第4章:偉大なる詐術者(9)
礼拝日から一週間後、つまり礼拝日。
第二回『クレール盗作疑惑事件対策会議』が粛々と開かれた。
「それは良いんだけど……何で大学の、それも研究室でやるの?」
不満の声はラディから上がる。
クレールも同席しているが、こちらは当然ながら非難出来る立場になく、朝一の珈琲を眠たげな目ですすっていた。
「昨日徹夜だったんだよ」
「で、今日も休日出勤だから、いちいち戻るのが面倒だったと」
不健康な研究者のイメージさながらに、自席に座るアウロスの目の下にはクマが浮かんでいた。
「んで徹夜ついでに、ガルシド=ヒーピャの論文のオリジナル原稿をちょっと覗いてみたんだが」
「は……はあっ!? どどどうやって!?」
既に大学に提出した論文原稿は、謄本であれば簡単に入手出来るのだが、オリジナルは本人ですら持ち出す事は出来ない。
厳重な封術を施した保管室に眠っているからだ。
それを良く知るクレールは一瞬で眠気が吹き飛んだのか、いつも以上に目を大きくして驚愕を露にしていた。
「ま、ちょいちょいっと」
一方、当のアウロスは耳を掻きながら平然と述べる。
実際、地下の監房程の難解さはまるでなく、比較すると細い木でつっかえ棒をしているようなものだった。
「ま、特に何もなかったけどな。さすがに露骨な証拠は残さなかったみたいだ」
「そう……」
クレールの声が失望を添える。
期待させておいてそれはないだろ、と言う視線を感じ、アウロスは冷や汗混じりに顔を背けた。
「それじゃ、奇跡の情報屋さんに調べて貰った事の報告を」
「了解。結構面白い情報が出て来たのよこれがまた」
不遜な表情を浮かべつつ、ラディはメモ帳を取り出す。
同時に、かなり期待感を煽る雰囲気も醸し出している。
「まず同じ研究室の匿名希望さんからのコメント。『ヤなヤツだよ~。教授の息子だからって偉そうに威張り腐ってさ~。超メンドくせ~よ~』との事です。んで同じく、同研究室の匿名希望さんから頂いたコメント。『ジュニア! 俺はお前の噛ませ犬じゃないぞ! 何で俺がお前の下なんだ。何で俺がお前の前を歩かなきゃいけないんだ。俺とお前とどこが違う? お前は教授の子供に生まれただけだ。勝負しろ、勝負してやる、お前をぶっ倒してやる!』だそうです」
「……匿名希望の意義って何なんだろう」
「後は、保健師の匿名希望さんから。『結構タイプですね。何か情けないみたいですし。この前、あわわわわとか言ってたらしいんですよ。是非生の声を聞きたいです。きゃはっ♪』」
匿名以前の問題だった。
「ま、一部例外はあったけど……基本的にはあんまり良い噂は聞かないねー。盗作騒動についても、穿った見方をしてる人が結構いるみたい。さすがに具体的な証言はなかったけど」
苦笑しながらの報告には、皮肉と言うより哀れみが込められていた。
通常であれば、大学の研究員たる者、自分の研究室に不利になるような発言はしない。
メリットもなければ許可もない。
当然の事ではある。
本来なら、先輩や学位が上の者に対する悪口も御法度なのだが、そこまで規制するのは流石に難しいようだ。
「それで、面白い情報ってのはコレね」
ペラペラとメモ帳を捲るラディの傍に、クレールがにじり寄ってくる。
居ても立っても、と言う表情だ。
「何でも、ここのレヴィって人とライバル関係にあったらしいんだけど、最近その人に命乞いしたらしくて、それが大学内に広まって、今でも学生とかにコソコソ笑われてるみたいなの。それを本人が死ぬ程気にしてるみたい。これって動機になり得る?」
クレールの目が動揺の色を示す。
それを視界に納めつつ、アウロスは言葉を探した。
「……さあ、どうだろな」
「でも、復讐するならレヴィって人によね。クレールちゃんの論文を盗作する必要はないか」
実際は――――そうでもない。
レヴィの崇拝するミストの評判を落とす為に、研究室の一人を貶めると言う図式は、動機としては十分だ。
直接レヴィに――――となると、流石に即刻バレてしまう。
