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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
アフターストーリー「大陸編」
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後日譚:忘却の綴り(35)

 魔術霊園と呼ばれる建物内には、無数の破棄された論文が眠っている。


 その多くは上手くいなかった研究や評価を得られなかった論文であり、不出来という結論を出されてしまったそれらが今後日の目を見ることはまずない。


 だが、中には違う理由で表舞台に出ることのなかった研究もある。


「功名心や利益の追求のみに拘る研究者は少ない。己の好奇心に突き動かされ、非合理な研究に時間を費やす道楽者は大勢いる。中には邪術紛いの魔術を生み出そうと目論む野心家も未だに少なくない」


 当然、それらの研究が魔術学会に認められる筈もなく、大学の名前と共に発表されることはない。それがわかっていても尚、自分の発想を、センスを、嗜好を形にしてまとめておきたいと願う研究者は――――いつの時代も一定数存在する。


 例え世に出ずとも存在証明のため、或いは自分がやれるだけのことをやった証として論文を提出し、学長から不認可という当然の結論を突きつけられる。その決まり切った結末は魔術史において何の貢献ももたらさないが、自己満足だけは保証されている。


 そのような経緯でここへ流れ着く論文も多々ある。


「でもそれって、自分が仕事してるってポーズのためなのでは? 論文発表まで持って行けなくても、仕事してさえいればクビにはならないしお給料も立場も保てますから。自分が研究しやすいテーマを扱えば楽だしモチベーションも維持できますよね?」


「余りそういう心ない正論を言うものではないよ。レゼリア」


「あ、すみません。私こういう所がダメなんですよね」


 姪の明らかに反省していない様子を横目に、ミストは慣れた所作でカウンター席に腰掛ける。受付の仕事の予定はないが、彼にとってそこが落ち着く場所らしい。


「それではロスト君。約束通り全ての質問に答えよう。何でも聞いてくれ給え」


「……彼女も同席させるんですか?」


「隠す必要もないだろう。私が後で伝えるのは二度手間にしかならない」


 つまり情報の共有が二人の間で鉄則となっている。身内が相手とはいえ、秘密主義のミストにしては妙に風通しがいい。


 運動(せんとう)を終え戻ってきた二人を、レゼリアは汗拭用の布を準備して待ち構えていた。ミストがアウロスを実戦形式で試すと最初から聞かされていなければあり得ないことだ。


 ここにアウロスを招いたのも彼女。どちらかの気まぐれではなく、明らかに両者が結託した上でこの状況は作られている。


 そんな二人の関係性に探りを入れたい気持ちもなくはなかったが――――


「お察しの通り、俺は今奇妙な現象に巻き込まれています」


 現状、最優先すべきは忘却の原因を突き止めること。ミストがその首謀者ではないと確信した今、慎重に探りを入れる必要もなくなった。


「奇妙な現象とは何かね?」


「俺のことを知っていた人間が総じて、その事実を忘れています」


「……ほう」


 初めて自分の置かれている状況を話した相手が、かつての宿敵という奇縁。しかし頼る相手としてこれ以上頼もしい人物もいない。


 心情的な葛藤が一切ないとは口が裂けても言えない。だが先程の戦いを通してミストの老獪な手腕を再確認したアウロスは、彼に現状を曝け出すことを即決した。


 目的への最短経路を突き進む。賢聖となってからも、その姿勢に何ら変化はない。


「帝国で発生した忘却騒動の被害者という訳か? ならば私がお前を知らないのも納得だが」


「いえ。俺はその騒動の後にこの国で同様の現象に見舞われたんです」


「……お前一人が?」


「他に自分が忘れられたと主張する人間がいないのなら、そうなんでしょうね」


「成程、中々興味深い話だ。ならば私の論文を見たがっていたのは、私もお前を忘れてしまった中の一人で、且つ一連の大事件の犯人候補だからかな?」


 薄く笑みを浮かべていたミストが、口角を下げ眉間に皺を寄せる。だがそれは怒りの感情を示した訳ではない。


 好奇心を刺激された時、ミストはわざと表情を変える。まるで子供が未知の物を発見して興奮しているかのように。


 ミスト=シュロスベルは骨の随まで研究者だった。


「否定はしませんよ。過去の話ですけどね」


 忘却魔術に関する何らかの研究をミストが裏でこっそり行っていれば、彼が犯人の可能性大。実際にアウロスはそう見定めここへ来た。故にミストの疑念は的外れではない。


「生憎、心当たりも手掛かりも全くないんです。『こういうことが出来かねない人間』は全員が容疑者ですよ」


「清々しいほど隠す気はなし、か。お前の私への態度を見るに、私とはそれなりの関わりがあったようだ。元教え子か、或いは部下か……」


 少ない情報から一瞬にして真実や核心へ辿り着く。それくらいの芸当ができなければ一流の研究者にはなれない。故に、アウロスに驚きはなかった。


「で、こうして私に実状を話すということは、私は容疑者からは外れたと考えていいのだな?」


「ええ。だからこうして協力を要請できるんですが……忘却病について何か知っていることはありますか?」


「魔術士ならば当然、忘却魔術を連想する所だ」


 ここまではアウロスたちの見解と同じ。だが不穏な含みが前置きに含まれている時点で、次に続く言葉は想像に難くない。


「だが恐らく、忘却魔術だけでは不可能だろう」


 案の定、ミストが発したのは事態の複雑さを示唆するものだった。


「昔マニャンで起こった忘却病と呼ばれる現象。そして現在、帝国ヴィエルコウッドで実際に発生している忘却病の再来とされる現象。これらに忘却魔術に関わっているのは間違いないだろう。不特定多数の人間が記憶を失う現象など、他では考え難い」


