後日譚:忘却の綴り(47)
「多重人格に代表される人格の分裂は、記憶を共有しているケースもあればしていないケースもあります。でも私の場合、記憶自体が分裂してしまっているんです」
レゼリアの述懐にアウロスは思わず眉をひそめる。少なくともアウロスはそのような事例は一つも知らないし、一般的にも聞かれることのない事例だ。
「よくわからないが、レゼリア①とレゼリア②がお前の中に存在していて、それぞれの人格が出現している時の記憶だけを保有している……ってことなのか?」
「いえ。それだと凄くわかりやすくて助かるんですが、そんな単純な分かれ方じゃありません」
通路に立ち止まったまま虚空を見上げるレゼリアは、何処か晴れ晴れとした顔でそう語る。自分のことを誰かに話せるこの機会を歓迎するかのように。
「私の場合、サニアさんのように異なる人格を複数抱えているって感覚は全くないんです。私はずっと私のまま。だけど、記憶だけがプツリプツリ途切れているんです」
「先天性の機能的なトラブルを抱えているのか?」
「いえ。後天性のものですし、脳の問題とも限りません。どちらかというと心の問題かもしれませんね」
壁に寄りかかり、レゼリアは微かに微笑む。これまでの掴み所のない彼女とは裏腹に、その表情は感情そのものを映し出しているようにアウロスには見えた。
「……私が戦場経験者って話、覚えていますか?」
「直接そう言った訳じゃないけどな」
この魔術霊園を訪れる前、レゼリアはウェンブリー大の研究室内でアウロス相手に100を超える膨大な数のルーンを出現させ、アウロスの反応を確かめた。
その試みの時点で、彼女が臨戦魔術士なのは間違いない。それだけではなく、彼女はその際の反応とミルナとの模擬戦のみでアウロスを戦場経験者だと見破った。自身も戦場で命を懸けて戦ったことがあるからこそ身に付けられる嗅覚だ。
「ガーナッツ戦争……って訳じゃないんだろ? 俺よりも年下だろうし」
「はい。あのヘンテコな戦争の後、表立った争いは記録上ありませんが実際には聖地間で頻繁に諍いがありましたから。私は第五聖地アンフィールドで戦渦に巻き込まれました」
「アンフィールドか……」
アウロスが賢聖となり聖地格差の問題に取り組んで以来、最も苦慮したのは第五聖地の治安回復だった。
ガーナッツ戦争は僅か十日足らずで終結した為、侵攻を許した区域も限られている。しかも敵国となったエチェベリアの主力部隊『銀朱』は最短距離で第一聖地マラカナンを目指しており、その経路以外に寄り道した記録は一切ない。
故に、第五聖地アンフィールドはデ・ラ・ペーニャの南側、隣国エチェベリアとの国境沿いにある地域にも拘わらず最小限の被害で済んだ。
だが同時に、最短での進軍を許してしまった大戦犯という声も国内では少なからず挙がっていた。
アウロスはガーナッツ戦争が極めて政治色の強い戦争であり、その勝敗も軍事力の差ではなく国家間の交渉の一部だったことを知っている。あれはごく一部の人間、一部の勢力によって仕向けられた不必要な戦争だった。
だが大半の国民はそうとは知らない。戦争終結後、敗戦国となってしまったデ・ラ・ペーニャでは当然のように責任の所在を明確にしろという声が市井でも飛び交い、争いの火種となった。
「第六聖地のベルナベウにとってアンフィールドの失墜は大歓迎の出来事でしたから、為政者の方々がそれはもう張り切ってネガティブキャンペーンを仕掛けたんです。勿論アンフィールドのお偉いさんも黙っちゃいません。かといって聖地同士が直接軍を動かせば明確な違法行為になりますから、魔術士ギルドや囚人を使って代理戦争みたいな形でバチバチやってたんです」
「成程。前科者だったのか」
「勝手に人の過去を捏造しないで貰えます? 私が囚人な訳ないじゃないですか。全くもう……」
レゼリアはアウロスが冗談を言っていると解釈したが、アウロスは割と本気だった。
「でも似たようなものかもしれません。私、当時アンフィールドの学生だったんですけど、どうしても実戦経験がしたくて魔術士ギルドの募兵に申し込んだのがバレて退学になっちゃったんで」
「物好きだな」
「……これでも一応、恥を忍んで黒歴史を吐露してるんですけど。もう少し興味持って下さいよ」
「悪い。関心がなくて適当に答えている訳じゃないんだが」
実際、物好きという表現には『ミストと似ている』というニュアンスも多分に含んでいる。アウロスにとって決して無関心でいられる内容ではない。
