第2章:研究者の憂鬱(9)
魔術を専攻する研究者は 常に頭の中にルーンを並べ、配列に合った魔力配分を試しては破棄し、破棄しては試す。
そして、試行錯誤の末に構築したルーン配合を実際に使用できるかどうか、あらゆる角度から検証し、可能か否かを判断する。
これらの作業は、一部の実験にこそ体力を必要とするものの、9割以上は机の上で頭を使うのみ。
よって、魔術士と言う肩書きはあれど、実戦で魔術を用い、戦う事の出来る人間は、実は余りいない。
『しかし、それでは魔術を扱う者として不甲斐ないと私は思うのです。よって、魔術士としての錬度の熟成並びに、基礎体力の保持を目的とした実践訓練の開催を提案します』
ミストのこの案が教授会で採択されたのが、今から半年前の事。
それ以降、月に1度のペースで【ウェンブリー魔術学院大学】の前・後衛術科は合同で実践訓練を行っている。
とは言え、軍人ではない彼らに体育会系の濃い活動などできる筈もなく、ランニングや準備運動で身体を慣らした後、的当てや術受け(攻撃魔術を防御する訓練)を行う程度だ。
「……ゼー……ゼェ……」
しかし、基礎体力がまるでないアウロスにとっては、ランニングの時点で地獄だった。
「……死ぬ……死んでしまう……」
ウォーミングアップなので、走る距離は僅か3km。
大学の外周を8周回るだけなのだが、4週目にして既に聖水を食らったゾンビのように、足取りが覚束ない。
「だ、大丈夫ですか?」
1周先を行くリジルが軽やかな声で心配を口にしたが、アウロスは手を上げて応えるのが精一杯だった。
「ねえ、倒れそうなら歩いた方が良いんじゃない? と言うか、歩いた方が早いんじゃ……」
2周先を行くクレールが呆れた声で疑問を投げ掛けたが、アウロスは顔を上げて応えるのが精一杯だった。
「チッ、雑魚が。どけ!」
3周先を行くレヴィが唾棄しながら肩と中傷を叩き付けて来たが、アウロスは右肩に怒りマークを付けるのが精一杯だった。
そして、30分後……
「……フォォ……フォォォ……」
およそ生物の呼吸とは思えない、奇特なリズムで息を吐くアウロスが校門に辿り着く頃には、他全員が準備運動を終えていた。
普段とは違う運動着姿の魔術士軍団が、嘲笑と白い視線で容赦なく落ちこぼれを射抜く。
しかし、体力が零れ尽きたアウロスには何か感情を抱く余裕すらなく、門に寄り掛かって沈んだ。
「よし、集まれ」
学館と門の中間にある広場に、低く鋭い声が響く。
実践訓練の指導は、進言した本人であるミストが行っている。
体格はともかく、顔は『戦場の鬼』とでも称される猛者等と比較しても全く見劣りしない迫力があるので、ある意味適任だった。
「それでは、次は的当てと術受けだが……今日は少々趣向を変えようと思う。より実践的な動きを覚えられるだろう」
ミストはまだ息が整わない状態でアウロスを覗き見し、満足気に微笑んだ。
そして、足元に置いてある木箱から、赤と青2色のベストを取り出し、それを1人1人に手渡す。
「まずは全員これを着てくれ。魔具科からレンタルしてきた、対魔術用の防具だ」
それを聞き、集まった15人の殆どが驚きを隠せなかった。
対魔術用の防具は非常に高価で、魔術士であっても手にする事は容易ではない。
大学であっても、それは例外ではなく、専用の保管室が設けられており、魔具科の教授の許可がなければ、持ち出す事も出来ない。
「それぞれ、その色に応じた属性魔術を無効化するタイプだな。赤のベストは赤魔術を、青色は青魔術を断絶する防具と言う事だ」
宝石よりも価値があると思われるベストに、一同は戸惑いを隠せない。
そんな最中、アウロスはさっさと青色のベストを着装した。
「これから君達には、模擬実戦を行って貰う。まず、色毎にグループを形成し、リーダーを1人選定して、私に報告してくれ」
その間にも、ミストは自身が構築した訓練プログラムの解説に入っている。
全員、戸惑いながらも、その説明に耳を傾けた。
「ルールは至って単純だ。リーダーが自軍以外の誰かに触れられたら、その時点で敗北。最後まで残ったグループを勝ちとする。尚、リーダーは特にそれとわかる目印などを付ける必要はない。触れられた場合のみ、自己申告で敗北を宣言してくれ給え。行動可能範囲は、建築物内部を除いた大学の領地全域。攻撃は自分の着ているベストの色の初級魔術のみ有効。その他の攻撃魔術、或いは武器などの道具の使用は一切禁止とする」
つまり、赤色のベストを着ている者は赤魔術のみ使用可能、と言う事だ。
よって、味方の攻撃に巻き込まれる心配はしなくても良い。
加えて、敵の攻撃は属性が限定されているので、結界が容易に綴れる。
結界には、物理的殺傷力を防ぐものと、魔術を防ぐものとがあるが、後者に関しても細分化がなされており、全般的な魔術に有効な結界もあれば、ある属性のみ有効な結界もある。
属性を限定した結界は、その分魔力の消費を抑えられたり、ルーン配列が単純だったり、より強固な結界を張る事が出来るのだ。
安全面を最大限配慮した訓練と言えるだろう。
