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ロスト=ストーリーは斯く綴れり  作者: 馬面
ウェンブリー編
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第2章:研究者の憂鬱(14)

 時刻を知らせる梵鐘の音が、昼休みを告げる。

 鐘青銅の鈍痛にも似た響きは、正確に、そして強引に頭の中へ進入して行き、煮詰まった脳が分泌する無色の液体を蒸発させるくらいの勢いで、全身をリフレッシュさせてくれる。

 この瞬間は、外部からの介入を極力遮断する研究者達の頭も、反射的に休憩と栄養補給の欲求で満たされる。

「……」

 ミスト研究室において、この鐘に最も素早い反応を見せるのは――――辺境の魔女ことルイン=リッジウェアだ。

 研究所で殆ど言葉を発する事のない彼女は、沈黙のまま、摩擦なき動作で迅速に淡々と研究室を出て行く。

 その様子だけでも、彼女がここで浮いた存在だと言うのは誰の目にも明らかだ。

 しかし、被虐的な空気は一切ない。

 何ら淀んだ所作なく、凜然と去って行く様は、まさしく孤高の魔女そのものだった。

 事実、黙って出て行く彼女に誰一人として声を掛ける者はいない。

 それ以前に、日常の風景から既に彼女は異質で、誰に近付く事もなければ、視線を合わす事もない。

『周りの人間が全て、無機質な道具にでも見えてるんでしょうね』

 以前――――アウロスに向かって吐き捨てたクレールのその一言が、周りが下す彼女への評価の全てを物語っていた。

 しかしながら、アウロスの目にはそうは映らない。

 アウロスと2人、と言う条件下での彼女は、研究室での彼女とはまるで違う。

 寡黙さは影を潜め、言葉遊びを楽しむかのように毒を吐くルインの姿は、やはり魔女ではあるのだが――――

「……?」


 刹那の風景が頭を過ぎる。


 暗く、闇ばかりが揺蕩う夜霧のような世界――――

 

 それが何処なのかすら確認できないまま霧散したその映像に、アウロスは眉間に皺を寄せ、手を伸ばそうとした。

 が――――

「アウロスさーん、学食に行きます?」

 特に仲良しになった訳でもない、少年のような青年の声が、それを思いっきり邪魔してくれた。

「……どうかしましたか? 呪詛でも宿ったかのような目でボクを睨んでるような気がしないでもないんですけど」

「学食行かない。調べ物する」

 理不尽な怒りを抑えるのにスペックの9割以上を使用した為、運動性言語野にエネルギーが回らなかった。

「は、はあ。何でそんなカタコト口調なのかはわからないですけど、わかりました」

 逃げるように去って行くリジルと入れ替わるように、今度はクレールがやって来る。

 その顔には、どこか苦笑めいた緩和が見て取れた。

「調べ物? 資料室で? それとも図書室?」

「資料室。過去の実験方法について載ってる古文書を見たい」

 古文書は書籍と資料的価値の双方を兼ねているのだが、この大学では後者を重視し、全ての古文書を資料室に保管してある。

 この古文書と言うのは、保存がとても難しい。

 最大の敵は湿気なので、木箱などに入れておくのが望ましいのだが、それでも虫食いの被害を抑えるのは困難。

 尤も、資料的価値を考慮した場合、写しを取ってあるのが普通で、その内容を継続して保存し続けるのはさほど難しくない。

 ただし、そこには割と膨大な人件費を必要とする。

 通常、古文書の写しは学生のアルバイトが行っているのだが、分厚い物となると一冊写すだけで数週間を要する。

 文字だけなら問題ないのだが、図解などが記してあると、さあ大変。

 そこに記されている図を、完全な形で写す必要があるからだ。

 こう言った古い書物の中には、暗号のように一見するだけでは把握できない意味を含有した文や図が結構あったりする。

 その為、適当に写す訳には行かない。当然、神経をかなり磨耗する事になり、写すのに時間が掛かる。

 そうなれば、費用が嵩むのは言うまでもない。

 100冊程度なら、問題もないのだが。

「古文書……ね。それだったら、これ」

 クレールは特に言及はせず、手に持っている2枚の紙の内、1枚をアウロスに差し出した。

「資料室に施してる封術の解除コード。これがわからないと入れないでしょ?」

「あ、どうも」

 実は――――知らなくても入れたりするのだが、それを宣言した所で意味はない。

 アウロスは礼を言いつつ、その紙を受け取った。

「余り長い時間いると偉いさんと出くわす事もあるから、用事が済んだら早く出なさい」

 諭すような物言いで注意事項を述べ、クレールは昼食を摂りに部屋を出て行った。

 拒絶された割には面倒見の良い、奇妙な先輩の残像を眺めつつ、席を立つ。

 歩きながら紙に目を通すと、そこには現状の戸惑いより遥かに易しい封術の解除コードが並んでいた。

 初めてこの大学に足を踏み入れた際にアウロスが目の当たりにした結界が鋼鉄の扉だとしたら、資料室の扉は薄い紙みたいなものだ。

(さて……)

