第3章:臨戦者の道理(11)
最終日――――夜。
「いや、実に風変わりで趣がある」
「本当ザマすわ~。この生地、幾らなんザマしょ」
「……はあ」
グレスは要人ばかりのパーティーが行われている会場に『いさせられて』いた。
明らかに場違いなその格好も、普段戦闘用のローブなど見る機会の少ないセレブ達にとっては酒の肴らしく、奇抜な髪型の婦人や、恰幅が良すぎて人間の形状を逸脱しているチョビ髭オヤジなど、様々な種類の高貴な方々が興味深げに話し掛けてくる。
その全てに大人の対応を見せたグレスだったが、さすがに疲弊し切ったのか、頬が少々やつれていた。
「フランブルの野郎……オレを笑い者にする為に呼び出しやがったんだな」
鮮やかな装飾の衣服に身を包んだフランブルが、含み笑いを浮かべながら遠巻きに眺めている。
それを確認し、グレスは思わず顔を覆った。
「気付かないあんたが悪い」
一方、アウロスは戦闘用の借り衣装――――ではなく、普通の格好で地鶏のローストチキンを頬張っていた。
普通の格好と言っても、鮮やかな赤を基調とした色彩の服なので、見た目だけならパーティーの華やかさに馴染んでいる。
「チッ……要領の良い所までミストに似てやがる」
「こう言うのは要領じゃなくて頭の容量の問題だ」
アウロスの減らず口に顔をしかめつつも、グレスは小海老と香草のラヴィオリに舌鼓を打っていた。
モチっとした食感のラヴィオリの中に、海老の甘みと香草の風味が一体感を成して閉じ込められている。
まさに極上の一品だ。
料理の魔力は、怒りなど一瞬で吹き飛ばしてしまう。
「似合わない料理食っても味なんてわからないだろバーカ、と言う顔で見られてるぞ」
吹き飛んでも次々と襲ってくるので余り意味はないが。
「……ちょっと来い。上司に対する口の利き方を一から教えてやる」
「痛い痛い痛い」
「あー! にーちゃんだ! にーちゃん怒られてるー! バカだー!」
さすがにキレたグレスがアウロスの耳を引っ張って、廊下に連れ出し説教している最中。
グレス並に場違いな幼い声が会場に響き渡った。
その姿を確認したアウロスは、思わず顔を綻ばせる。
「違うな。怒られてるようで実は怒らせてやってるんだ」
「人の話を聞いてなかったのか!? 総大司教の御子息に何と言う口の利き方を……!」
「良いのですよ」
その声に――――グレスの身体が硬直する。
子がいる所に親もあり。
自然界の法則そのままに、総大司教ミルナ=シュバインタイガーも子の隣にいた。
「そ、総大司教様! こ、これは……その……」
「そんなに畏まらなくても構いませんよ。ええと……」
「はっ、自分はグレス隊隊長グレス=ロイドと申します」
「グレスさん、ですか。強そうなお名前ですね」
お咎めなしどころか名前を褒められ、グレスは10年分の安堵と多幸感に包まれる。
その至福の表情はかなり不気味だったが、アウロスはそれに関しては放置した。
「そ、そちらは?」
一方、その表情に若干引き気味の総大司教は、アウロスに視線を移す。
すると、アウロスの服を引っ張っていたオルナがニコっと笑った。
「こいつがにーちゃんだ!」
「まあ、では私もにーちゃんとお呼びしましょうか」
「……出来れば、アウロスとお呼び下さい」
アウロスが口を開いた一瞬、グレスはそれまでの表情から一変して顔面蒼白になった――――が、言葉を聞き終え胸を撫で下ろした。
いくら外部の者とは言え、仮にも部下である人間が総大司教相手に減らず口を利いた日には、次の仕事を探さなければならなくなる。
「では、アウロスさんとお呼びしましょう。アウロスさん、貴方の事はオルナから聞きました。昼間はお世話になったそうで……ありがとうございます」
総大司教はお礼の言葉と共に、頭を下げる。
それは、絶対にあり得ない光景。
もしこの場をフランブル辺りが見ていたら、矜持破壊は免れなかっただろう。
「警備の仕事をしている人間が、ごく普通に職務を全うしただけです」
アウロスの言葉に、総大司教は親の顔で微笑んだ。
そこに、デ・ラ・ペーニャにおいて最高級である筈の身分は一切感じ取れない。
威圧感も強迫観念も存在しない雲の上の女性に対し、グレスだけでなくアウロスも戸惑いを覚えていた。
「……オルナ、来なさい」
総大司教はそんなアウロスの方をじっと眺め、その傍にいるオルナに自分の元へ来るよう促す。
オルナはやや遠慮気味に、総大司教の隣にちょこんと立った。
「グレスさん、申し訳ありませんが一つお願いしてもよろしいですか?」
「はっ、何なりと」
「暫くこの子を預かって頂きたいのです」
「私が……ですか?」
良い歳して子供と縁のないグレスは、明らかな困惑の表情を浮かべた。
「えー、にーちゃんがいいなー! もっかいあれ見せろー!」
