第3章:臨戦者の道理(3)
「これで良し、と」
倉庫から持ち出した、大人一人分程度の重さの円盤形魔術拡散器を実験棟一階の共同実験室の端っこにゆっくりと下ろし、アウロスとウォルトの2人は同時に息を大きく吐いた。
「悪いな。わざわざ実験の用意まで手伝って貰って」
「やるからには徹底すると言った手前、断る理由はないよ。ただ……」
ウォルトは今しがた運んで来た物も含めた実験器具を眺め、軽く頭を掻く。
その表情には疲労こそ滲んでいるものの、以前とは全く違う活力が漲っていた。
「スケジュール表を確認したけど、今のペースで実験するとなると、途方もない時間が掛かるね。オートルーリングと現存の魔術の整合性を確めるだけでも相当な時間が要るのに……」
「それに関しては、俺の力ではどうしようもない。上司に頑張って貰うさ」
「20代で教授、だったね。とても信じられないけど」
アウロスはウォルトの言葉に、心中で苦笑する。
実際、魔術大学で20代の教授が生まれる難易度は、過去の事例の稀有さが嫌と言う程物語っている。
何よりも厄介なのは、評価だけでは実現出来ない所。
ミストが30になる8ヶ月後までに、前衛術科の2人の教授の内、どちらか1人が退任しなければならないのだ。
こればかりは、能力と実績だけでどうこう出来る問題ではない。
「助教授自身の評価は教授の資格十分と言えるけど、現教授の退任は難しいよ。まだ2人とも定年には遠いし、自ら今の地位を下りるとは思えない」
「それに関しては当然、何らかの対策を練ってる筈だ。ただ黙って天運に身を委ねるタイプじゃないからな、あの男は」
アウロスは目を細め、投げやりな口調で言葉を霧散させた。
「上司に対する信頼、とは少し違うみたいだね」
「どうだかな。信頼って言葉が無償の信仰ならば、それは少しじゃなく全く違うと言えるけど」
肩を竦めて苦笑するアウロスの姿に、ウォルトは感心と呆気を程よくブレンドした視線を投げ掛けた。
「……前々から思ってたけど、君は本当に10代なの? とてもそうは思えないよ」
「む」
不服を顔に出したアウロスに、ウォルトは屈託ない笑顔で応える。
「はは……ま、冗談はともかく。時間以外にも問題点が一つ」
「魔具の材料……か」
ウォルトは笑顔を消し、頷いた。
初対面時にウォルトが指摘した、アウロスの研究にとって最も大きな障害。
それを自覚しているアウロスの声は、冴えない。
「今直ぐ現物を調達する必要はないけど、せめて材質についての検討が出来ないと僕は身動きが取れない。一応【クロムミスリル】と【王水晶】の双方を想定して設計をしてみてはいるけど、これらはやはり現実的じゃない。特に君のコンセプトである『実戦での普及』を最優先するなら、大量入荷の出来ない材料は不適当だ」
「ああ。それに関しては俺も同意見だ」
アウロスの中では、既にこの2つの金属は候補から外れている。
ルーン配列情報を記憶出来る性質を持ち、尚且つ大量に入手可能な金属――――それが理想であり必須条件だ。
「前の大学にいた時は、それらの金属の名前を出した時点で御偉方の顔色が変わったからな。どうせ成功しない研究にそんなお金出せません、って所だろう」
「君には申し訳ないけど、それが一般的な反応だと思う。君に研究者としての実績があれば話は別だろうけどね」
「まあ、な」
嘆息交じりに呟く。
そこには若干の口惜しさが漏れていた。
「そんなこんなで研究が頓挫していた事もあって、金属に関しても実はそれ程知識がない。早い内に資料を集めたいんだが……」
「なら、僕が用意するよ。魔具に使える金属の資料ならこの大学にも結構あるだろうしね」
その申し出は、アウロスにとってはかなり有難いもの。間髪入れず握手を求める。
「本来はそんな雑務みたいな事、自分でやるべきなんだろうけど」
「僕がやる方が効率は良いと思う。今日中にやっておくよ」
アウロスの言葉の続きを待つまでもなく、ウォルトは当然のように申し出た。
「ありがとう」
「礼は要らないよ。僕はもう君の研究チームの一員だからね」
爽やかに言い放ち、右手を上げて去って行く。
次にやる事が決まれば行動が早いと言うのも、若き職人の気質だった。
アウロスがその背中から直ぐに視線を切り、実験の下準備をしようと器具に手を伸ばしかけた――――その時。
「良かったじゃない。頼もしいお友達が出来て」
アウロスの背中越しに、淀んだ声が投げ付けられた。
既に慣れた展開なので特に驚きもせず、気配のないその声の主に顔を向ける。
