第10章:アウロス=エルガーデン【下】(41)
「……かなりかかる。この魔石を相当弄らないといけない。他の部位に関しては大味な魔具だろうから、大して時間はかからないだろうが」
契約は、選挙が始まるまでに用意するという内容だった。
アウロスの発言は事実上、契約違反だ。
「なら、違約金を払え。書面上では設定していなかったから、今決めよう。一日遅れるごとに3ユローでどうだ」
「……意外と馬鹿にならない額になりそうだな」
倹約家のアウロスならではの見解だが――――実際には、無いに等しい額。
それで話はまとまった。
「俺は必ず、マルテを救う。お前はどうだ? アウロス=エルガーデン。その名をこの腐った魔術国家の歴史に残せると、そう思っているか?」
選挙は明日。
もし、ルンストロムが勝てば、オートルーリングは悪用され、闇に堕ちる。
そうなれば、もう次はない。
「思うも、思わないもない。目的ってのはそういうもんだ」
「確かにな。お前は俺以上に揺れない野郎だ」
「そうでもない」
本心からの返事だったが、デウスは苦笑いを浮かべ、アウロスの肩に手を置いた。
そして――――
「教皇選挙は明日、【フォン・デルマ】で行われる」
驚くべき事実を述べた。
アウロスがマルテと共に論文を探している最中、デウスと"再会"した場所。
だが、そのフォン・デルマでの開催が驚くべき事ではない。
事実を述べたその事実が、驚くべき事。
教皇選挙の会場は最高機密。
幾ら選挙を辞退するとはいえ、それでもあり得ない漏洩だ。
「ついでにもう一つ。今日、ここに選挙管理委員会のトップが来た」
「……お前に会いに、か?」
「俺に会いに、だ。そして、俺に言えるのはここまでだな」
そう告げ、デウスはアウロスに背を向けた。
上に戻るつもりらしい。
その姿から目を離し、アウロスは今のデウスの言の意味するところを模索する。
ここからフォン・デルマへは遠くはないが、近くもない。
明日、教皇選挙が行われるという日程の中、わざわざ選挙管理委員会の代表者が訪れるなど、通常ではあり得ない。
まして、候補者と接触するなど論外だ。
仮に、選挙管理委員会の総意として、デウスを推挙する事を知らせに来たとしても、わざわざ本人が足を運ぶ必要はない。
そもそも、明日わかる選挙の結果を今日教えに来る意味など皆無。
エルアグア教会の視察にしても、デウスの意思確認や見極めを行うにしても、遅過ぎる。
やはり、通常ではあり得ない。
なら――――あり得ない事が起こった、と見なすしかない。
例えば、本来推挙する予定だった人物が、何らかの理由で推せなくなった。
デウスを推す予定だったが、それが直前で不可能になり、詫びに来た。
これなら意味は通る。
ただし、そんな筋の通った行動を選択する人物が、選挙前に当選を確約させるという明らかな選挙違反を行う筈がなく、そこには矛盾が生じる。
そうなると、デウス以外の人物との間に問題が生じた可能性の方が高い。
その場合、ここを訪れたのはデウスに話を聞く為と推察出来る。
或いは、この教会自体が目的だったかもしれない。
選挙管理委員会と"その人物"との問題は、エルアグア教会が関係していた。
つまり――――融解魔術が関係していた。
それなら、辻褄が合う。
何故なら、"その人物"が融解魔術を手に入れようとしていると、つい先程聞いたばかりだったからだ。
「……ルンストロム=ハリステウス」
ウェンブリー教会の首座大司教。
そして、教皇選挙の立候補者の一人。
いつの間にか、彼が選挙で最も優位な人物と噂されるようになっていた。
なんの事はない。
そう仕向けられていた。
選挙管理委員会が、自分達の決定を正当化すべく情報操作していた。
そう考えれば、全てに納得がいく。
ルンストロムは、勝者だった。
その予定だった。
だが、なんらかの理由でその確約が取り消された。
