第3章:臨戦者の道理(10)
「グレス隊長、よろしいですか?」
待機部屋の従業員用仮眠室にノック音が響く。
グレスが入室を許可すると、先程大恥をかいたフランブル隊の中の1人が今にも自殺しそうな顔で入って来た。
「オーナーがお呼びです。至急中庭に来るようにと」
「オーナーが……?」
サビオ=コルッカの呼び出しに心当たりがないのか、グレスの顔に懸念の色が生まれる。
「……わかった。少年、お前はここで待機していろ」
「いや、俺も行く」
予想だにしないその申し出に、グレス以上にフランブル隊の男が目を丸くした。
「何を言ってるんだ。最低1人はここにいなければ、何かあった時に困るだろう」
「お留守番は彼にやって貰う。頼むな」
「は? え、俺が?」
いきなり他の隊の者から留守を頼まれた男は混乱を隠せない。
正常な判断力を取り戻す前に、アウロスが畳み掛ける。
「いや、俺って実は1人が凄く苦手なんだ。寂しくて寂しくて、ついホテルの従業員を呼んで雑談とかしちゃうかもしれない。その時話題に困ったら、余計な事まで喋りかねないしさ」
「な……!」
言葉の行間を読んだ男はサッと顔を青くし、即座に俯いた。
「……わかった。ここは俺……私が引き受けますので、どうぞ」
「どうも。じゃ、行こうか」
受理されるや否や部屋を出たアウロスの肩に、グレスの手がかかる。
「……どう言うつもりだ?」
その声には、隊長命令を無視して勝手な行動に出たアウロスに対する非難がありありと含まれていた。
しかしそれを物ともせず、無表情のままアウロスは振り向く。
「オーナーが呼んでるのなら、ホテルの従業員を使えば良い。何故あの男が来る?」
「それは……」
グレスが口籠る。
全く考えが付かないのではなく、ある程度正解を導き出した上で。
「しかし、お前が来た所で余計な負担が増えるだけだろう」
体力も魔力量もない、数合わせのお荷物に何が出来る――――
「そうかもな」
「……」
そう言わんばかりの言葉に平然と同意してみせたアウロスに、グレスは複雑な表情を浮かべた。
その後は、沈黙のまま風景だけが流れる。
「さて、到着だ」
クワトロホテル中庭――――開放感溢れるその吹き抜けの空間は、石垣と緑に囲まれた清涼感に満ちたコミュニティスペースで、普段は宿泊客の憩いの場となっている。
しかし、今日はまるで逆の、緊張感に支配された空気が漂っていた。
その理由は、その場にいる客が要人とその護衛のみだから――――と言う訳ではない。
1人の男の放つ、異様な気配が原因だった。
「来たか」
「フランブル……」
そこには、時間差こそあれ2人が予想していた通りの人物がいた。
「オレはオーナーに呼ばれて来た筈だが」
「気にするな、大した問題じゃない。それより……使いに寄越した者はどうした。来ていないようだが」
「気分が悪くなったみたいだから休んで貰ってる」
アウロスは何の感情も表に出す事なく、嘘を吐いた。
「……まあ良いだろう」
「で、これは一体どう言う事だ? 説明しろ」
一方、苛立ちを隠せないグレスは、その思いの丈を語調に込めてフランブルにぶつける。
「何、唯の余興だ。2階のセレブの皆様に、魔術士同士の模擬戦を見て貰おうと思ってな」
それを軽く受け止め、目を細めて笑う。
その顔は不快指数の上昇を否応なく助長させる効力を持った、1つの武器だ。
武器を構えたと言う事は、実際に戦闘態勢に入ったと言う事だ。
「……何のつもりだ」
「唯の余興と言ったろう? 特に意味はないさ。聞けばセレブの方々は刺激に飢えているそうだ。さりとて侵入者を始末する一部始終を御覧になって頂く訳にもいかないし、そう言う状況が今日中に実現するとも限らん。だから……と言う訳さ」
「ふざけるな!」
到底納得の出来る回答ではない。
しかし、そんなグレスの怒りなどお構いなしに、フランブルは中指を立てた。
そこに嵌められた指輪が鈍く光る。
「勿論ふざけてるさ。唯の余興なのだから……な!」
中指を立てたまま器用にルーリングを行い、編綴終了とほぼ同時に指を折る。
それが出力の合図となり――――拳の周りに蒼い光が現れた。
「貴様……ッ」
そこから粒状の塊がグレスに向けて何十発も射出される。
それは【氷の弾雨】と言う初歩的な攻撃系青魔術で、威力は小さいが数が多く、かなりの速度を出す弾丸。
その為、回避は困難を極める。
しかし、グレスは軽やかに身を投げ出し、その殆どを避けてみせた。
「良い機会ではないか。こうやって直接技術を競い合う事などそうあるまい」
折り込み済みだったのか、フランブルに動揺は見られない。
即座に次の魔術を編綴し始めた。
「バカ者が! 警備に来ている人間同士が揉め事など言語道断だ!」
グレスも黙ってはいない。