「オルナ。そのオジちゃんはな、俺以上に凄い芸を持ってるんだ。馬にだって豚にだってなれる。それを見せて貰え」
「ホントかー!?」
オルナの目とグレスの目が、それぞれ別の意味で大きくなる。
慌てふためいたグレスは、総大司教の御前であるにも拘らず、アウロスの首を掴んで糾弾を行使した。
「おい!」
「こうでも言わないと聞かないだろ。それとも総大司教のお願いを無碍にする気か?」
「ぐっ……」
小声で筋の通っている発言を投げ掛けるアウロスに完全敗北を喫したグレスは、負け犬の顔で歯ぎしりをしていた。
「オルナ様。暫時の間、私がお相手を勤めさせて頂きます。何なりと申し付け下さい」
しかし次の瞬間には、立場ある大人の顔に戻る。
その顔のまま四つん這いになって廊下を駆けて行くその姿に、三十路を超えた人間の機微が見て取れた。
「少し疲れましたね。座れる場所がありますから、そこに行きましょうか」
「はい」
そんなグレスから早々に目を離した総大司教の提案により、パーティー会場から少し離れた広めの空間に移動する事となった。
パーティー中と言う事で人気はなく、高そうな椅子とテーブルが寂しそうに中庭を見下ろしている。
「御免なさいね。折角の良い眺めも、こんな年寄りと2人では絵にならないでしょう?」
「絵画にするなら、若い人間が2人並ぶより余程魅惑的ですよ。見る人間の想像力を掻き立てますから」
アウロスの返答を、総大司教は柔らかい笑みで包み込んだ。
「……で、俺に何か話でもお有りでしょうか?」
人払いをした理由はそれしかない。
アウロスは敢えて遠回りはせずに尋ねた。
「ええ。と言っても、余り上品な話ではないですけどね」
刹那――――総大司教の声に影が差す。
「オルナが随分と貴方に懐いているみたいなの。それでちょっと」
加えて、口調が若干フランクになる。
と言っても、友好的な感情ではないようだ。
表情も、これまでの人の良いおばあさんのそれではない。
「俺のような下賤の者と親しくされては困ります、と?」
「フフフ。下賤などと言う言葉を自分に対して濫りに使うものではありませんよ」
見当違いと言わんばかりに微笑む。
アウロスの読みはあっさりと外れた。
「はあ。それじゃ……」
「どうやって仲良くなったのか知りたいだけ。教えて下さらない?」
「は?」
疑問に疑問で返すと言う初歩的ミスをしてしまう程――――それは意外な懇願だった。
「実はあの子、私の本当の子供じゃないの」
「……」
突然の激白に、アウロスは思考停止に陥る。
実際、このような話は公式に出ていない。
アウロスは元々その事を知らないし、興味も無いので知識の中には無かったが、『実は』の前置きでそれを悟った。
「だから、どうもお互い距離を置くと言うか、親子の絆的な感じが希薄と言うか……要は上手く行ってないって事なのだけれど。身分が身分だから余計に……ね。さっきも貴方に駆け寄って行くあの子を見て、年甲斐もなく嫉妬してしまったのよ? 何とも情けない話だけれどね」
まるで、井戸端会議に勤しむ一般人の主婦のように――――笑う。
アウロスは、自分の中にあった『総大司教』に対するイメージが音を立てて崩れて行くのを感じていた。
「さ、早く聞かせて下さい。どうやってあの子をメロメロにしたか」
「……まあ、隠す事でもないですし」
説明中……
説明中……
説明中……
「――――で、【細氷舞踏】を抑え目に出力すると……こう言う風になると言う訳です」
終わり。
「あらまあ! 綺麗ねえ」
実践してみせると、とびきり生きの良いリアクションが返って来た。
初老とは思えぬパワーを感じ、アウロスは思わず口元が引きつる。
「成程ねえ……わかりました。教会に帰ったら猛練習しなくっちゃ」
「子煩悩ですねえ」
「ええ。あの子には持てる限りの愛情を注ぐつもり。それが……私に出来る唯一の、贖罪」
自嘲気味に笑う。
穏やかで、それでいて儚い――――そんな笑顔だった。
「贖罪……?」
「聡明な貴方ならおわかりでしょう? このような身分に身を置く人間が、真っ当な生き方をしている筈がないと」
その言葉通り、アウロスの頭の中には既に一つの仮説が成り立っていた。
第二聖地ウェンブリーの総大司教――――その本名は知らずとも、その実績については広く知れ渡っている。
その中に燦然と輝く、七年前のガーナッツ戦争における戦果。
彼女の地位を著しく引き上げたその実績は確かな足懸かりとなり、それから数年の月日を経て、女性は第二聖地の頂点にまで上り詰めた。
その一方で、戦渦の折に彼女が実際何をしたのか――――殆どの人間はそれを知らない。
しかし、確実に言えるのは。
直接的にしろ間接的にしろ、多くの人間の命を奪った事。
それが戦争における殊勲に他ならない以上、彼女の功績は必然的に血に染まっている。
「尤も、それすら幻影でしかないのだけれど」
