後日譚:忘却の綴り(3)
ヴァールという魔術士は元々、苛烈な攻撃性を有した女性ではある。だが今の彼女の様子は、それとはまた少し違う不穏さを発していた。
「……アウロス=エルガーデン。貴様は私達一族の自律魔術を、その精霊とやらと結びつけているのか?」
魔術に意思を持たせる。すなわち、魔術を疑似生命とする。その自律魔術の性質は、生命体である精霊と魔術をかけ合わせる行為と非常に良く似ている。ヴァールは自分がこの場に呼ばれた理由をそこで理解した。
「自律魔術が精霊の力で成り立っている、とは思っていない。ただ、研究の段階で精霊が関与した可能性はあると考えはしたが」
「そんな可能性などない」
「……」
ヴァールの鋭利な目が、アウロスの瞳を刺す。敵意こそ込めていないが、そこには忸怩たる思いがあった。
彼女はオートルーリングという技術に強い嫌悪感を抱いている。その技術の普及によって、一族の悲願である『自律魔術の普及』が困難になったという逆恨みが主な理由だ。自律魔術はオートルーリングで使用できる魔術ではない為、事実上現代の魔術士が扱えない魔術になってしまった。彼女にとってオートルーリングの生みの親であるアウロスは『余計な事をした奴』でしかない。
尤も――――
「こら」
空気が軋んだのはほんの一瞬。フェイルの右手がヴァールの頭を軽く小突いた瞬間、お開きと言わんばかりに緊張感は失せた。
「……痛い。何をする」
「いつまで言いがかりで突っかかってるの。逆恨みしても誰も得しないよ? ほら、アウロスさんに謝って」
「嫌だ」
「謝って」
「余り無理強いするな。俺は気にしてない」
「向こうもああ言ってる。貴様が大事にし過ぎなんだ」
「それは言えてるな」
「えええ……なんで僕が悪いみたいになってるのさ」
そうボヤくフェイルに、アウロスはこっそり目で『悪かった』と合図を送った。
現在のヴァールは、フェイルに牙を抜かれている為、彼が諫めれば大抵は言う事を聞く。それを見越してフェイルを呼んだ訳ではないが、取り敢えずこの場は収まった。
「話が逸れたけど、オートルーリングは生物兵器と魔術をかけ合わせた技術。自律魔術は魔力に自我を持たせた魔術。何が言いたいかっていうと、魔術にはそういう応用が利くって事」
「つまり、精霊魔術……のようなものが存在し得る、そしてそれならば忘却魔術も成立する、って言いたい訳ですね」
ユグドの満点の解釈に、アウロスは『その通り』と答え大きく頷いた。
「賢聖は随分とシュッとした性格だな。そこまでして、過去の忘却病を自分トコの所為だって主張したいのかい?」
「それについては、これからの話を聞けば納得して貰える筈です。少なくともデ・ラ・ペーニャが"意図的に"忘却騒動を起こした訳じゃないと、わかって貰えるだろうから」
まだ話は終わっていない。そう意思表示したアウロスに、再び全員の目が向く。
これはあくまで、デ・ラ・ペーニャが他国に向けて行っている会見。そういう形式である以上、主導権は常にアウロスが握っている。
「これまで忘却魔術の存在が公表されなかった理由は、さっき言った上層部の固定観念が一つ。もう一つは、使用者の特定が不可能だった事にある」
「……異な事を。その資料の制作者と関係者に直接聞けば良いだけじゃろ?」
「国中探せば、流石に一人くらい使い手が見つかりそうなものだが」
ラシルとルーチェの当然とも言える指摘を、アウロスはこれまた当然予想していた。故に返答は早い。
「無理だ。彼等には忘却魔術の記憶そのものがない」
「記憶が……ない?」
怪訝そうに問うフェイルに、アウロスは頷いてみせる。
「忘却魔術には二つの作用がある。一つは、対象者を他者の記憶から消す。もう一つは、使用者が忘却魔術に関する全ての記憶を忘れる」
つまり――――副作用。
『忘れさせる魔術』は、同時に『忘れる魔術』でもあった。
「そんな記述、資料には何処にも……」
「書いてない。ついでに言えば、忘却魔術の成果についてもな」
「むう……確かに」
ルーチェが口を尖らせ、資料の最終ページまで確認したが、覚え書きの中に忘却魔術を使用した結果どうなったのかは一切書かれていなかった。