「22の遺産はどうなんですか? あの中にも記憶を吸い取る呪いの短剣があるって聞きましたよ?」


 黙って二人の話を聞いていたレゼリアが気の抜けた顔で割り込んでくる。彼女にとっては完全に他人事とあって、その言葉に真剣味はない。


 だが、内容自体は極めて重要だった。


「ラシル氏が探しているという壊剣ダーインスレイヴのことか。22の遺産については私よりもレゼリア、お前の方が詳しい筈だが?」


「勿論です。私の知識を披露したくて聞いたんですから」


 悪ふざけをする童とは対照的な顔で、レゼリアは臆面もなく告げる。アウロスは嘆息したい心情をどうにか抑え、彼女の持つ情報の収集に神経を集中させた。


「遙か昔、世界でも指折りの信者を抱えていた宗教団体『ドラウプニル教団』が残したとされる22種の武具。それが22の遺産です。どれも世界を支配するために作られたとされていて、実際に超常的な力を有しています。邪術を意図的に発明したようなものですね」


「……」


「はいはい、わかってます。壊剣ダーインスレイヴについて聞きたいんですよね? これは死神の鎌で魂じゃなく記憶を奪うようなイメージ……とでも言いましょうか。記憶操作って共通点はありますけど『特定の人の記憶だけを大勢の頭の中から消す』なんて真似はできませんね」


「つまり、その剣で忘却病のような事件を発生させるのは無理か」


「だと思います。忘却魔術の方がずっと現実的です」


「だが忘却魔術も約1万人もの人間を忘却させるほど広範囲に及ぶような魔術ではない」


 ミストが先程『不可能』と言い切った理由はそれだった。


「事件の経緯を詳細まで把握している訳ではないが、少なくとも忘却被害者……便宜上お前のように忘れ去られた者をそう呼ぼう。忘却被害者がジワジワと広がっている訳ではないだろう。ならもっと早い段階で対策が練られていなければおかしいし、他国への協力要請があって然るべきだ」


「……ですね」


 アウロスは帝国ヴィエルコウッドで発生した忘却病の再来とされる騒動にいち早く着目していた。それは明らかに、日に日に忘却被害者が増えているという状況ではなく一度に大量の被害者が出た事件だ。


 忘却魔術は使用した時点で使った本人さえもその事実を忘れてしまう。つまり乱発はできない。一度の使用で1万人弱を忘却被害に巻き込んだと断定できる。


 だからこそ、その後に自分にも同じ現象が起きたのは不可解だった。もし帝国の被害者たちと同じタイミングだったのなら、忘却魔術による被害という見解で間違いなかっただろう。


「確かに忘却魔術は未知の部分が多い。未完成とも言われている。呪術と魔術が融合したものだと考えたくもなる。しかし私は懐疑的だ」


 アウロスは呪術と魔術が組み合わさった術式をイメージしている。ここでミストとアウロスの見解が分かれた。


「魔術は基本、人間の根源的恐怖の具現化だと私は考える。忘却も人間が恐怖する現象の一つだ。自分の記憶力の低下を嘆く者もいるし、他人から忘れ去られる恐怖に怯える者もいる。だから忘却魔術の存在自体を否定する気はないが……私はこうも思うのだよ」


 肘を突いた手で口元を覆いながら、ミストは持論を唱える。


「忘却とは救いでもあると」


「……よく言われることではありますけど」


 苦い記憶や辛い思いは忘れることで楽になれる。年齢を重ねるほど、その重要度は増してくる。


 忘却とは生の辛苦からの解放――――そうこれ見よがしに主張する哲学者もいるが、それは決して深い話ではない。大半の年長者が無自覚に経験することだ。


「或る者にとっては恐怖でも、或る者にとっては救済となり得る現象を『不特定多数』の人間に生じさせるのは矛盾だ。魔術が根源的恐怖を模した術式であるのならば、この矛盾は致命的だろう」


「……忘却魔術は存在しても、不特定多数に効果を発揮する魔術じゃないってことですか?」


「そうだ。もっと限定的な魔術になるだろう。少なくとも人間の持ち得る魔力ではな」


 当然だが、魔術士といえど人間。人間の限界を超える魔術は使えないし制御できない。


 とはいえ、その限界を超えるのが邪術の邪術たる所以でもある。そして忘却魔術は邪術。だからこそ、アウロスはマニャンやヴィエルコウッドの忘却病と忘却魔術を結びつけた。


「ま、あくまで私の見解だ。正解とは限らない。参考程度に留めておくといい」


「そのつもりですけど、そもそも俺が知りたいのは……」


「ロスト先輩が忘却魔術を使われたのか、別の何かで忘れられちゃったかですよ。叔父様、論点がズレちゃってますね」


「この人が良く使う手だ。何度はぐらかされたことか」


「あ、そうなんですか。ちょっと意外かも」


 アウロスの立場上、ミストに対してクレームをつけるのは難しいだろうと気を利かせたレゼリアだったが、余り意味のない気遣いだったと知り苦笑する。


 ただし、その感情が意味するものをアウロスは知らない。


「最近の若者は物怖じしないな。結構なことだ」


「貴方が若かった頃は物怖じしてたんですか?」


「私は今も若輩者だよ。教授会の中ではな」


 それは事実だったが、アウロスは先程の自分の言葉が即座に裏付けられたことに辟易しつつ、ミストの言葉を待った。


「さて、雑談はこのくらいにして……ロスト君」


「呼び捨てで結構ですよ」


「ならばロスト。お前の被害に関する私なりの見解を述べよう」


 二人の間には、かつての教授室のような空気が漂っていた。







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