第10章:アウロス=エルガーデン【下】(3)
チャーチ=イェデンにとって、名門の家系に生まれた事は必ずしも幸運ではなかった。
勿論、貧富という観点でいうならば、貧困に喘ぐ家に生まれるよりはずっといい。
とはいえ、イェデン家は経済的に恵まれている一方で、非常に厄介な事情を孕んでいた。
遠因はグオギギ=イェデンの存在。
魔術士としての素晴らしい実績に加え、奇跡的ともいえる長寿もあって、彼の名は主戦場の第二聖地ウェンブリーだけでなく、デ・ラ・ペーニャ全土に知れ渡っている。
ただ、彼には厄介な性質が一つあった。
放浪癖だ。
ある日突然、フラッといなくなり、またある日突然帰ってくる。
本人いわく『そういう気分だったから』。
外部から察する事のできない、単なる気分の浮き沈みによる"思いつき"で国内屈指の魔術士がいなくなるのだから、周囲はたまったものではない。
気分など、日間変動どころか日内変動で動くものなのだから。
更に厄介なのは、彼の放浪癖が『暇な時にいなくなる』のではなく『常時失踪の可能性がある』点。
ある時には、公式協議の最中に突然いなくなった――――なんて事もあった。
家庭を持ち、子をもうけてもその傾向は変わらない。
優秀でありながら、非常に扱い辛い人物。
総大司教就任の話があがっていた時期、彼の放浪癖は大きな障害となっていた。
その後、彼の放浪癖は自力で立てなくなる年齢までずっと消える事はなかった。
だが彼は総大司教という肩書きを得ている。
その決め手となった理由を知る者は少ない。
箝口令が敷かれたからだ。
グオギギ=イェデンの放浪癖には理由があった。
彼は人知れず、魔術士の"敵"となる存在と闘っていた。
誰にも気付かれないよう、ひっそりと敵を駆除していた。
敵は奇妙な白い仮面を被っていた。
デ・ラ・ペーニャの各所にある教会を探っていた。
教会に眠る、魔術の深淵といもいうべき封印されし邪術の存在を調べていた。
それはつまり、魔術士の本当の戦力を調査する為。
グオギギは長年に亘り、その敵とたった一人で闘い続けた。
そして彼は、その自分の役割を決して家族にも打ち明けようとはしなかった。
彼の息子は必ずしも優秀な魔術士とは言えなかった。
彼に跡目を継がせるのは酷という思いがあったのかも知れない。
自分が現役でいる間は、自分が――――そんな悲壮な覚悟を一切外部には見せず、一臨戦魔術士として、仮面の連中と闘った。
何十年にも亘るその小規模戦争の過程で、敵がテュルフィングと名乗っている事を知った。
彼らは、邪術の他にも魔術に関する様々な調査をしていた。
発展の可能性があれば、いち早くその芽を摘もうとしていた。
その目的が、トゥールト族と魔術士との抗争を"長引かせる"事にあると知ったのは、彼がもう闘えなくなってからの事だった。
それを知る事ができたのは、何十年もの歳月を費やし広げてきた情報網のおかげ。
ウェンブリーを中心とし、今も全聖地に彼の同胞がいるほどだ。
デ・ラ・ペーニャばかりではない。
他国の内戦に積極的に参戦しては、そこで新たな情報起点を得ていた。
戦争の中にこそ質の高い情報網がある。
グオギギは経験上、それを知っていた。
テュルフィングは情報の専門家。
それに対抗するには、自身も情報に精通する必要がある。
そう判断した上で、他国へ足繁く通っていた。
尤も、周囲の目には『また放浪癖が出たよ』『不倫してるんじゃないの?』というふうにしか映らなかったらしく、彼の息子も孫も曾孫も同じように呆れていたようだが――――
『ねえ、ジジイ。なんでジジイはそんなにいっぱい情報を集めるの? 何か知っておかないといけないコトがあるの?』
唯一、玄孫だけは別だった。
既に自力歩行は困難、寝たきりの生活となっているグオギギと積極的に意思疎通を行おうとするその少女は、グオギギの初恋の女の子と良く似ていた。
顔だけではない。
思考回路、独自の理論展開、何よりも――――真相を掴む力、すなわち洞察力に長けている点もそっくりだった。
グオギギが神杖ケリュケイオンを敢えて彼女に託したのは、その所為もあったのかもしれない。
自分の足が動かなくなっても、テュルフィングの情報だけは常に得ておかなければならない――――そんな思いで全財産に近い額を使い手に入れた魔具だった。
それでもデ・ラ・ペーニャの管理下にある魔具ならば入手は不可能だっただろうが、これは他国の宗教団体が作り上げた『22の遺産』と呼ばれる物の一つ。
思考を伝播させ、遠く離れた人間と会話ができるという、現代の魔術では考えられない効力を有している、文字通り"遺産"だった。
既に喉も力を失い、声を出す事すらままならない程の年齢に達したグオギギは、ケリュケイオンを介しチャーチに全てを伝えた。
家族を巻き込まないようにという思いと、期待ほどの力を付けなかった子や孫への失望が入り交じり、決して他言しなかった"真実"。
それを話すだけの価値を、玄孫に見出していた。
テュルフィングは危険な存在。
彼らに邪術をはじめとした魔術の負の遺産全てが暴かれれば、この国は丸裸になってしまう。
そして彼らがその情報を何処かの国にでも売れば、悲惨な未来が待っている。
事実、ガーナッツ戦争時にその情報漏洩が行われていた可能性があるとグオギギは踏んでいた。
十日足らずという、余りにも短期間で決着した戦争。
それほどの戦力差が、両国間にあっただろうか?
