功した。

 尚、それに対する感嘆の声、特になし。

「それで、これからの行動はどうするんですか。ボス」

「名簿のありそうな部屋を探して進入し、閲覧を。なければ所持者と思しき人物を探し出し、交渉を」

「ありそうな場所……ねえ。その名簿って真っ当な代物じゃないんだろ? その辺の部屋に置いてあるとは思えないが」

 アウロスは後頭部を掻きつつ扉を開け、部屋を出た。

 そこには地下特有の冷然とした空気に包まれた石の回廊が左右に長く伸びており、等間隔で灯りが設置してあるので濃淡こそあれ光が途切れる事はなく、左右両方の突き当たりに階段がはっきりと見える。

 それをアウロスが眺めている間にも、ルインは立ち止まる事なく右の方へと向かい歩いていた。

「ここに来たのは初めてじゃないみたいだな」

 三メートル程離れて歩く二人の間には、その距離と同じだけの隔たりが頭の中に存在する。

 アウロスは若干歩を早めた。

「ええ。最近は大体月一のペースで来てるから、この辺りは私の庭も当然」

「月一……? 何でまたそんな頻繁に?」

「何故だと思う?」

 疑問に疑問で返す――――それは主導権を握ると言う目的の他に、会話をより弾ませ、相手との親睦を深めたいと言う心理が働く場合に用いられる事が多い。

 反面、純粋に言葉遊びを好む人間には無粋であるとみなされ、余り使われない。

「そうだな……金を貸している知り合いがいる、とか?」

「当てるつもりの全くない回答ね」

 ルインは、相変わらず彼女のデフォルトスタイルとも言える意地の悪そうな笑みを浮かべている。

 この表情を見れば、普通なら答えを教えるつもりなどないと判断してしまいそうな、そんな顔。

 その顔で、ルインはあっさりと答えを提示した。

「上司の命令よ。教会と癒着している人間がこの大学にいるから、その証拠を探せと」

「……癒着」

 アウロスの脳裏に、現在相棒として共に研究を行っているウォルトの顔が浮かぶ。

 しかし、彼の事は既に御咎めなしと言う事で話はまとまっているので、該当しない。

 そもそもミストが一研究者でしかないウォルトの不正を暴いた所で、メリットはない。

 魔具科に対して恨みがあるのなら、ウォルトを無罪放免にする筈がないのだから。

「となると、対象は……目の上のタンコブの前衛術科教授の二人、か」

「何が『となると』なのかは知らないけれど、指摘自体は鋭いと言っておきましょうか」

 ルインは何故か満足気だ。

「恐るべきは二十代教授就任成就への執念、だな。実際、そこまでする価値はあるのか?」

「当然あるでしょう。魔術士のブランド志向は年々高まっているのだから。就任に成功すれば、彼には絶対的な土壌が出来る。決して揺らぐ事のない」

 キッパリと言い切ったルインの顔に、笑みはない。

 それだけが理由と言う訳ではないが、アウロスは彼女がミストを全く尊敬していないのではと、言う疑問が湧いた。

 しかし、その答えがわかった所で何がどうなる訳でもない。

 よって口にする事はなかった。

「ま、何にせよ。貴重な情報をどうもありがとう」

「別に礼を言われる程貴重でもないと思うけれど? 貴方にプラスとなる話でもないのだから」

 一歩近付き、一歩遠のく。

 とは言え、その一歩にどれ程の意味があるのかと言うと、それが言葉の届く距離である事に変わりはなく、敵対した者同士の間合いなどと言う事でもないので、結局は意識の中にしか存在しない。

「取り敢えず、ここに入りましょう。早くなさい」

 ごく自然に主の物言いで解術を求めるルインに苦笑しつつ、しめやかにアンロック。

【資料1】と札に記されたその部屋は、何の歯応えもなく門を開いた。

 沈黙のまま進入し、明かりを灯す。

 地下の資料室と言うと、埃・蜘蛛の巣・カビが三種の神器ばりに定番なのだが、この部屋は定期的な清掃が行われているらしく、収納されている資料も整然としていた。

「さすが教会の資料部屋だな。大学とは違って神聖な雰囲気を滲ませてる」

「余計なコメントは良いから貴方も探して頂戴」

 感心するアウロスを尻目に、ルインは既に本棚を漁り出していた。

 微妙に三角帽子を目深にしている辺りが何とも言えない。

「なあ、これは盗みと何処が違うんだ?」

 アウロスの呟きに対する返答は聞こえなかった。

 実際問題、ルインの言う名簿とやらがここに存在したとして、それが真っ当な代物ではないとなれば、正規の方法で入手ないし閲覧するのは不可能に近い。

 盗むか脅すか――――そう考えると、盗む方が被害は少ない。

 無論犯罪には違いないが。

(ん……?)

