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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
マラカナン編
293/388

第10章:アウロス=エルガーデン【下】(45)

『間違えたんだから、そこは素直に認めようよ。フレアお姉さん』


 それは、何気ないやりとりの中から生まれた、やはり何気ない一言だった。

 クリオネ=ミラーの弟、ゲオルギウスの部屋での一幕。

 外出の許可を得ようとし、一計を案じたアウロスの言動をマルテに解説したものの、その内容に誤りがあると誤解したマルテが嬉しそうにそれを指摘した――――それだけのもの。

 だがフレアは覚えている。


 フレアお姉さん。


 そう呼ばれた事を、覚えている。

 このような呼ばれ方をしたのは初めてだったし、新鮮さよりもくすぐったさが勝り、それを誤魔化す為にアウロスに悪態を吐いたりもした。

 妙な感覚だった。

 常に父の力になる事だけを願い、父の信頼する臨戦魔術士に指導を仰ぎ、要人を護衛する術を学んだ。

 学びながら、常に緊張と共に生きていた。

 自分の境遇、周囲の目、内包する負の技術、そして――――劣等感。

 フレアはいつも、疎外感と戦っていた。

 いつこの子が枢機卿の足を引っ張るかわからない。

 一度枢機卿の命を狙った人物が、信用に足る筈がない。

 人身売買で売られた子供など、枢機卿の傍におくべきでない。

 様々な声があった。

 戦うしかなかった。

 疎外感と仲良く出来るほど、フレアは人生を上手に編めなかった。

 当然、友人など一人もいない。

 奴隷にも似た境遇から枢機卿の娘という、劇的な改善がなされたにも拘わらず、フレアの生活は常に閉鎖的だった。

 そんな彼女にとって、アウロスとマルテは異質な存在だった。

 アウロスは――――不思議な人物という印象を抱いていた。

 常に冷めている。

 常に落ち着いている。

 年上とはいえ、まだ二十歳にも満たない人間が、ここまで心を安定させられるのかと感心を通り越して呆れるほどだった。

 だが、決して感情がない訳ではない。


『……下らない邪推をするな。おちおち手紙も書けないな』


 恋人の事をマルテから聞くように言われ、仕方なく代弁した際の事。

 明らかに戸惑っていた。

 苛立っていた訳ではなく。

 フレアはその手の感情には敏感だ。

 だから、わかる。

 アウロスという人物は、苛立ちを見せない。

 凪の海を思わせるような静けさで、飄々と、しかし逃げる事なく現実を受け止める。

 そして、最善策を探り、行動する。

 アウロスのそんな生き方は、フレアの理想だった。

 何故、性別も年代も異なる人間に、そのような感想を抱くのか。

 実に不思議な存在だった。

 一方――――マルテはそれ以上に奇妙な存在だった。


『っていうかフレアお姉さん、久し振り。元気だった?』

 

 敵対、とまでは言えないが、少なくとも違う勢力として再会した際のマルテの言葉。

 余りに緊張感に欠けている。

 マルテは概ねそうだった。

 気安い。

 だが決して、人懐っこい人物ではない。

 寧ろ人見知りするタイプだし、どうも心に闇を抱えているらしく、暗い。

 そんなマルテが、やけに自分には気安い。

 懐いている。

 そして自分もまた、気兼ねなく物を言える。

 年齢的には、ほぼ同世代。

 それが理由かもしれないと無理に納得させていたが、違う理由が後から次々と見つかった。

 教皇の孫。

 マルテという少年の出自は、自分とよく似ていて、全く違うものだった。

 フレアもまた権力者の娘だが、実の親子ではない。

 その意味では正反対でもある。

 だが、共通項が殊の外多かった。

 親への複雑な思いを抱き、立場に甘える事も出来ない。

 親子として過ごした時間も少ない。

 確かなものが何もない。

 何一つない。

 まるで漂流する一枚の板。

 何故沈まないのか、不思議でならない。

 そういう子だったから、話しやすかった。

 決して自己投影出来る存在でもない。

 似ていても違うものは全く違う。

 だから、同族嫌悪も自己嫌悪も必要なかった。

 素直に思った事を口に出来る時間が増えた。

 フレアは何時しか、二人といる時間を率直に楽しいと思えるようになった。

 父親は今、選挙の真っ直中。

 だが自分は何の力にもなれていない、なれる見通しもない。

 生きる目的を全く果たせていない。

 なのに、生きている。

 生きている実感が毎日ある。


『私を人質にしろ。そうすれば、全員動けないはずだ。私は……枢機卿の娘だからそれなりに価値がある。きっと』


 エルアグア教会、医療室。

 フレアはアウロスを救う為、自分だけでなく父親の顔にまで泥を塗る覚悟を決めていた。

 あり得ない事だった。

 だが、それは父であるロベリアの意向でもあった。

 サニアに敗れ、傷心の中で痛む右腕を引き千切りたい衝動に駆られながら、館の寝床で歯を食いしばっていた時の事。


『思うように生きるんだ、フレア。まずはそこから始めなさい。そうすれば、出来る事と出来ない事が自分でわかるようになる。手を伸ばさなければ、壁の位置はわからない。

 頭を上げなければ、天井がどこにあるかもわからない』


 歩き出さなければ、地面が何処まで続いているのかわからない――――

 フレアはようやく、自らの足で自分の人生を歩み出した。

 そしてそれは、結果的にフレアの原始の目的を芽吹かせる事となった。


 枢軸殺し。


 既に枢機卿ロベリア=カーディナリスを殺す意思など微塵もない。

 失敗した時点で、見切りはとうに付けられている。

 それ以前に、魔術国家デ・ラ・ペーニャが敗戦国となった事で彼女の目的は意味を失った――――


『殺せ』


 ――――筈だった。


『全ては順調だ。だが、順調過ぎる故に不確定要素もある。このまま覚醒しないとなれば、茶番もいいところだ』


 誰の声なのか、フレアにはわからない。

 内なる声、ではない。

 確かに外部から聞こえる。

 しかし誰が話しているのかはわからない。


『覚醒、という表現も適切ではないか。全く別のものだからな。お前も、マルテも』


 覚えているのは、ルインを探していた事。

 アウロスに頼まれ、一人先走った彼女を追っていた。

 とはいえ、姿は最初から見失っていた為、かなり難易度の高い任務だった。

 敵意ある十名を超える何者かが点在している中、一人の人物の暴走を抑えるのは厄介極まりない。

 それでも、力になりたい。

 アウロスやマルテの力に。

 それが今、自分が生きるという事。

 今の自分に出来る、今の自分がやりたい事。


『忘れるな。お前は普通の娘ではない。願望や未来など一切不要。お前はただの媒体なのだから』


 やりたい事――――


『殺せ。教皇選挙でルンストロム=ハリステウスの邪魔となる人間を殺せ。魔術士の未来を担う輝かしい血を引く人間を殺せ。それがお前の全てだ。融解魔術の有用性を隣の国に知らしめる栄誉、それがお前の全てだ』


 全て――――


『殺せ』



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