もしテュルフィングを放置すれば、また同じ結果が待っているんじゃないか?
そんな懸念は、もうすぐ100歳を迎えようとする当時のグオギギの脳内を硬直させていた。
『だったら、そいつらを利用すればいいんじゃない?』
グオギギは、そのチャーチの言葉を聞いた時、自分の時代が終わった事を理解した。
この子なら、自分とは違った形でデ・ラ・ペーニャを守ってくれる。
そう確信した時、認知機能の低下が著しく進行した。
一方、総大司教にまで登り詰めた偉大な魔術士が積み上げた、長年の戦闘履歴をそのまま託された形となったチャーチはというと――――
『……クッソ重っ』
名門の家系に生まれた事を本気で恨んでいた。
しかし、グオギギ自身を恨む事はなかった。
寧ろ親族で唯一、自分と同じ次元で会話ができる存在を大切に思っていた。
仕方ないという思いで、彼の仕事の半分を受け継いだ。
チャーチは臨戦魔術士ではない。
攻撃魔術は使えるが、闘う術は知らない。
だから、グオギギが生存している間は彼の目となり、最新の情報を仕入れるよう努めていた。
そして――――現在。
齢105のグオギギは、例えどのような理由で命を落としたとしても大往生。
最早惜しむ命ではないと、家族も本人すらもそう思っている。
次期教皇の候補者三名が集う三者会談に招かれた際にも、そんな自分を利用しようとしている輩がいる事は当然のように見抜いていたが、気にも留めず承諾した。
人生の最期に、デ・ラ・ペーニャの未来を決める次の教皇を見ておきたいという思いもあった。
『なら、ボクが一緒に行くよ。エライ人集まるんでしょ? だったらそこで結婚相手探したいし。ウチの家系、ジジイ以降はパッとしないし、ここらでボクがスゴいの捕まえてやろっかな』
チャーチは策略家であり野心家だった。
それは間違いない。
政略結婚を口にするのも、自分に課せられた使命をその結婚相手に押しつける算段がない訳ではない。
ただし――――
「……その方が、ジジイも安心だよね?」
自他共に認める高祖父っ子な事も、動かしがたい事実。
それは今、エルアグア教会の周辺でデウスとケリュケイオンを介し会話をしている今も、全く変わらない。
「あ、おーい! そっちにマルテ君いた? こっちはダメ! 全然いない!」
アウロスの知り合いという、ウェンブリーの情報屋の女性が半泣きの表情で走ってくる。
マルテが突然いなくなった理由を、チャーチはほぼ正確に把握していた。
だが、それをその情報屋に伝える事はない。
そうしておけば、グオギギの身に危険が迫る事もない。
「こっちも全然。ったくあのガキ、役立たずなクセに足手まといにまでなって……サイアク」
ケッ、と唾棄し首を左右に振るその仕草は、チャーチの本質でもある。
素の演技、とでもいうのか。
実に巧妙だった。
しかしながら――――
「そっか……じゃ、仕方ない。チャーチちゃんだっけ?」
「うん。今度は向こう探す?」
「いんや。今知ってる事、"今度こそ"洗い浚い吐けや。隠してるのバレバレだぜー?」
「……あれ?」
にひひ、と笑いながら凄んでくる情報屋――――ラディの意外な洞察力を見抜けずにいた彼女は情報を扱う人間としては、まだまだ未熟だった。