 1階左館の前衛術科資料室前に足を運んだアウロスは、ものの数秒で解術を施し、扉を開――――こうとした刹那、その手を止めた。

 この資料室の向かい側には【魔具Ⅱ実験室】と銘打たれた旧実験室がある。

 そして、左奥には倉庫がある。

 どちらもアウロスが以前トラブルに巻き込まれた場所であり、この区域が呪われた空間である事は明らかだ。

 流石に爆発やドラゴンゾンビ以上のトラブルは起こらないだろうと思いつつ、アウロスの頬には冷や汗が一滴浮かぶ。

 一応の心構えをして入室すると――――

「あ」

 黒い頬っ被りと黒いローブで全身を隠した何者かが、窓から侵入している最中の姿が視界に映った。

 当然のように指輪を光らせる。

「何とも中途半端と言うか、インパクトに欠けるトラブルだったな」

「ちょっ、意味わからない事言いつつ『面倒だから魔術でぶっ飛ばしちまえ』的な動作しないでよ! 私! 私!」

 その声に聞き覚えのあったアウロスは、途中まで綴っていた攻撃系青魔術【氷塊】を渋々キャンセルした。

 尚【氷塊】と言うのは、氷の塊を敵にぶつけると言う非常にシンプルで野性味溢れる魔術だ。

「……お前は神出鬼没のスキルでも持ってるのか? 雇われ情報屋」

 アウロスが落胆じみた嘆息を落とす中、泥棒もとい情報屋ラディは何故か不服そうに窓枠から足を下ろす。

「情報収集は足が基本なの。だから、万が一見つかっても大丈夫なようにローブまで調達して乗り込んで来たって寸法よ。それが、よりにもよってこんな所を見つかるなんてね……」

 小さく息を吐き出し、ラディは黄昏れていた。

「磐石のコソ泥スタイルでカッコ付けられてもな。と言うか、事前に俺に言っとけば普通に手引き出来た訳だが」

「雇い主の手なんて借りてられっかい! 第一、手間賃を給料から差っ引くつもりでしょ?」

 アウロスは無言で肯定の意を示した。

「ホラ御覧なさい。私は何でもお見通しよ。何しろ奇跡の情報屋だからね」

「……で、聞くのも馬鹿馬鹿しいんだが、何しに来た?」

 面倒な自称は淑やかにスルーし、簡潔に問う。

 ラディはフフンと鼻を鳴らし、アウロスに近付いて指を1つ立てた。

「取り敢えず、ウォルト=ベンゲルの行動パターンを数日間くらい追ってけば、例の件の真相もわかると思ったのよ。ひょんな事からスケジュール表的なのが手に入ったりするかもしれないし」

「成程、それで盗人の格好を」

「バカな事言わないでよ盗むなんて言ってないじゃないあくまでひょっとしたらとか運が良ければとかそういうニュアンスよオホホホ……ホ」

 最後まで棒読みに徹しきれず、ラディは沈んだ。

「そこまでして調べようとしたお前のプロ根性は買うが、その件に関しては既に有力な情報を得ている」

「どゆ事?」

 アウロスは、先程のルインの発言と彼女の人となりについて、とても簡潔に述べた。

「……何それ。アンタまさかそんな女の戯言を信用するの? かーっ!」

 結果、威嚇された。

「そんな女って……」

「ったく、これだから男は! 全く男は全く! 良い? そんなミステリアス気取りの勘違いアデー女の言う事なんて聞いてちゃダメなの! ブラフに決まってんじゃない!」

 情報屋としてのプライドに触ったのか、ラディは憤怒の表情で否定を叫ぶ。

 しかしちっとも怖くはない。童顔はこう言う時に損をする。

「そう取りたくなる所だが、それはない」

「何でよ!」

 嘆息交じりに、アウロスは部屋の壁に視線を向けた。

 余り掃除が行き届いていないのか、所々に埃が付着している。肺の弱い人間には余り長居出来そうにない場所だ。

「あの女が何らかの目的で俺に揺さ振りをかけたり、ミスリードを誘ったりするのなら、直接俺に告げると言う手段は絶対に取らない。間接的にそう判断させる方法を取る」

 仮に、ルインが混乱を生じる虚偽の情報をアウロスに教えたとする。

 当然、いずれはその真偽は明らかとなり、アウロスはルインが業務妨害を行ったとして、上司であるミストへ報告する事になる。

 それは、アウロス以上に研究室内での立場が微妙なルインにとって、かなりのダメージになる事は明白だ。

 わざわざそんなリスクを背負って、自ら虚偽の発言をする必要など、何処にもない。

「そんなの……」

「加えて、リークの動機に心当たりがない事もない」

 アウロスの脳内にある人物相関図の中に、未確定ではあるが有力な線が一本ある。それが心当たりだった。

「何? 『アイツ、俺に惚れてるんだぜ』とか言い出したら頬を張るからね」

「違う」

 嘆息が床の埃を微かに舞わせた――――ような気分になるくらい、アウロスは深い不快の溜息を吐いた。

「ま、そう言う訳で、お前のこれからの仕事はウォルト=ベンゲルと教会関係者の接点を見つける事だ。密会するのなら、事前に本人への通達なりなんなりあるだろ。それを暴けばボーナスが支給されるから頑張れ」

「任せて! 私の前では法の網さえもクモの巣に過ぎないって事をまざまざと見せ付けてやるから!」

 かなりの問題発言を残し、ラディは張り切って資料室から出て行った。

「貴様何者かー! 賊かー! であえであえー!」

「あれええええええ!?」

 近隣で秒殺されていたが、アウロスは特に気にも留めず、古文書を漁り始めた。


 ――――6日後の夜に【魔具Ⅱ実験室】で密会が行われる事が判明したのは、何気にその日の夜だった。


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