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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
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第3章:臨戦者の道理(4)

 その日の夜。

「お帰り」

 料理店【ボン・キュ・ボン】は相変わらず夕食時でも客足が鈍く、今日に至っては1人しかいない。

 その1人とは、今や文句なしの常連であるラディアンス=ルマーニュ。

 フレッシュハーブのサラダを頬張りながら、怒気を含んだ顔でアウロスの帰宅を迎え入れた。

「左遷されたって本当? 本当だと仮定して罵らせて貰うけど。この役立たずの甲斐性なし! 恥知らず! あんたの所為で夕食のグレード大幅ダウンよコンチクショー! でも美味しいから良いけど!」

「情報屋の癖にそんなガセネタ掴まされるな」

 アウロスは至極冷静にメモ帳を取り出し、『慰謝料』の欄に数字を書き足した。

「あれ、違うの? お給料はキープ!? それならシェフ、コスタ産鴨フィレ肉のロティー追加!」

 はいー、と言う間延びした返事が厨房から聞こえて来る。

 それを満足そうに聞きながら残りのハーブを口に入れるラディを、アウロスは訝しげな目で眺めていた。

「お前、週一でここに来てるよな。まだ大丈夫なのか……?」

「何が? お金? それとも、こんな美味しい料理食べて他の店で満足出来るのかって意味? まあ大丈夫じゃないと言えなくもないけど、週一なら何とか。これどっちだったとしてもオッケーなナイス回答だから、誉めて。さあ誉めて」

「……」

 アウロスはその的外れな答えを一切誉めず、ゆっくりと瞑目した。

 眉間を摘み、軽く揉む。

 ラディがあの臨死体験を経験していないのは明白だ。

 つまり、3分の1の確率を未だに引き当てていないと言う事になる。

 月4回訪れているので、3ヶ月で12回。

 その全部で3分の1に当たらない確率は1%未満だ。

「……人間の生まれ持つ幸運の量は決まっていると言う説がある」

「いきなり何」

 ラディは自身の境遇を全く自覚せず、キョトンとしていた。

「お前は……いや、何も言うまい。強く生きろ。他人の不幸は蜜の味と言うし、沢山の虫に蜜を与える花とか樹木のような生き方も悪くはない筈だ。俺は嫌だけど」

「だから何の話? その同情に満ちた目も意味わかんないし」

 アウロスは答えず、透明色の吐息をふーっと漏らした。

「で、何か新情報は?」

「……ま、良いけど。今の所大した情報はないねー。後衛術科の助教授が離婚しそうだとか、その奥さんが前衛術科の研究員とデキてて修羅場寸前だとか、前衛術科の研究員が夜の歓楽街に度々出没してるとか」

「下世話な話ばっかだな」

「ぺーぺーに調べられる事なんてこの程度と思われそうで癪なんだけど、これが現状。大学の教授って権力も財力もあるから情報のプロテクトが徹底してるのよね。あんたの上司なんて顔と同じでガッチガチよ」