加えて、ルインの話が本当であれば、ミストへの迷惑を考えてクレールが抵抗なく白旗を揚げる可能性は高かった。
そこまで計算していたのかどうかは不明だが。
「そうそう。ついでに父親についても調査してみたんだけど」
「えらく気が利くな。で、どうだったんだ?」
「流石に現役の大学教授だからプロテクトは掛かってたけど、どうも息子の事で悩んでたって話が酒場でチラホラと」
大学内やギルドを通した情報よりも街中での方が有益な情報を得られる、と言うケースは決して少なくない。
そう言う意味で、情報戦は足が最も重要だとする古い情報屋は多い。
ラディの仕事に対する信念が若干垣間見えた。
「才能がないのか、努力が足りないのか、自分が思ってる程伸びてこないって嘆いてる、だって」
「父親が噛んでる可能性も十分あるな。それだと厄介……いや、寧ろ都合が良いのか」
アウロスの目が薄く輝いた、その時。
「失礼する」
研究室の外から冷たい印象の声が掛かる。
その返事を待つ事なく扉を開いたのは――――ガルシド=ヒーピャ、その人だった。
「……!」
まさかの御本人登場に、クレールが目を見開いて動揺を露わにする。
それを確認したアウロスは、自分が対応すべきと判断し、席を立った。
「用件は?」
「クレール=レドワンスがここにいると聞いて、やって来た。謹慎している筈の君が何故ここに?」
「……」
クレールはガルシドに目を合わせられないのか、唇を噛み締めつつそっぽを向く。
必死で感情を押し殺しているようだった。
「まあ良い。取り敢えず、君に一言言いたかったんだ。ここで言わせて貰おう」
そんなクレールの態度を無視し、ガルシドはズカズカと近付いて来た。
そしてその前まで来ると、嘲弄を意味するであろう不愉快な笑みを浮かべ、腰に手を当てる。
「君の行為、それ自体は褒められるものじゃない。研究者として余りに不誠実だ。しかし、私の論文に目を付けた事に関しては光栄に思う。悪い気はしなかった。そこで……だ」
今度は垂れ目の目尻を更に下げて、宥和をアピール。
その様子に、ラディがあからさまに顔をしかめた。
「示談と言う選択肢を提案したい。君が大学に残れるよう、私が便宜を図ろう。何、簡単な事さ。私が父にそう言えば事は終わる。無論、無条件と言う訳にはいかないが」
「条件って?」
思わずラディが聞くと、先程以上に気味の悪い微笑を浮かべ、クレールを見やった。
「クレール=レドワンス。君の全てを共有したい」
「……うわあああ」
ほぼ部外者のラディがギブアップを宣言する程、酷い口説き方だった。
隣にいるアウロスですら、思わず眉間に皺が寄る程の。
「どうだ? 決して悪い条件ではない筈だ。君は大学に残って研究を続けられるだけでなく、ゆくゆくは次期教授の……」
「ふざけないで!」
辛うじて沈黙を守っていたクレールの糸が、そこで切れる。
決して誰も攻められないであろうその爆発に対し、ガルシドは目を剥いて不快感を具現化させた。
「ふざける……? 何と言う事だ。盗作なんて愚劣極まりない事をした人間へこうして救いの手を差し伸べる私に、そのような口を利くとは」
「盗作なんて私してない! したのは……やったのはあんたでしょ!?」
だが、言うべきではない台詞が思わず口に出たのは、本人にとって余りに誤算だった。
思わず口を手で塞ぐが、もう遅い。
「……まいったね。言うに事欠いて、被害者を加害者呼ばわりとは。そこまで追い込まれていたんだね……無理もない。あの男がいる研究室だ。ストレッサーが充満しているに違いない。君もある意味被害者なのだろうね」
「っ……」
感情に任せたクレールの言葉をも、ライバルに対する悪態の糧へと昇華させる。
クレールは眼前の男の狂気に反射的な戦慄を覚え、逃げるように視線を切った。
それを勝ちとでも判断したのか、ガルシドは優越感に浸る人間特有の薄気味悪い笑みを零し、クレールを舐めるように見つめる。
蛇のように。