しかも、選挙管理委員会の方が取り消した訳ではない。
彼らの行動は、明らかに狼狽が見て取れる。
ルンストロムの方が、裏切り行為を働いた。
委員会の代表者がこの時期にデウスを訪ねてきたのがその証。
その裏切り行為とは、融解魔術に関する事。
融解魔術の扱い方についての齟齬が原因――――そうアウロスは推察した。
ルンストロムはテュルフィングを介し、国外へ融解魔術を"輸出"しようとしている。
だが保守派揃いの選挙管理委員会が、それを許す筈がない。
選挙が始まる寸前まで隠し通していたが、その目論見が露呈した。
だから、選挙管理委員会は怒り、同時に焦った。
ルンストロムを推せないかもしれない。
その疑念を、デウスにぶつけた。
同時に、融解魔術が流出していないかを確認しに来た。
「……こんなところか」
デウスから与えられた手がかりを元に、アウロスは仮説を立ててみた。
正しいかどうかは不明。
裏付けを行わない限りは机上の空論だ。
ただ、それをする時間はないし、する意味も薄い。
わかっているのは――――ルンストロムが絶対優位ではなくなった事。
だとすれば、アウロスにとっては朗報だ。
朗報の筈だった。
なのに、気が晴れない。
何かが引っかかっていた。
そう。
何故、ルンストロムはルインと取引をしようとしたのか。
何故、総大司教ミルナ=シュバインタイガーに近付こうとしたのか。
選挙管理委員会に梯子を落とされる事を懸念し、別の後ろ盾を探していた――――と一見そう見える図式だが、今のミルナにそこまでの影響力はない。
人体実験をしていた過去を暴露された彼女は、信用を失っている。
頼るべき相手とは到底思えない。
なら、一体どうして?
「別の目的があった……か」
心中でそう独りごち、アウロスは意識を現実へと戻した。
別の目的。
それは恐らく、融解魔術と関係している。
ミルナとグランド=ノヴァの間に、何らかの関係性があり、そこから情報を引き出そうとしていた――――とか。
もしそうなら。
もしそうだとしたら。
ルンストロムは教皇になる事が目的ではなく――――
「……?」
不意に、アウロスは現状の不自然さに気付いた。
物音が聞こえない。
デウスの足音も、扉を閉める音も聞こえてこない。
音の響く地下において、それは不自然だ。
デウスならば、物音を立てずに移動するくらいは出来るのかもしれないが、それをする意味がない状況で敢えてする必要は――――
「なくても、やりそうだな。あの男は」
これまた心中でそうぼやき、アウロスは嘆息と視点変更を同時に行った。
魔石を確認した以上、もうここにいても仕方がない。
上へ戻り、他の面々と合流して、ここが魔具であるという情報を共有する。
それがこれからすべき事。
――――その筈だった。
「……?」
しかし常に、思惑や予定は狙い通りにいかないものだと、アウロスは身をもって知っていた。
知っていても、慣れるものではなかったが。
「……何の冗談だ」
だから、思わずそう呟く。
無意味。
本当に無意味。
「何の冗談だって聞いてる」
"叫ばなければ"、余計無意味。
それでもアウロスの声は、中々前へと向かなかった。
「おい。聞いてるのか。デウス」
混乱は続く。
アウロスは、取り乱す寸前の自分を制御していた。
これまで体験してきた、あらゆる経験が、辛うじて心を平静に保っていた。
それが人間として正しい姿勢である筈もないのだが――――アウロスはそれを選択した。
「……冗談じゃない、のか」
合理的とは言い難い。
"話す相手が返事をしないとわかっていて"そう言うのは、合理的ではない。
しかし混乱は、その程度で済んだ。
考えはまとまらないが、アウロスはそこでようやく足を一歩踏み出した。
あと数十歩先へ向けて。
石造りの扉を経て、一階へと向かうその途中の道。
――――そこで倒れたまま動かない、デウスへと向けて。