ローブに包まれた全身の筋肉を隆起させ、槌を振り回す。
とても魔術士の戦闘態勢とは思えないその動作だが、しっかりとルーリングは出来ていた。
「揉め事? アトラクションの間違いだろ」
「オーナーに見つかったらどうする。我々どころかギルドの名に傷が付くぞ。それがわからない程バカでもなかろう!」
「心配するな。オーナー様と総大司教様には俺の部下が付いている。彼らがここに来る前に俺の部下が来るだろう。それがタイム・リミットさ!」
グレスは赤魔術、フランブルは青魔術が得意なのか、それらの魔術ばかりが宙を舞う。
炎と氷が交互に出力されては、結界によって消されて行った。
2色の魔術が行き交う中、アウロスは眼前で怒鳴り合いながら魔術を交換し合う2人を天秤に掛ける。
(……編綴速度はほぼ同じ。技術はグレスが少し上。身のこなしはバカ隊長が一歩リード……か)
中庭の入り口で、すっかり観客を決め込みつつ、そう結論付けた。
そんなアウロスだけでなく、2階からも徐々に視線が集まる。
フランブルの狙い通り、見世物の様相を呈してきた。
そんな中、当の本人は笑顔で心情を吐露し始める。
「良い機会だから言わせて貰おう。お前は昔から気に食わなかった。ギルドに正義感だの信念だの、暑苦しいの持ち込んできやがって」
「それはこちらとて同じ事だ。市民を見下し、下品な思慮の元に見下げ果てた行為に勤しむ恥さらしが!」
炎が螺旋状に渦を巻いて敵を襲う【炎の旋律】。
リング状の氷の刃で敵を切り裂く【氷輪】。
標的の真下から火山の噴火のように炎の塊が噴出する【焔祭】。
水が蛇のように地面を這い、敵の手前で氷柱となって襲い掛かる【蛇心氷点】。
それらの魔術が編綴される度、2階から歓声が上がる。
実際、そのどれもが魔術士であっても余りお目に掛かる事のないような高レベルの魔術だった。
それを全て防ぎ切る防御能力も含め、彼らの戦闘力はかなりのもの。
アウロスが思わず感心していたその時――――
「……ん?」
別方向からかなり大きな足音が聞こえ、振り向く。
そこには、必死の形相で駆けて来たフランブル隊の男の姿があった。
先程の、待機部屋を訪れた者ではない。
それを確認したアウロスは、苦笑しつつ指を躍らせる。
その数秒後――――
「!」
「なっ……!?」
対峙する高レベルの魔術士達のちょうど間、数メートル上空――――そこに発生した黄色い光の球体が、地面に向って垂直に落ち、けたたましい音を上げた。
「熱くなってる所悪いが、タイムリミットだとさ」
涙目で息を切らす伝達係を親指で差し、アウロスが終焉を告げる。
両者は同時にその方向を見、同時に再び睨み合った。
そして――――
「ここまでか」
先に視線を逸らし戦闘態勢を解いたのは、仕掛けた方の男だった。
「貴様……」
「グレス。俺とお前のどちらが優れているか、評価の上では明らかだ。だから俺は中、お前は外を任された。外回りのお前が調子に乗る事は許されない。肝に銘じておけ」
微かに焦げ付いたローブを翻し、フランブルは2階を見上げる。
――――そこは観客席。
そこにいるのは、それぞれの地方で名を馳せる高貴な者ばかり。
彼らは自分だけの、自分に任せられた、とびきり上質のブランド。
そして、このブランドの数こそが、己を知らしめる価値――――
「皆様、お楽しみ頂けたでしょうか?」
フランブルがそれらに向かって敬礼して見せると、観客達は余興に対する最大限の賛辞としてスタンディングオベーションを送った。
演出家はその様子に満足気な笑みを浮かべ、胸を張ってグレスに背を向ける。
拉げた矜持は、彼らによって完全に修復された。
「今日、夜7時から2階ホールにてパーティーが催される。ギルド代表としてお前も出席しろ。ただし緊急に備えた格好でな」
敵意の消え去った声でそう通告し、フランブルは歩を進めた。
自信を漲らせたその身体が、アウロスの横を通る。
「君も来い。優れたジャッジメントへの褒美だ」
そしてすれ違いざま、視線を送る事なく追記した。
そんな自己満足の権化を、アウロスは視界にも収めずに小さな息を吐く。
「パーティー、ねえ」
新たな厄介事の発生。
尤も、外回りの警備や休憩よりは食事の質は期待出来る。
「さて、ここにいても仕方ない。戻るぞ」
結局は踊らされ利用された格好だったが、然程苛ついた様子もなくグレスは歩き出す。
「にしても、何処にでもあるんだな。この手の対立構造は」
「……今日はまだ何か起こる。気を抜くなよ」
その言葉が何に起因するものなのか、アウロスは知る由もない。
だが、アウロスも独自にその予兆を感じていた。
総大司教御子息の突然の放浪。
誰もが屈辱にまみれる中、一人顔を青冷めさせていた男の存在。
それらの意味するものは、果たして――――