「5分後に開始する。それまでは、作戦を練るなり初期配置場所に向かうなり、自由に行動して善し。以上だ」
ミストが説明を終えると同時に、アウロスの元にレヴィが近付いて来る。
戦闘仕様なのか、眼鏡は掛けていなかった。
「ミスト助教授に恥をかかせる事は断じて許されない。この訓練は必勝。確実に、そして確実に勝つ事が我々の責務と知れ」
間違いなのか強調なのかは本人にしかわからないが、兎に角『確実に』勝ちたいらしい。
鼻息荒く去って行くレヴィを白けた目で見送るアウロスに、今度はミスト自ら近付いて来た。
しかし、こちらは立ち止る様子はない。
「頼んだぞ」
そして、すれ違い様に一言残す。
(頼まれても、ね……)
アウロスはその言葉に含まれた意味を回想しつつ、持ち場に足を運んだ。
――――2時間前、助教授室。
「2日後に実践訓練がある事は知っているな?」
突然の問い掛けだったが、アウロスは特に動じる事なくミストの凶悪な顔を眺めていた。
慣れとは恐ろしい。
この大学に来てある程度の期間が経った事で、ミストの顔面に対してアウロスは一定の耐性が出来ていた。
現在では、その顔面力よりも、この室内における熱の拡散の程度の方が気になるくらいだ。
「ええ。大学まで来て肉体労働に興じる事が出来るなんて非常に光栄です」
テーブル上に散らばった無数の本に目を向けつつ、アウロスは無表情で唱える。
「そう皮肉るな。実際の戦争を経験したお前にとっては、遊戯に等しいのかもしれないがな」
「なら、是非とも免除の方向で」
断言するアウロスに、ミストは口の端を吊り上げる。
特に引きつっている様子はない。
「生憎だが、私の研究室は特例を除き全員参加を義務付けている。その特例も男には関係のない話だ」
つまりはそう言う事だった。
「しかし、折角の訓練だ。退屈しないよう一つ頼まれてくれんか」
「……まあ、断れない立場ですから、聞きはしますが」
面倒事の匂いは、例え日頃殆ど神経を外部に向けていない鈍感な人間でも、ある程度は本能で嗅ぎ分ける事が出来る。
まして、常に神経を張り巡らしている者なら、空気だけでも察知可能。
アウロスは辟易とした面持ちで言葉を待った。
「今回は、これまで集まりの悪かったライコネン研究室からも数名が参加する手筈になっている。そこで、だ」
そう仕向けたのは自分だ――――などと主張しているような表情は微塵も見せてはいないが、それが実際の所だろうと確信しつつ、アウロスは頼まれ事に耳を傾ける。
「実践訓練の中で、彼らのメンツを丸潰しにして欲しい」
「……メンツを? どの程度ですか?」
「ライコネン教授が、教授会で笑い者にされるくらいにだ」
教授会における教授達の言動や行動は、容易に人の人生を狂わせる事が出来る。
それは、その場にいる当人にとっても例外ではない。
その場で笑い者にされたり、槍玉に挙げられようものなら、途端に発言力を失い、その後は常に見下ろされてしまう。
それは同時に、大学内における権力の失墜に他ならない。
既に地位を確立したベテランであれば、そこまで極端な事にはならないが、少なくとも力は削られる。
「それはまた、結構な潰れ具合ですね」
「ただし、あくまで落ち零れのまま遂行してくれ。その方がより効果的だからな」
「……それはちょっと難易度高くないですか?」
「退屈するよりはマシだろう」
事もなげにそう言い、珈琲をすすった――――
(――――単純に考えれば、目の上のタンコブに対しての嫌がらせだが)
あの男が、そんな詰まらない理由でわざわざこんな事をする筈がない――――と、眼前の赤と青の散居する光景を眺めつつ、アウロスは考えていた。
ミスト=シュロスベルの人物像は、アウロスの中で既に固まりつつある。
一言で言えば『徹底的合理主義者』。
目的の為に必要な手段を幾つも用意し、それを幾重にも包み込み、どこに何が繋がっているのかを他人には見せず、水面下で確実に遂行するタイプの人間だ。
合理主義者は往々にして臆病な性格である事が多いのだが、ミストは違う。
大胆不敵と如臨深渕を絶妙過ぎるバランスで備えている。
少なくとも、ただ慎重な人間と言うだけなら、大学をクビになったばかりの青二才に声が掛かる事など、まずなかっただろう。
ミストの行動理念は常に一貫している。
『20代で教授になる』と言う目的に必ず繋がっている。
その為に必要なのは、教授になれる資格を得る事。
そして――――教授のポストが空く事。
(或いは、ライコネン教授を退職に追い込む為の伏線……?)
十分に考えられる事だった。
そして同時に、自分が政治の世界に足を踏み入れた事を自覚し、嘆く。
決して、自分自身にとって居心地の良い場所ではない。
しかし、回避しようもない。
どのような目的が上司にあろうと、その命令に従うしか、この大学に留まる方法はないのだ。
(それが俺の今の行動理念……か)
目標の為には、常に最短距離を選ばなければならない。
アウロスはそれを再認識し、小さく息を吐いた。




