第3章:臨戦者の道理(2)
「……魔術士殺し?」
【ウェンブリー魔術学院大学】2階、ミスト助教授室。
その部屋の主が紅茶をすすりながらピックアップした本日最初の話題は、実に殺伐とした内容だった。
「そうだ。中々シンプルでわかり易いネーミングだと思わないか?」
助教授室の空気は換気をしていないのか、妙な淀みを帯びており、それが睡魔を助長する。
アウロスは眠たげな目を擦りつつ、適当に首肯して見せた。
「魔術士だけを狙う殺人鬼、ってとこですか」
「そんな所だ。そいつがどうも第二聖地――――この界隈の近くに出没したらしい」
「そりゃ危険ですね」
まだ頭が働いていないのか、返事に全く意思が篭っていない。
しかしミストは気にするでもなく続ける。
「ああ、大いに危険だ。被害を憂慮した魔術士ギルドが重い腰を上げる程にな」
その発言でようやく、アウロスの眼がしっかりと見開いた。
それを予測していたのか、ミストの顔には既に満足感が混じっている。
「ギルドが動くとなると……教会のお偉いさんでも狙われたんですかね?」
デ・ラ・ペーニャには傭兵ギルドが存在せず、警備・用心棒と言った仕事は主に魔術士ギルドが引き受ける。
それ故に、派遣されるのは当然の事ながら魔術士であり、戦闘力に対する信頼は今一つ確立出来ていない。
デ・ラ・ペーニャの抱える軍事面での課題の一つと言える。
「【トアターナ地方】の大司教カーベルト=パルメランスが殺されたらしい。まだ公にはなっていないがな」
魔術国家デ・ラ・ペーニャの心臓とも言える世界最大の信仰共同体【アランテス教会】には、軍隊などと同様に階級制度がある。
その制度は位階制と呼ばれ、第一聖地マラカナンの総大司教である教皇を頂点とし、ピラミッド型に構成されている。
大司教はその中で五番目の位階で、その地域の領主と同等の権力を有する。
大物と言って良い部類だ。
その人物が殺されたとなると、教会としても無視は出来ないと言う訳だ。
「それ以上の詳しい話は私も知らん。尤も、近々耳に入る予定だがな」
「例の情報網ですか」
大学の助教授クラスになると、殆どの人間が独自の情報網を持っているが、特にミストのような若くして教授を狙う程の実績を残している者ならば、例外なく優秀な情報屋を懐に入れている。
魔術士ギルドの扱う案件など、幾らでも調べられるくらいの。
「ああ。それにしても、何とも物騒な世の中だな。教会の上位者はおちおち一人で外出も出来んだろう」
「怨恨ですかね」
「魔術士だけを狙う殺し屋となると、その可能性は十分にある。だが、確証がない事には言葉遊び以上の意味はない」
魔術士を目の敵にする人間は少なくない。
先の戦争以前から、魔術士と騎士、或いは一般人の間には深い溝が散見される。
その殆どが私的な怨恨、若しくは宗教的な対立に起因するのだが、根っことは関係ない所で勝手に争いが発生する例も少なくないのが現状だ。
「ところで、他の研究員とは仲良く出来ているか? お前がここに来てもう3ヶ月になる。そろそろ慣れて来た頃だろう」
あらぬ方向に話が飛んだ事で、アウロスは若干の戸惑いを覚える。
会話の主導権を握る為の一つの手法だ。
「……大体、距離感は掴めました。碌でもない落ち零れ研究員が一発逆転を狙って無謀な論文を抱えてる……って今の立ち位置にも慣れましたし」
実際には、早々に拒絶宣言を受けた者一名、初対面時から見下され続けている者一名、殆ど言葉を交わさない者一名、腹に一物ありそうな者一名――――と、交友する気にとてもなれない人間ばかりが周りにいる、と言うのが現状だ。
しかし仕事上の付き合いはどうにか行われているので、大きな問題はなかった。