 情報の流通を管理している諜報ギルドと教育機関の最高峰である大学は、表向きには繋がりはないとされている。

 しかしそれはあくまで機関同士の話であって、個人レベルだと話は別。

 ある程度の権力を持っている教授クラスなら、個人情報の保護や優秀な情報屋の優先的な斡旋など、当然のように諜報ギルドを有効利用している。

 教授、助教授にとって情報の収集や操作は重要事項だし、諜報ギルドにとっても羽振りの良い彼らは上質の客に他ならない。

 この両者間に蜜月の関係が築かれるのは、必然と言える。

 とは言え、それはラディの遥か上空、雲の上の世界。

 地に足を付けた翼もない人間にやれる事は、足をバタバタ動かして地面を這う事だけだ。

「じゃ、引き続き調査を頼む。俺は明日の準備で忙しいからもう行く」

「あいよー」

 左遷疑惑の原因である派遣の事は一切言わず、アウロスは自室へ向かった。

 そして、早速旅支度を始める。

 唯の派遣なら荷物も殆ど要らないのだが、研究が大きく関わっている以上、最低限の器具や資料等は必要だった。

「……いる?」

 その最中、弱い音調の声が、扉を隔てずに聞こえてくる。その主を見る事なく、アウロスは作業を続行した。

「無視する事ないでしょ? 支度手伝いに来たんだから」

 声の主であるクレールは、やや不機嫌そうに呟きながら、アウロスの部屋に無断侵入して来る。

「手伝って貰う程の事でもない。そもそも馴れ馴れしくするなと言ったのはそっちだ」

「これくらいの会話が馴れ合いになる訳ないじゃない。気にし過ぎ」

 そう言いながらアウロスに近付いたクレールは、包装された箱をずいっと差し出した。

「どうせ手土産とかも用意してないんでしょ? 持って行きなさい」

「手土産?」

 派遣経験のないアウロスには、手土産と言う発想が全く頭になかった。

 無論、仕事で行くのだから、身体一つでも問題はない。

 だが、印象を良くするに越した事はない。

「どうしたの?」

「……いや。どうも」

 そう判断し、感謝の意を告げ受け取る。

「ま、そんな長い期間じゃないんだし、良い経験だと思う事ね。何の仕事か知らないけど、派遣員を死にそうな目には合わせないでしょ」

「恐らく警護だろう」

 アウロスのその言葉に、クレールが止まる。

「恐らくって……聞いてないの?」

「ああ」

 実戦経験に長けた者と言う指摘は聞いたものの、任務に対する具体的な言及はなかった。

 主目的を探索と実験に置いている事もあり、任務内容に対する関心は皆無に等しい。

 いずれにしても、行けばわかる事なので、アウロスに全く頓着はなかった。

「呆れた。それじゃ準備はどうするの?」

「必要な物は現地調達で十分だ」

「ま、貴方がそれで良いんなら構いはしないけど」

 何となく面白くなさ気な顔でそう言いつつ、クレールは部屋を出た。

「あー、あのね」

 1秒で首だけ帰って来る。

「私へのお土産は食べ物以外で宜しく」

「……それが目的か」

 アウロスが呆れたように呟くと、クレールはニカッと笑って首を引っ込めた。

 彼女の笑顔は中々に絵になる。

 しかし、大学でそれを見せる事は余りない。

 職場での彼女は、常に危機感のような切羽詰った何かを背負っている――――そうアウロスは感じていた。

 特に、ここ数日は時折憔悴し切っているかのような、覇気のない表情も垣間見える。

 しかし、その理由を聞く事は本人から拒否されている為に出来ない。

 力になりたいと言う明確な意思がないにしろ、元気のない同僚をただ眺めるだけと言うのは、余り気分の良い事ではなかった。

「アウロスちゃーん!」

 そんな思考を吹き飛ばす一言が鼓膜を叩く。

「……ちゃん?」

「アウロスちゃんにお客さんですよー」

 クレールと入れ違いで入って来たピッツ嬢は、アウロスの敬称を唐突に変化させていた。

「や」

 その後ろから唐突に来訪したのは、今日の昼間も顔を合わせている青年――――ウォルトだった。

「今日の内に渡しておこうと思って」

 そう言いながら、白銀比の長方形の書物を手渡してくる。

 表紙には【知られざる可搬型記憶媒体】と記されてあった。

「……もう調べ終わったのか? 凄いな」

「と言っても、この一冊しかないから。取り敢えずこれを見れば、君なら理解出来ると思うよ。僕が説明するより、そっちの方が良いと思う」

「了解。わざわざありがとな」

 アウロスは感謝の意を言葉で示し、受け取る。

 余り読まれていないのか、紙はかなり新しい。

「お礼は要らないって。それじゃ、出来るだけ早く読んでおいて」

「ああ。暫く旅に出るから、その間に全て理解しておく」

「……旅?」

 アウロスは夕方の出来事を掻い摘んで説明した。

「それはまた、災難か僥倖か微妙なとこだね」

「効率を考えればプラスだと思う。少なくとも、何もないよりは」

 実際、研究においては動きのない日常より望みのあった徒労の方が遥かに有意義。

 既にずっとそんな状態が続いていただけに、アウロスは余計にそう感じていた。

「それが良いかもね。それじゃ僕は僕で色々調査してみるよ。心当たりがある訳じゃないけど、もしかしたら糸口くらいは見つかるかもしれない」

「頼む」

 爽やかに去って行くウォルトの背中に、アウロスは論文を持った右手を振り、感謝の意を送る。

 それをピッツ嬢が微笑ましく横目で眺めていた。

「アウロスちゃん、明日旅に出るんですってねー」

 やはり接尾はこれで固定らしい。

 若干の戸惑いはあったが、アウロスは敢えてそれを口にはせず、くすぐったさを噛み殺すように口を歪めた。

「1週間程、仕事で【パロップ】の方に」

「お土産は何でも結構ですよー。食べ物以外でも構いませんからー」

「……今初めてあんたらが姉妹だと心の底から納得した」

「?」

 旅前日の夜は、余り意味のない確信と無駄な精神的疲労を抱え、静かに終わった。

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