とはいえ、レゼリア個人に興味があるかといえば、それはまた別の話だが。
「兎に角、私は魔術士である以上どうしても戦場を経験したかったんです。私たちが開発している魔術が実際にどう使われているのか。使っている人たちは何を思いながら、どんな気持ちで戦っているのかを知りたかったんですよ」
「現場の声だけ聞くのは申し訳ないから、自分も同じ立場になったのか」
「……そんな感じです」
返答に若干の間があったことをアウロスは見逃さない。だがその理由を追及するほど彼女の人間性を深掘りしたい訳ではなかった為、それ以上は言及しなかった。
「それで、ここからが本題なんですが……私、その戦場で黄魔術を食らったみたいで」
「魔術傷か。黄魔術でも落雷と同等の症状が出るらしいからな」
「はい。そのショックで私の記憶は分裂したみたいです」
魔術傷とは魔術によって負った怪我の総称だが、単なる身体的損傷だけに留まらない。それにより生じた後遺症などの症状全般を指す。
落雷による負傷は雷撃傷と呼ばれ、単なる怪我や火傷だけで済むことは余りない。特に直撃の場合は心静止や呼吸停止を引き起こし、最悪の場合は死に至る。
雷を模したとされる黄魔術も、これに類似した症状を呈すことが多い。流石に初級、中級ならば本物の雷ほどの威力はないものの、直撃を受ければ一命をとりとめても様々な後遺症が出る。
視力や聴力に大きな影響を及ぼすことが多いが、記憶障害が生じるケースも少なくない。大半は短期的な記憶喪失に留まるが、中には記憶が戻らないケースもある。
レゼリアの場合、それが複雑な形で出てしまった格好だ。
「さっきロスト先輩が言っていたように、私の中にはレゼリア①とレゼリア②がいます。①が今の私、②がドラゴンに乗る前までの私ですね」
「ドラゴン……ラシルのリュートか」
「はい。①の私と②の私は、多くの記憶を共有しています。ただ①の私は戦場の記憶がありません。それどころか、他者の使用した魔術を見た場面全て忘れてしまっています」
「……全て?」
「全部です。そして②の私は、自分が魔術を使った場面を忘れてしまいます。だから人格が切り替るんじゃなく、記憶に関する性質が切り替る感じです」
レゼリアの説明は決して複雑でもわかり難くもない。だが内容が特殊なだけに、アウロスの頭にはすんなりと入ってこなかった。
「纏めますと、黄魔術で記憶障害になって以降は『①他人の魔術を目撃した場面を全て忘れてしまう性質の私』と『②自分が魔術を使った場面を忘れてしまう性質の私』が混在しています。自分の中では、この切り替わりはちゃんと自覚できているんで連続性がないと確信をもって言えます」
「……その切り替わりは何か予兆や合図みたいなのがあるのか?」
「ありますね。呼吸が止まったような恐怖感と全身の痺れが起こります」
それは紛れもなく、黄魔術を食らった際の身体の反応。その衝撃がトラウマになり、発作として出現していると解釈できる。
「その忘れるっていうのは、どのタイミングで忘れるんだ?」
「寝たら記憶がなくなってるみたいです。例えばロスト先輩とミルナ元総大司教の実戦訓練も、そういう訓練が行われたのは知識として知っていますが、自分が観戦した記憶は今の私……レゼリア①にはありません。レゼリア②に切り替ると思い出しますけど」
「成程。切り替わるのと同時に一方を思い出して一方を忘れるのか」
「ですね」
人格ではなく記憶の有無が切り替わる。かなり特殊な事例ではあるが、黄魔術がもたらす記憶障害として大きな矛盾はない。
黄魔術で死にかけた場合、その後遺症は脳への作用というより臨死体験による精神や神経への作用と思われる割合が多い。魔術の直撃による衝撃と痛み、そして死の恐怖を忘却することで心を守ろうとするのは自然な防衛反応だ。
問題は、それだけに留まらず自分が魔術を使った場面を忘れてしまう性質まで生まれてしまったこと。そこにも何らかのトラウマがあるのか、或いは副作用のようなものなのか――――
「デ・ラ・ペーニャには魔術傷を専門とした医師が沢山いますから、各聖地で評判のお医者さんに総当たりで診て貰おうと思ったんですが……治療方法が見つからないまま、途中で資金が尽きてしまって」
「それで効率良く稼げる攻撃魔術を研究してる訳か」
アウロスの言葉に、レゼリアは力なく頷く。
守銭奴なのではなく、己の身体に起こった異常を解決するための金策。
アウロスの目には、眼前のレゼリアではなくここにはいない別の女性が映っていた。




