第10章:アウロス=エルガーデン【下】(58)
――――研究者には、それ特有の理念がある。
それがなければ、到底続けられない職業といってもいい。
その理念とはすなわち、好奇心。
どんな分野の研究者であっても、好奇心を研究に一切持ち込まない研究者など存在しない。
探求心と言い換えてもいい。
知る事への欲求、成果へのこだわりがあって、初めて研究者は研究者たり得る。
そしてもう一つ。
研究者は、好奇心と同等のある理念を意識的に、或いは無意識に抱いている。
それは――――先人への敬意。
無論、全ての研究者が先輩、指導者に対し尊敬の念を抱いている訳ではない。
寧ろ傲慢な性格で他者を見下したり、孤独を愛したりする者が多いくらいだ。
しかしそんな研究者であっても、過去の研究成果に対して一から掘り起こすような真似はしない。
面倒だから――――ではない。
研究者はそこに妥協しない。
一定の支持を得た研究成果に対しては、敬意を表しそれが正しいと信じる。
また、仮に未完成だったとすれば、その研究を完成に導く努力を惜しまない。
顔も知らない、或いは名前さえ知らない過去の研究者から受け継ぎ、己の人生を賭けて研究に没頭し、埋没していく。
その純粋さは、例え無自覚でも誰しもが何処かに持っている。
それが、研究者という生き物だ。
「いたぞ! 例の魔具の持ち主だ!」
いち早く降りてきた聖輦軍の髭面が叫ぶのと同時に、アウロスの右手から球状の炎が出力される。
それは着地の一瞬前、回避不可能なタイミングを狙った攻撃だった。
――――アウロスが【炎の球体】を重宝するのは、単に魔力の消費量が小さいから、だけではない。
この攻撃魔術は、最も初歩的な魔術と言われおり、あらゆる魔術の基礎であり原点。
この【炎の球体】のルーン配列が確立された事で、魔術研究という分野は一つの学問として成立し、魔術研究者が市民権を得た、と言っても過言ではない。
厳密にはそうではないのかもしれないが、アウロスはそう信じていた。
そして、信じているからこそ、敬意を表する。
この最低レベルの、超初歩的な魔術にこそ、研究者の神髄があると。
「ぬ……!」
【炎の球体】は、髭面が集会室の床に足を着ける寸前に直撃。
踏み留まる事も出来ず、後方へと弾き跳ぶ――――が、倒れる事なくそのまま壁に背中をぶつけ、その鋭い眼光をアウロスに向けた。
目論見は成功。
だが、負わせたダメージは中度の火傷程度だった。
「はっ、ダッサ! その程度の魔術しか使えないヤツに苦戦してられねっすよね!」
二番目に降りてきた細目の男が、後方の髭面を目だけで見ながらそう吐き捨てる。
一から十を生み出す事よりも、〇から一を生み出す事の難しさを知る研究者なら決してそのような科白は吐かない。
そこが、臨戦魔術士と研究者との決定的な差だ。
こと戦闘力においては、前者に分がある。
アウロス自身、それは幾度となく実感していた。
戦闘において敗北する機会は殆どなかった。
だがそれは、力比べ、魔術比べで勝ったからではない。
「油断するでない! 次が来るぞ!」
アウロスは既に、二発目の【炎の球体】を綴っていた。
標的は――――今降りてきたばかりの細目の男。
「ハッ! そんな超初歩の魔術、結界を張るまでもねえな! オートルーリングだろうと関係ねー! 放った後に余裕で避けられ……」
そこでようやく、細目の男は気付いた。
真後ろには、先程弾き飛ばされた髭面。
避ければ彼が被弾する。
「……チッ! 油断も隙もねえ!」
慌てて前言撤回し、細目の男は結界を綴り始めた。
だが――――遅い。
厳密には『手遅れ』だった。
それは、アウロスが放とうとしている【炎の球体】に間に合わない――――という意味ではない。
攻撃が来る前に対魔術結界を出現させるのは十分可能だ。
事実、細目の男は【炎の球体】が出力される前に結界を綴り終えた。
安堵の表情を浮かべる、細目の男。
が――――その表情が"顔ごと"消える。
代わりにアウロスとルインの視界に現れたのは、二階の床の穴から飛び降りた三人目の護衛。
チトル=ロージという名の、護衛組織『アクシス・ムンディ』の一人だ。
「あれれー? 何か踏んだ気がしますなにー」
全身を甲冑で包んだその少女に潰された細目の男は、そのまま卒倒し動かなくなった。
上の穴は決して人一人分という訳ではないが、着地地点は大体被る。
まして、ルンストロムの護衛は全員、部屋の外にいた。
なら、この一刻を争う状況では、飛び降りる地点は扉側に限定される。
よって、飛び降りた場所にずっとい続ければ、こういう事も起こり得る。
まして細目の男は一度回避体勢をとっていたので、上の人間はまさかずっとその場に留まり続けるとは思わない。
そういう状況を、アウロスは【炎の球体】だけで作り上げ、一人戦闘不能に陥れた。
それも、自分がオートルーリングを使用出来ない状況なのを悟られる事なく。
「……貴方の戦い方を見ていると、自分が学んで来た戦闘技術が拙いものに思えて仕方なくなるのよね。大した曲者振りよ」
呆れ気味に、ルインは綴り終えた【雷槍】を、自分が先程当てた穴――――二階と一階の通り道となっているその穴へ向けて放つ。
四人目が来ていた訳ではなかった為、敵に直撃こそしなかったが、その魔術は二階の天井に直撃し、破壊――――
「奴等の狙いはこの私です! まず私をしっかりと護衛しなさい!」
その破壊された天井のガレキの落下が、ルンストロムに対する間接的な攻撃となった。
勿論、それで仕留めるつもりはルインにはない。
時間稼ぎの為であり、四人目が飛び降りてくるのを防ぐ為。
穴に向けて魔術が放たれるとなれば、落下中に直撃を受ける可能性があり、中々安易に飛び込めなくなる。
それを見越してのルインの魔術だった。
「……どっちが曲者なんだか」
ルインのその意図を察したアウロスは、思わずそう呟く。
目の前には、甲冑の少女と髭面の二人。
甲冑の少女は魔術士ではない上に機動力に欠ける為、魔術で仕留めるのは容易いように見える――――が、その確証はない。
世の中には、魔術を防ぐ鎧なんていう装備品も存在する。
かなり高価だが、その鎧ではないという保証はない。
もし出力した魔術が無効化されれば、その隙に髭面が距離を詰めてくるだろう。
アウロスはあらゆる可能性を網羅し――――
「ルイン。【安息の螺旋】であの鎧娘を狙えるか?」
「了解」
そう指示した結果、ルインは一切の迷いなく【安息の螺旋】を綴り始める。
これは間違いなく困難な戦闘。
命を落とす危険も大きい。
だがアウロスは、その中にあって――――奇妙な充足感を抱いている自分を自覚した。




