第9章:アウロス=エルガーデン【上】(23)
「……俺が前に断わった時の事を覚えてるか?」
――――デウスの目を見ず、そう唱える。
誘いに応じない意思を表した答えを。
「当然だ。賢聖になる、だったな。中々斬新な発想だったから、ミストに手紙で報告しておいたよ」
それはアウロスの目論見通りの行動。
同時にアウロスの目論見通りだと気付いてとった行動である事も示唆していた。
「アウロス=エルガーデン。お前が俺を信用できないのは理解できる。お前がミストにされた仕打ちを思えばな」
デウスのその言葉は、デウスとミストの間が一定以上密である事を示していた。
「……ミストはなんて言ってた?」
「オートルーリングの実用化はお前なくしてあり得なかった、と。まるで自分の実験を手伝わせたかのように」
それは、アウロスを褒め称えているようで、実際には虚実の強調。
実際に研究発表会ではミストの論文として発表されているのだから、普通ならまずミストの言葉を信じるだろう。
助手への賛美を惜しまない人格者だと。
「だがちょっと考えればわかる。あの上昇志向の塊が一攫千金論文などと揶揄されている論文を手がける筈がない。成功すれば儲けもの、くらいの感覚で部下か部外者にやらせ、実際に成功したならば自分の功業とする……恐らくそんなところだろう」
デウスのその推測は、ミストの人間性にまで踏み込んだ正確なものだった。
そして――――
「ミストを全く信用していないのか」
アウロスの指摘通り、そう言ったも同然の内容でもある。
事実、もしデウスがミストを信用しているのなら、アウロスに執着する必要はない。
オートルーリングに関する知識、魔具、実践方法に至るまで、ミストに問い合わせ、必要なら共謀すればいい。
以前のやり取りで、デウスはそうしない理由を『ミストが魔具を出し渋る可能性が高いから』と言っていた。
これに関してはアウロスも同意見だが、それは同時に『出し渋る理由を解決すれば問題ない』事も意味している。
条件のすり合わせ――――すなわち交渉次第では、十分に可能性のある話だ。
幾らミストが自分の嫌いな非臨戦魔術士と化した研究者だとしても、王になるという大義の為なら笑顔で迎え入れる。
デウス=レオンレイはそういう人間だとアウロスは知っていた。
敢えて交渉から遠ざかる理由にはならない。
にも拘らず、デウスはオートルーリングに関してミストへ頼ろうという意思は全く見せない。
そこには明確な理由が存在するだろう。
つまり――――
「ああ。理由はお前が一番わかっているだろう」
デウスは淡泊な口調でそう告げた。
「自身の目的の為に他人を蹴落とす。それはいい。競争社会においては問題ない行為だ。問題なのは、ヤツの目的と俺の目的が何処かで必ず衝突する点だ。あの男は……間違いなく教会の頂点を目指している」
教会の頂点、すなわち魔術国家デ・ラ・ペーニャの頂点。
上昇志向の高いミストが教会と接点を持っている意味を考えれば、その到達点は自ずと見えてくる。
つまりミストは、デウスが今まさに手をかけようとしている目的と全く同じ所を目指しているという事だ。
なら、ぶつかるのは必然。
そして、いずれミストがデウスを蹴落とすつもりでいる事もまた必然だ。
「あの男の野心が大学で留まれば、共同作業もやぶさかではなかったが……そうでない以上、せいぜい情報交換までだ」
「要するに、アンタはあの怖い顔の教授とは手を組まないって決めてんのね?」
久々に口を開いたラディの発言に、デウスは躊躇なく首肯した。
「ミストとは手を組めない。しかしオートルーリングは必要だ。ならばオートルーリングを実際に開発した人間の協力を仰ぐのが最も妥当な次善策。それが俺がお前に近付いた理由。お前に拘る理由だ」
納得したか、と言わんばかりの目でデウスはアウロスを見下ろす。
その巨体からは想像もつかないほど、その目は細部まで物事を捉えている。
敵に回せばこれほど厄介な人物はいない――――あらためて、アウロスはそう認識した。
「とはいえ、フラれた相手にいつまでも執着するのは流儀じゃない。そこで提案だ」
デウスの声に熱が籠もる。
演説が終盤に差しかかっている証だ。
「ここまで話しても尚、俺が信用できないというのなら……相応の手段をとる」
そしてその虹彩に、これまで見せなかった強い闇を宿した。
ラディですらその変化に気付くほど。
「ま、まさか……力ずくでロス君だけをここに閉じ込めて拷問する気!?」
「しれっと自分だけ助かろうとするな」
ラディに半眼を向けた後、アウロスは一歩前に踏み出しデウスを見上げた。
睨み合う両者。
そこに物理的な角度はあっても、心理的な角度はない。
「アウロス=エルガーデン。再度お前に問う。これが最後だ」
