第9章:アウロス=エルガーデン【上】(21)
「今、このデ・ラ・ペーニャは未曾有の危機に瀕している。それは"平和"というこの上ない危機だ」
アウロス、ラディ、ゲオルギウス、そしてグオギギが聴衆となり、デウスの演説が始まった。
平和こそが危機――――この発想は、ある意味危険思想とも言えるが、この国に関して言えば決して突飛なものではない。
何故ならデ・ラ・ペーニャは魔術国家であり、魔術の殆どは攻撃性を含んだ『対人兵器』だからだ。
「ガーナッツ戦争でこの国は隣国のエチェベリアに大敗を喫した。当然、国力も相当低下している。どうにか取り繕ってはいるが、一度破綻すれば崩壊はあっという間だ。そして、その破綻となるきっかけが既に起こっている。親父の死だ」
デウスの言葉に、グオギギの老体が微かに蠢く。
彼にとって、デウスの父親であるゼロス=ホーリーは遥か年下。
先に逝かれた事をどう思っているのか――――推し測る事は難しい。
「教皇を失ったこの国は、新たな指導者を選ばなければならない。もしこの選択を誤り、力のない、そして危機を感じ取っていない愚人を選べば、確実にこの国は破滅へと向かうだろう。特に、己の保身や元老院の顔色ばかり伺うような人間ならな」
それが誰を指しているのか――――その場にいる全員がわかっていた。
「デ・ラ・ペーニャがデ・ラ・ペーニャとしてこの先復権していく為には、攻撃魔術の重要性を世界へ向かって訴えていく必要がある。いや、重要性では生温い。世界最大の宗教団体アランテス教発祥の地として、世の模範となるべき我が国が相応しい地位へ回復するには、攻撃魔術が世を支配する可能性を提示すべきだろう」
それはつまり、圧倒的な戦争力の保有に他ならない。
争いはどちらにも勝者の可能性があるからこそ成立する。
敗者の未来しかない戦争などただの無謀であり、勝者の未来しかない戦争などただの陵辱に過ぎない。
「しかし平和の世の中が続けば、いずれ攻撃魔術は戦乱への呼び水とされ、忌避されるだろう。当然、復権の為の力の誇示を行う機会も奪われる。今この国に必要なのは、平和からの脱却。勇気ある"平和からの撤退"だ」
僅か四人の聴衆に対し、デウスは熱弁を振るい続ける。
否――――
「お前の父親も、その事は理解しているようだ。フレア=カーディナリス」
「……え?」
驚きの声と共に、マルテがキョロキョロと辺りを見渡す。
しかし、その視界に名を呼ばれた少女――――フレアの姿はない。
「お前の母親もそうだ。ルイン=リッジウェア。人体実験を繰り返し、魔術の研究を強引に推し進めたのは、目先の戦争や自身の地位向上ばかりが目的ではない。そうしなければ、これから先魔術士が時代に取り残されると思ったからだ」
今度はルインの名前が踊る。
やはりその姿は見えなかったが――――
「お前の高祖父も、臨戦魔術士として魔術士の為に尽力した一人だ。誇りに思うがいい、チャーチ=イェデン」
《そう? そんな責任感があるジジイとは思えなかったけど》
不意に、アウロスの頭の中に飄々とした少女の声が響く。
離れた場所にいる特定の相手に声を届ける、『伝声遠応』と呼ばれる特殊な魔術。
使い手は当然、声の主――――
「チャーチか」
《わあっ、声だけでボクだってわかったんだね! やっぱりアウロスさんとボクは赤い糸で結ばれた運命の……》
「そこにルインとフレアもいるんだな?」
声を遮り、問いかけるアウロスに対しチャーチは一瞬黙り込んだが――――
《いるよ。ボク達の愛の語らいを嫉妬丸出しの目でじーっと見てるねー》
「ほう。アウロス、お前も中々隅に置けないな。女などまるで興味がないという顔をしている割に」
微笑を携え、デウスが冷やかす。
彼の耳にもチャーチの声は届いているらしい。
つまり、チャーチの持つ『神杖ケリュケイオン』にデウスの魔具が登録されているという事になる。