魔女の表情は、本日も皮肉げに歪んでいた。
「友達……?」
「あら、違うの? 親しげに話していたけれど」
ガラスの瓶を鉄の針で突付くような声。そして言葉。
ルイン=リッジウェアの放つ音には、常に棘が付随していた。
「友達ってのは、利害関係のない所で繋がるものだろ」
「フフッ」
あからさまに嘲笑を浮かべる。
しかし――――どこか儚げに。
「そんな関係、あり得ると言うの?」
「それがあるんだよ。不思議な事にな」
アウロスはルインから目を切り、実験の用意を再開した。
その為、彼女のその言葉を受けた際の表情は見えない。
普段のアウロスならば、まずやらない行為だ。
「少なくとも、私は知らないけれど」
震えるでもなく、張るでもなく――――普段の口調と何一つ変わらないその声に、アウロスは何となく人間味を見つけた気がした。
「かく言う俺も、1人しか知らない。でもそれが全てだ」
断言し、再び話し相手の目を正面から見据える。
揺らぎも迷いもない、感情のない眼。
つい揺さ振ってみたくなる、そんな瞳。
「羨ましいか?」
「世迷言を」
しかし微動だにしない。
凛とした佇まいで、咀嚼するようにゆっくりと言を発する。
「私が、親しく交わる人間関係を欲するように見える?」
「さあな。ただ……」
それが少し悔かった訳でもないのだが――――アウロスは1枚、カードを切った。
「俺に何かを伝えようとしているのは、何となくわかる」
それなりに意味はあったらしく、揺らぎはしないまでも若干の間が生まれた。
逡巡と言うよりは純粋な驚きなのか、僅かに目が見開いている。
それでも直ぐに立て直す辺りに、彼女の魔女たる由縁が垣間見えた。
「……貴方に伝える事など何もありません」
「あっそ」
素っ気なく返す。これは特に意味はなかった。
「敢えて言うなら、私の問いに『はい』『いいえ』だけで……」
「敢えて言うな」
「チッ」
鮮やかな舌打ちがアウロスの鼓膜を刺す。
焼けるような痛みはないが、思わずこめかみを押さえたくなる、そんな鈍痛。
「女性の言葉を遮る器の矮小な男は胃も脳も干乾びれば良い」
そこに意味の不明瞭な毒素を塗り付け、魔女は去った。
閑静な空間に微妙な重さを感じつつ、アウロスは床に腰を下ろし、息を吐く。
研究室で会話を持つ事は、これまで一度としてない。
しかし1人の時には、積極的に接触を試み、よくわからないやり取りに興じ、風のように去って行く。
動機と行動理念が読めないのだ。
何かしらの意味があるのか、ただ言葉遊びをしたいだけなのか――――前者だと思っていたアウロスだったが、徐々にその自信は目減りしている。
(まあ、考えるだけ無駄か)
溶け込むようなその結論と共に、実験の用意も終わった。
そして――――その日の夕方。
「一つ言っておく事がある」
本日の勤務を終えたミスト研究室の面々が、総合カンファレンスの為に長机に向かったその時。
議長を務めるレヴィが突然挙手した。
「手を上げる必要性は全くないんじゃない?」
「形式は重要だ」
レヴィの性格を現したその答えに、クレールは苦笑いを浮かべる。
それを無視し、レヴィは続けた。
「勤務時に外出を頻繁に行う輩がいる。これはミスト研究室の名誉に傷を付ける可能性のある行為であり、以後慎むよう心がけて欲しい」
発言を終えると同時にアウロスを睨み付ける。
アウロスは割と頻繁に研究室を出て思考に耽る事が多く、それを標的にしているのは誰に目にも明らかだったが――――不満の声は別の所から上がった。
「そ、それは困ります」
「何故困る、リジル=クレストロイ」
その理由を何となく把握しているアウロスは嫌な予感を覚え、顔をしかめる。
「えっと……」
困惑したリジルは案の定、懇願の瞳をアウロスに向けた。
予想された通りの展開に辟易しつつ、それでも挙手する。
全員の視線がアウロスに集まった。
「何だ貴様」
「研究には着想や熟考が必要だ。自分に適した環境に身を置く事で、その能率は上がる。無理矢理缶詰状態にすれば、作業が捗らなくなるだろう」
「そうですよ! 今の生活リズムを変えたら思いつくものも、思いつかなく、なりますし……」
アウロスの意見を必死で後押ししたリジルだったが、レヴィの表情が徐々に変化するにつれて声のトーンが落ちて行った。
「そんな事で仕事の効率に支障をきたすなど論外だ! 下らない反論などせずに己を高め戒めろ!」
「あう……」
雷鳴の如きレヴィの怒号にリジルは尻込みしたが、アウロスは意にも介さず目を合わせたまま据えていた。
「そう言う問題じゃない」
