第10章:アウロス=エルガーデン【下】(33)
「俺達は暫く出てる。会話が終わったら知らせてくれ」
二人で話した方が、気が散らないだろう――――そんな含みを持たせ、アウロスは90近く年の離れた二人を残し、部屋を出るように指示した。
異を唱える者はなく、ぞろぞろとザンブレア総合魔術研究所の廊下に出て行き、各々の思う場所で足を止める。
トリスティとサニアは好奇心を隠さず、かなり離れた場所まで移動し見物を行っていたが、ティアは誰からも離れ、廊下の隅で一人ポツンと佇んでいた。
「……聞きたい事があるのだけれど」
そんなティアに、臆する事なく接近する人物が一人。
ルインは剣呑とした普段の雰囲気を務めて消し、かといって友好的な表情は出来ず妙に中途半端な顔でティアの隣に立っていた。
「フローラの事ですね」
敢えて言葉を濁す事も誤魔化す素振りもなく、ティアはルインの視線を正面から受け止める。
寧ろルインが気圧されそうなくらいに。
「貴女の事は"よく"知っています。【死神を狩る者】」
それは――――彼女がフローラの死について調べ尽くした事を意味していた。
「私がフローラの指南を受けたのは幼少期。貴女の家に彼女が奉仕しに行ったのはその大分後、という事になるのでしょう」
「……私を疑うのは当然ね。事実、私の責任は軽くないのだから」
二人の話を、アウロスは遠巻きに眺めながら聞いていた。
今にもルインをフォローしようとする衝動を抑えながら。
傍らにいるフレア、マルテが心配そうにしていたが、そこにまで気を使う余裕は今のアウロスにはない。
「そうだ、二人とも何か食べない? 100歳過ぎたおジイちゃんから話聞き出すのは時間かかるだろうし、先に食事済ませときましょ。ここの料理、意外とイケんのよ」
それを察してか、ラディが二人を連れ出す。
アウロスは目でラディに礼をし、ラディは『借りね』と返した。
そんなやり取りが行われている事など知る由もない二人――――ルインとティアは暫く沈黙のままお互いの目を見ている。
睨み合うような不穏さはない。
寧ろ、お互いにバツの悪そうな顔をしていた。
だが、ここで仲介者が入るのは適切ではない。
二人で話し合い、お互いに背負った重く黒く貴い荷物を整理しなければならない。
そして、介入しないのであれば、会話に聞き耳を立てるべきではない。
そう結論付けたアウロスは、今更ラディ達の後を追う事も出来ず、サニアとトリスティのいる奥の部屋へと向かった。
そこは書庫になっており、研究に使用する魔術関連の書物が多数保管されている。
トリスティは緑魔術、サニアは赤魔術の資料をそれぞれ楽しげに眺めていた。
「……お前は確か、青魔術が専門だった筈だが」
アウロスがそう尋ねると、トリスティの顔に微かな陰が差した。
「うん。ちょっとデクスっちの事、思い出してさ」
四方教会、緑魔術の専門家――――デクステラ。
その正体がテュルフィングだった事を知ったトリスティは、誰よりも落胆していたという。
サニアにそれを聞いたアウロスは、一体"どっちの"理由で落ち込んでいたのか、判断出来ずにいた。
「仲間だと思っていた人間が、実は違っていた。それを見抜けなかった。どっちだ?」
だからアウロスは不躾に問う。
決して好奇心ではない。
アウロスもまた、似た経験をラディ相手にしている。
力になれるかもしれないという、単純かつ純粋な、そして昔のアウロスならあり得ない発想での問いかけだった。
「うーん……両方かな。一応、デウス師匠直属の部下って立場もあるし、それなのにずっと騙されて敵を傍に置いてた事に気付かなかったのは反省しなきゃって思うもん」
トリスティは若い。
若いからこそ、本心は隠したがる。
晒すのはカッコ悪いと思う。
その心理はアウロスにはないものだったが、存在として理解は出来る。
この場合、より大きな比重を占めていたのは『仲間の裏切り』だと判断するには十分な対話となった。
「あ、ところでアウロっち、マルテっち知らない?」