デウスは笑みを作らず、若干顔を強張らせ、通告を行った。
「俺はこの国の王となる為、邪術と呼ばれる融解魔術を利用する。その為にはオートルーリングが必要だ。その〈権威〉たるお前に協力を請う。お前の目的と俺の目的に衝突点はない。そして、前にお前が指摘した問題点……歴史にその名前を残す為の問題についても改善の用意がある。返事を聞こう」
権威――――そこまで強い表現を使い、デウスはアウロスへ呼びかけた。
手を組め。
そうすれば全てが上手く行く、と。
デウスの目論見には、社会的、道徳的な観念で言えば大きな問題がある。
使用を禁じられている邪術を政治利用するのは、例えば魔術士の資格を失った人間が魔術を使用するのとは全く意味合いが異なる。
アウロスはかつて、ヴィオロー魔術大学で魔術士資格を剥奪された。
実際には、魔術士の資格はアランテス教会が認定、管理している為、正確には『アウロスに魔術士たる資格なしと教会に申告する』という事になるが、大学から申告された場合よほどの理由がない限り資格剥奪は確実という現実があり、実質的には『大学に資格剥奪の権利がある』状態だ。
なのでアウロスは魔術士資格を剥奪されたも同然の状態だったが、ミストに拾われた事で状況は一変した。
大学に所属するミストが仮に『魔術士資格のない少年を雇用した』となれば、当然ながら責任問題は免れない。
そしてこれも当然だが、ミストはそれを踏まえた上でアウロスを雇用している。
理由は明白。
責任問題に発展する可能性がないからだ。
仮に教会がアウロスの魔術士資格を剥奪したとしても、その剥奪に異議を申し立てを行う事で資格の回復が期待できる。
ヴィオロー魔術大学より格上のウェンブリー魔術学院大学が異議申し立てを行えばそういう結果になる事は明白だからだ。
そんな背景もあり、ミストがアウロスをスカウトしたと知れ渡った時点でヴィオロー魔術大学が資格剥奪の申告を取り下げる事も想像に難くない。
格上の大学相手に事を荒立てる必要は何処にもないのだから。
これに関しては、アウロスも全て想定していた。
事実、アウロスはその確認の意味も込め、研究発表会の際にヴィオロー魔術大学の元上司を尋ねていた。
彼が『アウロス=エルガーデン』の名を覚えていた時点で、資格剥奪を取り下げたのだろうという確信を得た。
尤も――――仮に資格があろうとなかろうと、アウロスは魔術を使う事に何ら躊躇はない。
資格なき者が魔術を使うのは教会が定めた法に反するが、その為には第三者の密告などの証拠が必要。
わざわざ『魔術士の資格を持たないアウロスが魔術を使った!』と密告する人間はまずいないし、いたとしてもせいぜいレヴィくらいだ。
そのレヴィに関しても、アウロスを雇用したミストの名を傷付ける事に繋がる愚行は犯さないだろうと推察できる。
よって、実害は全くない。
しかし、邪術を行使するのはこのような例とは全く意味合いが異なる。
まして抑止力などの理由で政治利用すれば、国際問題に発展しかねない。
明らかに禁を犯す行為だ。
けれど、それでもデウスが立候補者という立場で堂々と断言しているという事は、元老院、或いは教皇選挙管理委員会である準元老院のお墨付きだと推察できる。
デウスが選挙に勝つか否かは別として、この方策に一定の理解が示されている事は間違いない。
つまり、国家ぐるみの凶行。
それを敢えてこの場で口にした意味は決して軽くはない。
「ど、どうすんの……? ルイルイとかの意見も聞いた方がよくない?」
こういった背景を一切理解しないラディは、それでもデウスの言葉に重みを感じたらしく、おずおずとアウロスに耳打ちする。
だが、アウロスに逡巡はまるで見受けられない。
何故なら、ここに到るまでの思考変動は一切ないからだ。
すなわち――――
「返事は同じだ。お前と手を組む気はない」
即答。
デウスの顔には狼狽も落胆もなかったが、いつも零れる笑みは見えなかった。
「俺の誓いが信用できないか? 確かに俺は研究者を余り好んではいないが、その道のやりようについて学ぶ準備はある。研究者が、或いは国民が疑問を持たない形でお前をファーストオーサーだと認める方向に持っていく自信はあるんだがな」
「できるかもな。お前なら」
アウロスは、デウスを認めていた。
目的の為なら辛酸だろうと嘗め、泥だろうと啜る。
自分と同じ種類の人間だと認識していた。
なら、研究者の視点に立ち、どうすればアウロスの名が歴史に残るかを立案し、実行できる可能性はあると見ていた。
その上で、手を組む事を拒否した理由――――
「答えの代わりになる質問をしよう」
アウロスは、それを問いかけた。
「お前の目的は何だ?」
それは、デウスが何度も答えを口にしてきた筈の初歩的、原始的な質問だった。