第10章:アウロス=エルガーデン【下】(11)
自分が何者であるか、という自己主張であり、同時に自分を覆い隠す為の手段。
ある意味その姿は、四方教会の魔術士としても違和感はなかった。
「わかっているのは、その少年の中にあるグランド=ノヴァの意識はあくまでも一部に過ぎず、彼の記憶や知識が全てある訳ではないという事。だからこそ、お師も手を焼いていた」
「……なんでお前、まだここにいるんだ。デウスの監視を代理にやらせ続ける訳にはいかない、とか言ってなかったか?」
デウスの事への言及より、そちらの方がどうしても気になったアウロスは思わずジト目でデクステラの仮面を睨む。
「その代理が既にそちらの手に渡った今、自分にはどうしようもない。それに、このような場所でお師のご子息を放置したままにする訳にはいかないだろう」
「……八方美人も大変だな」
四方教会としての立場。
テュルフィングとしての立場。
その二つを背負い込むデクステラもまた、器用なのか不器用なのかわかり難い人物だった。
「そういえば、昨日は聞けなかったけど……結局、お前以外の四方教会の連中はどこにいるんだ?」
そもそも昨日は、彼らを助け出す為にエルアグア教会を出た事が始まりだった。
結果的に、その事は意識の隅っこへ追いやられてしまったが――――
「案ずる必要はない。我々テュルフィングが責任を持って幽閉している。依頼人の名は口に出せないがな」
「幽閉……ね」
誰が依頼したのかは既に把握済み。
アウロスは敢えてゲオルギウスの名は口にしなかった。
「言葉を飾っても仕方あるまい。お師もティア達の居場所については知らない。薄々気付いてはいたかもしれないが、確証はない筈だ。だからこそ、君を利用して突き止めようとした。或いは、別の狙いもあったのかもしれないが」
別の狙い。
その意味深な言葉に、アウロスは心当たりがあった。
その対象となる人物――――デクステラに対してどう接していいかわからず狼狽しているマルテの姿を視界に収め、見解をまとめる。
「デウスは、マルテの事情について知ってるのか?」
そして、その確証を得る為の質問をデクステラに投げかけた。
回答がない事を半ば確信しつつ。
「生憎、そのような話をお師から聞いた事はない。どちらなのかは自分にもわからない」
「……」
案の定、ぼかした返事。
マルテの表情が微かに曇ったのを横目で見た後、アウロスは質問の種類を変える事にした。
「チャーチから昨日聞いた話だと、グランド=ノヴァの意識はエルアグア教会の建物にまで浸透してるらしいが……まさかあの教会にいた人間全員に融け込んだりしてないだろうな?」
「それはない。グランド=ノヴァの影響が確認された人物は今のところ数名だ。通常の気体とは違い、拡散してはいなかったのかもしれないが、真相は不明だ」
数名、とぼかす辺りに情報を扱う団体の狡猾さが見て取れる。
とはいえ、それなりに質問に対して誠実に答えているデクステラは、やはり真面目な性格なのだろうとアウロスは判断した。
「そちらの質問には答えた。今度はこちらが質問させて貰う」
その真面目さ故に、それを相手にも求めようとする。
つき合う義理はないのだが――――アウロスはそれでも小さく頷いた。
「何故、お師のご子息をそこまで気にかける?」
その問いの中心にいたマルテが、一瞬目を見開く。
「昨日の君の行動は逐一、チャーチ=イェデンを通してこちらに情報が入っている。お師が君を教会の地下へ呼び出したのは、所信表明演説会を聞かせる為……だけではない。君を引き入れたい気持ちに偽りはないだろうが、目的はもう一つあった。君を教会へいざなう事で、自分……テュルフィングがどう動くかを見たかったのだろう」
デクステラの話では、デウスはティア達が何処にいるのか本当に知らなかった。
だが、四人の内の一人、デクステラだけは他の三人とは違う事は知っている。
彼がテュルフィングである事を知っている。
なら、そのデクステラが他の三人を幽閉した可能性について考慮しない筈がない。
目的は不明。
ルンストロムに依頼されたのかもしれない。