そして、淀みなく言い放つ。
アウロスが来てからこれまでの3ヶ月間、幾度となく見られる光景だった。
「勤務時に研究室外にいる所を見られて評判を悪くする可能性及び度合いと、勤務環境を変化させる事で負うリスクと、どちらがマイナスかと言う話だ。お前はどう思うんだ?」
「決まっている。前者の方が遥かにマイナスだ」
「何故そう思う? 客観的な説明を」
「……」
そして、レヴィが押し黙るこの展開も一度や二度ではない。
しかし――――この日、一つの変化があった。
それをもたらしたのは――――
「フッ……」
普段必要以上の発言はおろか感情すら見せる事のない、魔女の嘲笑だった。
「ルイン=リッジウェア、何がおかしい」
「別に」
笑みを浮かべたままバッサリと切り捨てる。
魔女の所業はこの席における最高権力者にも発揮された。
「私もこのままの方が良いかな。学生も出入りする訳だし。周りに人が多いのは研究の妨げになるから」
レヴィが顔を真っ赤にして怒りを露にする中、クレールも遺憾の意を露わにした。
多数決を取るまでもなく、大勢が決する。
「……極力控えるように。それで良いな」
それでも、最小限の譲歩しかしないレヴィには政治家の資質があるらしい。
「ではカンファレンスを始める」
その言葉を合図に、今日も今日とて各研究の進行状況についての報告が行われた。
ウォルトと言う仕事上の相棒も見つかった為、アウロスの研究も少しではあるが前に進んでいる。
実際、それなりに説明には時間を要した。
しかし、それに満足出来ずに苛立ちを口にする者が一人。
「質問がある」
議長は再び挙手し、手を下ろしてから立ち上がった。
冗談ではない所が悩ましい。
「お前がここに来てもう3ヶ月になる筈だが、未だに来た時と状況が殆ど変わっていない。どう言う事だ?」
レヴィにとっては、その進展度合いはないも当然だったらしい。
アウロスは心中で嘆息しつつ、付き合う。
「そんな一朝一夕で出来るものでもない。それだけの事だ」
「どうだか。どうせ碌に考えもせず、適当な場所で終始サボり倒しているのだろう。その証拠に、3日前の僕の実験の時に手伝いに来なかったじゃないか」
「あれはレヴィさんが来なくて良い的な発言をしたからじゃ……」
「たわけっ!」
「ひいっ」
助け舟を出したリジルが早々に沈没した。
「僕は上司なんだ! 上司に来るなと言われても来て、ずっと立って見ているのが正しい部下の在り方だっ!」
おおよそ合理性を重視する研究者とは思えない発言に、アウロス以外の者も思わず瞑目し、嘆息を漏らす。
しかし、そんな様子にレヴィは一切関心がないようで、持論の展開に終始していた。
「良いか。別に僕は貴様に期待している訳ではない。だが、貴様がだらけてばかりいれば、その悪評は必ず周りに伝染し、ミスト助教授の名前を汚す事になる。それは決して許されない行為だと肝に銘じておけ」
「つまり、今のところ悪評がないって事は、俺がサボっていない事の裏付けになるな」
「確かに」
クレールの合いの手を余所に、レヴィが血管を膨らましてアウロスを睨み付けた。
黒目の三分の二は瞼で隠れている。
「貴様っ! 余計な事は言わなくて良いと言っているだろうが!」
「正当な主張だ。余計な事じゃない」
何時もと同じ、言葉の殴り合い。
もう何度も見るそのやり取りが始まると、まず決まってルインが無言で席を立つ。
「それじゃお先」
続いてクレール。
「お疲れ様でしたー」
そしてリジルも、それぞれ明日の準備を行い帰宅の途に着く。
一方、2人の不毛な議論はあらゆる方向へ逸れまくり、外が暗くなるまで続く。
それが、ここ3ヶ月間のミスト研究室における総合カンファレンスの通常の風景――――なのだが、この日はルインの普段と異なるリアクション以外にも変化が訪れた。
「悪い。少し時間を貰う」
上司の思わぬタイミングでの登場に、部屋を出ていた3人が再び戻って来る。
「ミスト助教授! お疲れ様です!」
兵隊のような語調と態度で主人の入室を歓迎するレヴィに、アウロスは笑みなく苦った。
「実は、やって貰いたい事がある」
「はい! 了解しました!」
兵隊以上に従順だった。
「まだ内容も聞いてないだろ」
「たわけ! 聞かずとも承る以外の選択肢はない!」
「じゃあクビとか左遷とか言われたらどうするの?」
「……」
クレールの無慈悲な指摘に、沈黙が生まれる。
「大丈夫だ。そんな事を言う気はない。人手を借りたいだけだ」
「では早速打ち合わせを」
