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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
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第4章:偉大なる詐術者(5)

 週の第一日、通称『礼拝日』。

 この日はアランテス教の指定する安息日で、礼拝に縁のない国民も仕事や学校を休むのが一般的とされている。

 とは言え、アウロスは身体を休める必要がなければ礼拝日であっても通勤しており、平日と礼拝日の区別を余り付けていない。

 だが――――

「さて。それじゃ、第一回『クレール盗作疑惑事件対策会議』を始める」

 今日に関しては、大学へ行く事なく【ボン・キュ・ボン】の一階で会議の進行役などしていた。

 テーブル上に置かれているハーブティーは、少々癖が強いものの、眠気を覚ますには具合が良い。

 舌で転がすと、苦味が少しずつ柔らぎ、微かな甘みを帯びてくる。

 脳を活性化させる最適の飲み物だ。

「始めるのは良いけど、何で私まで参加してんの?」

 参加者は三名。

 アウロス以外のメンツは、当事者であるクレールと――――不服そうに呟く奇跡(笑)の情報屋ラディだ。

「お前にはこの件でも働いて貰うかもしれないから、ちゃんと話を聞いとけよ。会話には入って来なくて良い」

「そこはかとなーく詰まんない予感」

「寝たらバラす」

「……」

 特にドスが利いていると言う訳でもないアウロスの脅しに、ラディはガタガタ震え、両目を無理に見開かせた。 

 バラすと言う言葉には複数の意味があるのだが、どう取るかは自由である。

「そ、それで、私ってば事情を良く呑み込めてないんだけど、何がどうなって盗作疑惑なの?」

「それはだな……」

 説明中――――終わり。

「兎にも角にも、最終的な報告書にクレールさんが無罪である事を記載させる事が、最大の目標になる」

 彼女の処遇を決定するのは、ガルシド=ヒーピャでもライコネン=ヒーピャでもなく、唯の紙だ。

 その紙に学長の印が押されれば、そこに記載される内容には印を押した学長も含め、大学内の誰もが逆らえない。

 紙一枚が鉄格子よりも硬い――――それが秩序であり、規律の意義でもある。

「それじゃまずは検証から。こっちがお前の論文の写しで、こっちがガルシド=ヒーピャの論文の写しだ」

 怯えるラディを尻目に、アウロスとその向かいに座るクレールはテーブルの上に広げられた二冊の論文をまじまじと眺めた。

 ガルシドの論文は【魔波の相互作用における増幅と減衰】と言う題名で、主に魔波についての研究となっている。

 その中盤辺り、魔波の吸収率を物質別に調査したとされる実験内容と、そのデータが記されている所を開き、上から押さえる。

 その内容は、クレールの論文に記してあるものと比較し――――かなりの類似性が認められた。

 と言うか、ほぼそのままだった。

 その事実を再確認する作業に、クレールは明らかな拒絶反応を視線で示す。

「目を逸らすな」

 しかしアウロスはそれを許さない。

 睨むような視線でクレールの目を捉え、下へと促す。

「自分を苦しめる元凶から目を背けたい気持ちはわかる。俺もそう言うのは苦手だ。でもしっかりと細部まで目を通せ。何でも良い、足掛かりになりそうな数字なり言葉なり、違和感のある所を探すんだ」

「……」

 クレールは言葉を発しなかった。

 ただじっとアウロスの顔を見つめ、祈るように、或いは泣き叫ぶように、小さく瞼を動かす。

 そして――――視線を落とした。

 半ばヤケクソ気味な表情になって、かじりつくようにガルシドの論文を読み漁り出したクレールの様子を、アウロスは満足気に眺める。

 そして、再びハーブティーを口に含んだ。


 ――――30分後。


「……ねー」

 退屈の向こうにある何かに触れたと思しき奇跡(笑)の情報屋が、忍耐の限界を訴える目をアウロスに向ける。

「私、今要らなくない?」

「要らないけど居ろ。本音を言うと、一対一はちょっと辛いんだ」

「うわ、サイアク……数合わせか私」

「二人うるさい」

『……はい』

 クレールのジト目に反省の声がハモった。


 ――――1時間後。


「…………まだ?」

 注文したカリカリのパンがなくなった所で、ラディがドロドロのスライムのような顔で聞いてみる。

 クレールは無言だった。

「ちなみに俺は既に見つけている」

『えーっ!?』

 驚愕と驚愕が織り成すハーモニーに、アウロスは軽いカタルシスを体験し、目を瞑る。

「そのリアクションは少し嬉しい」

「そんなの良いから早く言ってよ! ってかこの1時間何だったの!?」

 急かしたのは、当の本人ではなくラディだった。

 一方のクレールは、あからさまに悔しそうな顔でアウロスを睨んでいる。

 それを避けるように視線を落とし、アウロスはガルシドの論文をパラパラと捲った。

「えーと……あ、ここ。あとここも」

「あ……」

 その指摘だけで、クレールの表情が劇的に変化する。

 アウロスが指したのは、何れもとある実験データの数値だった。

「私には全っ然わかんないんだからちゃんと説明してよ」

「聞いても意味ないと思うが……ま、良いか。問題は小数点以下の切り捨て方だ」

 アウロスの指摘した数値は、何れも小数点の後に2つの数字がある。

 3桁目以降は切り捨てていると言う事だ。

「同一論文内では、小数点以下の桁数を揃えなきゃならない……なんて決まり事はない。だが統一するのがマナーだ」

「揃ってるじゃない。それとそれでしょ? こっちの論文もそうだし」

「見てみ」

 クレールの論文を見ながら反論したラディは、その言葉とガルシドの論文を受け取り、別のページを捲って数字を探してみる。

 すると――――ガルシドの論文の他の数値は。何れも小数点以下『1桁』で切り捨てられていた。

「……あれま」

「そもそも、同一人物が一つの研究テーマを一つの論文に綴る上で、いちいち小数点以下の処理を分野毎に変えるなんて事はまずない。数学だったらいざ知らず、魔術学においては、な」 