ゲオルギウスに依頼されたのかもしれない。
ゲオルギウスやマルテの中に混ざったグランド=ノヴァの依頼かもしれない。
デクステラ自身に何か思惑があっての事かも知れない。
いずれにせよ、テュルフィングとしての情報網を持つデクステラが他の三人と一緒に捕まってしまう可能性よりは、彼の仕業で他の三人が捕まったと考える方が現実的だ。
だからデウスは、デクステラがなんらかの動きを見せるよう仕向けた。
アウロスを使って――――マルテを教会の外に出す事で。
アウロスがマルテを連れ出す事を、最初から予想して。
「君はこれまで、執拗に自分の目的を『歴史に名を残す事』だと言っていたし、その為にお師の所持する論文の原本が必要だとも言っていたから、お師との暗黙の取引に応じるのは理解出来る。だが、ご子息を連れて行く理由はなかった筈だ。だが、お前はそうした。お師もそうすると確信し許可もしたのだから、人質という訳でもない。何故だ?」
デクステラのその問いは、アウロスにとって難題だった。
答えそのものではなく、答えを口にする事が。
「……生きていれば、そういう事もあるだろ」
結果、この上ない抽象的な表現でボカす事となった。
「成程。確かにそういう事もある」
デクステラもまた、監視対象に敬意を表し師事している奇特な生き方をする人間。
アウロスの答えに納得するのは必然だった。
「え、えっと……よくわからないけど、ありがとう。お兄さん」
「礼を言われる事じゃないが……」
さり気なくそっぽを向いたアウロスに対し、マルテは久々に心底嬉しそうに笑った。
それとは対照的に、デクステラの表情は浮かない。、
ただそれは単に思案顔がしかめっ面となっていただけの事だった。
「……昨日の件は取り消すとしよう」
「ん?」
「魔術士という存在の進化を担う可能性を秘めている、自分は昨夜そう言った。
だが、どうやら君はお師ほど危険な存在ではなさそうだ。自分寄りの人間のようだしな」
「お前に似ているつもりはないんだが。俺は真面目でも律儀でもないしな」
「だとしても、だ。自分がお前の命を狙う事はもうない。ただし、可能ならばご子息……マルテの事をこれまで同様気にかけてくれ」
そこまで告げたところで、デクステラはアウロスに背を向ける。
天井の穴から差し込む光を微かに浴びて。
「それを約束してくれるなら、一つ情報を残そう」
「約束はしない。ただ、これまで通りだ」
そのアウロスの返事にデクステラは満足したらしく、無言でその場を去る事はしなかった。
そして、残した言葉は――――
「ティア達は、お前達の仲間が宿泊している宿の一室にいる。どの部屋かまでは知らないがな」
今回の事件を誰が糸引きしていたか、そしてその人間関係をも暗に示すものだった。
あの宿には、ルンストロムがいる。
そして、デクステラに依頼した人物がゲオルギウスであるならば、必然的に繋がりが見えてくる。
デウスを監視し、四方教会の部下達を幽閉する事で選挙戦を優位に進めようとした――――
絡まりまくっていた糸が解けた時、見えてきたのはこの上なく安直で、ある意味わかりやすい意図だった。
「……礼は必要か?」
「感謝の気持ちは行動で示して貰いたい。ティア達を……頼む」
立場上、自分は助け出せない。
そもそも自分は彼らにとっては『裏切り者』に映っている。
だから、託す。
デクステラはそう目で訴えていた。
魔術士と生物兵器の拮抗を保つ為に活動するテュルフィング。
しかしそんな中にも、色んな人物が存在する。
アウロスはそれを、収穫だと思う事にした。
「連中に聞きたい事もあるし、頼まれておくとするさ。伝言は?」
「不要だ。自分はそれほど彼らに好かれてもいない。そうなるよう接してきたつもりだ」
それは、デクステラなりの別れの挨拶だったのか、単に強がりだったのか。
「アウロス=エルガーデン。お前の名前が歴史に残るか否か、見届けるとしよう。この白い仮面の奥でな」
最後に、誰にも聞えないような小さな声でそう呟き、デウスの監視という役目を果たしきれなかった出来損ないのテュルフィングは、朝陽の中へと溶け込むように去って行った――――