第10章:アウロス=エルガーデン【下】(19)
「き、気になる事ぉ?」
アウロスを凝視するかのようにじっと眺めるサニアに対し、ラディが何故か冷や汗を滲ませる。
「ま、まさか……いやでもそんな訳ないよね。幾らなんでも……」
「ん? おかしいか? 我がこの男の元へやって来る事が」
「な……ななななな」
目を丸くするラディに対し、サニアは真剣な眼差しを向け――――
「実は……」
一つ咳払い。
そして、告げる。
「……そこまで身構えずとも、想像に難くなかろう。デウス師に関する事だ」
「だろうね。うん、だろうね。こんなこったろうと思ったもんね」
「……なんなんだ一体」
瞬きせず高速で頷くラディと、そっぽを向いたままのルインに、アウロスは困惑を覚えつつも不毛な会話は控える事にした。
「それで、デウスが何だって?」
「恐らくは貴様も既に予想しておるのだろうが、デウス師は既に貴様の発明した自動編綴の為の魔具を入手しておる。この研究所で作られた試作品の一つをな」
「え!」
驚きの声をあげたのは、ラディ。
彼女以外にこんな声を出す人物は、この場にはいない。
「あ、でもそっか、そうなる筈よね。ここってエルアグア教会の子飼いの施設って話だし……」
「そういう事だ。元々は、デウス師が『選挙の際の切り札になる物を用意するにはこれがどうしても必要だ』とゲオルギウス姉弟を唆し、この研究所へ自動編綴用の魔具を作るのに必要な論文を流していた。貴様の書いた論文だそうだな」
「……ああ」
試作品が存在していると知った時点で、アウロスはそれをデウスも入手していると確信していた。
デウスはオートルーリングを欲しているのだから。
だが、入手のアテがありながらも、デウスはアウロスに固執していた。
本人の口から『アウロスの持つ魔具が目的だ』とハッキリ言われた事もあった。
そこに矛盾が生じた。
試作品があるのに、何故デウスはアウロスの魔具を欲していたのか。
それを考えた時、アウロスの中に仮説が生まれた。
試作品には欠陥があるのでは――――と。
「論文を元に、デウス師は融解魔術を使用出来る自動編綴用の魔具を開発するよう命じていた。
他の研究所から知り合いの信頼出来る研究者を編入させ、情報漏洩を防いだ上で秘密裏にな。
恐らくここの所長すらも知らない筈」
「用意周到ね」
皮肉を発したルインに、サニアが愉快そうに笑む。
この二人は、相性が良いのか悪いのか掴み難い――――アウロスはこっそりそんな事を思ったりした。
「だが、どうしても上手くいかなかったようだ。何か問題があるようだが、我にはよくわからぬ。
研究は専門外なのでな。だが、デウス師が困っているのはわかっていた故に、先程の話には合点がいった。どうやら、その欠陥とやらが原因のようだ」
「そうだろうな。仮に融解魔術をオートルーリング専用の魔具に登録するとなると、出力の不具合は致命的な欠陥になる。何でも融かせるからこそ、価値がある魔術だろう」
そもそも、それ以前に融解魔術を構成するあの膨大な数のルーンを魔具に全て登録出来るかどうか、という問題もある。
だが、それが難題だと知りながらも、デウスは敢えて挑んでいたのだろうとアウロスは踏んでいた。
それくらいの事をしなければ、選挙には勝てない――――実のところ、デウスはそういう立場にあるのだとも。
「その通りだ。故に、試作品の欠陥を修正して貰えるのであれば、それに越した事はないのだが……」
「時間がない。そうね?」
イマイチ話についていけず沈黙するラディとは対照的に、ルインが核心を突く。
サニアは笑みを消し、小さく頷いた。
「教皇選挙の投票まで間もない。今から問題を修正するのは困難と判断した故に、デウス師はそこの不遜男の魔具を欲したのだろう」
「不遜男も止めろ……で、選挙の投票日は何時頃が予想されてるんだ?」
