第10章:アウロス=エルガーデン【下】(13)
「正直、オレっちは今でも信じられないんだよね……デクスっちが裏切ったの」
空き部屋を掃除している最中、トリスティがポツリとそう漏らす。
彼らの口から切り出されるのを待っていたアウロスは、敢えて口を挟まず聞き手に徹する事にした。
「デクスっち、真面目だし面倒見良いし、兄貴分的なトコロあったじゃん? あんな人に裏切られたら、誰を信じていいかわかんないよ」
「……あ奴はここの誰よりデウス師の思考を真似ておったからな。 その尊敬も虚偽であるならば、超一流の詐欺師という事なのだろうが」
サニアは普段のボーッとした人格ではなく、戦闘時における年齢不相応の古風な話し方でトリスティに同調していた。
それだけ、追い詰められた精神状態なのだろう。
「……」
ティアに到っては、未だ一言も発しない。
デウスの足を引っ張った事への強い自責の念が働いているのは想像に難くないが、やはりデクステラへの怒り、悲しみもあるのだろう。
「オレっち達、これからどうすりゃいいの……? これだけ何度も足引っ張った挙げ句に裏切り者まで出した部下なんて、選挙の邪魔になるだけじゃん」
「亡命しかあるまい。今更お師の元へは戻れぬ。この国にいても意味を成さぬのなら、海外で新たな人生を歩む以外なかろう」
「……もう一つありますよ」
ポツリと、ティアが沈黙を破る。
破るというより、薄い紙に穴を開けるほどの小さな声。
「自害、という選択肢があります」
だがその内容は、他の二人より遥かに重かった。
「ティアっち、それは……」
「私達は皆、御主人様への貢献、御主人様への奉仕をする為に生きているようなもの。あの方に生かされているようなものでしょう? それが叶わないどころか御主人様の足枷となるというのなら、消えてしまうべきです」
声はどんどん小さく、そして更に重くなっていく。
最早、他人に向けての言葉ではなくなりつつあった。
「我は反対だ。我らの死はデウス師の汚点となる。自己満足の域を出ぬ愚行だろう」
「オレっち、死にたくはないよぅ……そりゃ、責任は取らなきゃいけないと思うけどさ」
「強制は致しません。各々の責任の取り方があるでしょう。あくまでも選択肢の一つです」
三人の話し合いは、いつしか責任の取り方にばかり集中していた。
サニアを始め、いずれも相当な実力者ばかり。
魔術士としての能力の高さはアウロスも認めている。
にも拘らず、誰もが空回り、実績を残せていないのは、余りに精神的に脆いからだ。
一言で言えば"未熟"。
全員が狭い世界の中で、逃げ道を見つけられずもがき苦しんでいる。
アウロスにはそう映った。
昔の自分なら、首を突っ込まず傍観していたんだろうが――――と思いつつ。
「昨日も説明したが、デクステラが監視役なのはデウスも承知していたらしい。同じように、お前達が足を引っ張るのも十分想定していただろう。それでもお前達を部下にしていたのは、お前達がいずれ役立つと確信しているからじゃないのか?」
つい、そんなフォローを口走ってしまった。
「我もアウロスの意見に同意する。今の我らは役立たずでも、デウス師が王となってから役立てればいいのではないか? その時までに成長するのが、我らの使命ではないのか?」
「ですが、私達の所為で万が一、御主人様が王となれなければ……一体どう責任を取ればいいのか」
「それなんだよなぁ……そこがお師の究極の目標な訳だし」
再び話し合いは袋小路へ迷い込む。
超実力主義者のデウスが選挙で勝つには、自分の実力を教皇選挙管理委員会に、そして国民に見せつける必要がある。
その最大の目玉が融解魔術。
他国への脅威となり、自国の防衛にも繋がる強力なこの邪術を自在に操れるとなれば、この上なくわかり易い『頼れる王』となる――――そうデウスは目論んでいるのは間違いない。
その融解魔術の制御にオートルーリングが必要というのも、本人の口から明らかになっている。
「お前らが教皇選挙でデウスに貢献できる訳ないと思うんだが」
それら判明済みの事実を踏まえつつ、アウロスは身も蓋もない結論を突きつけた。
「そ、そんなのは言われなくても! 私達が一番わかってます……」
自分達の無力感にずっと苛まれ続けていたのか――――ティアが歯痒そうに雑巾を床へ叩き付け、それを睨む。
「私達は、この雑巾のようなものです。出来損ないで、見窄らしくて……だから手拭にはなれず、せめて汚れを拭き取るだけでもしなくてはなりません。でも、汚れすら満足に拭けず、悪臭を生み出すだけの雑巾を誰が好んで傍に置きます!?」
ヒステリックに叫ぶティアに対し、サニアやトリスティも視線を下へと落とす。
彼らの出自について、アウロスは何も知らない。
だが、自らを雑巾に例える事が何を意味するのかは容易に理解出来る。
自分も――――同じようなものだから。
「デウスなら、そんな雑巾でも使い道を見つけて自分の利を手に入れる」
だからなのか、自然と発言にも熱が入った。
それはアウロスにとって、それほど珍しい事ではなくなっていた。
「俺は正直、あの男の事はそれほど好きでもないし知りもしないけど、そう思う。お前らはそう思わないのか?」
「……!」
ティアの目が揺れる。
彼女にとってデウスは崇拝の対象だけに、アウロスの言葉は胸に刺さった。
「デウス師の能力を信じるのならば、そのデウス師が手元に置いた我らには必ず役立つ時が訪れる。そう言いたいのだな?」
「青臭い考えだけどな。幸い、ここにいるのは全員若いんだし、問題はない筈だ」
13歳のトリスティは勿論、サニアもティアもアウロスと変わらない年齢。
三人はお互いの顔を覗き合い、そして――――
「……そうですね。確かに、私の考えは御主人様を侮辱していたかもしれません」
「やっぱり、お師の元に戻るしかないかぁ。怒られるの覚悟で」
「そうするしかなかろう。亡命も所詮は逃げでしかない。デウス師がそうしろと言うまで、すべきではない」
納得したらしく、話はどうにかまとまった。
「取り敢えず、この部屋を掃除し終えたら暫く自由に使っていいらしい。ほとぼりが冷めて戻りたくなったら勝手に戻れ」
「うぃーっす。アウロっち、あんがとね」
「うむ。貴様とは色々あったが、今回は素直に感謝せねばな」
「……」
素直に、皮肉げに、無言で。
三者三様、それぞれに感謝の意を示す四方教会の面々。
そんな彼らが――――
「よし。この件はこれで片づいたな。なら次は俺の質問に答えて貰う。無回答、拒否、曖昧な表現は極力なしの方向で」
「……え?」
同時に固まる。
突如、豹変――――した訳ではないが、あっという間に話を自分の方へ切り替えたアウロスについていけず、戸惑いを覚えていた。
「俺は別にお前らを良い方向へ導きたかった訳じゃない。貸しを作って質問しやすくしただけだ」
「な……なんて人だ……」
「ククク……ある種の罠という訳か。したたかなヤツよ。デウス師が気に入るだけはある」
絶句するティア、呆然とするトリスティ、楽しげなサニア。
ある意味、四方教会で生活していた頃が懐かしくなるようなやり取りを経て――――
「ザンブレア総合魔術研究所、という研究所に心当たりはあるな? 住所を教えろ」
質問というより命令に近い物言いでそう問いかけた。