「成程。研究は進んでいるのか?」
「ええ。それなりに。ただ……」
アウロスは敢えて間を置いた。
特に言い難いという感情はないが、ある種礼儀のようなものだ。
「そろそろ本格的に実験をやりたいんですが、少々問題が」
「ほう。我が大学の誇る実験施設にどこか問題でもあると言うのか?」
「いえ。実験出来る時間帯が余りにも限られているんで、作業が進捗しません。どうにかなりませんか?」
魔術の実験は、環境の整った施設のみでしか行う事が出来ない。
これは法律で定められた事項であり、違反した場合はそれなりの処分を受ける羽目になる。
「生憎、助教授の権限では現状が精一杯だ。その範囲で効率を上げてみせろ。それが正しい部下の在り方と言うものだ」
「わかりました」
釈然としない胸の内を微塵も見せず、アウロスは了承した。
「良いだろう。それでは研究に戻ってくれ。私もこれから講義がある」
「はい。では失礼しました」
扉が静かに閉じられる。
その風圧で微かに埃が舞い、再び床に落ちた。
ミストは部下に対し、週に2、3回のペースでこう言った個人的な対談の機会を設けている。
カンファレンスのような、全体の中で覗く事の出来ない心の側面を垣間見る事が出来るからだ。
「どうだ? 面白い男だろう」
自分以外誰もいなくなった筈の室内で、ミストは自分以外の者に対する問い掛けを行った。
「さあ」
応えは必然性をもって返って来る。
女声だった。
「もう少し愛想を良くして貰えると有り難いのだがな」
「すみません。どうも苦手なもので」
具体性のない内容以上に、声そのものに素っ気なさが如実に現れていた。
「彼には臨戦魔術士としての才能はない。魔力量で全てが決まる訳ではないが、剣を数回振り回すだけで息切れする騎士の名前が歴史には刻まれないように、彼も戦闘専門の魔術士としては名前を残せないだろう」
ミストの言葉には全く温度がなかった。
「かと言って、研究者としての才能もない。研究者に最も必要なものは何だと思う?」
「さあ」
先程と寸分違わぬ気のないその返事を気にする事なく、ミストは続ける。
「粘りだ。直ぐに決断し、行動に移す能力は確かに素晴らしい。が、研究者は常に迷い立ち止まらなければならない。臆病に、及び腰で左右を確認し、後ろを振り返り、ようやく前に進む。直ぐに見切りを付けず、様々な道を模索する。それでなければ何十年と言うスパンで研究を続けるのは難しい。彼にはその性質が欠如している」
「……」
何百人、何千人と言う魔術士を教育し、統治する立場にある人間の実感が篭った言葉は、場に微妙な沈黙を生んだ。
「そんな人間がこんな場所にいて、私と向き合っている。どうだ? 面白いじゃないか」
「全然わかりません」
結局同意は得られず、ミストは沈黙の息を漏らした。
「まあ良いだろう。今後も依頼通りに宜しく頼む」
「了解」
実に素っ気ない了承の意を最後に、声は消えた。
元々ない気配と共に。
今度こそ独りになったミストは、窓を開けて換気を行う。
澄んだ空気が部屋の埃を優しく撫でた。
脚本は徐々に出来つつある。
が、役者の数不足は否めない。
尤も、それを補うのが上へ行く者の資質――――と言うのがミストの持論だ。
「……」
自分以外誰もいない部屋で、感情を口元に表しつつ、掛けてあるローブに袖を通す。
講義を行う際の制服だ。
『俺を魔術士にしない事―――――』
初対面時に聞いた言葉。
この瞬間、ミストは思考のほんの一欠片を支配された。
実に頼もしいが、不愉快でもある。
それまで感じた事のない奇妙な感覚だった。
講義の時間は迫っている。
ミストは感情を浮かべたまま、もう直ぐ自分の城でなくなる予定の部屋を出た。