教皇選挙の投票日は、選挙管理委員会が決定する。
だがその決定は公表されず、ある日突然結果が発表される形で国民は新教皇の名を知る事になる。
そしてそれは、立候補者も例外ではない。
ただ、立候補者は直接選挙管理委員会の面々と対談する機会がある為、ある程度の予想は出来る。
「デウス師は十日後、或いはその前後を見込んでいるようだが」
既に選挙の公示は行われている。
アウロスもそれくらいだろうと予想はしていた。
「デウス師にとって、魔具の不具合は痛手だったようだ。尤も、試作品ではない魔具を持っている人物が近くにいるのは僥倖でもあったのだろうが……」
サニアはそう呟きながら、アウロスの右手の指輪に視線を送る。
現在、アウロスはオートルーリング専用の魔具をはめている。
研究で度々使用している為だ。
「その魔具を譲る気は、貴様にはないのだろうな」
「当然よ。ね、ロスくん」
やっと自分に理解出来る問答があった為、ラディは誰より速く反応。
その様子に微笑ましさすら覚えたアウロスは、肩の力を抜き、そのまま一つ頷いた。
「俺にはオートルーリングを完成させて、歴史に名を残す目的がある。この魔具は必要だ」
ここで、話はようやく"最終走者"へと繋がる。
ミストはまだ、オートルーリング専用の魔具の抱える潜在的な欠陥に気付いていない。
このまま商品化して各地に専用魔具を広めれば、何処かで不具合が起きるだろう。
ただ、それは致命的な問題にはならない。
ごく一部の地域にのみ問題が生じるだけの話であり、そこで対応出来れば最小限の痛手で済む。
とはいえ、対応出来るかどうかは未知数。
何しろミストは、オートルーリングの専門家ではないのだから。
よって、アウロスにはこういう選択肢もあった。
実際に問題が生じ、非難の声があがった段階で、その対処をアウロスが行う。
そしてそのタイミングで、自分がオートルーリングの生みの親だと主張する。
そうすれば、誰がこの技術を開発し、知識を有しているのかは一目瞭然だ。
それまでに、ミストをねじ伏せられる政治力を持った人間と精通する事に成功していれば、論文の修正、そしてファーストオーサーの変更を求められる可能性は十分にある。
そしてその政治力を有した人物は、既にアウロスの知り合いの中にいる。
枢機卿ロベリア。
彼ならば、間違いなくミストを封殺出来るだろう。
単純な身分だけならルインの母ミルナも該当するが、彼女の今の立場上、それは難しい。
だがロベリアなら問題ないだろう。
しかし、アウロスはその選択を放棄した。
何故なら、それをすれば――――確実にウォルトの立場が危うくなるからだ。
昔のアウロスなら、それでも敢行する事を考慮しただろう。
けれど今のアウロスにとっては、論外とも言うべき選択肢となっていた。
「そもそも、俺はまだデウスから借りを返して貰っていない。お前らを助けた借りだ」
よって、現在アウロスがすべき事は一つ。
このザンブレア総合魔術研究所で魔具の修正を迅速に行う。
そして、並行して融解魔術専用のオートルーリングを構築し、その魔具を作る。
それを――――
「うむ。それについては我に一任されておる。我を好きにすると良い」
「ブーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」
特に何も口に含んではいなかったラディが、何かを吹いた。
「な、な、な……何言ってんのよアナタアンタオマエテメェ! そんなの、女の子が軽はずみに言っちゃダメ!」
「落ち着きなさい、体裁の悪い」
「いやいやいやいや、こんな時に落ち着いていられる訳ないって! そっちも言ってやりなさいよ! ロス君は私が予約済みなのよこの泥棒猫! とか言ってやりなさいよ!」
「……」
ルインはラディを睨んだ後、その鋭さをそのままサニアへと向けた。