「いや、君には引き続き来月のシンポジウムの資料整理をして貰いたい。実験も進めて欲しいしね。そこで……アウロス君」
レヴィの顔が微妙な落胆、そして驚愕へと移り変わり行く中、ミストはアウロスの肩をポン、と叩いた。
「君には明日から【パロップ】の魔術士ギルドに行って貰う」
「……はい?」
アウロスの目が点になる。
【パロップ】とは地名で、現在地である【ウェンブリー】から南西に80km程下った所にある【トアターナ地方】の中心都市だ。
そこの魔術士ギルドに行け――――それはつまり、魔術士派遣の命令である事を指している。
「詳しい話は私の部屋でする。帰宅前に顔を出しなさい」
それだけ言い残しミストはさっさと退室して行った。
「ちょっ……」
「はっははっは!」
その2秒後にレヴィの高笑いが室内を揺らす。
「そうだな、そうだ。貴様がミスト助教授の手伝いなどさせて貰える筈がない。一瞬とは言え間の抜けた想像をしてしまった自分が恥ずかしい! はっははっは!」
魔術士ギルドと大学は長年の歴史の中で、ギルドが大学の運営や独立運動を支援する見返りに、大学側が優秀な人材を優先的にギルドへ送り込む――――と言う、持ちつ持たれつの関係を常に築いて来た。
その一環として、ギルド側が大学に警備員を派遣したり、大学側がギルドに専門家を送り込む、と言う遣り取りが頻繁に行われている。
しかし、魔術士ギルドへの派遣が意味するものは極めて実戦的な仕事に関するヘルプが多数を占め、頭脳労働が主な仕事の研究員にとっては決して歓迎出来るものではなく、いわゆるヨゴレ的な役割とされている。
そんな役割を任されるのは、余り期待をされていない証拠――――と言う見解もあり、実際そう認識している者も多い。
「いや実に爽快だ。やはりミスト助教授の人を見る目は確か過ぎる。実に見事だ。では皆の者、来週のスケジュールでも確認しようか」
その1人であるレヴィは、アウロスが来て以来最も生き生きとした表情で個々のスケジュールを読み上げた。
無論、アウロスの項は大声で。
「――――以上でカンファレンスを終了する。各自来週の為の準備を怠らないように」
特に遠出するものはな、と言いたげな目でアウロスを舐り、レヴィは部屋を出て行った。
「……お気の毒です」
目を合わせる事なく、御通夜口調で同情の言葉を口にしつつ、リジルも退室。
残りの2人は目も合わせず出て行く。
されるがままに蹂躙され固まっていたアウロスだったが、次の瞬間には向かいの部屋へと特攻していた。
「……どう言う事ですか?」
頭に青筋を立てつつ、終始半笑いのミストを問い質す。
アウロスの目的は、研究の完成。
大学を離れる派遣は、その完成を著しく遅らせる事になる。
それはミストにとっても、アウロスを囲う旨みを無くす事に繋がる筈だが――――
「前・後衛術科宛に魔術士派遣依頼が来ててね。最も実戦経験に長けた者を最低1人寄こせとさ」
当のミストは飄々と、そして凛然と言葉を連ねた。
「要請して来た【パロップ】のギルドには古い知り合いがいてな。無碍にも出来んし、前衛術科の教授達の顔を立てる事も出来るとなれば、快く引き受けるのが最上の選択だった、と言う訳だ」
一応筋の通った話ではあるが、アウロスは釈然としない心持ちを抱いていた。
新米で落ち零れと言う設定上、アウロスにその役割が回って来るのは自然と言える。
実は最も実戦慣れしているとなると尚更だ。
しかし、アウロスには目立ってはいけないと言う制約もある。
こう言った仕事で知名度が上がる可能性は割と高い。
長期的なスパンを要する論文と違い、派遣は短期間で功を得る事が出来る。
それに気付かないようなミストではないし、掌返しだとしたら余りに早い見切り。
アウロスの表情には猜疑の色が浮かんでいた。
「ちなみに、【トアターナ地方】は鉱山地帯として知られている」
「!」
しかし、その一言で疑問はあっさりと氷解した。
「更に、その魔術士ギルドは中々施設が充実しててね。実験室もある。1週間の滞在期間を予定しているが、どうだ?」
「十分です」
アウロスは自信に満ちた顔でそう答えた。
「……一本取られましたね」
「たまには取っておかないと、威厳が保てないからな」
両者、破顔。
しかし約1名の顔面の造詣の所為で、朗らかな絵とはならなかった。
「では、とっとと帰って旅支度に精を出して貰おう。それと、先方への手紙だ。この話を持ち掛けてきた人物に渡しなさい」
差し出された封筒を受け取ったアウロスは、素早く一礼し、助教授室を後にした。