 犯罪の幇助をどうにか正当化したいアウロスの目に、『簿』と言う字の記された文書が飛び込んで来た。

 まさかと言う思いでそれを手に取り、中身を見ると――――金銭や物品の出し入れの記録が物凄い数と額で並んでいた。

「出納簿か? こんな所にあるって事は……」

 ある意味最高の『お宝』が出て来たが、目的の品ではなかったので放置。

 結局この部屋をはじめ、同フロアの室内から殺戮者の名簿が見つかる事はなかった。

「次はどうすんだ?」

「今日は礼拝日なので一階には人が多い筈。それを利用して上の階へ移動します」

 その言葉を餌に、アウロスは思考を肥やす。

「万が一見つかっても、無知な参拝者を装えば良い……か。逆に人気のない時間だと、関係者の意識も『見覚えのない顔=不審者』となり易いからな。意外とそう言う時間は侵入行動に向いてない」

「御託は良いからさっさと……?」

 ルインの顔が、扉から壁へと移る。

 そこに何がある訳でもないのだが、その理由はアウロスにもわかった。 

「……誰かいるな」

「ええ」

 当然、二人の視線の先には人影はない。

 だが、その壁を隔てた向こう側の通路に人の気配が二つ、確かにある。

 アウロスは瞬間的に明かりを消し、苦手ではあるが気配を消す努力をした。

「もし、ここに入って来たらどうする?」

 気配さえ消していれば、闇の中で相手をやり過ごすのは難しくない。

 相手が気配を察知出来る達人であっても、それを凌駕する気配の消し方を知っているルインは問題がない。

 しかしアウロスはと言うと、結構微妙だ。

(そうなったら俺は……見捨てられそうだな。確実に)

 その時の心構えだけはしておこう、と心に誓いつつ、アウロスは気配の動きを待った。

 徐々に足音も聞こえてくる。

 その音が――――扉の向こうを通過した。

「来る気配はなし、か」

「……シッ」

 ルインの顔付きが変わる。

 通過して直ぐに足音が一度止まり、そして――――扉の閉まる音がした。

 それが隣の部屋である事は容易に判断でき、アウロスとルインは特に示し合わす事なく壁に近付いて、盗み聞きの体制を整えた。

 尚、アウロスは再就職以降、これで三度目の盗み聞きと言う事になる。

 盗賊と言われても仕方のない頻度である。

「申し訳ありませんね。余り人目に付く場所で話すのは職業上苦手でして」

 壁一枚隔てた声は、明瞭とまではいかなかったが、内容を理解する分には問題なかった。

「それは構いませんよ。教会での会合は見つかれば事ですから……それで話とは? また例の件ですかね?」

「ええ。その件です」

「残念ですが、こちらの提示した条件はこれ以上譲る気はありませんが……」

「いえ、今回は代替条件として相応しい物を入手しましてね」

「ほう?」

 それから暫く、アウロス達に声が届かなくなった。

 耳打ちレベルの小声で『相応しい物』を提示しているようだ。

「何と……! あの名簿を?」

 名簿――――その単語にルインの顔が弾けるような反応を示す。

「どうでしょう? 決して悪い条件ではないと思いますが」

「ふむ……良いでしょう。これから別件での取引に行かなければならないのですが、どうやら優先順位が変わったようだ。どうぞ、小生の部屋へ」

 その言葉を最後に、会話していた二人は階段を上がって行った。

 緊張状態を解しつつ、アウロスはルインと目を合わせる。

「えらく都合の良い展開だが……どうする?」

「勿論、追うに決まっているでしょう。物音を立てず、気配も消しなさい」

「いよいよコソ泥の色合いが強くなって来たな……」

 アウロスは盗聴続きの自分に嘆きつつ、黙して進むルインの背中を忍び足で追った。


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