「……?」
総大司教の目に、愁いを帯びた光が宿る。
しかしそれは一瞬だけで、直ぐ元の凛然とした瞳に戻った。
「余計な話をしてしまいましたね。今日は本当に有り難う」
「……いえ」
目を伏せ、恐縮の意を表す。
敢えて詮索する理由もなかったので、話はそれで終わった。
「ここにいらっしゃいましたか、総大司教様」
そこに、この建築物のオーナーが登場。
成金を絵に書いたような悪趣味極まりない服装が目に痛い。
「残念ですね。もう見つかってしまいましたか」
「いえ、ご用件がお有りであれば是非そちらを優先して……む、君は何だね? 君のような子供を招いた記憶は……警備の者にしては余りに若過ぎるが……」
「彼は私の恩人なのです」
総大司教のその一言で、オーナーの顔色が変化する。
それから数秒が経過すると、今度は表情そのものが170度程変わった。
「ああ、そうですか! 彼がオルナ様の身柄を確保したと言う少年ですね。だから自らお言葉を。成程、そう言う訳でしたか」
若干事実とは異なる見解に1人で納得し、顔をキリっと引き締める。
これから格好を付けるらしいが、余り様にはなっていなかった。
「ワタクシからも厚く御礼申し上げる。御礼と言っては何だが、特別にワタクシの秘蔵コレクション見学チケットを一枚配布して進ぜよう」
「これはこれは……どうもありがとうございます」
アウロスは特に有り難味のないその紙を恭しく受け取った。
コレクターにとって自慢のコレクションを披露する事は、最大の快感であり、それを快く受け取る事で相手の機嫌は確実に上向く。
頼み事もし易くなる。
「ついでと言っては何ですが、一つ聞いてもよろしいですか?」
「むっふん。何だね?」
案の定、オーナーは超ご機嫌に受け入れる姿勢を見せた。
「この近辺で最も金属に詳しい人間、及び資料のある場所を教えて頂けないでしょうか」
オーナーの表情が更に緩む。
「ほう……君はメタルに興味があるのか?」
「はい。満更でもありません」
「ほっほっ、雅な回答よの。今回の展示の目玉である純度99.997%のメルクリウスなど、まさに至高の一品であろう? メルクリウスはこの国では殆ど採取されない金属で、非常に手に入り難い。更に、99.997%と言う条件を満たすとなると、その入手難易度は天文学的な数値になるのだよ。あれが一つ生まれるまでに、どれ程の数のメルクリウスが廃棄されたか。吸水効果のないメルクリウスなど鉄クズも同然。それが僅かの純度の差で宝玉と化すのだから、実に奥の深い世界だと思わんかね」
「仰る通りです」
「ふっほう。この世に美しいメタルがある事を心から嬉しく思うその心、このサビオ=コルッカ、しかと受け取った。ならばワタクシと君は友人だ」
浮ついた口調で語りながら、両の手をパンパン、と叩く。
直ぐに近くで控えていた側近の男が飛んで来て、紙と羽ペンを手渡した。
「ここを訪ねるが良い。メタルに関する、ありとあらゆる知識を有した我が心の友がいる」
スラスラと書き記された地図によると、その目的地はこの場所と【ウェンブリー】を結ぶ線上にあった。
つまり、帰りに寄れば時間のロスは殆どないと言う事だ。
「ありがとうございます、アミーゴ」
「むっふー。善き哉っ、善き哉っ」
上機嫌のままオーナーはホールへと戻った。
予想外の収穫に、アウロスの表情も緩む。
尤も、余り外見には表れていないが――――
「では、私もそろそろ参ります。アウロスさん、御礼は改めて」
2人の話をやや退屈そうに聞いていた総大司教が、静かに席を立つ。
そしてアウロスの傍に近寄り、数十年前ならば小悪魔的と言われそうなの類の笑みを浮かべ、ボソッと耳打ちした。
「先程の余計な話、2人だけの秘密でお願いね」
「……はい」
アウロスは軽い鈍痛を訴える頭を下げて、総大司教の後姿を見送った。
そして、反芻する。
余計な話――――全くその通りだった。
言葉は時として、それに纏わる光景を想起させる。
瞳の中に映るその景色は、心を深く抉り、頭を削り、皮膚を蝕んだ。
思い出したくない、過去の映像。
アウロスは、無意識の内に自分の身体を抱いていた。
こう言った苦痛を癒す魔術はこの世にはない。
魔術士ではないにも拘らず、それが歯痒いと感じてしまう事に、苛立ちを覚えずにはいられなかった。
「はいよー! はいよー! きゃはははははは!」
「ひひーん! ぶっひーん! ひぶひー……」
馬なのか豚なのかハッキリしないグレスにも苛立ちを覚えずにはいられなかった。
「隊長、交代の時間です……た、隊長!? 大変だ、隊長が、隊長が……」
「ち、違う! これは……少年! 説明を……っておい! 無視して歩いて行くんじゃない!」
「こらー! ウマはしゃべんないんだぞー!」
判明したが、カタルシスは一瞬もなかった。