第10章:アウロス=エルガーデン【下】(77)
最も待つ事が苦手であろうティアが真っ先にそう発言した事で、アウロスの案は
この場の全員に受理された。
「もし向こうにあの小娘が残っているのなら、指示を出せばよかろう……と言いたいところだが、それを考えぬ貴様ではない。信じようではないか」
「ほんの一時期だけど、オレっち達の上司になった事もあったしね。言われた通り粘ってやっよ!」
意志が統一された時の四方教会は――――強い。
融解魔術の浸食が殆ど進まないほど、間断なく三人の攻撃魔術が放たれていく。
直撃する度に融け、あっさりと消えゆく魔術。
けれども、決して儚くも脆くもない。
その心強ささえ覚える光景を、アウロスはただじっと耐えるように眺めていた。
この状況をひっくり返す方法はある。
今すぐにでもそれを叫びたい。
だが叫べば――――最悪の事態を招く危険もある手段だった。
極限とも言えるこの状態で、アウロスは敢えて最も保守的で、最も危険度の少ない方法を選択した。
それは例えば救世主や英雄と呼ばれる人間ならば、まず選ばないだろう。
そしてアウロスは、そういう人間になるつもりなど一切ないのだから、当然の選択だった。
待つ。
ただひたすら、待つ。
目の前に迫り来る、全てを呑み込み融かす最強最悪の魔術を前に、その強烈な重圧を目の当たりにしながら、アウロスはただじっと――――その時が来るのを待った。
それが、正解だった。
「……あ! あ!」
「融解魔術が……!」
ティアの目に、トリスティの目に、そしてサニアの目にも、その結論が映る。
どれだけ魔術をぶつけても、無尽蔵に溶かし続けていた微細な粒達が――――融解魔術が、消えてゆく。
ほぼ同時に、魔力切れを起こしたトリスティがへなへなと崩れ落ちた。
『やっほー。どう? 上手くいった?』
この場にまるでそぐわない、軽々しくも頼もしい声。
発信源は、アウロスの魔具だった。
『あれ? 反応なし? もしかして別の人の魔具に連絡入れちゃった? それとも、誰かと交換しちゃったとか……』
「問題ない。おかげさまで、融解魔術は消えた」
気を抜けば落ちそうになる瞼に力を込め、アウロスはその声に応える。
声の主は――――チャーチだった。
この場における唯一の、救世主となり得る存在。
アウロスは珍しく、そんな彼女へ向けて拍手を送った。
「助かった……のだな?」
そう呟きながら近付いて来るサニアも魔力切れ寸前だったらしく、顔色が悪い。
それでも間一髪ではなく、ほんの少し余裕を残している辺りが英雄とは縁遠い――――
等と思いつつ、アウロスは首肯代わりに肩を竦める。
「……既に魔術が発動している以上、魔具内魔術無効の理論も通用せぬ。一体何をしたというのだ?」
安堵よりも困惑が先に立ったのか、訝しげに問うサニアに対し、アウロスは嘆息混じりに前方を指差す。
融解魔術が消え、視界が明瞭になったそこには――――ゲオルギウスだけが立ち尽くしていた。
目は虚ろ。
元々、自我がどの程度残っているか不明という状態だったが、ここまで意識が朦朧とした様子はなかった。
そのゲオルギウスの大きな身体が、ゆっくりと崩れ落ちる。
そしてその背後に、神杖ケリュケイオンを両手で握り締め、したり顔で笑むチャーチの姿が現れた。
「この杖を打撃用の武器として使ったの、初めてだよ。意外と攻撃力あるんだね、これ」
「……何……だと?」
まだ状況を理解出来ず、唖然としているティアとトリスティを尻目に、サニアは暫し口元を引きつらせ、やがてそこから形容しがたい声を発し始めた。
「くく……ふはははは! 何たる皮肉事よ。魔術史上最悪の邪術を、そんな野蛮で原始的な手段を用いて防いだか」
「大したものだよ、この人。後頭部、思いっきり殴りつけてやったのに、暫く立ってたんだから。案外こっちの方がグランド=ノヴァに近付いたのかもね」
そう告げつつ、チャーチは自慢げにアウロスへ向け杖を掲げる。
その殊勲者に対し、アウロスは軽く手を上げて感謝の念を伝えた。
――――賭けだった。
視界が遮られていても、声で指示は出来たのだから、チャーチに向けて『ゲオルギウスを殴り倒せ!』と叫ぶ事は出来た。
だが、それは余りにリスクが大きかった。
人影は一つしかなかったが、例えば部屋の入り口の傍の死角にまだ護衛が残っていたら?
明らかにトランス状態とはいえ、ゲオルギウス自身がアウロスの声によって警戒心を強めたら?
もしゲオルギウス以外にまだ敵が残っているのなら、アウロスがチャーチに叫んだ時点で、チャーチが捕縛対象となる。
下手すればその場で殺されかねない。
非戦闘要員と見なされていたからこそ、またグオギギ=イェデンの身内だったからこそ放置されていたが、ゲオルギウスへの攻撃性が認められれば、そういう訳にはいかない。
チャーチなら、指示を出さなくても場に応じた最適な行動が出来る。
そう判断し、アウロスは敢えて待ち続けた。
仮に護衛の一人が残っていても、こっそりゲオルギウスへ近づき、渾身の一撃を見舞えると。
実際には護衛は残っていないらしく、ゲオルギウスの隙を突く事に集中していたようだが。
「アウロスさん、アウロスさん。見事だったでしょ? この瞬時の判断力。やっぱりボクが将来の嫁に相応しいって思わない?」
「それは兎も角、大した物理攻撃力だな。いい腕力だ」
「あー! そこ褒められるのは困るよ! ボク華奢で頭脳派で可憐なのが売りなのに!」
緩んだ空気が集会室に入り込む。
それは、紛れもない勝利の空気。
へたり込んでいたトリスティは、ようやく状況が飲み込めたらしく、ゴロンと床に転がる。
そして、サニア同様魔力切れ寸前のティアは――――
「ご主人様! ご主人様っ!」
脇目もふらず、這うようにデウスの元へと駆け寄った。
そんな中――――
「……」
アウロスは、倒れそうな身体と途切れそうな意識を繋ぎ止め、歩き出す。
――――まだ終わっていない。
そう自分に言い聞かせながら、空気の緩みが自身に伝染するのを防ぐかのように、集会室を後にする。
まだルンストロムを追跡しているルインが戦っている。
まだ自分の託した魔具を持ち逃亡中のラディが戦っている。
彼女達に危機が迫っていたとして、今更自分が駆けつけようとしても、間に合う筈はない。
まして魔力切れの自分に出来る事など、何もない。
それでも、もし自分が歩を進めれば、何かがあるかもしれない。
幸運にも追いつく事が出来て、自分がひょっこり現れた事に敵勢力が驚いて警戒し、それがルインやラディを守る事に繋がる事だって、ないとは言い切れない。
だから、進む。
ひたすらに――――前へ。
そうやって生きてきたのだから、何の迷いも躊躇もない。
今日もそうだ。
先程は待つ事で前進し、今度は進む事で事態の好転を待つ。
全ては、目的へ辿り着く為に。
全ては――――