「今はまだ混乱しているようだから、返事は聞かないでおこうか。日を改めてお伺いを立てるとする。それでは、これで失礼させて貰う」
去り際は爽やかに――――そんな意図を残して去ろうと踵を返す。
会心のやり取り、とでも言いたげに。
そんなガルシドに、敢えて沈黙を守っていたアウロスの口が開いた。
「ゆ、許してくれ。命は、命だけはっ」
「!!」
たった一言。
それが、ガルシドの血液をとてつもない速さで上昇させた。
「保健師の先生が聞きたがってるらしいぞ、この科白。わざわざ敵の仲間を狙わずそっちに行け。喜ばれるぞ」
「……アルロス君、だったか。余りそう言う事を言うものじゃない。君はまだ若いようだから世間を知らないのだろうが、思った事をそのまま口にするのは知性のない凡庶のする事だ」
「で、聡慧な魔術士様は他人の論文を盗んで、それをさも自分が構築したかのように見せかける、と」
かろうじて冷静さを保とうとするガルシドに、華麗なる追撃。
ガルシドの顔が目に見えて筋肉を引きつらせている。
「どうあっても、君達は私を加害者にしたいらしいね」
「いや、出来ればしたくはない。色々と面倒臭くて鬱陶しいから」
アウロスは、飄々と、淡々と、出来るだけ気だるげに言い放つ。
年下と言う指摘を受けた時点で、そうする事が有効だと判断したからだ。
相手の年齢を気にする人間は、年相応でない反応をされると不快感を覚えやすい傾向にある。
では、何故アウロスは不快感を与えたかったか――――
「でも、これでも研究者の端くれなんでね。自分の認めた論文が蹂躙されるのを黙って見ておく気にはなれない」
キッパリとその答えを告げた。
それは同時に、本来部外者であるアウロスの宣戦布告でもある。
「……証拠でもあるのかい?」
「俺に言わせれば、その問い自体が殆ど状況証拠なんだが……まず何よりハッキリしている事がある」
敵と認識した相手に遠慮は無用。
アウロスは呆気に取られ沈黙する二人を軽く眺め、その一方を親指で指した。
「お前如き典型的七光りにあの論文は書けやしない。ここにいる彼女、この研究者だからこそ書ける」
ガルシドは言葉を返せなかった。
沸点を優に超えた怒気が言語中枢をオーバーヒートさせているようだ。
構わずアウロスは続ける。
「近い内、それを証明する。その折には、あの時みたく腰を抜かして懇願しても無駄だ。せいぜい新しい謝罪の仕方をお父様に習うんだな」
そして、トドメ。
「何だったら、レヴィにも同席して貰うか。と言っても、もう飽きたと断られるかもな」
「……失礼するっ!」
ライバルにライバルと認識されなくなる事――――最大の痛点を笑顔で突っつかれたガルシドは、真っ赤な顔を前に突き出すようにして研究室を逃げ出した。
開放された空間が、普段の空気を取り戻す。
「……敵じゃなくて良かったって感じねー」
「まさか、レヴィやあの女以上に口の悪い人が身近にいるなんてね……」
敵を追い返したアウロスに対する反応は、概ね酷評だった。
「でも、ありがとう。嬉しかった」
「感謝するのは疑惑が晴れてからにしとけ」
窓の外の晴れ晴れとした空を眺めつつ、アウロスが呟く。
その様子をクスクス笑いながら女二人が眺めている――――その構図から数秒後。
再び扉が開いた。
「あれ? 皆さんどうされたんですか?」
三者の視線を一身に浴びたのは、休日なのに出勤したらしきリジルの小さな身体だった。
「塩持ってるならそこに撒いといてくれ。叩きつけるダイナミックさで」
「持ってないですよ。ところでアウロスさん、ルインさんが探してましたけど」
ルイン――――その名前に、アウロスの目の下の筋肉が引きつる。
一方、クレールもまたその名にあからさまに顔をしかめていた。
「……何処で?」
「多分学食にいると思いますよ」
女性二名の視線を背に、アウロスはリジルの肩を軽く叩く。
「了解。それじゃ、ラディは引き続き諸々の件についての調査を頼む」
そして、何となく逃げるように研究室を出た。