「この魔術も、ある意味魔術士の地位向上に役立つ技術だ。昔、邪教集団と共同で生み出した邪術のようなものだが」
「さっきアンタも言ってたけど、邪術……って、何? 怪しげな響きだけど」
耳元に近付き、コソコソと聞いてくるラディに対し、アウロスは説明すべきか一瞬迷ったが――――
「邪術とは、法律で使用を禁じられている魔術全般を指す。使用禁止の理由は様々だ。中には古代ルーンを使用する魔術もある」
一足早くデウスが補足を入れてきた。
「へえ……って、なんかヤバげな話になってきた気が」
「そうでもないさ」
デウスはラディへ向けて肩を竦めてみせ、その視線をアウロスへと移動させる。
「どうやら、チャーチを怪しく思っていたのはお前だけではなかったようだな。流石は有能な魔術士の子供達、といったところか。一人は血が繋がっていないようだが」
「そういうお前も、最初からルイン達を聴衆の頭数に入れていたみたいだな」
「無論だ。どちらの親も、俺が王になった後でしっかり働いて貰うつもりだからな。当然、その子供にもだ」
その言葉は、果たして自分の息子にも向けられていたのか――――
マルテは押し黙ったまま、不安そうな目をアウロスへ向けていた。
「さて、本題だ。俺はかねてからデ・ラ・ペーニャ全域を旅し、魔術の本質を探っていた。魔術を行使する者、される者、研究する者、商売にする者……様々な目線で見てきた結果、やはり自分の考えに間違いはなかったと確信した」
演説が再開される。
聴衆たるアウロスは、敢えて異論や批判は封印し、デウスの話に耳を傾けた。
「魔術の本質は"人間の理想"だ。欲望の解放、と言い換えてもいいだろう。一定水準を上回る魔力量を持つ、選ばれた人間だけが使える力。それで人間は何を成し、何を掲げたか。あらゆる聖地で、あらゆる地域で魔術とは『攻撃魔術』を指していた。これが答えだ。人間の理想とはすなわち――――強い己。その集合体が"強い国"だ」
魔術の研究に携わってきたアウロスにとって、そのデウスの結論は半分耳が痛く、半分憤りを覚えるものだった。
しかしそれでも、反論はしない。
目の奥に火傷しそうな程の熱を持ち、続きを待つ。
「デ・ラ・ペーニャは強い国でなければならない。魔術国家とは、そういう事だ。ならばこの国に必要な魔術とは何か? 当然、強い魔術。それも圧倒的な畏怖を生み、他国への脅威となる魔術。それがあって初めて、この国は復権する。本来あるべき姿へ戻る」
「ま、まさか……それが邪術って言いたい訳?」
ラディの言葉に、デウスは口の端を大きく吊り上げる。
「前政権では扱いきれなかった、魔術の可能性。それを邪術と呼ぶのは怠慢に過ぎない。俺なら、俺が王となれば有効に利用できるだろう。そう考え、この国のあらゆる邪術にまつわる資料を探した。当然、今も探し続けている。アウロス、お前にも手伝って貰ったな」
それはつまり――――四方教会の活動内容を指していた。
四方教会。
東西南北、この世界の到る所へと蔓延る事を冠としたその名前の行き先は、過去か未来か。
「その中で、俺が一番可能性を感じたのが、この地下に眠っていた邪術だ。管理していたミラー家も快く協力してくれた。約一名ほど、目指す道を違ってしまったが」
いち早くその言葉に反応を示したのは――――アウロス。
ゲオルギウスはここにいるが、その姉クリオネの姿はない。
それが何を意味するのか、アウロスは理解せざるを得なかった。
「エルアグア教会に古くから伝わる、封印されし魔術――――融解魔術。この世のあらゆる物を溶かし尽くすこの魔術こそが、デ・ラ・ペーニャ復権の切り札となる。そして……」
「そして、選挙に勝つ為の切り札になる、か」
ずっと口を閉ざしていたアウロスが、演説の締めの言葉を横取りした。