第10章:アウロス=エルガーデン【下】(20)
「……本気?」
そして、問う。
僅かに上ずった声で。
サニアはそんなルインに対し――――
「それくらいの覚悟を持ってここへ来た、と言いたかったのだが。思わぬ大事になってしまった」
バツの悪そうな顔で、後頭部を掻きながら力なく返答。
ラディが大げさに椅子から転がり落ちる。
「なんだいそれ! 私のオーバーリアクションを返せ!」
「うーむ……思いの外賑やかなのだな、貴様の周囲は」
「類は友を呼ばないんだ」
一方、アウロスは終始平然としながらハーブティーを口に含んでいた。
「何を頼んでもいいんだったら、フレアとマルテの面倒をみてやってくれ。最近忙しくて、余り相手をしてないんだ」
「子守か。悪くないな」
意外とサニアは子供が好きな様子。
尤も、二人とも子供と大人の境界にいる年齢なのだが。
「何にしても、俺もデウスには用がある。いい加減、論文の原本を回収したいからな。
明日の正午、時間を作っとけって伝えてくれ。直接エルアグア教会に出向く」
「む……それなら話も早い。伝えておくとしよう」
そう了承しながらも、サニアは席を立とうとしない。
寧ろ腰を落とし、本格的に腰を落ち着かせようという体勢になっていた。
「……まだ帰らないの?」
「そう急くな、"死神を狩る者"」
サニアは――――ルインの通り名を知っていた。
「明日、デウス師と話を付ける気であるのなら、四方教会の生い立ちについて知っておいて損はあるまい。少し話をする時間を我にくれぬか?」
「デウスへの賛美なら、聞き飽きたんだがな」
「そう言うな。あ奴と話していると、つい忘れる事もあろう。あ奴がこの国の――――最強魔術士である事を」
サニアのその言葉に、俯き加減だったルインが反射的に顔を上げる。
デ・ラ・ペーニャの最強魔術士。
それは、世界最強の魔術士と同義でもある。
「デウスが強いのは知ってるけど、最強なのは初耳だな」
だがそれを聞いても尚、アウロスは驚いた表情一つ見せなかった。
「貴様の疑念は尤もだ。貴様の前ではあ奴は一度もその真価を見せておらぬからな」
デウスの強さ。
それをアウロスが直接目撃したのは、ロベリアとフレアに出会ったアルマセン大空洞での一幕くらいしかない。
あの時も、その一端を見た程度だった。
「何しろ、教皇の息子だ。六つの聖地を旅する間、何度もその命を狙われた。そして今も」
「今も……?」
恐る恐る尋ねるラディに、サニアは頷く。
「或いは今頃、大物の暗殺者に襲われおるやもしれぬ――――」
「――――とでも言っている最中かもしれんな。サニアなら」
同時刻。
エルアグア教会から少し離れた市街地の路地裏で、デウスは右腕を上へと伸ばし、その手に掴んでいる"何者か"の襟首を持ち上げていた。
「ぐ……ぁ」
その力は凄まじく、決して小柄でも細身でもない"何者か"が軽々と持ち上げられ、
路地裏の壁に押しつけられる。
抵抗は何度も試みているが、まるで意味を成さない。
魔術士とは到底思えないその力を前に、無力と化していた。
「気配は一切感じなかったな。大した腕だ。威力は最小限に絞って、速度と精度を重視したのも良い判断だ。結界を張る間もなかったからな。お陰で左手は暫く使えんかもしれん」
一切憎々しい様子はなく、デウスは左腕をブランと動かす。
その手の甲は、未だに焦げ臭い匂いを発していた。
「さて、このまま絞め殺してもいいんだが……それだと味気ないな」
「……ぁ?」
デウスは口角を上げるのと同時に、"何者か"の身体を路地裏の更に奥へ放り投げる。
その人物が男である事、自分を狙った暗殺者である事。
デウスが知り得る情報はこの二つのみだ。
いや、もう一つ。
――――自分が出会った中でも屈指の実力を持った魔術士である事。
「立ちな。せっかくの機会だ。魔術士として勝負してやろう」
地面へと投げ捨てられ、野生動物のような殺気を放つ暗殺者を前に、デウスは右手の人差し指をクイクイッと前後に動かし、挑発。
それは、暗殺者を相手にする行動としては、余りに非常識だった。
「何の……つもりだ」
「見た所、まだ若そうだと思ってな。若者にはチャンスを与える。それが"王"を目指す人間の懐の広さってヤツだ。その若さでこの俺を狙う暗殺者になったんだ、相当な腕と素質を持っているんだろう。それを見せてみな」
「ククク……俺をここまでコケにした奴はお前が初めてだよ。デウス=レオンレイ」
暗殺者は嗤う。
決して愉快そうにではなく。
「教皇の息子でありながら、前教皇ゼロス=ホーリーの姓を名乗らず、各聖地をウロウロしている奇妙な人物。噂以上の変人みたいだね」
「その年齢で闇に染まったお前に言われる筋合いはねーな。名前くらい聞いておきたいくらいだ」
「名乗る名は持ってないよ。暗殺者だからね。ま……これはもう、暗殺じゃないんだろうけどさ」
まだ若い暗殺者の口調は、何処か投げやりだった。
既に人生を捨てているかのように。
「困るんだよね、お前みたいなのに教皇になられたら。仕事が減りそうでさ」
「生憎、俺がなるのは王だ。教皇なんて辛気臭い役職になる気はねーよ」
「どっちでもいいよ。俺には関係ない話だからね」
軽口を叩き合いながら、暗殺者はゆっくりと立ち上がる。
魔術への自信は絶対。
だが温情をかけられたのも現実。
そして何より――――"もう二度と"失敗は許されない身。
以前の失敗は別の雇い主の下での出来事だったが、無関係とは言えない。
「無意味だろうが、一応聞いておくぜ。俺を狙うように命じたのはルンストロムか? それとも準元老院の誰かか?」
「バカか? 俺が答える意味ないじゃん」
「そうでもねーのよ、これが。人間ってヤツは、どれだけ隠そうとしても無意識に反応しちまうのさ。耳に入れた単語には頭が勝手に、な」
デウスが口を大きく横に広げ、笑う。
対照的に、暗殺者の目は狭まっていった。
「……」
「良い貌だ。絶対に俺を殺さなきゃ、この先はない。いや、自分自身を許せない、ってトコか」
「お喋りは終わりだ」
その言葉の前に――――暗殺者は既にルーリングを始めていた。