「食事しにテラスへ向かった」
「ふーん。じゃ、オレっちも行こっと」
年齢が近い事で、いつの間にか親しくなっていたのかもしれない。
何処か幼さを感じさせる声で、トリスティは読んでいた本を置いて書庫を出て行った。
「トリスティはずっと、自分よりも年上の人間に囲まれて生きてきた故にな。同年代の人間と接するのが楽しいのであろう」
サニアもまた、パタンと本を閉じ、所定の位置に戻す。
研究畑の人間ではない二人とあって、本への好奇心は薄いらしい。
「あ奴は幼少期、壮絶な虐待を受けていた事がある。内容はここで口にするのもおぞましいものだ」
「……」
「そのあ奴を誰よりも気にかけていたのがデクステラであった。それが偽りだとなれば、精神そのものが崩壊しても不思議ではなかったのだが……いやはや、若者は気付かぬ内に成長するものよ」
「まるで一児の母のような物言いだな」
「無論、母になった覚えもなければそのような年齢でもないがな。自分より幾分か若い者を見ていると、近い思想になるのやもしれん」
所謂、母性。
アウロスもマルテと接するようになり、父性ではないにしろ、それに近い感情が自分の中に芽生えているのを自覚していた。
「……デウス師は選挙後、どうするつもりなのだろうな」
ポツリと、サニアが呟く。
「無論、王にならずともデウス師への我らの尊敬の念が消える事はない。だが、不安はある。
貴様はどう思う? デウス師はこの先、この国で生きていけると思うか?」
あくまで優先すべきは、自分の身の振り方や将来ではなく、デウスの心配。
アウロスは感心する反面、サニアの言葉を弱々しく感じていた。
「デウスより、まず自分の事を心配しろ」
「む……それは確かにデウス師にも言われた」
「なら、尚更だ。あの男は選挙から降りただけだ。生き方を変えてもいないしまして敗北した訳でもない。より自分の目的に近付く選択肢を選んだに過ぎない」
「……御子息の為、か」
サニアのその呟きには、どれだけ忠誠を尽くしても勝てない相手がいる事への諦観の念が含まれていた。
ティアとは異なる表現の仕方だが、源泉は同じなのだろう。
そう理解したアウロスは、自分が持つ言葉の中に彼女を励ます物が一つもないのを悟り、内心溜息をついた。
「ならば、我がこれ以上無用な心配をする事もあるまい。貴様の言うように、己の人生について考える事としよう。とはいえ、戦闘を生業としてきた故に出来る事は限られるがな」
「魔術士ギルドに登録して、傭兵紛いの仕事でもするつもりか?」
そのアウロスの発言に、サニアは反射的に目を狭める。
責められている――――そう聞こえたのだろう。
「……我は、貴様のようになりたい」
だからなのか、それとも無関係にか。
サニアは唐突にそんな発言をしてきた。
「貴様のように、何かを生み出す人間になりたい。この世に生まれ落ち、生きた証を残したいのだ。
デウス師のように強くなくともそれが出来ると、我は貴様より学んだ」
「……俺の場合、借り物の人生なんだけどな」
サニアがオートルーリングの事を言っているのは明らか。
だからこそ、アウロスは当惑した。
とはいえ、一から全て説明するのは億劫だし、何より自分語りは相手を選ぶべきだ。
結局、アウロスはそれ以上自分について何も言わなかった。
その代わりに――――
「自分が戦わなくても、その経験を活かした仕事に就けばいいんじゃないか? 例えば、講師とか」
「他人に物を教える器ではない。だが、経験を活かすのは善き意見だ。参考にさせて貰おう。その上で、新しい何かを生み出せればよいのだが」
サニアの目に光が宿る。
逆に言えば、今の今まで光のない目だった事が判明した。
トリスティにしても、ティアにしてもそうだ。
誰よりもデウスがそれを感じていたのかも知れない。
デウスへの依存からの脱却こそが、彼ら四方教会の未来への第一歩だと――――
「大変大変!」
不意に、ラディが書庫の扉を蹴破る勢いで入って来た。