 魔術学にも数学は使用する。

 しかし、高等数学まで学ばなくてはならないような論文は、殆ど見かけない。

 少なくとも、クレールとガルシドの手掛けている論文に、高度な数学が必要な箇所は何処にもない。

「でも、これって証拠として通用するの?」

「全然。その部分だけ他の誰かに代筆を頼んだとでも言えば、うっかりミスで終了だ」

「ダメじゃん」

 ラディのその言葉に、クレールが僅かな落胆を見せた。

 それを横目で眺めつつ、アウロスは悠然と口を開く。

「別に裁判でも通用するような証拠が欲しかった訳じゃない。俺が調べたかったのは、この男が確実に『やった』と言う根拠。このミスはそれに該当する」

「何で?」

 クレールが無言のままなので、代わりにラディが聞く。

「必要とされる実験サンプルよりも遥かに多い実験を行うような人間が、小数点以下の桁数にアバウトだったり、他人に論文を書かせたりなんて事は、あり得ない。しかも論文ってのは、日記帳以上に性格がモロに出る。この矛盾は……」

 アウロスは指輪を光らせ、宙に7つの文字を並べた。

 そして、ガルシドの論文の余白部分に指を当てる。

「これ以外、ない」

 その部分が熱を帯び、徐々に黒ずんだ。

 クロ、つまりはガルシドの方がクレールの論文を盗作した、と言う事だ。

「自分が納得出来る状況証拠を見つけたかったって訳ね。で、これからどーすんの?」

「お前にはガルシド=ヒーピャの近辺を探って貰う。叩けば何か出てくるだろう。で、クレールさん」

「……何?」

 何かを思案していたかのような顔が、弾ける様にアウロスの方へ視線を投げる。

 一方のアウロスは、表情を変えずに最終確認を行った。

「こんな事をされる心当たり、何かあるか?」

「全然。面識がない訳じゃないけど、親しくはないし、恨まれる覚えもないし」

「本当にか?」

 一瞬――――クレールの目が泳いだ。

「……ええ」

「わかった。それじゃ今日は解散」

 こうして、第一回『クレール盗作疑惑事件対策会議』は、かなりの収穫を残して終わった。

 クレールは疲れたと言う理由で二階の自室へ向かい、アウロスとラディは一階に残ったまま。

 ラディはクレールが視界から消えたのを確認した後、アウロスに耳打ち口調で話し始めた。

「ね、あれ絶対嘘だよ。私のカンがそう言ってる」

「どっちのだ?」

 情報屋としての、それとも女としての――――

「両方」

 キッパリ言い放つ。

 勘と言うものは『完全に独立した感覚の一つ』とか『適当な思い付き』とか『経験に裏打ちされた根拠ある判断』とか、解釈は様々だが、アウロスが信用するものは最後のものだけだ。

 しかし、それをいちいち説明する気もなく、結果だけの結び付きで同意した。

「多分当たりだろな。一瞬の間にその辺りの葛藤が出てた。俺に話すつもりはないんだろう」

「かーっ、協力者に隠し事なんてサイアクじゃない。ねえ」

 妙なテンションで同意を求めて来たラディに、アウロスは角のない苦笑を浮かべる。

 その表情に、ラディは更に苛々したらしく、頭を掻き毟りだした。

「わっかんないなー。そんな扱われ方されてまで何で協力すんの? 性格悪いあんたが」

 多少遺憾な言葉があったが、それは給料袋の重量に反映させる事にして。

 アウロスは努めて冷静に言葉を紡ぐ。

「……俺は残業する事が多くて、帰りが日を跨ぐ事も珍しくない。当然もう店は閉まってるし、2人とも二階の自室にいる時間だ」

「いきなり何の話?」

「一階のランプに毎日火が灯ってるんだ。俺が帰った時間に」

 それは、部屋に戻る際に消す筈の灯りを点けておく――――ただそれだけの事。

 労力を換算すれば、寧ろ楽な方に針が回る。

 しかし、レドワンス姉妹の性格上、本来は消しておきたい筈。

 然程長い期間接してきた訳ではないものの、アウロスはそう感じていた。

「……それ、だけ?」

「悪いか」

 右の頬をポリポリと掻きつつ。

「悪くはないね。うん。悪くないと思うよ。でもそんな人間味持ってんのなら私にも少しくらい見せてくれてたってバチは当たんないよ?」

「……人間味、ね」

 恩を返す事、借りを返す事、同僚を手伝う事――――

 それを人間味と言うのかどうかはさておき、アウロスはその言葉に1人の人物の顔を思い浮かべた。

 それは――――客観視するならば、人間味などどの部位にも見られない――――辺境の魔女。

 その姿は妖艶と呼ぶには語弊があるが、美しさは際立っている。

 と同時に、それ以上の毒も持ち合わせている。

 近寄る事は容易ではない。

 アウロスは何故か、そんな彼女の存在を強く意識していた。

 惹かれていると言う訳ではない。

 ただ、気になる。

 実際インパクトの強い人間である事には疑念の余地などないが、それとは別の感情が心を侵食している。

 それはまるで――――夜の海を眺める心境に似ていた。


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