例えばこれが恋する少年少女の日記なら、告白の結果を記さない事もあり得る。だが魔術の研究者が開発した魔術の使用感を記さないなど、決してあり得ない。
「仮に開発者が志半ばで死亡したのなら、忘却魔術そのものも未完成のまま。それだと被害者が出る筈ないですよね。資料は他に……」
「なかった。研究室を荒らされた形跡もな」
ユグドにそう答え、アウロスは机の上の資料を回収し、両手を机に突いた。
「開発者が途中で記載を止め、それでも多くの被害者が出た。なのに、使用者の割り出しが一切できず、存在した事さえ確定できない。だったら、性格の悪い精霊が悪戯目的で気まぐれに使っているか……」
「使用者が忘却魔術そのものを忘れる、か。スタイリッシュな憶測だ。確かに精霊の悪戯よりは現実的だゼ」
もし精霊の仕業なら、特定の国だけに被害が限定する理由はない。精霊が国境に妨げられる筈もないのだから。よって、人間の仕業と見るのが妥当だ。
「……以上の理由から、今回ヴィエルコウッドで起きた事件は忘却魔術によるものと思われる。でも、デ・ラ・ペーニャが国家ぐるみでそれをやっている訳じゃないし、出来もしない」
「ま、一応納得したゼ。忘れちまうなら一度しか使えねーし、計画的に大勢を忘却させるってのはシュッと現実的じゃない。国家じゃなく個人の伝道者による仕業って線で捜査するのがスタイリッシュかもな」
アウロスの見解を完全に受け入れた訳ではないものの、ノーヴェは一定の理解を示した。
内心、アウロスは胸を撫で下ろす。今回、会見を行った最大の理由がこれ。デ・ラ・ペーニャが帝国相手に工作を行っているという濡れ衣を着せられないようにする為だった。
「ただし完全に信用するには、この事件を解決するしかねーゼ。協力してくれるんだな?」
「いや、そこまでする気はありません。デ・ラ・ペーニャとしては邪術の存在そのものを否定してる立場ですから。著作権も所有権もない野良魔術に責任の所在を求められても困ります」
「マジかよ! シュッとしねーな! じゃあ誰か、手伝ってくれる奴! 挙手!」
皇帝の訴えに応える者は――――誰もいない。しかも、目を逸らしたり気まずそうにしたりする人間すらいない。全員が『何調子良い事言ってんの?』という顔だった。
「はぁ……最年少皇帝だ何だってチヤホヤされても、一歩国の外に出たらこれだゼ……」
「その気持ち、わかります。俺も国では魔王だ大魔王だって騒がれてたのに、余所の国に行くと意外と顔知られてなかったりしましたし」
「スタイリッシュ! わかってくれるかラグナ!」
「ノーヴェさん!」
ノーヴェとラグナは微妙に噛み合っていない会話で何故かハイタッチしていた。ちなみにこの二人、初対面ではない。ラグナはつい最近色々あってメンディエタの国王となっており、その際に知り合っている。
「僕も似たような事、経験しましたよ。最年少の宮廷弓兵なんて持ち上げられても、王宮から出たら一般庶民。でも、その方が楽だったな」
「わかる! すげーわかる! 俺も一般人になりたくて弱くなるため必死に頑張ってて……フェイルさんだったっけ、俺と感性似てるかも!」
「光栄です」
今度はラグナとフェイルが意気投合の握手を交わしていた。
「むむっ、まさかラグナ君に友達が出来るとはな。どれ、明日の天気でも占ってみるか。恐らく石が入った雪玉が降るぞ」
「酷い言いようじゃな……というか、占いの道具はその巨大ハンマーで良いのか?」
「うむ。『猟奇占い』と言ってな。これで机や椅子などを叩き壊し、その破片の飛び散り具合や破れ具合で占う、由緒正しき占術だ」
「んー……明らかにヤバい占いなのに、やたら興味惹かれる」
ルーチェもラシル及びユグドと和気藹々と会話を始める。アウロスはその和気藹々とした光景を穏やかな眼差しで眺めていた。
会見の主目的は既に果たされているし、『邪術である忘却魔術の存在を柔軟に受け止めて貰う』『デ・ラ・ペーニャがヴィエルコウッドに事実を隠さず伝えた事を各国の首脳に伝えて貰う』という他の目的も問題なく果たせそうな空気になっている。そろそろ頃合いだ。
「会見は以上です。ご静聴ありがとうございました」
そう結論付け、アウロスは静かに会見を締めた。




